もう1つの感性の本棚

書くことを仕事にしている者として、日常をどのような感性で掬い取るか。

TB)かき氷何味が好き?

2006-07-29 07:13:17 | TB練習帳
 子供の頃はイチゴ、そしてミルク、メロン、レモンときて今宇治金時、というのが大きな流れ。

 オトナになるとどうして、かき氷はついでの食べ物になるのだろう。誰かに誘われたり、本当にちょっとした機会でもなければ口にしなくなっている。
 他に冷たいデザートも豊富だし、敢えてかき氷を求めてさすらう必要はないのだろうが、ただ思うことに、かき氷は食べるシチュエーションが重要な気がする。
 汗をかきながらのかき氷は確かに旨い。今はどこでも冷房がきいていて、かき氷を欲する空間が日常にない。
 暑い時に暑いままに居ることが、逆にむずかしくなっている。
 
  

きょうの写真棚~マイルス

2006-07-28 08:09:59 | いいオトナの知的未開地探検
 仕事の帰りに秋葉原のヨドバシカメラに寄る。
 買うものがなくても機会があれば売り場を見て歩くのが習慣になっているが、今回はタワーレコードで、渡辺香津美と吉田美奈子が競演しているCDを探す目的があった。
 
 しかし、見つからない。
 と思いきや、隣の棚にマイルスのCDがいっぱい積んであるではないか。今年はマイルスも没後何周年とかあるんだっけ、と考えながらいくつか手に取っている内に欲しくなってしまった。

 で、買っちゃった。
 ・「Kind of Blue」(1959)
 ・「ON the Corner」(1972)
 ・「Munich Concert」(1988、3枚組)
 ・「JUST SQUEEZE ME」(2006、企画もので10枚組)

 マイルスは散漫に聴いてきた巨匠の1人。
 コルトレーンなどがマイルスの下で修行したなどという知識があるくらい。
 そういう意味では、その足跡は未知の領域にあるに等しい。
 これを機会に系統的に追ってみたい。

街の縁取り22~道草

2006-07-27 08:11:12 | 街の縁取り
 子供の頃から、行きと帰りの道は違っていた。
 フラフラするのが好きで、しょっちゅう道草もしていた。
 今も通勤路は往復で違う。

 さて、直近の「締め切りという感覚25」で報告した今回の自分の地方(日本海側)への転勤である。

 東京との間にどういうところがあるか、日本海側で行っていないところはどこか、機会があれば行こうと思っていたところはどこか。
 家人との待ち合わせ地点をどうバリエーションを付けるか。
 行った先で、東京との往復で、どう道草しようかとの算段を始めている。

 多分、こういうことを楽しめるのは、実際に仕事が回り始める前までと、仕事が回り始めて落ち着いてからだけだと思うが、出来るだけイメージをはっきりさせながら、そして実地ではインスピレーションを働かせて、東京との数百キロの隔たりを「道草空間」にしていこうと思っている。


   

 

  

街の縁取り21~霧むせぶ東京

2006-07-25 21:13:49 | 街の縁取り
 今朝の東京は、幻想的だった。

 三階の窓の外に見える20階建てビルの頭頂が霧で見えない。
 まさに街の縁取りも曖昧で違う場所にいるかのようだった。
 涼しかった昨夜から気温が上がっていったせいだろう。

 おそらくサイトを探せば、数多く報告がされていることだろう。
  
 偶然、素敵な思い出をこんな東京で作った人もいるのだろう。 

締め切りという感覚25~自分の異動

2006-07-25 08:19:59 | 締め切りという感覚
 最近、2回にわたって異動について書いたが、さて今度は自分自身が異動・転勤することになった。以前から話が流れていたので驚きはない。
 日本海側の街に赴任することになる。

 これをどう判断するか、仕事上、プライベート上、プラスにもマイナスにも考えられる。他者に対して書いていた「全否定も全肯定もない」というのは本当だ。

 さて、それでも実は楽しみでもある。出張や遊びで何度か行ったことがある街なのだが、故郷と東京以外に住んだことがない地方都市を楽しむメニューをイメージすることは出来る。

