八束はじめ著『メタボリズム・ネクサス』(オーム社;2011)は近代日本の形成過程を建築・都市計画史の視点から描き出した刮目の書である。そこに込められた論点は数多いが、ここではメタボリズムの思想的起源と、国土計画への関与についてのみ、取り上げてみたい。
戦後、全総を一貫して指揮した下河辺淳が丹下健三門下であったことが端的に示すように、国土計画というグランドデザインにメタボリズムが果たした役割を、同書は活写している。そして、メタボリズムの思想的源流は、さらに戦時の企画院や満鉄調査部などに連なる人脈からの直接・間接の影響下にあることも明らかにされる。それは、ファシズムとマルクシズムの奇妙な混淆でもある。
「戦時は満鉄調査部や満州国の計画部局によって、戦後は3章に述べた戦災復興院や経済安定本部による戦災からの復旧作業によって、各々追求された国民国家のグランドデザインへの傾斜は、後には国土計画に統合されていく。国土計画とはナチスドイツのLandesplannungから直接由来する名称である。」(同書p.317)
同書において最も重要な役割を与えられている建築家(の一人)は疑いもなく丹下健三であるが、彼の周りには高山英華(東大の都市計画教授で丹下の上司にあたる。企画院と関係。大同都邑計画を立案)、内田祥文(高山とともに大同都邑計画を主導)らがおり、間接的に影響を与えた人物として難波田春夫(皇道経済学のイデオローグ)、保田與重郎が挙げられている。また、門下生である大林順一郎を通じて経済安定本部とのつながりもあったとされる。統制経済や計画のイデオロギーへの志向性は、これらの人脈から見て明らかであろう。
この戦時・戦後にかけての統制経済(企画院、満鉄調査部、安本等)と丹下、メタボリズム、全総をつなぐ思想的系譜は、社会経済史や政治史においては、ほとんど明示的に取り上げられてこなかったのではなかろうか(勿論、専門家ではないので、単に私が知らないだけかもしれないが、あまりメジャーでないことは確かであろう)。例えば、岩波の『日本経済史7 「計画化」と「民主化」』(1989)所収の御厨貴「戦時・戦後の社会」では、戦前・戦時下・戦後を通じた国土計画の変遷を取り上げているが、丹下健三やメタボリズムへの言及はない(下河辺や大来佐武郎には言及あり。参考文献には石川栄耀の著作が挙げられている)。また、満鉄調査部について書かれた小林英夫著『満鉄調査部 「元祖シンクタンク」の誕生と崩壊』(平凡社新書;2005)や『満州と自民党』(新潮新書;2005)にも丹下・メタボリズム関連の言及はない。
つまり、企画院・満鉄調査部-経済安定本部というラインは詳細に研究されているが、そこから統制経済のDNAが丹下-下河辺ラインを経て全総に受け継がれた、というシナリオは社会経済史や政治史の分野では、あまり自覚的に議論されておらず、建築・都市計画史からの照射によって漸くその輪郭を顕わにした、という印象を受ける。
ただし、同書では丹下の構想する「東海道メガロポリス」(拠点大都市への産業・情報集積)というコンセプトと、広く国土に産業を分散させようとする政治家サイドの要求との間の緊張関係に再三言及しており、決してメタボリズムと国土計画構想が常に蜜月関係にあったわけではないことを強調している。
ここまでの著者の議論から想起される事柄をいくつか並べてみる。
1.戦時期以来の日本の構想力は、良くも悪くも計画や統制のDNAのうえに成立してきたという点である(同書では、丹下がメガロポリスの地価暴騰を抑制するため、土地の私権制限を主張していたと述べている。ただし、メタボリズムという運動の全体が、その影響下にあったわけではないと思われる)。日本には石橋湛山ら一部の例外を除けば、自由主義の伝統に乏しいという指摘が度々なされてきた(河合栄治郎が志半ばで東大を追われなければ、歴史の流れは変わっていたのでは、という説もあるが)。自由主義に代わって優秀な才能を集めたのがマルクス主義であったことを考えれば、このことはある意味当然ではある。しかし、計画・統制への過度の傾斜と、その反映としての自由主義的な構想力の欠如が、現代日本政治のある種のバランスの悪さに直結しているようにも思える(自由主義的構想力は語義矛盾のようにも聞こえるが、石橋湛山の「小日本主義」はグランドヴィジョンとしての評価に耐えうるものだと思う)。
2.にも関わらず、丹下からメタボリズムに至る流れは教条主義からは程遠く、様々な方法論や技法を取り込み、大来佐武郎、林雄二郎らの官僚、磯村英一、ジャン・ゴットマンらの社会学者や地理学者、梅棹忠夫、加藤秀俊、小松左京らの京都学派・未来学会人脈等々、あらゆるジャンルの人たちと連携を深めていく(著者も彼らのプラグマティックな姿勢に度々言及している)。しばらく前に東浩紀氏がツイッターで「メタボリズムの影響は想像以上に大きく、特に京都学派・未来学会との関係はもっと注目されてよい」といった趣旨のツイートをしていたと記憶しているが、このラインの研究はまだかなり手つかずのまま残されているように思われる。例えば、著者は「メタボリストの時代ともいえる60年代と70年代は、日本のシンクタンクの隆盛期でもあった」と述べている。日本地域開発センターや社会工学研究所などがその中心であったのだが、中立のシンクタンクが根付かないといわれている現代の日本と当時の社会状況がいかに隔たっていることか。
(折よく東氏編「小松左京セレクション1 日本」(河出文庫)が発売となった。このセレクションによって往時の雰囲気を少しでも感じ取れるのではなかろうか。)
3.こちらのレム・コールハースと南條史生との対談を読むと、コールハースの市場経済への不信と強い政府への志向を読み取ることができる。growth controlという考え方もあるように、都市計画と市場経済は必ずしも相性が良いとはいえない。メタボリズムという運動から都市・地域-政府・自治体-市場経済の関係性を考える、という視点もありではなかろうか。
コールハースのProject Japanには下河辺とのインタビューが収録されているらしい。Project Japanは未読なのだが、この部分は特に注目される。
4.前回のエントリーにも少し書いたが、国土計画/グランドデザインに向かう現下の若手・中堅建築家は、世代的に見て、おそらくマルクシズムのようなイデオロギーからは完全に自由であると想像される。計画・統制のDNAから自由な世代が産み出す国土計画/グランドデザインがどのようなものになるのか、それが市場経済とどのような形で共存していくのか、これは思いのほかスリリングな課題ではないだろうか。