もう1つの感性の本棚

書くことを仕事にしている者として、日常をどのような感性で掬い取るか。

街の縁取り25~ここは島なんだ

2006-08-30 09:25:30 | 街の縁取り
 ここ数日アップしてなかったのは、日本海側への転勤による引越しの為だった。
 5日目の朝、自転車で1時間ほど走り回る。

 ここは河も海も近い。それどころか数十万が住む市街地は島だった。
 正しくここは街の縁取りがはっきりしている。
 おそらく、自転車で2時間走れば一周できる。
 その中をジグザグに、見知らぬ街角に遭遇することを期待して、歩き、走るのだろう。

 写真は、海側の1枚。曇っていていかにも暗い日本海の雰囲気と感じるかも知れないが、実際には今の季節、非常に気持ちが良い。太平洋の明るさとは違うが、とても穏やかな気持ちになる。
 冬はどうなんだろうか。風が凄いとは聞く。

 そう、ここは新潟市です。
 今後、日本海側からブログします。とは言え、月に2回程度は東京に戻るのだけれど。「街の縁取り」「きょうの写真棚」「締め切りという感覚」いずれも幅が広がるか。
 東京にいる時と違う感覚が、感性にどう影響するだろうか。

締め切りという感覚26~別れという名の出会い

2006-08-24 13:00:40 | 締め切りという感覚
 業界紙記者の仕事における雑感を綴っている「締め切りという感覚」で、以前、自分の異動について触れたが、カラダが動かねばならない締め切りが迫った。

 東京での送別会に続き、赴任地での歓迎会が目白押し。残暑の中、夕刻一番の冷たいビールは美味しい。まだ胃への負担の自覚はない。
 行く先で知られてもいない自分は、まだ歓迎されるはずがなく、前任者の送別会と後任者である自分の首実検を兼ねたものだが、それでも仕事柄、知らない人達に会うことは楽しみ。

 転勤の挨拶をひとしきりやったが、関係の濃淡がこういう時に出る。
長い付き合い、短い付き合い色々あって、色々と気遣ってくれる人もいる。
 改めて出会った気もする。

 赴任地情報についての収集も進み、生活のイメージが掴めてきた。
 イメージ通りにならず、ストレスを抱える場面も出てくるだろうが、それは覚悟次第ということだろう。

 生活を変えることにはエネルギーが必要だが、転勤は「外圧」ながらもいい機会と思っている。
 落ち着いたら、とっ散らかった本ブログも整理して、内容も充実していきます。
 よろしく。 

TB練習帳~今年花火や祭に行きましたか?

2006-08-20 11:39:47 | TB練習帳
 以前、本ブログで書いた通り、熱海の花火は観ました。
 だけど、今年はそれだけ。例年、足立の花火、隅田川は観るのだが、都合が合わなかった。単に温泉に行ってただけなんだけど。

 東京以外、長岡(3尺玉)、片貝(4尺玉)、諏訪、土浦、竜王(山梨)などに行ったことはあるけど、PLと大曲は是非観たい。
 とくにPLは打ち上げ数は他の花火大会は寄せ付けず、行きたい。最近は東京からのツアーも出ているらしい。

 9月から転勤で日本海側に住むことになるので、今年はもう季節外れだけど、今まで知らなかった花火大会を観尽したいと考えている。


パチンコで食べるとしたら

2006-08-19 11:23:21 | いいオトナの知的未開地探検
 駅前から自宅への帰路、パチンコ屋の換金所があって、そこに最後に換金した人の金額が電光掲示板に表示されている。
 最高額は13万5000円、最低額は8500円だった。
 換金所が開いている時間に通りがかった時に見かける一日一回限りの金額で、平均的な換金額がいくらなのかはよくわからないが、その金額を見る度に妄想するのだ。

 一日3時間ほどパチンコ屋に通って、月の手取りで30万円程度の生活が出来たらどうだろうか。

 一日1万円の純利益が必要ということになる。
 30万円という額では、今の生活を維持することは出来ないが、家賃を払って食って、少し遊んで、ちょっとだけ貯金もすることは出来る、まあ妥協ラインだと思う。

 実際にパチンコで食べている人も結構いるようだが、多分惰性では食べられない。また3時間程度での滞在時間で常に1万円の純利を上げられることもむずかしいだろう。
 つまり、パチンコで食べるというのは楽をすることとは違うのでは、と想像する。根気や忍耐がミックスされ、人間関係以外のストレスもありそうだ、というのが、単に他人が稼いだ金額を掲示板で見るだけの者の妄想なのである。

 楽しくて夢があって資産も形成したというプロが、この世界にも存在するのだろうか。 





 

TB練習帳)現実逃避の方法

2006-08-16 07:22:10 | TB練習帳
 旅行、というか移動だろうか。
 そして、生活を離れることは逃避でもあるが、離れたところから生活を見つめ直すことにもなる。

 そもそも逃げたい現実って何だろう。
 辛い?退屈?
 自殺者が全国で年間3万人を超える時代。
 大きなコンサート会場ぎっしりの人たちが自ら死を選んでいる日本の現実って、かなり凄まじい。
 日本人にとって、死を選ばざるを得ない現実って何だろう。
 世界じゃどの位なの?

