もう1つの感性の本棚

書くことを仕事にしている者として、日常をどのような感性で掬い取るか。

街の縁取り69~大畑のランチ

2007-01-25 15:03:57 | 街の縁取り
 大畑――。

 新潟市のひと以外、何のことかわからないだろう。新潟島にある地名である。
 暮らしてみるまで、この新潟島の構造を知らなかったのだが、この大畑界隈、島の山の手なのだ。
 点在する寺や墓は、砂州に出来上がった新潟島故に土地利用が移ろいやすかった名残りらしいが、近代以降、海外にかけてなだらかな丘になっている地形に公共施設、邸宅、高級地元官僚の官舎が建てられた。昔の日銀支店長の官舎は、それは豪奢な造りで、今は市民に開放されている。

 ここに新潟で最も老舗と言われるイタリア料理屋がある。地元では有名。
 場所としては、非常に分かりづらいところにあるのだが、しばらく振りに新潟でゆっくりしていられたので、ようやく行くことが出来た。

 パスタ(鰯とイタリア野菜のパスタ)と金目鯛のソテー、ピスタチオのアイスクリームとエスプレッソで、2000円ちょっとの少し高めのランチを、グラスワイン(赤)で楽しんだ。店の雰囲気も味も、てらったところがなく安心出来る感じで、また行きたいと思う店の1つとなった。

 こういう時間が良い、増やしたい。

 さて思うのだが、とくに新潟島は、料亭を除けば大店(おおだな)が少なく、路地に入ったところにひっそりとした佇まいで自己主張していない店が多いように思う。
 通りがかりに入る機会はまず与えられていないと言うべきだろう。
 ショットバーやフランス料理屋、そして店なのだが何屋かよくわからないところもある。
 それが売り?

 地元のタウン誌では、巻頭にグルメ特集を持ってくることが多く、持ち球が少ないせいか、同じ店が繰り返し出てくる。きょう行ったイタリア料理屋も必ず、取り上げられる。

 露出の度合いが味を左右しているわけでなく、露出自体を拒むという感じでもないが、強く主張するわけでもない。かといってこだわりがないわけでもない、いやこだわりは結構ある。そんな店が路地に散在している。

 信濃川を新潟駅側にわたったところに、これから大型高層マンションが建ち、旧ダイエー跡にロフトなどが入った複合商業施設が3月にオープンする。すぐ側に、新潟伊勢丹があり、ビルボードプレースという10-20代がたむろする場所もあり、県下で一番人通りが多い。 
 新潟島は、それに対置する旧市街ということにはなる。
 隔たりは大したものではないが。

 新旧を同じ「町内空間」において楽しめるというのは新潟の利点。山の手の探検も、まだ続く。 

  









  



  








街の縁取り68~光と風の饗宴

2007-01-25 12:40:47 | 街の縁取り
 日本海側の平野部は、小雪どころか無雪が続いている。
 新潟県下でも雪祭りが影響を受けていて、規模を縮小せざるを得ないようだ。
 ほどほどに降って欲しい、という都合を天気は聞き入れてくれない。
 厳しさを覚悟していた初めての新潟の冬には、肩透かしを食らっているが、このまま春が来てしまうのだろうか。

 それでも日本海側、海沿いの気候から特徴を感じることがある。

 「光と風の饗宴」。
 そんな言葉を当て嵌めてみた。

 写真は、新潟から長岡、柏崎に向かう高速道路から朝方見かけた光景で、厚い雲の切れ間から太陽光線が降り注いでいる。
 今年が特別なのかも知れないが、「どんよりとした曇天」という印象ではなく、快晴は少ないものの、雲は強い風によって吹き流れ、その隙間から太陽が漏れてくる光景に遭遇することが多い。

 太陽光線と雲のコントラスト。
 晴れっ放しでもなく、雨や雪が降りっ放しでもなく、光と風を同時に意識する。

 これは、雪国に衣替えをしてしまう前の季節の変わり目がずっと続いているということなのだろうか。
 記憶に残る珍しい年に当たったということなのだろうか。 
 














きょうの写真棚~行列

2007-01-22 18:07:17 | Weblog
 土曜日に業界新年会があり、富山県高岡市に行った。週末の仕事は久しぶりで、東京から飛行機で来て、夜の新年会後に市内に泊まり、日曜日に新潟に戻った。

