もう1つの感性の本棚

書くことを仕事にしている者として、日常をどのような感性で掬い取るか。

街の縁取り46~海底に延びる秘密基地

2006-11-30 22:05:47 | 街の縁取り
 新潟に転勤して、まる3カ月が経過した。この週末には市内にも雪が降るかもしれないという。いよいよ冬が来た。空気が日を追って冷たくなっている。地元の人に言わせると、これでも例年に比べると暖かいらしいが。

 3カ月が経過しての感想は、水平的に街を見た場合、広くない範囲に大半の街の機能が集中しているので、見ることだけを考えるとすぐに見尽くしてしまう印象は確かにある。
 よく耳にする「新潟は実際に来てみると想像以上に都会だが、間もなく飽きる」ということに重なるのだろう。
 だが、垂直的に深掘りしていけるだけの歴史があり、コンパクトに集まった街の機能を使いこなすという次の段階があるとも改めて感じる。

 東京のようなアメーバ的な都会性を求めるのではなく、例えばジャズ喫茶でも、コンサートホールでも、荒々しい海でも、料亭や呑み屋でもいいのだが、それを「町内感覚」で使いこなしていけば、音楽や演劇、人との付き合い、風土などにおいて、今まで受けなかった刺激を得られる機会に溢れているとも言える。

 まあ、食や文化にある程度満たされ、ガツガツしないのんびりした新潟人の気質に、今度は重なっていくのだろうが、横に限らず縦方向も含めて、新潟探検は続けたい。

 さて写真だが、これは新潟にある核シェルター・・・。
 というのは冗談で、2005年に全線開通した新潟みなとトンネルの歩行者・自転車通路。本土側(こんな言い方はしないか?=万代側)と新潟島を信濃川の河口部分で結ぶもので全長は3キロ以上に及ぶ。総工費は1200億円とか。
 車でならともかく、こんな距離のトンネルを自転車で走ったり歩くなんて経験はない。写真は自転車で最深部に向かって下りながら撮った。ちょっと怖いくらいのスピードが出る。
 この長さなもんだから、ジョギングコースで使う人も多いらしく、そんな利用実態を踏まえた健康豆知識みたいな貼紙まである。

 稀に見る街の舞台装置だ。  
 トンネルを新潟島方面に抜けると海外沿いの道に出るのだが、そこには古町や信濃川河畔とまったく印象の異なる日本海の風景が広がる。街外れというより、いきなり本州外れって感覚に近いほど寂寥感が漂っている。異空間へのトンネルって感じ。面白いなあ。

 これって、感性によっては、精神性に影響を与える風景の構成要素ではないか、とさえ思う。
 新潟島を舞台にしたフィクションがあるのかどうか、まだ知らないが、舞台装置として刺激を受ける。  


  










 






TB練習帳~休日よく行く場所は?

2006-11-29 17:31:54 | TB練習帳
 洒落たところを言いたいが、実績からすると図書館。週末の休みに借り出して返すというパターンが定着しているので、どうしても足を運ばざるを得ない。
 
 現在、通っているのは東京都区部の北の方と都心部の2つ。何事も一緒で、複数のところを利用すると違う視点が自然と出来る。
 図書館の場合、背表紙を見るだけで、自分の関心がどこに向いているのか自己分析出来るし、こんな本があるのかという新しい発見もある。

 学生の時は、住んでいる地域の図書館、大学の図書館、都立図書館、他地域の図書館、国会図書館、専門図書館を梯子していた。知識体系をきちんと整理し、それに沿った情報を集めて消化し、全部を吸収出来ていれば、今と違った座標にいただろう。
 まあつまみ食いは習癖なので直らないね。

  

きょうの写真棚~格安バスツアー道

2006-11-28 18:36:12 | Weblog
 前日、「街の縁取り45」で伊豆に行ったと書いたが、それはバスツアーに参加してのこと。
 そして、写真は出発日当日の上野公園の光景だ。
 大型バスが数十台、上野公園口の駐車場にびっしり停まり、そこへ電車が着く度に参加者が詰め掛け、バスが出て行く繰り返し。
 この写真を撮った瞬間でも、居合わせたのは千人は下らないと思う。

 東京発着のバスツアーには、かれこれ5年以上前から必ず年に数回参加している。平均すると2カ月か3カ月に1回といった具合。
 以前は、伊勢や京都までの遠距離ツアーにも出掛けたが、数をこなす中で疲労度を知るに連れ、名古屋以西及び北東北には行かないことにしている。また連泊以外にはまず参加しない。