 内示を受けた直後から現在の仕事の引継ぎに入る。今まで切り出せなかった業務を、当たり前ではあるが異動を理由に気持ちよくバサバサと割り振っていける。

 また、夜には家人に伝え、東京との往復コストや買い物リストなどを考えつつ、夏休みを利用して当地を巡るプランの策定に入る。

 後に残す仕事にも、これから取り組む仕事にも混乱や思い通りにいかない苦労が伴うのは覚悟しているが、ブログのネタも増えることになるし、内容を整理しながら充実を図っていきたい。


  

街の縁取り20~符号

2006-07-22 13:15:43 | 街の縁取り
 金曜日の午前中、仕事で東上線に乗ろうとして歩いていくと雰囲気がおかしい。
 改札口に人がたむろしている。
 後で、北池袋の「開かずの踏み切り」で母娘が電車に轢かれたことを知った。

 その日の夜、山手線でふと見上げた車内の電光掲示板で、東北新幹線、山形新幹線、秋田新幹線が人身事故で遅延しているとの表示を見かけた。

 池袋の事故は、辛抱し切れず踏切内に立ち入った母娘が、傘で電車が見えなかった可能性もあるとTVが伝えていた。東日本の各新幹線もそうした天候が関係しているのだろうか。

 毎日、全国で世界で人が事故に巻き込まれている。少なくない地域で、それは戦争だったり、弾圧だったり、飢餓だったりもする。
 もし、身近な場所に、「きょうの世界の被害者数」のようなカウンターがあったらどうだろうか。その人のバッググラウンドもそこに流れるとしたら。

 とてもとても、憂鬱になるだろう。

 東京の片隅で、たまたま自分が見かけた「情報」としての複数の事故や被害は符号なんかではなく、互いに脈絡がないままに同時多発している現実でもある。
   



  



 

TB)クーラーは何度に設定?

2006-07-22 07:50:16 | TB練習帳
 基本的にクーラーは嫌い。
 エアコンを取り付けたのは昨夏で、長年扇風機とシャワーを浴びることで済ませていた。

 今は湿度が高くムシムシして、どうしようもない時だけ付けるが、まず25℃でパワフル除湿冷房した後、27℃まで上げるパターンが多い。

 経済温度は28℃ということだが、それだとややもどかしい。

 夏の冷房で思うことは、風の通り道に気を遣うと、亜熱帯の日もある東京でも、意外に過ごしやすい。
 ただ、やはり無風と高湿度が重なるとなす術がない。  

締め切りという感覚24~異動の季節

2006-07-20 08:04:54 | 締め切りという感覚
 先日、業界紙ライターという仕事に絡めて書いている「締め切りという感覚」の中で、官僚達の人事異動に触れた。
 この季節、民間でも多くの人が動く。

 完璧な組織はなく、完璧な人間はいないわけだから人事に理不尽は付き物だが、それを全否定してしまえないのは、その真逆もあるからだ。
 システムの不完全さを縫って、上手く渡り歩く人は必ずいる。
 仕事という自己実現とのせめぎ合いにおいて、やる気、目標、居心地の良さなどのプラス面と、緊張、不安、挫折などのマイナス面をチャラにさせている人も必ずいる。
 結局、自力で走るだけでも、他力で走るだけでも満足や充実はなく、そのバランスなのだと思う。

 自分は、どうしても自力で走っているという感覚が足りない。今の場所が居心地が悪いわけではないが、他力によってもたらされた環境を、その枠内で楽しもうという限界を感じる。

 異動の季節には他人の人生の起伏が垣間見える。あくまで仕事上だが。今回、顔見知りの中で地理的に最も遠い場所に赴任する先は南米、最も高く役職の階段を上った先は大手企業の社長だった。

 南米への赴任が左遷ではなく、社長になることが成功でもないと映るのが妙味のあるところで、実人生に全肯定、全否定はない。

 自分はどこに行こうとしているのか、何を持って満足できるのか、取材をしながら自問する季節でもある。

TB)今熱中していること~落語

2006-07-15 10:16:32 | TB練習帳
円生、志ん生が好きでテープをたくさん持っている。
落語を素材にした古くは川島雄三の『幕末太陽伝』、新しくは宮官の『タイガー&ドラゴン』も好きで観る。