 高岡は、前田利家の嫡男・利長の隠居地で、城下町ではあるが武家地というよりは寺町の趣がある。これをもって寂れているというべきではない気がする。
 出自からも最初から落ち着いた町だったのでは、と思う。
 今、呑み屋が固まった区域もある。アルミなど地場産業があり、この規模の町としては数が多い。土曜日は、新年会後にこうしたところの店に二次会で流れたのだが、それでもざわついた感じは一切ない。
 客も店側も固定メンバーで回っている感じ。刺激も少ないし、商売としての広がりも限られるのかも知れないが、成立はしている。

 出張先での休日というのは珍しく、ゆっくりとホテルで朝食を摂り、駅前の図書館で資料を借り出したりして過ごしていたのだが、以前から気になっていたカレーうどんが有名な店「吉宗」に行った。写真はその行列の風景である。
 人通りが少ない道を駅前からテクテクと20分ほど歩いて、突然、行列が見えてきたことに少し驚く。店の中にいる人も合わせると20人待ち。

 99%の人がカレーうどんを頼んでいて850円。辛味が利いた濃い口、煮込んだ肉が結構入っているカレー餡で、50円でご飯が付く。
 地元の人なのだろうが、列に並んでいる最中、「家で作ってもこの味は出ない」と話していた。

 カレーうどんと言うと、東京では巣鴨の古奈やが有名だが、そこの牛乳を入れたマイルドな味わいとは違う濃さがある。しかし、毎日でも食べられる。びっくりするような奇をてらったものではない。流行ではなく、地元に定着している店の雰囲気がいい。

 まあ20人待ちで、もう一度行くかどうかわからないが、本当に俄かに出現した行列には驚いたのでした。






 




  
 
  

街の縁取り67~移動手段あるいは立山連峰はそこに在るだけ

2007-01-20 17:33:23 | 街の縁取り
 東京に3泊4日滞在して、きょう土曜日14:50の羽田発で富山へ移動。
 JR京浜東北線快速、東京モノレール快速の乗り合わせで、家から搭乗口まで丁度1時間で到着。飛行時間は50分。家からホテルまで3時間。
 東京の移動660円、東京―富山特割1で1万4000円、富山空港―高岡がバスで1100円の計1万5760円。
 つい3日前、富山駅前からだったが、高速バスで東京に戻った際、所要時間6時間(家までだと6時間半)、料金7340円だった。
 時間と料金がきれいに反比例している。

 高速バスでの移動の方にむしろ旅情感じる自分だが、飛行機の場合、この程度の飛行距離だと早割りネット割引で1万円を切るケースもあり、競争力は、飛行機の方が優位なのかも知れない。飛行機の場合は、空港を楽しめればさらにいい。
 蛇足だが、2月に新潟から神戸に移動するのだが、早割りとチケットレス割引を併用すると新潟―神戸間が何と9800円。新潟空港までのアクセスに難があるものの、これは安い。移動時間と併せて高速バスで大阪に行くより断然いい。しかし、3月には新潟―神戸便は廃止になる。利用率が上がらず。需要がなかったということだろう。蛇足を重ねると、本当は伊丹行きでいいのを廃止と聞いて神戸行きにした。新潟空港を使うのも初めてだが、神戸行きのルートで眼下に流れる光景が今から楽しみ。

 蛇足が長くなったが、列車も含め、それぞれの特性を享受出来ることに越したことはない。どうせ、移動しなきゃならないんだから。
 これも蛇足になってしまうが、JRの場合、列車での移動に関わるすべての費用、ホテルやレンタカーもビューカードで支払うと、ポイントがかなり溜まる。今の自分の利用実績だと、ビュー商品券換算で毎月平均して2千円分は溜まっている。
 今回東京に戻った際、このポイントを商品券ではなく、SUICAにチャージした。東京では、3月中旬から、地下鉄もSUICAが使えるようになる。
 広い東京は、JR、地下鉄、私鉄を使っての移動時間が1時間かかることはザラ。都心だけを動いていても、料金も往復で500円以上なることもしばしばある。ここにカードで溜まったポイントが使えれば都合がいい。
 高速バス好きを再自覚する自分だが、列車はこういう利得がある。

 さて、話はねじれにねじれて飛行機に戻る。
 写真は、富山空港着陸前の窓から見た立山連峰。暖冬の象徴のような快晴下で飛行機が空港に向けて着陸態勢に入ってからが絶景ポイント。
 本ブログでも、一度JR駅のプラットフォームから眺めた立山連邦の写真を使ったことがあるが上空からは別格。海から程近い距離で3000㍍級の連邦が屹立しているのが見て取れる。
 空路による贈り物。これも楽しみ。
 
 選り好みをしない故の楽しさがある。



 
 



TB練習帳)欲しいけど買えないものは?