 今回は蓮台寺温泉の蓮台寺荘2泊3日のツアーだった。
 バスツアーのメリットは、やはり安いこと。蓮台寺荘は、昭和初期の建物が残り、山本周五郎が長期滞在し、寝湯という小さな貸切風呂を愛用していたというエピソードでも有名な老舗旅館。
 夕食2回、朝食2回付で料金は、2人で4万5000円程。2人で、ですよ。
 いわゆる休前日ではないカレンダーでの宿泊だが、宿のネット料金を見ても、平日・休日で安くて1泊1人1万6000円程度からとなっている。老舗旅館としては正規としてもリーズナブルだが、単純に宿代だけで1人3万2000円、2人で6万4000円になる。
 東京から伊豆まで、高速バスだと3300円程度から行けるようだから、仮に往復割引で5000円として、フリーで行くとあご足付で1人3万7000円、2人7万4000円になる。大雑把ではあるが、バスツアーだと個人で手配した場合の半額近くになる計算だ。
 しかも酒が呑める。

 こうした格安ツアーの料金体系は、旅館やバス会社による値引き、土産物屋からのキックバックということはよく知られており、安かろう悪かろうの内容のものが少なくないのも事実。
 ただ、今回の蓮台寺荘は、料理の内容、風呂などの施設、貸切風呂の使い勝手(先着順)など、どれもお値打ちと言えるものだった。添乗員の手違いからか、襖一枚で仕切られた続きの部屋を他人同士が使う羽目になり、2泊目には旅行会社に連絡して部屋を変えて貰うというトラブルもあったが、それを差し引いても、お値打ちとの評価は変わらなかった。
 当然、旅館側には老舗になればなるほど、団体ツアー客を受け容れることには複雑なものがあるのだろうが、接客態度も一定水準を保っていた。
 ツアーの評価は、また来たい、個人でも泊まりたいという感想を持てるかどうかだと思うが、その点からすれば内容は良かった。

 長々と自分のツアーの感想について書いたが、感じるのは、バスツアーが年々混み合ってきたということだ。
 冒頭の写真が象徴的で、これから団塊の世代が大量に定年を迎えると、個人でフリーにプランを立てる贅沢なツアーとともに、こうした格安ツアーの市場も拡大するだろう。
 そして、もう1つ。5年前はこうしたツアーでは自分達が常に最も若かったが、最近では20代も混じるようになっている。連れて行ってくれて後はほったらかし、という点が魅力なのだろう。海外ツアーもそう。

 旅や宴会のスタイルが変わり、宿もバス会社も今までのやり方では経営が厳しくなって稼働率を重視せざるを得ず、旅行会社と料金交渉に応じる余地が広がっている結果、格安ツアーも増えるという図式なのだろう。
 市場が拡大すると粗悪な内容も紛れ込むのは間違いなく、必ず当たり外れが出てこようが、要はそれも楽しめばいい。色んなところに出掛けられる、そのためのたくさんではないが、お金と時間があることが最も幸せなのだから。

 例えば、今回の蓮台寺荘の場合、格安ツアーを受け容れても荒れた印象がなかったのは、素人ながら推測するに、旅館としてのノウハウやセンスの問題だろう。こういう宿を選定しているツアーに参加すれば、お値打ち感はさらに上がる。

 さて、次はどこに行こうか。 
  
  




 


 



 


 







街の縁取り45~南向きの海

2006-11-27 19:15:09 | 街の縁取り
 この週末、伊豆・下田方面に家人と出かけた。
 蓮台寺温泉に安いツアーで連泊し、中日には下田でレンタカーを借り出し、石廊崎、奥石廊崎まで足を伸ばした。

 太平洋は、8月に熱海に行って以来。新潟に転勤してから南向きの海を見るのも久しぶりだった。前夜はずっと雨が降っていたのだが、この日は晴れ間が広がった。

 南向きの海――。
 これにどういう意味があるのか、自分でも分からない。ともあれ北向きの日本海と真逆の方角に広がる海を眺めたということだけかも知れない。
 ここで書く程、意味を見出したわけでもないが、人が持つ「磁性」について再考した。
 以前、日本列島の並び方について、東北の人が南北に、西日本の人が東西にという感覚を持ちやすいことに触れたことがある。
 ロシアが下で太平洋が上にある地図はよく知られているが、暮らす場所における「磁性」は、大げさに言えば世界観と繋がっている。そこに気候や風土という味付けがあり、世界観は固まる。

 週明けに新潟に帰ってきて、上下を簡単に逆さに出来るナビのように、南と北がひっくり返った不思議な感覚が続いている。

 自分が向いて落ち着く方角はどっちか。いい年になって、新たな磁性が身の内に生じていることを楽しみたい。




 
 



