もう1つの感性の本棚

書くことを仕事にしている者として、日常をどのような感性で掬い取るか。

街の縁取り65~川端のランチ

2007-01-16 20:56:08 | 街の縁取り
 明日からまた富山方面に行き、その後東京と富山を往復して、週末に新潟に戻ってくるという動線を描く。
 きょうの日中は天気もよく、時間もゆったりめだったので、自転車で市街地を移動した。駅前で用事を済ませてから、信濃川河畔に寄り、川を眺めるレストランでランチをした。万代橋の袂にある結婚式併設のところ。

 まだ11時半だったので、自分が口切りとなった。1000円のパスタランチとグラスビール。デザートかサイドメニューのおかずが一品選べる形式。

 新潟に転勤してきた時から、このレストラン、目に付いてはいた。万代橋を往来すると必ず目に入る。しかし、どことなく書割っぽいイメージがあったので近寄らなかったのだが、料理とコンセプトはしっかりしていた。
 12時前後になると、女性客が次々にやってきた。キャパが大きいので満員という感じではないが、これは結婚式の二次会などに合わせた広さなのだろう。

 レストランそのものは悪くなかったのだが、1つ思ったのは、本当に新潟って水辺が生きていない。このレストランの周りも、無目的な空間になっていて、スカスカ。レストランに入ってしまえば信濃川を眺めながらの食事と雰囲気はいいのだが、アプローチはまるで倉庫に行くみたい(ウォーターフロントという響きが似合う倉庫街ではない)。
 これは同じ岸側の万代橋を挟んだ市内一番の集客力があるらしいビルボードプレースという商業施設にかけても同じ。
 橋のすぐ側に超高層ビルが建つことによる景観論争が起きているが、無目的なままでは空間が転用されることを防ぎようがない。
 徒歩圏内に駅前、オフィス街、商業用地、川、橋、旧市街など舞台装置が揃いながら、何となくの街の並び方。それが新潟のいい点なのかも知れないが。

 さて、時間にゆとりがあるかどうか、自分のリトマス紙はランチを選択する余裕があるかどうかという点。
 これは精神的にも関係している。きょうは久々だった。
 追われる生活は新潟転勤の辞書にはなかったはず。素敵なランチ三昧の日々を夢見る。






 
 























街の縁取り64~新潟迂回路

2007-01-16 00:20:59 | 街の縁取り
 きょうは,朝8時に新宿からスーパーあずさに乗り、松本で仕事、その後、長野まで行ってそこから高速バスで新潟に戻った。
 東京―新潟間の移動でこのルートは初めてだった。

 中央線沿線の車窓風景を見ながら、ふと気付いた。
 東京に居る時は、東京の中で例えば住んでいるところと遊びにいくところがはっきりと分かれていたが、いつの間にか、東京は大きく括られた1つの街としてイメージされるようになった。
 今、新潟を中心にした日本海側との往復を楽しんでおり、東京に帰りたいというのとは違うが、東京に対する郷愁とも云える感覚かも知れない。
 やはり、一度東京を離れた、という思いによるものなのだろう。

 自分にとって、二十年東京に住んでいても、故郷とは、育った瀬戸内海の街のことだったが、東京に郷愁を感じるのは、新しい発見だった。

 写真は、松本から長野に移動する際の北アルプスを望む風景。長野は何度も来たことがあるが、ここから新潟に戻る、という感覚において眺めるとまた違う感慨がある。
 嫌な感じではない。
 時間が経つに連れ、回数を重ねるに連れ、それぞれの土地柄、風土に従来以上に興味が湧くようになっている。

 言い方がむずかしいのだが、東京も含めて場所性への相対化が進んでいるようだ。