歌よみもどきの書

歌詠み「もどき」のあかんたれが吐き出す、短歌になりきれない五七五七七の羅列です。

「切実さ」

2012-12-12 | 学習ノオト

「京大短歌」18号の座談会のことを先日チラっと書きましたが。
本日もチラっとだけ引用いたします。
よく考えると、震災詠だけでなく、すっごくすっごく勉強になることてんこもりで、私なんかが感想ごときを述べるものではないと悟りましたが、自身の備忘録を兼ねて「チラ」っとだけです。(悪しからず。^^;)

前後を一切省きますが。
「切実さ」というキーワードが出てきます。
私が自分の詠む短歌に求めるものと似て非なるものですが、ヒントにはなるかなあと思いました。

私は、「せつなさ」を意識して短歌を作りたいです。
相聞に限らず、暮らしの中の切なさを詠むことで、喜怒哀楽を表現できれば、と。
そして、それのヒントが座談会での「切実さ」云々のところにあるかな、と思ったのです。
新人賞における「切実さ」』のくだりは、興味深く読めました。
「若い人の生々とした一瞬が切り取られている」切実さが新人賞で特別な意味?をもつのであれば、おばさんはおばさんの切り取り方を<年の甲>風にすれば、それはそれで切なさが詠えるんじゃないかと!?

そこで、ひとつ前のエントリーの五首なんですが。

結論的には、切実さというより切羽詰まった感な気が。。
歌どころか、この記事自体が切羽詰って、まとまりがなくなるわ(汗)何を書きたかったのだか分からなくなるわ(爆)おまけに眠くなるわ。。。orz


困った時の名歌だのみで、私がお手本にしたいと思う切ない歌を引いて締めようと思います。
種類の違う「せつなさ」を段階的に?引かせていただきました。
河野先生の辞世のお歌は、最大級で切ないです。





地球規模で淋しいのですアボカドの茶色の種がなかなか取れず
(中川 宏子 「右耳の鳩」)



米櫃に米は無くとも七月は、
何かあかるい。
草の葉っぱも。
  (花岡 謙二 「歪められた顔」)




手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が
(河野 裕子 「蝉声」)  

*↑本当の「蝉」の字は口ふたつの旧字です。