きょうの写真棚~電線にカラスが三羽どころじゃない

2006-11-26 22:25:37 | Weblog
 先週金曜日の夕刻、長岡で仕事が終わりだった。
 レンタカーを返す前に長岡駅の近くの回転寿司屋で何皿か食べた後、車に乗ろうとして異変に気付いた。
 数え切れないカラスが、自分の視界いっぱいにワーッと大群で飛んできて、電線やビルの屋上の手すりの上に一斉にとまった。
 写真では伝わりにくいが、一本の電線ではなく交錯した数本の電線にびっしり、また、やや遠いビルの外郭線にも隙間なくカラスがとまっている不気味さ。
 啼くわけでもなく、静かに休息している風でもあったが、その静けさがまた怖い。

 カラスがいなくなったら地震の前触れ、なんて言うらしいが、居すぎてもやはりいい気持ちがしない。
 不吉に結び付ける根拠はないが、悪いことが起きないよう祈る。


 
 

きょうの写真棚~貪欲という名の鯉

2006-11-22 20:59:15 | Weblog
 このところ本欄で取り上げる内容の時間が前後しているが、これは先日、東京に戻ってきた際、立ち寄った清澄庭園の鯉。

 図体が大きく、数も多いので、餌に対する群がり方が半端じゃない。水の中で重なり合って、餌に寄って来る。連中が醸し出している雰囲気は少し鯰に近いようにも感じる。

 清澄庭園は、紀伊国屋文左衛門の別宅だったらしいが、商人は大川を渡ったところに富を持ち込んだ。千葉・市川の今の中心部の北にもこれまでの規模ではないが、お金持ち村があり文化度も高かったという。その界隈は今でもJRの駅周辺とは雰囲気が違う。

 話がそれたが、この鯉である。
 池に鯉というお金持ちの図式は、いつから定着し、いつまで続いたのだろうか。
故田中角栄が目白御殿で鯉に餌をやっていた映像もかなり以前のこと。
 今のお金持ちはアクアリウムだろうか。高級ガラスを使った大きいサイズのものだと軽く数百万はする。一千万円単位、億に近いお金をかけて水族館に近い施設を自宅に作っているケースもありそうだ。

 それと想像するに、池を作ってそこに好きなものを飼うのも贅沢だ。
 生態系的には悪者扱いされている例えばブラックバス、例えば噛み付き亀を好きなだけ飼うという、悪趣味とスレスレの世界をカネに糸目をつけず作り上げている人もいそうだ。

 貪欲な鯉を見ながら、勝手に想像した。
 これって、自分にそういう願望があるということだろうか。
 





 

  


きょうの写真棚~クリスマスが今年もやってきた

2006-11-21 20:16:42 | Weblog
 クリスマスの季節が今年もやってきた。
 去年も、一昨年もあった。来年も、さ来年もあるだろう。

 誰とどう過ごすか、という緊張感を失ってどれだけになるだろう。恋人がいない時の空虚感、寂寥感は、今でも笑えないリアリティがある。

 結婚すれば当然のように側に家人がいる。それは楽しいことではある。他の誰かと過ごしたいとは思わない。
 そうではあるが、クリスマスの季節に感覚するのは、今の満たされた幸福よりも、20代の空虚感や寂寥感なのである。あるいは、当時それぞれの時空の中で側にいた女性との不安定な関係の末の喪失感とも言える。

 人生に明滅はある。明るさと暗さが繰り返される。時が経ってしまえば、それぞれが瞬間的なものかも知れないが、明滅のどちらを強く記憶するか、その時の感性に因るのではないか。

 自身のことを不幸とも思わないし、マイナス思考とも思わないが、正直それが自分の感性なのだ。
 この季節の寂寥感は、これからも変わらないのだろうか。

  

   

 
 

街の縁取り44~時間超越型地震体験

2006-11-20 17:55:00 | 街の縁取り
 先日、東京に帰った際、北区の防災センターに行った。
 前から行ってみたいと思っていて、なかなか機会がなかったのだが、ここは模擬住宅(和室・台所)が設置され地震シュミレーション装置によって、全国各地で過去に起きた震度7までの揺れを体験出来る。

 阪神・淡路大震災、中越地震、新潟地震、そして関東大震災までがメニューに揃っている。

 実際に体験したことがあるのは、東京での震度5までだが、震度7は破壊力がかなり違うというのが実感だった。
 しかも中越地震などは最初にゆっくりと揺れて次に縦揺れと、地震によって揺れ方が異なる。
 新潟に来て、2年前の中越地震について地元の人に聞くと、「最初何が起きたのかわからなかった」らしい。身体感覚にある地震を超越していたようだ。
 確かに、立てないくらいの揺れが存在することが分かった。