 現実から逃げ切れるとしたら、別の現実に没入していくことにもなるというアンビバレンツ。
 現実と真向かって引き受け、意志をもって現実を変えようとする。
 その過程こそが実は現実を、ど真ん中から脱出出来る唯一の方法なのかも知れない。
 言葉にすると簡単だけど。
 
  
  

きょうの写真棚~か細きは天に突き刺しクレーンかな

2006-08-15 08:20:30 | Weblog
 日本橋の再開発は、三井タワーの完成が序章だった。
 今、タワーの向かい側の街区にある大小のビルの解体に手が付けられている。
 数年後、三井タワーと中央通りを挟んで超高層ビルが双璧をなす。

 日本橋界隈を訪れたことがある人はすぐに分かると思うが、この辺りは裏通りに小さな商店が並んでいて極めて路地が豊富だ。
 今回の再開発は、ここに手が付けられるわけではないが、表通りの壁が数段高くなることで、「表」と共存しながら裏通りは輝きを増すのか、ただの「表」の影になるのか、日本橋は岐路に立つ。

 橋の上を塞ぐ高架が取り除かれた後、歴史という時間軸と、表と裏という空間軸が、奥行きを保っていられるのかどうか。
 活性化の装置は出来て、薄っぺらな町になるおそれもある。
 

きょうの写真棚~反射のコラージュ

2006-08-10 12:59:08 | Weblog
 夕焼け時に帰宅した際、駅前のビル壁面をふと振り返って不思議なコラージュを見つけた。
 微妙に角度が異なるガラス窓に反射している光景が、色といい、映っているものといい、大きなターミナル駅でもないのに極めてバラエティに富んでいて、いくつもの別の街が映り込んでいるように錯覚した。
 光と影、そして鏡の組み合わせ。

 東京蜃気楼。
 万華鏡で覗く東京。

 少しこじ付け気味になるが、視線が違えば、つまり観る主体の感性が違えば、同じ場所や時間も違ったように感覚、認識される。
 それが凝縮されたような光景だった。 


街の縁取り24~鎌倉、夏

2006-08-06 17:07:36 | 街の縁取り
 かつてお世話になり、3年前に亡くなった人のお墓参りにこの土曜日、鎌倉へ行って来た。
 観光客や海水浴客でごった返していたが、お墓のある浄妙寺付近は、蝉しぐれが響く静けさで、暑さもさほど気にならなかった。
 鎌倉は、日本有数の観光地だが、今生きている人の暮らしと故人の眠りが最も密度高く共存している街でもある。
 太陽を浴びて海ではしゃぐ若さと、安らかさへの祈りの距離が接近している。

 鎌倉は四季それぞれに見所があるが、この対極的で、だからこそきれいだけでない、静寂だけでもない街の特徴を最もよく表している夏が、自分は一番印象的に思える。  
 
  



きょうの写真棚~東大よ!

2006-08-03 17:43:09 | Weblog
 仕事で東大本郷キャンパスに行った。

 大学の雰囲気としては、立教や慶応の方がはるかにいいが、東大、とくに本郷は「医者の不養生」的に、濃密な時空間が放置されているのが特徴だ。
 分かりづらいだろうか。

 言うなれば、陰影が残されているのだ。
 写真は、通りを渡れば農学部、という位置のゴシック建築。
 東大の歴史を紐解けばそこには意味があるのだが、それを磨き上げることはしない。そんなことをしなくても脚光があたるところはいくらでもあるからだろう。

 本郷キャンパスの裏側(不忍池側)からも陰影が深く、東大病院あたりを裏手から見上げると何だか怖い。薄暮時なんてそれが堪能できる。
 子供っぽい言い方だが、不気味な脳科学者が怪しげな研究をしているような空気が漂っている。
 
 明るいばっかりではない東京の典型が、本郷キャンパスとその界隈には濃縮されている。  

 
 

 







きょうの写真棚~熱海の花火

2006-08-01 07:56:27 | Weblog
 以前から見たいと思っていた熱海の花火を、7月30日にようやく見ることができた。
 写真はクライマックスのナイアガラ風打ち上げ花火。

 ヨットハーバー近くの堤防の上に座って見たのだが、打ち上げる場所から上空で開くところまで同じ視野に入り、絶好のポジションだった。

 今年は転勤もあってバタバタするが、何回、花火を見られるだろうか。
 








街の縁取り23~未来世紀アタミ

2006-08-01 07:51:36 | 街の縁取り
 この週末、熱海に行ってきた。

 昨年の暮れにも寄ったのだが、車で市街地の周辺をなぞっただけであまり町並みの変化に気が付かなかった。今回は駅から海岸まで歩いてみて少し驚いた。
 バブル崩壊以降、潰れた大ホテルがいくつかマンションに建て替わり、そして街全体を暗くしていた海外近くの開発も形になろうとしていた。
 数年後、熱海はマンション街に変貌する。
 広告を見ると、温泉付きで2000万円出せば普通の広さの物件が買えるようだ。

 熱海は、10年以上にわたって仕事関係でしか行かない街だった。夕刻着いて、宴席で飲んで翌日朝食後には新幹線で東京に戻る――。
 こういう団体客、東京の宴席の延長線というコンセプトが覆い尽くしていたところに熱海の大きな弱点があった。
 ただ、東京から近く、開放的ではないが泳げる海があり、丘陵があり、また伝統的に花火も年に何回も行い、初島という小さな観光アイランドもあり、というハードとソフトの蓄積は、おいそれと他の温泉地が真似することのできないものだ。

 今建設中のマンションがどれだけ大人気となるかどうかわからないが、東京に通うこともできるリゾートとして生まれ変われば、住人を対象にしたインフラ整備も進むだろうし、街は未来世紀へと脱皮を果たすのではないか。