立川談志は「落語とは人生の肯定である」と言ったそうだが、確かにありがままの人生におかしみという味付けをした懐の深さをそれぞれの噺に感じる。
勇気を与えてくれるといった大げさなものではなく。

熱中というと短期決戦的な響きがあるが、落語には静かに長く熱中している。










街の縁取り19~瞬間移住計画

2006-07-14 23:05:54 | 街の縁取り
 平日夜の軽井沢駅、上りプラットフォーム。 

 余り人影がないように映るが、この時間帯は東京に帰る人達が多く、長野から来る新幹線は混み合っている。
 ここ数日、東京は暑さと湿度で不快指数100%近く、出張の際の乗り換えで降りた軽井沢の空気は、さらっとして快適だった。
 軽井沢は、平均して年に1回か2回来ていて、アウトレットで買い物もする。かといって、特別好きなリゾート地というわけではない。
 ただ、この日は通りすがりに降りた軽井沢の空気が妙に印象的だった。

 東京から約1時間。住んだらどうだろうかと思った。

 次に逆の発想。東京に住んでここで働いたらどうだろうか。

 空気を満喫するには働くより住む方がいいだろうが、とりあえず色々考えたということだ。
 旅とは、旅していない人達を見に行くこと、という言葉をどこかで見かけた記憶がある。
 自分が住んだ人になったら。

 軽井沢駅も、夜になると周囲の店が閉まって山の暗闇の気配がプラットフォームまで漂ってくる。

 真っ暗な道を歩いていく自分の姿を想像する。帰る場所には、暖かい灯りを点し、美味しい食事を作ってくれる人が待ってくれているだろうか。
 色々考えながら到着した新幹線に乗り、東京への帰路に着いた。

 瞬間の移住計画。
 家人に話そうか。

いいオトナの知的未開地探検~あれはそうだったのか。絵本の話

2006-07-12 22:22:02 | いいオトナの知的未開地探検
 幼少の頃、よく読んでいて記憶に残っている絵本があるけど、タイトルが思い出せないことってないだろうか。
 それを探す会社もあるらしいが、きょう乗り換え駅の軽井沢で手にしたフリーペーパーの小さな特集の中に、その1つを見つけた。たまご焼きが好きな王様の話だが、それが「ぼくは王さま」というシリーズものだったと初めて知った。それが全一冊になって講談社から出ているという。記憶の引き出しに常にあったのだが、本気になって探そうとはしていなかった。こういう形で見つかるなんて。長野市にある編集プロダクションが作っているらしいが、他の記事も写真の使い方やレイアウトが宣伝臭くなくて、よい感じ。




締め切りという感覚23~官僚達の祭

2006-07-11 07:39:48 | 締め切りという感覚
写真は10日夕刻の霞ヶ関である。
蒸し暑いこの日、この町では少し早い夏祭りが行われた。
人事という名の。
課長級の言わば、官僚機構における現場責任者が一斉に動く日である。

主要官庁内では、会議室などの各部屋で主要幹部の新旧交代のお披露目が缶ビールと簡単なつまみ付きで行われ、所管する業界の関係者が参集する。各原課が複数の業界を所管しているため、関係者の数は多く、部屋はすぐいっぱいになる。

そして、名刺交換の列が出来上がる。
新任の幹部は、おそらくこの日だけで最低でも100枚配り、受け取るだろう。
業界側からすると、陳情の先走りとも言える。

幹部は平均して2年程度で次の職場を移っていく。
なぜか。
ポストを転がしていく必要があるからだ。

階段を上がっていく度にポストは少なくなっていき、最高峰の事務次官までシビアな篩にかけられ続ける。
その過程で、官僚として40代ですでに出世に破れた者は、その代償として外郭団体や業界団体、民間企業に転出する。
そして、60歳までに何度か転籍を繰り返し、その度に退職金を受け取る。
国の予算は、国民が思っている以上に隅々まで行き渡っている。それはイコール、官僚のセーフティネットである。