2007-01-19 12:30:06 | TB練習帳
 欲しいけど買えないもの・・・筆頭に挙げられるのはアクアリウム。

 どこかで書いた憶えもあるが、まず大きさから決めると、大型薄型TVが置ける程度の台に乗せられる大きさの水槽で、ガラスから水生植物、魚まですべてを凝ると、100万円はする。

 現実的には、費用を削ることは十分可能だが、そうした計算よりも、アクアリウムはメンテが重要ということがハードルになっている。
 当然、そこには命がある訳で、始めれば行動も制限される。ただ鑑賞して終わりでは済まされない。

 日本橋三越に、ハイエンドのアクアリウムを制作・販売する会社が、常時出展しているが、時折、買い物に立ち寄った時に、しばし見入って欲求を満たしている。
 他人の犬を気まぐれに可愛がるみたいな感じだろうか。

 カネもカネだけど、おいしいところだけつまみ食い出来ないというジレンマが、
自分にとって欲しいけど買えないというところに重なる。

 

街の縁取り66~高速バス

2007-01-17 23:10:14 | 街の縁取り
 きょうは、朝から新潟―富山に高速バスで移動。夕刻に仕事が終わり、また高速バスで富山―東京に戻る。
 バスで東京に戻ったのは、高田からに続いて二度目。富山からは所要時間約6時間。

 写真は、その東京に戻るバス車内。
 3列シートのバスだが、乗客は3人。全員が片道割引なしの7340円とすれば、売上は2万円ちょっと。運転手は2人。日給として1人1万円程度だとすると、高速代、燃料費を入れると多分赤字。
 こんなに空いているのは平日だからなのだろう。週末の混み具合は知らない。

 移動を繰り返している内、気付いたことがある。電車よりバスの方が好きだということだ。時間は掛かるが、一度乗ってしまうと落ち着く。通路の往来もないし。
 また移動時間も、新幹線ではあっという間だが、バスだと遠さを実感出来る。値段は安いが、ある意味贅沢かも知れない。
 高速道路の少しうら寂しいパーキングエリアの雰囲気も、ある種、旅情を誘う。
 街の連なりも、電車の車窓とは違って見えるのもいい。

 今度は新幹線と並行する新潟―東京便に乗ってみよう。 








 




街の縁取り65~川端のランチ

2007-01-16 20:56:08 | 街の縁取り
 明日からまた富山方面に行き、その後東京と富山を往復して、週末に新潟に戻ってくるという動線を描く。
 きょうの日中は天気もよく、時間もゆったりめだったので、自転車で市街地を移動した。駅前で用事を済ませてから、信濃川河畔に寄り、川を眺めるレストランでランチをした。万代橋の袂にある結婚式併設のところ。

 まだ11時半だったので、自分が口切りとなった。1000円のパスタランチとグラスビール。デザートかサイドメニューのおかずが一品選べる形式。

 新潟に転勤してきた時から、このレストラン、目に付いてはいた。万代橋を往来すると必ず目に入る。しかし、どことなく書割っぽいイメージがあったので近寄らなかったのだが、料理とコンセプトはしっかりしていた。
 12時前後になると、女性客が次々にやってきた。キャパが大きいので満員という感じではないが、これは結婚式の二次会などに合わせた広さなのだろう。

 レストランそのものは悪くなかったのだが、1つ思ったのは、本当に新潟って水辺が生きていない。このレストランの周りも、無目的な空間になっていて、スカスカ。レストランに入ってしまえば信濃川を眺めながらの食事と雰囲気はいいのだが、アプローチはまるで倉庫に行くみたい(ウォーターフロントという響きが似合う倉庫街ではない)。
 これは同じ岸側の万代橋を挟んだ市内一番の集客力があるらしいビルボードプレースという商業施設にかけても同じ。
 橋のすぐ側に超高層ビルが建つことによる景観論争が起きているが、無目的なままでは空間が転用されることを防ぎようがない。
 徒歩圏内に駅前、オフィス街、商業用地、川、橋、旧市街など舞台装置が揃いながら、何となくの街の並び方。それが新潟のいい点なのかも知れないが。

