もう1つの感性の本棚

書くことを仕事にしている者として、日常をどのような感性で掬い取るか。

東京という感覚~ナタリー・コール

2010-05-24 15:08:39 | 街の縁取り
 この4月、転勤先の新潟から東京に戻ってきた。
 しょっちゅう帰って来てはいたが、月曜朝に新潟に戻らなければならないという切迫感がない分だけ週末を気楽に過ごせる。
 新潟(と言っても新潟市だが)はいい街だった。だが、そこを離れる寂しさよりも、少し距離を置きながら、同時に住むという近さも満喫しながら、つまり異邦人と住人の感覚を併せ持ちながら東京を楽しんでいる。
 点や線として知っている東京の間に未知の東京が広がっていて、仕事で動線を制約されながらも、「きょうはどこに行こうか」という気持ちで家を出る。
 ある種、こうした新鮮さは薄れて行くものだと覚悟しているが、もしかすると、この週末が1つのピークだったかも知れない。

 22日の土曜日、ブルーノート東京にナタリー・コール(2ndステージ)を聴きに行った。
 18時過ぎには、整理券を求めて列が出来ていることを確認しながらも、物ぐさ故か、すでにバンド演奏が始まっている20:45に滑り込んだ。
 ステージ真横の自由席で、とても最良とは言えない位置だったが、家から出て約30分でこうした時空間に身を移し、主役の登場を待ちながら、ギネスを伴(とも)に、旨いパンを頬張り、あわびのサラダなどをつまんでいることに一瞬至福を感じた。
 まさにベタではあるが、上質な歌が聴ける東京の日常性にワクワクしたのだった。

 ナタリー・コールについては、声の伸びやかさがイメージと違ったが、そこは大御所、来てよかったと感じるステージだった。
 2年前には車いすでの移動を余儀なくされ、実際に公演のキャンセルもせざるを得なかったことを後で知った。回復を喜びたい。
 60歳の彼女がどう枯れて行くのか興味深い。

 ところで、ブルーノート東京の向かいが「大空地」になっているのには驚いた。
 しばらく振りに来て、風景がすっかり変わっているため、「あれここでよかったのかな」と不安になるほどだった。
 表参道交差点から根津美術館にかけても、ブランド店がそのハコにさらに磨きを掛けて建ち並んでいた。
 百万円単位の買い物をしていそうな女性客がたむろして、店員に写真を撮られていた。
 こういう東京の日常性とは縁遠い。