世間一般の感覚で言えば、これは悪だろう。天下り天国、税金の無駄遣い・・・常套句がいくつも挙げることが出来る。
しかし、近代以降、綿密に築き上げられてきたこの巨大なシステムを壊すことは容易ではない。何よりもそのシステムから恩恵を受けている企業の群れが存在する。

官僚にはキャリアとノンキャリアという2種類の人間がいるが、ノンキャリアにとっては、この日はどんな祭だったろうか。
官僚組織の善し悪しについて、意外に醒めた視点を持っている層はノンキャリアに多い。「働かなければ」という意識も強い。彼らが改革の担い手になるためのスイッチを政治家が与えれば、また違うものになる可能性はあるかも知れない。

祭があることは、お囃子が鳴っているわけでもなく霞ヶ関村以外には伝わらないが、事務次官会見、国会の各委員会での答弁などスポットライトがあたる以外にも、こういう恒例のイベントがある。


















TB)住みたい街

2006-07-09 08:49:31 | TB練習帳
 昔から、水辺の街に住むことに憧れていた。

 神戸、尾道、函館、小樽、茅ヶ崎、鎌倉・・・メジャーな街の名前をいくつも挙げられるが、全国区でなくても、日本には落ち着いた海辺や川辺、あるいは湖畔の街・町は数多くあるだろう。

 自分が水辺を求めている理由は何なのだろうと考えると、何もせず、ぼんやりできる場所が生活空間に在ることを欲していることに行き着く。

 以前、一人旅で南伊豆に行った時、夕暮れ時に小さな湾の堤防に、2人のおじいさんが沖を見ながら並んで座っている光景を見かけた。
 こちらの思い入れでそう見えるだけではないと思う。
 穏やかで充足された表情が印象的だった。
 タヒチやハワイでもそういう光景はあった。

 生活しているのだから、色んな苦労や悩みもあるのは当然だが、自分を包み込む
風景の中に佇み、日常と向かい合い、あるいは日常から心が遊離するのに任せる際の舞台装置として、水辺は最適ではないだろうか。

 水面を眺めているだけで何時間か過ごすことが出来る。

 生活に取り込むためにも、リタイアしてからとかというのではなく、今のうちに水辺に住みたいと思っている。
 家人とは小田原あたりを候補にしている。
 
 



  



締め切りという感覚22~未知という群れの中で

2006-07-06 15:36:08 | 締め切りという感覚
 仕事柄、企業や団体が主催する立食パーティーに時々出かける。

 どうしても日頃の付き合いに濃淡があり距離感にも開きが生じるため、招待状を受け取り顔を出しても、出席者をほとんど知らないという状況もままある。
 これは仕事の枠組みを拡げる好機であり、見知らぬ人達ばかりだからこそ行く、という使命感にもつながるのだが、実際にそうした場に身を置くと、自分の気力が試される。
 声をかけるのは簡単で、それを臆するならこういう商売はしていないが、いったん声をかけたら、面白く内容が転がろうがそうでなかろうが会話を続けなければならない。共通のテーマが短時間の内に見つけられなかったら、これは結構辛い。
 グラスを傾けながら、頭の中が真っ白でとりあえず目の前の人とにらみ合っている居心地の悪さ。
 そうかと思えば、たまたま会話が弾んで有意義な内容となることもある。

 結局はそこかしこに顔を突っ込む図々しさ、図々しさで終わらない目配り、目配りから発展する引き出しの多さが問われる。
 そこまで問うと、自分に適正があるかどうか分からなくなってくるが、今のところ楽しんではいる。

 なお、パーティーに数多く出ていると、人にはホストと客の2種類いると感じる。もう少し言うと、招くことが好きな人と、招かれることが好きな人。
 自分は招くのが苦手という自覚があって、これって人生を枯らすことになるのかな、と思う。
 招くことが好きな人の方が、表情が生き生きしていて、楽しそうに映る。

 あなたはどちらのタイプですか。