上海株の大暴落って、まるで資本主義国のような騒ぎを日本のメディアは疑いもせず騒いでいます。チャイナに存在する会社の凡てが国営企業だと言って、ちゃんと反論する経済学者がいるでしょうか。
今や、共産主義を国の方針として、真面に打ち出している世界の中の主要国と言えばチャイナぐらいしか残っていないでしょうし、真面目にマルクスレーニン主義のコミニズムを。基にしている国はゼロでしょう。
理想的なコミニズム国家があるとしたら、それに一番近い国は、日本だと言った人がいます。確かに健康保険制度や、年金制度が崩れずに作動している国は、北欧の国々とは違った意味で日本は、それの最も近い所にいるかもしれません。
上海株暴落と言っても、きちんとしたルールの下で行われている証券所とは言えません。暴落し出すと、国が証券取引のストップをかけ、それが何日もかかります。
まったくナンチャッテ株式市場だとしか言えませんが。こんないびつな、しかし曲がりなりにも、株式市場を開き世界から資金を調達できるシステム。誰がそうしたか。
今日も又、『リベラルの中国認識が日本を滅ぼす』(産経新聞出版)石平・有本香共著から抜粋して書き始めます。と言っても、3~4ページにすぎませんが、一文字づつ写すのですから時間がかかります。
誰が今のような。怪物に近いチャイナと言う国を作り上げたのでしょう。あの地域は必ず外から征服者が現れて。そこの帝王になるのですが、今回の帝王はソ連から持ち込まれた、チャイナ共産主義者だと言う事です。
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小平の大芝居 (179頁)
♥有本・・・もう一人、日本人の好きな中国の「大人」(たいじん)がいますよ。72年に日中国交正常化してパンダがやって来た。その後、78年に日中平和友好条約を結ぶわけですが、この時に小平が日本に来ました。
は当時、中国の最高実力者だったにもかかわらず、役職は副首相と言うもので、国家主席などではなかった。
これがまた日本人に受けたのですよ無冠の気さくなおじいちゃんと言う、その姿が日本人の心をとらえた。私は高校生でしたが、日本人の多くが、この人となら話ができると言う好印象を持ったと思います。
小平もおそらく、日本を実際に目の当たりにしてびっくりしたでしょうね。新幹線に乗ったり、製鉄所や自動車工場を視察したりして、話に聞いていた日本の発展ぶりや社会の成熟度を実際目の当たりにした。
そして、日本が持っている資質や富を、できるだけ多く自分たちのところへ引き寄せたいと考えたと思います。来日は一世一代の大芝居だった。
♠石・・・あのころ小平が日本を訪問した最大にして唯一の目的は、日本のカネと技術。と言うのは、小平にとって、彼の政治がうまくいくかどうかは、すべて経済が成長できるかどうかにかかっていたからです。
つまり、改革開放路線がうまくいくかどうかだった。ただ、当時、改革開放路線には決め手がありませんでした。資金と技術がなければいくら頑張っても経済は発展しない。だから小平は、内心ではもう、
日本に行った際には、カネさえくれれば土下座しても構わないという気持ちだったと思います。しかし面白い事に、むしろ日本人が小平に土下座をして、カネを差し上げたのです。おそらく小平が一番びっくりしたのではないか。
「そんな馬鹿な!日本中、全部馬鹿じゃないのか?!」
♥有本・・・そうだったんですね〈笑〉。72年に国交正常化した時は、石さんはまだ子供で、文革時代でしたが、この78年当時の小平の日本訪問や日中平和友好条約が、中国でどのように伝えられていたか、記憶はありますか。
♠石・・・もちろん。大きく報じられていたよ。
♥有本・・・日本はよいイメージで伝えられたの?