 このところ、地震が起きる場所を微妙に縫うようにして動いているのだが、どこかで鉢合わせないかという不安がある。
 時折、「◎月■日に地震が来る」という噂が流れることがある。デマに乗る気はまったくないが、いつかどこかで巡り合わせる確率は、自分の動線を考えると高くなっているのかいないのか。

 巡り合わせとは怖いもので、阪神・淡路大震災と中越地震両方に居合わせた人もいると言う。
 
 実は自分には、違う不安もある。
 阪神・淡路大震災、サリン事件、パリ・ドゴール空港の搭乗ゲート陥落、中国上海空港での墜落事故、インドの列車事故――といった天災や事故とのニアミスがここ10数年来続いているのである。
 自分が通過したところで何かが起きる・・・。
 阪神・淡路大震災では、2週間前に神戸に泊まっていた。その三宮駅近くのホテルは、震災被害を免れ、地震後殺到したマスコミの寮と化した。
 偶然? そう偶然ではある。だけど、時間差は色々だが、自分が通過した後に何かが起きるという経験は、この阪神・淡路大震災から続いているのである。

 今だと、離れたと言えば東京が挙げられる。
 他人にこんなことを言ってもまともに受け取られないだろうが、自分の中ではちょっとした不安なのだ。

 今回、家人と何かがあった時の待ち合わせ場所を話し合った。
  
 

TB練習帳~子供の頃の夢は?

2006-11-18 14:47:05 | TB練習帳
 小学校の卒業文集には、「医者」とか「船長」とか動機もなしに書いていた記憶がある。
 しかし、目的意識がなく、それを志した形跡は一切ない。
 目的意識に年齢はない。志(こころざし)は、環境と能力が合致したところに生まれる。
 自分の場合、平凡というか、それ以下とも言える意識で生きてきたような気がする。

 お題とは異なる自己否定のような暗いトーンみたいになっているが、好きではあった書く仕事には今付いている。
 虚業という点では、自分に合ってはいるのかも知れない。
 だが、潔く良しとはしない。書いている媒体の大きさとかに関係しているのではなく、書きたいものを書いているかどうか自問すると、そこは納得できないからだ。

 冒頭に書いた医者でもなんでもいいが、夢とは何かになったり実現することではなく、なった後、実現した後の、その先への想像力のことだと思う。

 夢を諦めないということこそ年齢に関係のない生きる糧だと思う。
 




 

締め切りという感覚29~ツケを払う

2006-11-17 06:02:48 | 締め切りという感覚
 出張を控え、雑事も原稿処理も溜まっていたので、水曜の夜、会社に残って作業をしていたら、夜中というか明け方というか午前3時になってしまった。
 誰かに追いたてられてこうなったわけではない。
 自分の裁量で仕事を組み立てているので、こういう歪なやり方の責任は自分にある。
 すべては、自分の時間配分のまずさのツケを払っているだけでしかない。

 マンションに戻って、仕掛けていた洗濯物を干し1時間半程寝てから、高速バスで富山へ移動、駅前でレンタカーを借りて仕事先に向かった。
 まだ体力的に大丈夫であることを確認したが、夜、付き合いで飲んでいる最中、アルコールのせいもあるのだろう、身体の芯から眠気が襲ってきた。ウトウトしてしまうのを必死でこらえていたが、一緒にいた人には気付かれたかも知れない。

 時間的な皺寄せを自分で作ってしまう習慣からいまだ脱却出来ていないのは情けないと思いつつも、まだ繰り返すんだろう。
 意識改革によって、別の時間を創り出すのは、もうずっと自分自身のテーマになっているが油断が入り込んでくる。この油断する、という点が自分の限界でもある。
 どうにかしなきゃ。  
 
 



 

きょうの写真棚~光ものに弱いのよ

2006-11-15 23:42:07 | Weblog
 先日、泊まったホテルで、ところどころに現代アートの作品が飾られていた。
 写真はその中の1つ。

 魅かれるのは光。

 ダイヤモンドなど高級が光でなくても、プラスチックやクリスタルなどを通す光に目が奪われる。
 高貴とか、安っぽいとかは関係ない。

 夢は、クリスタルの街を作ること。SF小説にもあったが。
 スワロフスキーに特注で頼むのである。

 いつになるやら。
 
 

