C.Terry Warner, Bonds That Make Us Free, 2001を経済学の視点から読んでみようと思います。著者の C.Terry Warnerは哲学者でThe Arbinger Instituteの中心メンバーでもあります。The Arbinger Instituteの名前は「自分の小さな『箱』から脱出する方法」「2日で人生が変わる『箱』の法則」などの自己啓発本ですでにご存知の方も多いと思います。"Bonds That Make Us Free"も、対人関係とコミュニケーションを扱った本です。
その中心的なメッセージは以下のように要約されます(うまく要約できているか自信がありませんが)。
◆家族や友人、他人から意に沿わない扱いを受けたとき、人は容易に自分の「箱」の中に閉じこもってしまう。
◆しかし、それは家族や友人、他人の意図を曲解することから生じており、そんなときは相手をひとつの人格ではなく、「モノ」として見ている(I-It relationship)。
◆お互いがお互いの「箱」に閉じこもることにより、相手に対する誤解が増幅される。そして、あたかも双方が結託して解決を遠ざけているような状態に陥ってしまう(collusion cycle)。
◆こうした事態を避けるためには、相手が発するシグナル("light")を感じるままに受取り、自分の心を変える必要がある。相手の心を変える一番良い方法は、まず自分の心を変えることである。
◆そうすることで、結託のサイクルから抜け出し、お互いがプラスに影響しあう関係(「思いやる関係」= considerate relationship)を創っていける。このとき、我々は相手をモノではなくひとつの人格として尊重していることになる(I-You relationship)。
人間心理や感情が経済行動に与える影響の重要性は、昨今の行動経済学の隆盛を見るまでもなく、すでに広く世人の認識するところとなっています。しかし、"Bonds That Make Us Free"で提起されたテーマを扱う場合、実験心理学をベースとした行動経済学よりも、道徳哲学と経済学を結びつけたアダム・スミスのアプローチの方がより適切であるように思われます。とりわけ、堂目卓生著「アダム・スミス 『道徳感情論』と『国富論』の世界」(中公新書、2008)が、極めて魅力的なスミス像を余すところなく描いていますので、同書に拠って話を進めたいと思います。
さて、「道徳感情論」によれば、人間とは「どんなに利己的なものと想定されうるにしても、明らかに人間の本性の中には、何か別の原理があり、...他人の幸福を...自分にとって必要なものだと感じる」存在です。「他人の感情や行為の適切性を判断する心の作用」をスミスは「同感」(sympathy)と呼びました。堂目教授は「同感」を以下のように解釈しています。
「同感は、他人の喜びや悲しみ、怒りなどの諸感情を自分の心の中に写しとり、想像力を使って、それらと同様の感情を引き出そうとする、あるいは引き出せるか否かを検討する人間の情動的な能力といえる。」(同書 p.30-31)
人は「同感という能力を使って他人の感情や行動を観察し、それらに対して是認・否認の判断を下す」(p.31)。と同時に、人は親や友人、あるいは他人から自分の感情・行動を是認してもらいたいという願望を持つ。そして、自己の経験から、どのような感情・行動ならば親や友人、あるいは他人から是認されるかを学んでいく。そのような経験から、人は自分の胸中に「公平な観察者」(impartial spectator)を形成していく。
もしも、自分がある対象に対し何らかの感情を抱いたり、行動を起こしたりすると、もう1人の自分である胸中の公平な観察者が、自分の感情や行動が適切なものであるかどうか判断する。そして、自分の感情・行動が公平な観察者の視点から是認できるものに合わせようと努力していくことになる。
Warnerの言う「箱」に入った状態とは、いわば胸中の公平な観察者が否認するような感情・行動を敢えてしてしまう状態、まさに自己欺瞞(self-deception)の状態だと言えるでしょう。
同書ではこの後、世間の評価と胸中の公平な観察者の判断が食い違うケースを取り上げ、世評よりも公平な観察者の判断を重視する人を「賢い人」、公平な観察者よりも世評をにおもねってしまう人を「弱い人」と名づけ、公平な観察者の判断を曲げてしまう弱さを同じく「自己欺瞞」(self-deceipt)と呼んでいます。「箱」に入った状態は、このケースとは若干違いますが、公平な観察者をないがしろにしている点で、弱さの表れと言えます。