 さて、時間にゆとりがあるかどうか、自分のリトマス紙はランチを選択する余裕があるかどうかという点。
 これは精神的にも関係している。きょうは久々だった。
 追われる生活は新潟転勤の辞書にはなかったはず。素敵なランチ三昧の日々を夢見る。






 
 























街の縁取り64~新潟迂回路

2007-01-16 00:20:59 | 街の縁取り
 きょうは,朝8時に新宿からスーパーあずさに乗り、松本で仕事、その後、長野まで行ってそこから高速バスで新潟に戻った。
 東京―新潟間の移動でこのルートは初めてだった。

 中央線沿線の車窓風景を見ながら、ふと気付いた。
 東京に居る時は、東京の中で例えば住んでいるところと遊びにいくところがはっきりと分かれていたが、いつの間にか、東京は大きく括られた1つの街としてイメージされるようになった。
 今、新潟を中心にした日本海側との往復を楽しんでおり、東京に帰りたいというのとは違うが、東京に対する郷愁とも云える感覚かも知れない。
 やはり、一度東京を離れた、という思いによるものなのだろう。

 自分にとって、二十年東京に住んでいても、故郷とは、育った瀬戸内海の街のことだったが、東京に郷愁を感じるのは、新しい発見だった。

 写真は、松本から長野に移動する際の北アルプスを望む風景。長野は何度も来たことがあるが、ここから新潟に戻る、という感覚において眺めるとまた違う感慨がある。
 嫌な感じではない。
 時間が経つに連れ、回数を重ねるに連れ、それぞれの土地柄、風土に従来以上に興味が湧くようになっている。

 言い方がむずかしいのだが、東京も含めて場所性への相対化が進んでいるようだ。








 


 

きょうの写真棚~もう1つの季節感消失

2007-01-14 20:37:48 | Weblog
 クリスマスイルミネーションは、パブリックスペースでも個人空間でも、年々、進化してきた。
 省電力、廉価のLEDの普及が大きい。宗教と結び付いていない日本での、純粋な空間を飾る表現がハードであるLEDと相乗的に解き放たれたと言えるかも知れない。

 写真は、東京・銀座のはずれ、築地に近い昭和通り沿いの電源開発本社ビルのイルミネーション。企業としての成り立ち故の飾りだろうが、緑色は珍しい。色彩的に個性を出そうとしたのだろうか。
 ただ、銀座に程近いとは言え、人が集まるロケーションではないので、1月という季節と相まって、煌々と灯っていてもやや寂しげに映る。

 今回のクリスマスから気付いたのだが、一度飾ったイルミネーションを年が明けても片付けず、そのまま点灯している場所(企業・商店街・個人)が多い。

 やはり電気代がそれほどかからなくなったのが理由だろうか。
 クリスマスイルミネーションは、それがイベントであり、時期を過ぎればなくなってしまうというところに季節感があったのだが、人を呼び寄せる装置として、街と一体化したのだろうか。
 何となく、点けといた方が賑やかそうに映る、そんな理由だろうか。
 飾り付けや演出のセンスとともに、点灯の長さが競われるのだろうか。

 イルミネーションがクリスマスとは他の切り口と結び付いていけば、また違うときめきが街に散りばめられるかも知れない。それだといいのだけれど。  







街の縁取り63~やってしまった、日帰りを 。

2007-01-10 19:07:31 | 街の縁取り
 新潟転勤後、いつかやるな、と自分でもわかっていたが、遂にやってしまった。
新潟―東京間の日帰りを。勿論自腹で。
 片道2時間、往復4時間という時間距離は、往復2万円強というお金のことを考えなければ通うことは不可能ではないが、仕事への集中や、赴任した上での責任からすると問題は多々ある。

