歩かない旅人

 彼がなした馬鹿げたこと・・・彼がなさなかった馬鹿げたことが・・・人間の後悔を半分づつ引き受ける。ヴァレリー

時代遅れの思想がメーキャップを新たに

2016-05-11 10:19:37 | 月刊雑誌「WいLL」を読んで

 

  

 

 きょうの産経新聞の第一面はアメリカオバマ大統領が27日に広島訪問という見出しが大きく報じられています。アメリカが世界の警察官としての最後の大統領になるかもしれませんが、今後の世界は、大きな曲がり角に来ているかもしれません。

  

 花田編集長に去られた後の雑誌『WiLL』6月号は、新しい論陣を加えて、相変わらず同じ編集方針を、今のところ進んでいると思っていますが、今月6月号は「総力大特集 日本共産党の正体」の6本の読み物が全部『Hanada』にそっくり移ってしまいました。

  

 そこで前号の『WiLL』に連載された、今は共産党を除名され、共産党についてのスペシャリストの、【日本共産党の履歴書」】の中から、抜粋して一部ここに載せてみたいと思います。がその前の雑誌『WiLL』5月号の、共産党の成り立ちを抜粋します。

  

 

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 (月刊雑誌『WiLL』2016年5月号より)

 総力大特集 日本共産党の正体

 日本共産党の「黒い履歴書」 

   より一部抜粋(1)

    

     共産主義研究家  兵本 達吉

 

 「平和憲法擁護」?

 そもそも共産党とはどんな党なのか、どんな起源を持ち、戦争や平和と、また現行憲法とどんなかかわりを持つのか、根本的なところから検討を加えてみる必要がある。

 日本共産党は、コミンテルン(世界共産党)の日本支部として、1922年7月15日に創立された。1917年にロシアに世界最初の社会主義革命がおこり、その革命を支援するためにコミンテルンが組織された。その日本人グループが日本共産党なのである。

 コミンテルンは、民主集中制と呼ばれる上意下達(上意下達)の軍隊的規律を持ち、資本主義の打倒、全ての階級の廃止という目的を実現するためには、「武装闘争をふくむ一切の有効な手段」をとる。

 そして日本共産党はコミンテルンの指導のもとに、ロシア革命と「同一の道」を通って日本革命の実現を目指すことを誓って加入した。

  

 戦前の日本共産党には綱領はなく、それに代わって、27年テーゼとか、32年テーゼがと呼ばれる綱領的文書がある。いずれもモスクワで外国人によって書かれ、日本共産党に与えられたものである。

 27年テーゼはブハーリンが書いたもので、彼が粛清されるとクーシネンが書き直した。これが32年テーゼと呼ばれるものである。徳田球一らが、このテーゼと活動資金とピストルをモスクワで受け取って帰ってきた。

    

 この32年テーゼでは、天皇制が「絶対主義的天皇制」と規定され、革命的打倒の対象になった。

 当時、モスクワに留学していた学生が『天皇』とは何かと質問されて、それは「ツアー」のことだと答えると、ロマノフ王朝を打倒してまだ革命の熱気が残っていたロシアでは、「ツアー」を打倒しないでどうして革命ができるのかということになり、打倒の対象に選ばれた。

 当時、わが国では、天皇は国民の尊崇の対象であったので、片山潜らの党員は大変なことになった、とガタガタと震えたという。こうした動きに対応して、治安維持法(1925年)が制定された。

 特に天皇制の打倒を目指す運動は厳罰に処され、指導者は死刑に処されることになった。共産党は厳しい弾圧を受けてほとんどの党員が転向したが、ごく少数の党員が獄中で生き残り、戦後の党を再建した。

 「平和運動」の実態

 「侵略戦争に反対し、反戦平和のためには、投獄にも屈せず、命をかけて戦った日本唯一の党である」というのは日本共産党の最大の自慢のタネであリ、セールスポイントになっている。

 これも、真実というよりは、共産党独自のロジックのすり替え、こじつけである。マルクス主義の教義によると「戦争と平和」の問題も階級闘争と関連付けて理解される。資本家や帝国主義者が行う戦争は不正義の戦争であり、これには反対するけれども、

 労働者や農民が行う戦争、内戦や内乱などの革命戦争、社会主義国が行う戦争は正義の戦争であり、これは断固支持すると言うのが「正しい」立場だとされる。

 コミンテルンが日本共産党に与えた任務は、中国大陸に展開していた日本軍が社会主義の祖国、ソ連邦へ攻めココムことを阻止すること、そして中国で進展しつつあった「支那革命」を支援することであった。

 つまり、兄弟党に対する国際的支援であって、いわゆる「平和運動」とは全く性質の違うものである。自国の軍人にビラを配って脱走を即し、自国の政府に銃口を向けるように即す行為を、普通、「平和のために戦った」とは言わないのである。

 戦後、共産党が戦争に反対して大々的に「平和運動」を展開したものに、朝鮮戦争がある。「朝鮮戦争反対!米国は朝鮮から手を引け!」と全国で一大キャンペーンを繰り広げた。

  

 今日では、朝鮮戦争は北朝鮮の金日成がスターリンと毛沢東から支持の約束を取り付けて開始したことが明らかになっている。共産党は、当時はアメリカ軍の侵略戦争だとして全国で盛んに反対運動を繰り広げた。

 スターリンや毛沢東から指示を受けた日本共産党が日本国内で騒乱を引き起こし、朝鮮戦争の後方攪乱を企てると同時に、あわよくば「内乱」に発展させる試みであった。

  

 スターリンや毛沢東から、自国の政府を転覆せよという指示を受け、外国(中国)に軍事基地を設けて、放送局まで作って宣伝・扇動報道を行い、青年たちに軍事教練を施し、山岳地帯に軍事拠点(実際には大したことはしていなかったが)をつくらせ、

 警察や税務署を襲撃し、皇居前の広場を血に染めて交通機関を襲撃し、列車の運行を妨げた。失敗に終わったというものの、これは立派に「内乱罪」「外患罪」に該当するものであって、「平和運動」とはいえないものである。

 以上のようにその歴史を見ても、日本共産党を平和の使徒、平和憲法の守護神のように考えるのは噴飯ものである。(一部抜粋)

 

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 共産党は歴代その代表がどのように決まっていくか本当の事情は知らされていません。今の志位委員長も、とぼけた顔をして、「平和憲法」を護れ!などと、野党のリーダーになったつもりでいます。

 かなり左に傾いた民進党の中にも、いくら選挙のためとは言いながら、共産党と共闘を組むのに危機感を持っている人々も増えだしました。今まで、巧妙に共産党はプロパガンダを見事にしてきました。

  

 その気になって信じ込んでしまう人もかなりな数はいるでしょう。シールズなどと止むに止まれず立ち上がった政治に目覚めた若者たちという触れ込みですが、バックに共産党がいることがネット情報でバレバレになったことを共産党はとぼけています。

 兵本氏の寄稿文は非常に分かりやすく、共産党の内部告発ともいえます。全文11ページの長い文ですが随時抜粋して行きたいと思っています。日本の敵ともいうべき存在ですから。


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