もう1つの感性の本棚

書くことを仕事にしている者として、日常をどのような感性で掬い取るか。

街の縁取り番外編~車輪は出た。

2007-03-22 00:55:52 | 街の縁取り
 かなり更新の間隔が空いているが、その間にも次々と色々な出来事が起きる。

 「街の縁取り78」で触れたプロペラ機は、件の胴体着陸した型の飛行機だった。自分の場合、単純にプロペラ機に乗ったことの驚きに終始していたが、このブログを書くまでに、さらに熊本空港で今度は全輪が出ない事故もあった。

 正直、ボンバルディアというカナダのメーカーも、こうした近距離の小型プロペラ機メーカーが世界でも1つしか残っていないことも、同型機がトラブルが多いことも、まったく知らなかった。
 自分の場合、新潟―神戸線にたまたま乗っただけで、ローカル線をビジネスで日常的に使っている人にとっては、メーカーの名前もトラブル続きであることも常識らしい。

 自分が知っているプロペラ機は、羽田―三宅島線だけで、その時はYS機だったか。かなりうるさいという記憶があったのに比べ、ボンバルディアは比較的静かという印象を持った。
 かなり軽量な感じ。

 胴体着陸という劇的な出来事が、マスコミの取材を促した結果、ボンバルディアの総コストが非常に安く、とくに燃料費はジャンボが格納庫から滑走路まで動く分で、大阪―高知までは飛ぶというような情報に触れることになった。

 ゴシップと同じ構造ではあるが、一般紙やテレビの記者達が付け焼刃でも寄ってたかると、色々な情報が掘り起こされる。
 現実には、そうした視線が集中する以前に、ボンバルディアの危険性を知っている人もいたし、航空会社とメーカーは共同で改良にあたっていた。
 当たり前のことだが、事実がまずあって、それをマスのサイズに押し出すかどうか。
 薬害しかり、汚職しかり。

 話はそれるが、ジャーナリズムにおいて、周囲に流されず粛々と事実を掘り起こす媒体は何か。
 あなたは、ファンと言える媒体やジャーナリストがいますか。

 違う視点で、ボンバルディアを扱う報道が出てくるだろうか。
 ボンバルディア社の実像は、まだ伝えられていない。
 




  













    


街の縁取り78~プロペラ機

2007-03-10 01:28:00 | 街の縁取り
 佐渡に行くのか。

 そう思っていたプロペラ機が神戸に飛んでいた。
 去年までは1日2便で、そのうち1便はジェットだったが、減便に伴ってプロペラ機だけが就航している。しかもANAグループ会社で本体の運営ではない。まったくローカルの趣き。
 新潟―神戸線は廃止が決まっている。見誤ったということではなく、無理に作った路線の行く末が如実に表れている。

 神戸空港はどうなのか。これが驚くほどの地方空港ぶり。施設は新しく、入っている飲食店などは洒落た感じにしているが、多分、関空や伊丹の予備空港の雰囲気がいっぱい。
 神戸っ子が、小粋にコンパクトな空港を利用して日本や世界を自由闊達に飛び回り、世界から客人を迎え入れるというコンセプトであればセンスが良いだろうが。 それか芦屋の住人のプライベートジェットがいっぱい離発着するようなセレブな空港だと存在感もあろうが。

 神戸の人たちは神戸空港をどうするんだろう。
 神戸が空港を使いこなせないとすれば、国内の空港の大半は出来ては経営難に苦しみ、だけど行政も関わっているので潰せない地方のテーマパークのようなものになってしまうのではないだろうか。


 
 

 


 
 

街の縁取り77~日本の屋根

2007-03-10 01:10:00 | 街の縁取り
 前回からかなり間が空いてしまったが、2月に描いた新潟~神戸~大阪~熱海~東京~新潟の動線から。

 新潟空港を飛び立った飛行機は、アルプスを越えて太平洋側に出る。
 写真は、雲間から見える日本アルプスの尾根群。
 時期はずれるのだが、家人が借りてきたコミック「岳」を読んだ感想と、この時の眼下に見た尾根群が重なって、強く記憶づけられた。
 ヒマラヤ山脈を越える航路も、アンデスを越える航路もあるが、この島国の屋根を越えることにも感慨を抱く。

 それをどう言えばいいだろう。
 鳥瞰という視点を手に入れても、自由なようでいて有限の枠の中で暮らし、卑近な時空であがく現実は変わらない。
 世界の冒険家であっても、一生1つの村から出たことがない人でも、世界は感性によって捉えられ、形成され、それが磨かれるならば、どこにいようが何をしてようが余り差のない世界観に収れんされて行く・・・そんな気になる。

 感性のフラクタル。

 きょうは少し観念的かも知れない。