 でもやってしまったわけである。変なカレンダーのせいにしたいところだが、やったらやったで日帰りはむしろ緊張感があったりする。

 東京を7時(始発は6時)に出て始業時間に間に合い、夜8時(終電は9時半)に新潟を出れば10時過ぎには東京に着く。約10時間以上はいられる計算だが、何かトラブルがあると破綻してしまう。
 実際にやってみて、時計を見ながらの作業となる。
 時間距離は同じでも、移動距離からすると、東京都内の2時間移動とはやはり訳が違うからだ。タクシーだと10万円くらいらしいけど。

 東京に日帰りしてやったことと言えば、片付け程度なんだが、家庭があるとこれが無視出来ない。家人も、往復の交通費が家計から出て行かない(自分自身の財布から出している)ので、東京の家にいることの方を歓迎している。

 写真は、東京・秋葉原ヨドバシカメラ前の路上。若い女性が和服姿で歌っている光景だが、その側では、誰一人観客のいないままに男性がマジックを披露し、少し離れたところでは、外国人のギターリストが演奏している。秋葉原は、人の流れが変わり、路上パフォーマンスの街になりつつある。
 新潟から東京に日帰りして、こんなものも見ているわけである。

 東京と新潟の移動における意味について考える機会は多いが、今回はとりあえず日帰りしたというだけの話。  



 



 





きょうの写真棚~新潟島にもう雪は降らないのか

2007-01-09 18:35:33 | Weblog
 新潟県の降雪量は、平年の3分の1、昨年の10分の1だという。
 3連休明け後の新潟島はほぼ快晴。大体全域がそうだったようだ。たまたま乗ったタクシーの運転手は「もう雪は降らないんじゃないか」と言っていた。
 新潟に転勤してきて、みぞれが道路に積もり、歩きづらいと思ったことは1回。

 冬の新潟は、晴れるとそれだけで話のネタになるが、意外に太陽が見える日が珍しくない。今のところ。
 油断出来ないのはわかっているし、これが気象上、喜べないのもわかっている。
 新潟島には雪が積もらないとは聞いているが、雪が降らないとは聞いていない。正確には雪が散っているが、降るまでには至っていないというところだろう。

 また天気は崩れるらしいが、予報が外れることもこれまで度々ある。あっという間に新潟島は本来の姿に戻るのか、「異常」がこれからも続くのか。

 初めての冬、それを見守っている。



 




  
 

街の縁取り62~沖縄その5◆都会としての那覇(最終回)

2007-01-07 09:50:13 | 街の縁取り
 今回の沖縄旅行では、本島中部から北部を中心に回り、那覇を時間切れということもあって楽しむことは出来なかった。首里城やDFSまでは寄ったのだが。

 首里城には、各地にある城址を見た後に行ったのだが、これは順番としては正解だったかも知れない。
 今帰仁城、中城も立派だったが、琉球王国統一の象徴としての首里城は、規模も造りも他を圧倒していた。

 写真は首里城の展望台から眺めた那覇の夜景。ロケーションといい、高さといい、その象徴性が印象的だったが、眺めた那覇の夜景の美しさも記憶に残った。

 沖縄における人口30万人という規模は、都市機能の集積度という観点からは、他の都道府県より意味があるとも思える。
 しつこく、その気はないが、と書いてきた沖縄移住だが、シュミレーションとして、那覇に住むか、北部に住むか、離島に住むかで、当たり前のこととして大きな違いがあるだろう。

 都市としての那覇を、次回の旅行で見てみたい。

 
   


 


街の縁取り61~沖縄その4◆移住

2007-01-06 18:24:14 | 街の縁取り
 移住願望があるわけでないが、頭の片隅でそのシュミレーションをしてみたいという思いはある。

 今回の沖縄旅行で前半に泊まった小ホテルは、夫婦2人で賄っていて、豪華・大ホテルとは違う形態の旅行を志向する人の間では有名。
 客単価からすると満室で1日10万円強、月300万円強、実働9カ月だそうだから年間2700万円。半分手元に残ったとして1350万円。5000万円以上、ローンを組んでいたとして年間300万円程度の返済があったとしても手取りで1000万円前後は残ることになる。
 2人で月100万円近くお金が自由になれば、かなりいい感じだろう。

 蓄えだけで暮らそうとする場合。
 家は3000万円で建ち、中古マンションなら1000万円台で買える。月20万円あればひもじい思いはしなくて済む物価水準にある。
 現金で3000万円持って行けば、贅沢しなければ数年は暮らせるだろう。


