クリスマスイルミネーションは、パブリックスペースでも個人空間でも、年々、進化してきた。
省電力、廉価のLEDの普及が大きい。宗教と結び付いていない日本での、純粋な空間を飾る表現がハードであるLEDと相乗的に解き放たれたと言えるかも知れない。
写真は、東京・銀座のはずれ、築地に近い昭和通り沿いの電源開発本社ビルのイルミネーション。企業としての成り立ち故の飾りだろうが、緑色は珍しい。色彩的に個性を出そうとしたのだろうか。
ただ、銀座に程近いとは言え、人が集まるロケーションではないので、1月という季節と相まって、煌々と灯っていてもやや寂しげに映る。
今回のクリスマスから気付いたのだが、一度飾ったイルミネーションを年が明けても片付けず、そのまま点灯している場所(企業・商店街・個人)が多い。
やはり電気代がそれほどかからなくなったのが理由だろうか。
クリスマスイルミネーションは、それがイベントであり、時期を過ぎればなくなってしまうというところに季節感があったのだが、人を呼び寄せる装置として、街と一体化したのだろうか。
何となく、点けといた方が賑やかそうに映る、そんな理由だろうか。
飾り付けや演出のセンスとともに、点灯の長さが競われるのだろうか。
イルミネーションがクリスマスとは他の切り口と結び付いていけば、また違うときめきが街に散りばめられるかも知れない。それだといいのだけれど。
省電力、廉価のLEDの普及が大きい。宗教と結び付いていない日本での、純粋な空間を飾る表現がハードであるLEDと相乗的に解き放たれたと言えるかも知れない。
写真は、東京・銀座のはずれ、築地に近い昭和通り沿いの電源開発本社ビルのイルミネーション。企業としての成り立ち故の飾りだろうが、緑色は珍しい。色彩的に個性を出そうとしたのだろうか。
ただ、銀座に程近いとは言え、人が集まるロケーションではないので、1月という季節と相まって、煌々と灯っていてもやや寂しげに映る。
今回のクリスマスから気付いたのだが、一度飾ったイルミネーションを年が明けても片付けず、そのまま点灯している場所(企業・商店街・個人)が多い。
やはり電気代がそれほどかからなくなったのが理由だろうか。
クリスマスイルミネーションは、それがイベントであり、時期を過ぎればなくなってしまうというところに季節感があったのだが、人を呼び寄せる装置として、街と一体化したのだろうか。
何となく、点けといた方が賑やかそうに映る、そんな理由だろうか。
飾り付けや演出のセンスとともに、点灯の長さが競われるのだろうか。
イルミネーションがクリスマスとは他の切り口と結び付いていけば、また違うときめきが街に散りばめられるかも知れない。それだといいのだけれど。