このように、スミスにおけるコミュニケーションの原点は、自分の感情・行動を人から是認されたい、人の感情・行動を是認したいという「同感」にあります。そして、スミスによれば「同感」こそが社会秩序を形成し、社会の繁栄をもたらす原動力なのです。人は、他人からの同感を得るために、富や高い地位を求め、貧困や低い地位を避けようとするからです。
おもしろいことに、スミスによれば経済発展をもたらすのは人間の「弱さ」です。「弱い人」(=公平な観察者より世評に踊らされる人)は、より多くの富を獲得し、より幸福になろうとします。しかし、このような野心は幻想に過ぎず、富が増えても個人の幸福度はほとんど変わらないので、「弱い人」はだまされてしまうことになります。しかし、このような「欺瞞」が経済を発展させ、社会を文明化するとスミスは考えました。この辺は、幸福の経済学でいう「経済成長はしたが幸福度はほとんど変わっていない」というテーゼを想起させます。
この議論はスミスの幸福観と密接に関連しています。スミスによれば、「幸福は平静tranquilityと享楽enjoyment」にあります。心の平静こそが幸福であり、心の平静のためには「健康で、負債がなく、良心にやましいところがない」ことが必要だとスミスは考えました。そして、健康を維持し、負債を負わず、良心の呵責を感じる行為をしなくて済む程度の収入ないし富は必要だと考えましたが、それ以上の財産を持っても、幸福度は大して増進しないと論じました。
再び同書より引用します。
「...スミスの議論の特徴は、人間の中に「賢明さ」と「弱さ」の両方があることを認めている点である。...「賢明さ」には社会の秩序をもたらす役割が、「弱さ」には社会の繁栄をもたらす役割が与えられている。特に、「弱さ」は一見すると悪徳なのであるが、そのような「弱さ」も、「見えざる手」に導かれて、繁栄という目的の実現に貢献するのである。しかしながら、「見えざる手」が十分機能するためには、「弱さ」は放任されるのではなく、「賢明さ」によって制御されなければならない。」(p.104)
経済発展のためには、皆が有徳の士である必要はなく、皆が利己的に振舞うことにより「見えざる手」の自動調節機能が働き、市場経済がうまく機能するという視点は、ある意味でスミス経済学のキモでもあるのですが、他方で社会が同感によって支えられているという視点も忘れてはなりません。considerateなrelationshipが市場経済を活性化させる可能性は、おそらくこの点にあります。
その中心的なメッセージは以下のように要約されます(うまく要約できているか自信がありませんが)。
◆家族や友人、他人から意に沿わない扱いを受けたとき、人は容易に自分の「箱」の中に閉じこもってしまう。
◆しかし、それは家族や友人、他人の意図を曲解することから生じており、そんなときは相手をひとつの人格ではなく、「モノ」として見ている(I-It relationship)。
◆お互いがお互いの「箱」に閉じこもることにより、相手に対する誤解が増幅される。そして、あたかも双方が結託して解決を遠ざけているような状態に陥ってしまう(collusion cycle)。
◆こうした事態を避けるためには、相手が発するシグナル("light")を感じるままに受取り、自分の心を変える必要がある。相手の心を変える一番良い方法は、まず自分の心を変えることである。
◆そうすることで、結託のサイクルから抜け出し、お互いがプラスに影響しあう関係(「思いやる関係」= considerate relationship)を創っていける。このとき、我々は相手をモノではなくひとつの人格として尊重していることになる(I-You relationship)。
人間心理や感情が経済行動に与える影響の重要性は、昨今の行動経済学の隆盛を見るまでもなく、すでに広く世人の認識するところとなっています。しかし、"Bonds That Make Us Free"で提起されたテーマを扱う場合、実験心理学をベースとした行動経済学よりも、道徳哲学と経済学を結びつけたアダム・スミスのアプローチの方がより適切であるように思われます。とりわけ、堂目卓生著「アダム・スミス 『道徳感情論』と『国富論』の世界」(中公新書、2008)が、極めて魅力的なスミス像を余すところなく描いていますので、同書に拠って話を進めたいと思います。