 お金の問題はとても重要だが、どこでどう暮らすのか、という理念はもっと重要だ。
 癒やしなのか、逃避なのか、スローライフなのか、野菜を作りたいのか、晴耕雨読の日々を送りたいのか。
 自分の場合、理念はまだ言葉に昇華されない。
 



        



 



街の縁取り60~沖縄その3◆闘牛

2007-01-05 02:07:52 | 街の縁取り
 今回の沖縄旅行で、少しディープかなと思えた空間は、本島北部にある今帰仁闘牛場だった。

 元旦の午後1時から、地元の長老の誕生祝いを冠に戴いた大会で、体重800~1000kg超の牛が闘う。
 牛によって格があり、新人戦のようなものから横綱戦まである。琉球新報、沖縄タイムスといった地元紙が後援、協賛し、テレビでも放映される。
 那覇に近い沖縄市にも闘牛場があって、そちらの方が2000~4000人の入場者を集めており、規模が大きいようだ。
 元旦の今帰仁には800人が集まったという。

 初めて牛同士が闘うのを観たが、これが単純明快にして、奥深さがあり、楽しめた。
 試合は、端的には背を見せて逃げた方が負け。
 だが、それまでの過程で、牛の性格や飼い主による戦法など、豊かなバリエーションが窺える。
 頭や角がぶつかり合う音も迫力がある。

 勝ち気にはやって興奮していても優勢とは限らない。いったん背を見せて敗走したかのようにしながらも態勢を整えてまた向かっていくような牛もいて、観客は拍手を送る。

 入場料は3000円。この日は、紅白饅頭と手ぬぐいが付いた。
 周囲を見ても賭けてる風ではなく、純粋に闘牛を楽しんでいるようだ。
 「角使いがうまい」とか、解説している人もいたり、顔見知りの飼い主や牛の気力を鼓舞する囃し手(正式には別称があるに違いない)に声援を送る人もいる。
 観光闘牛というより、地元の人による地元の人のための日常行事と映った。 

 勝った牛の背に、子供を乗せようとする大人が多く、そうした日常的に行われる勝負から運を貰うような縁起担ぎは、勝ち負けを競うだけでなく、地域として勝ちを分配するような印象を受けた。

    




 





 















街の縁取り59~沖縄その2◆ヤンバルクイナ

2007-01-03 05:01:16 | 街の縁取り
 今回の沖縄旅行は、本島中部から北部を拠点に回っているが、これは沖縄自動車道(那覇空港自動車道)、そこから繋がる辺戸岬を北端とする国道の整備なしに出来ることではない。
 自動車道は、那覇空港から中部手前の許田まで57km開通しているが、全線乗っても普通車で1000円。南部と北部を時間だけでなく料金的にも日帰りコースにしている。

 ヤンバルクイナは、この格好のドライブコースとなった北部を中心に棲息している。昔はもっと棲息地域が広かったようだが、平均からすれば開発が遅れてきた北部に追いやられているようだ。

 ネットで検索すると、現在の棲息数は700-1000羽程度らしい。獣医達が運営しているHPでは、あと5年か10年で絶滅するのでは、と指摘されている。

 国道沿いには、ヤンバルクイナに注意!と書かれた看板が多数立てられているが、「交通事故」に遭うリスクは年々高まっている。自分もまた、そのリスクに加担しているわけであるが。

 沖縄経済が、基地と観光で成り立っている比重が高い現実からすると、乗用車乗り入れ規制などの施策を打てるかどうか。
 エコツーリズムとは沖縄でもよく目にする言葉だが、行動の制限、旅行の方法の変更を迫るまでのシステムとはなっていない。


 海がある、森がある、琉球王国からの文化芸能がある、そして基地がある。

 経済学者でも政治学者でも、はたまた政治家でも何でもないが、自由貿易ゾーン、自然ゾーン、残念ながら地政学上なくしてしまえない基地ゾーンを施策的にもっとはっきりさせながら、並存運営を図るしかないような気がする。
 エコツーリズムも、一定区域については徹底的に試みることが観光客に不便を強いることになっても、日本全体として、沖縄の存在が大きな財産という意識と重なっていけば意味があると思う。
 
 妄言多謝。