♠石・・・日本がよいイメージかどうかより、「小平がいかに日本で歓迎されているか」という報道ですね。中国の報道というのは、例えば現在、習近平が外国を訪問するときでもそうですが、
訪問先がどんな国なのか、などの情報はあまり報じません。習近平がいかに歓迎されたか、がほうどうされるのです。
小平が来日した時、彼も上手で、歴史問題には一切触れなかった。領土問題である尖閣問題も棚上げしよう、と。それでまた日本人は感動しました。小平はすごく懐が深いとなった。でも深くも何もない。カネがほしいだけだったのです。
♥有本・・・中国側は、常に優先順位をはっきりさせて事に臨んで来るのね。でも、日本人は小平をみて、「素敵」と思ってしまった。あの人は威張らない、肩書もいらない人だ、と。
ですから、天安門事件があったにもかかわらず、1997年に亡くあるまで日本人の一部には、どこか「小平は悪い人ではない」みたいな感覚がありましたね。
「南京大虐殺」は中国の教科書にもなかった
♠石・・・小平はそれで大成功した。あの一度の訪問で、日本からどれくらい政府開発援助(ODA)を引き出したか。また、松下を中国へ引き込み、日本の企業がどれほど中国へ行くことになったか。
♥有本・・・あの来日の直後に、石さんは大学に行かれたわけですが、それまで大学教育は文化大革命のために閉鎖されていたのですよね。
♠石・・・文革で10年間閉鎖され、大学教育が回復したのは1978年でした。僕が北京大学に入学したのはその2年後、80年でした。
♥有本・・・我々より少し上の世代の中国人は、文革によって大学教育を受けていませんよね。でも、80年代に中国に行ってみたら、私より年上の人たちの中にも、すごく上手な英語や日本語を話す人がいる。マナーもわきまえた人たち。
彼らはいったいどこで勉強したのかと聞いたら、皆、人民解放軍なのです。皆、元軍人。ですから、ただ洗練された知識人というわけでもなかったのです。
♠石・・・文革時代、エリート青年たちは軍隊以外、行くところがなかったのですからね。
♥有本・・・軍で勉強しているから、教育の基本が日本とは全然違う。
♠石・・・あの世代、中国共産党の指導者は基本的に皆、軍人です。小平も軍人でした。小平の評価は、複雑です。開放改革の時代を作ったと言う事がある。小平がいなかったら、今の中国はないでしょう。
♥有本・・・石さんもここ〈日本〉にいないのではないですか。
♠石・・・そういう意味では、僕たちも小平に感謝しなければならないかもしれない。しかし、同じ僕たちの世代が一番憎んでいるのも、小平なのです。天安門事件で武力弾圧に踏み切って、凄まじい数の犠牲者を出しました。
♥有本・・・そうですね。日本でも大きく報じられました。
♠石・・・対日という観点で言えば、小平時代に彼らが覚えたことは、「歴史カードを使う」と言う事でしょう。それを教えてあげたのは、日本人です。
♥有本・・・中国による歴史問題での対日攻撃やいわゆる反日教育は、江沢民時代に始まったと言われますが、実際には80年代、小平時代に始められたのですね。82年には教科書問題が起き、85年には「南京大虐殺記念館」がつくられ、
これらに伴ってプロパガンダ教育もどんどん推進されていく。これ以前、70年代に教育を受けた石さんは学校で、「南京事件」について習ってないんですよね。
♠石・・・習っていません。僕の記憶では、80年半ばまで、中国国内で「南京大虐殺」という言葉を聞いたことはない。教科書の中にも、そうした記述はなかったですね。
♥有本・・・実は私も日本の学校で習っていません。私たちは1962年生まれですが、我々の世代まで日中両国で、「南京事件」など、取り立てて教えられていないのです。
もちろん、東京裁判では持ち出されていますが、それをことさらに教え始めたのは80年代からですね。日本人が火をつけて、日本のメディアと中国共産党とでどんどん話を大きくしていった・・・・・・
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今やチャイナは、地球上でもっとも厄介で困った国になって仕舞いまっています。疫病神のような国です。と感情的になっても物事は解決しないのは分かっていますが、だと言ってこのまま放っておいていいものか。
しかし独裁国家には選挙というものがなく手が付けられません。しかも巨大な人口を抱えています。
独裁者にとって、この権力者以外の巨大な民衆こそ、いつ爆発するかが最大の問題でしょう。プロパガンダを多用するのももっともですが、ネットの発達により、怒れる大衆のエネルギーをどう制御するかが最大の関心事なのでしょう。
しかし今日の話は、そんなチャイナが日本の力を借りてのし上がっていく様を、具体的に取り上げています。日本政府の気持ちはよく分かりますが、こんなに恥知らずな民族だとは、想像だにしなかったでしょう。
しかも反日に向かわせた原因は、殆ど日本人のタレこみに似た一部のメディア(朝日新聞が代表)のご注進によって、チャイナの共産党員を錯覚させたことも事実です。
こんな状態を作り上げたエネルギーがどこから沸き上がったのでしょうか。人間社会の闇は深まるばかりです。
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