さて、「道徳感情論」によれば、人間とは「どんなに利己的なものと想定されうるにしても、明らかに人間の本性の中には、何か別の原理があり、...他人の幸福を...自分にとって必要なものだと感じる」存在です。「他人の感情や行為の適切性を判断する心の作用」をスミスは「同感」(sympathy)と呼びました。堂目教授は「同感」を以下のように解釈しています。
「同感は、他人の喜びや悲しみ、怒りなどの諸感情を自分の心の中に写しとり、想像力を使って、それらと同様の感情を引き出そうとする、あるいは引き出せるか否かを検討する人間の情動的な能力といえる。」(同書 p.30-31)
人は「同感という能力を使って他人の感情や行動を観察し、それらに対して是認・否認の判断を下す」(p.31)。と同時に、人は親や友人、あるいは他人から自分の感情・行動を是認してもらいたいという願望を持つ。そして、自己の経験から、どのような感情・行動ならば親や友人、あるいは他人から是認されるかを学んでいく。そのような経験から、人は自分の胸中に「公平な観察者」(impartial spectator)を形成していく。
もしも、自分がある対象に対し何らかの感情を抱いたり、行動を起こしたりすると、もう1人の自分である胸中の公平な観察者が、自分の感情や行動が適切なものであるかどうか判断する。そして、自分の感情・行動が公平な観察者の視点から是認できるものに合わせようと努力していくことになる。
Warnerの言う「箱」に入った状態とは、いわば胸中の公平な観察者が否認するような感情・行動を敢えてしてしまう状態、まさに自己欺瞞(self-deception)の状態だと言えるでしょう。
同書ではこの後、世間の評価と胸中の公平な観察者の判断が食い違うケースを取り上げ、世評よりも公平な観察者の判断を重視する人を「賢い人」、公平な観察者よりも世評をにおもねってしまう人を「弱い人」と名づけ、公平な観察者の判断を曲げてしまう弱さを同じく「自己欺瞞」(self-deceipt)と呼んでいます。「箱」に入った状態は、このケースとは若干違いますが、公平な観察者をないがしろにしている点で、弱さの表れと言えます。
このように、スミスにおけるコミュニケーションの原点は、自分の感情・行動を人から是認されたい、人の感情・行動を是認したいという「同感」にあります。そして、スミスによれば「同感」こそが社会秩序を形成し、社会の繁栄をもたらす原動力なのです。人は、他人からの同感を得るために、富や高い地位を求め、貧困や低い地位を避けようとするからです。
おもしろいことに、スミスによれば経済発展をもたらすのは人間の「弱さ」です。「弱い人」(=公平な観察者より世評に踊らされる人)は、より多くの富を獲得し、より幸福になろうとします。しかし、このような野心は幻想に過ぎず、富が増えても個人の幸福度はほとんど変わらないので、「弱い人」はだまされてしまうことになります。しかし、このような「欺瞞」が経済を発展させ、社会を文明化するとスミスは考えました。この辺は、幸福の経済学でいう「経済成長はしたが幸福度はほとんど変わっていない」というテーゼを想起させます。
この議論はスミスの幸福観と密接に関連しています。スミスによれば、「幸福は平静tranquilityと享楽enjoyment」にあります。心の平静こそが幸福であり、心の平静のためには「健康で、負債がなく、良心にやましいところがない」ことが必要だとスミスは考えました。そして、健康を維持し、負債を負わず、良心の呵責を感じる行為をしなくて済む程度の収入ないし富は必要だと考えましたが、それ以上の財産を持っても、幸福度は大して増進しないと論じました。
再び同書より引用します。
「...スミスの議論の特徴は、人間の中に「賢明さ」と「弱さ」の両方があることを認めている点である。...「賢明さ」には社会の秩序をもたらす役割が、「弱さ」には社会の繁栄をもたらす役割が与えられている。特に、「弱さ」は一見すると悪徳なのであるが、そのような「弱さ」も、「見えざる手」に導かれて、繁栄という目的の実現に貢献するのである。しかしながら、「見えざる手」が十分機能するためには、「弱さ」は放任されるのではなく、「賢明さ」によって制御されなければならない。」(p.104)
経済発展のためには、皆が有徳の士である必要はなく、皆が利己的に振舞うことにより「見えざる手」の自動調節機能が働き、市場経済がうまく機能するという視点は、ある意味でスミス経済学のキモでもあるのですが、他方で社会が同感によって支えられているという視点も忘れてはなりません。considerateなrelationshipが市場経済を活性化させる可能性は、おそらくこの点にあります。