街の縁取り43~淋しいのはお前だけじゃない。富山編。

2006-11-14 18:48:49 | 街の縁取り
 先日、富山市に出張で行った際、ランチをどこで食べるか駅の周辺を少しウロウロ
した。
 中途半端な時間帯ということだけでなく、再開発が進んだ結果なのか、駅近くに食べ物を出す路面店がない。ホテルや駅ビルしか目に入らず、大通り沿いに牛丼屋がある程度だった。
 路面電車にでも乗って足を延ばせばまた違うと思うが、繁華街の匂いは駅前に漂っていなかった。

 が、これは正確には間違いだったことにすぐに気づく。

 一画だけポルノ館を中心に呑み屋が建て込んでいるところがあった。その空間は、駅前の整然とした街並みとうって変わって、その場所だけが建て増しの連続の末、地権が入り組んで開発対象から漏れて放置されているような雰囲気に覆われていた。

 ポルノ館もやっているのか廃業しているのかひと目では分からない。ポスターは新しいので実際にはやっている風だったが、もぎりのブースは手元しか見えないような布に覆われていて確信が持てなかった。
 その周りの呑み屋は昼間のせいだろう、人の気配がない。

 それでも空間は生きているらしかった。

 直感的に、市川森一脚本の名作ドラマ「淋しいのはお前だけじゃない」を思い起こした。借金苦などそれぞれ事情がある連中が潰れかけた小屋に住み込んで大衆演劇をやるという設定だった。
 まるでドラマのセットのような、という気持ちが湧くのは、自分が部外者であり、自らそういう視線以外で対象を見られないせいだろう。現実には、セットではなく、そこは生きた実人生が綴られている舞台であり、小綺麗でのっぺりとした空間に身を置いていることからすれば、内側に飛び込んでみたいという誘惑に溢れている。そして、自分のように冷やかしで踏み込んではいけないような聖地にも感じる。


 富山にはまた行くが、その空間をなぞりながらウロウロする自分を思い浮かべる。


 





 

TB練習帳~よく飲む飲み物は?

2006-11-13 06:53:53 | TB練習帳
 水分はよく摂る方かも知れない。
 移動時には、必ずペットボトルのお茶を携行する。ほとんどが日本茶。麦茶が多いだろうか。

 気分転換には、コーヒー。会社のデスクでインスタントではなく、落ち着いた店でコーヒーが飲めるかどうか、時間的、精神的にゆとりがあるかどうかのバロメーターでもある。

 そして、場合によってはランチの時にも嗜むが、夜にかけてはまずビール。飲まない日はない。
 さらに食事がある程度長くなれば、焼酎のロック(あれば芋)、店を変えれば、シングルモルトのロック、付き合いがあれば日本酒もやる。

 見境なく、あれもこれも飲んでます。
 

街の縁取り42~移動こそが居場所

2006-11-11 21:33:13 | 街の縁取り
 先週後半は、新潟から燕三条、富山・高岡へと途上で仕事をこなしながら金曜夜に富山空港から東京まで飛行機で帰った。また新潟で週末を過ごすことが出来なかった。
 写真は、羽田に着陸する前の東京、というか東京湾沿岸の灯り。
 好きな羽田空港の風景は、黄昏時の離陸、暗くなったばかりの君津方面からの着陸態勢時。東京の広がりが街灯りの塊によって縁取られる。その先の暗さと、内包された圧倒的な光彩が落差を生み出し、東京という街を印象づける。のっぺりとした建物の群れはなく。


 さて、転勤後、これで東京に戻る手段としては3通り経験したことになる。
 ①新潟から新幹線=片道約1万円強。乗車時間2時間強。ドアtoドアで3時間。
 ②高田から高速バス=5750円。乗車5時間半。ドアtoドアで6時間。
 ③富山から飛行機=ネット割も含んで1万4000円。搭乗1時間10分。ドアtoドアで4時間。
 違う場所から違う手段を使っているため、何かを比較するのではなく、まあ色々試している最中ということ。ここでいうドアtoドアは、乗る場所に向かった時から自宅に到着するまでの時間。
 比較するとすれば富山から列車で帰った場合だが、富山から長岡経由で4時間半。値段は1万1000円強で飛行機と余り変わらない。試すとすれば、富山からバスという手もある。こちらは7時間半、約7400円。さて、次にどうするか。
 今まで試してみて改めて気付いたのは、その路線が交通手段に関係なく、ほとんど空席がないということ。勿論、時間帯次第なのだろうが、指定席が取れないこともある。

 それで思うのは、こういう往復移動族を対象にした商売はもっと多彩であっていいのではないか。
 とくに時間が掛かるバス。ポータブルDVDやラジオレシーバー、雑誌の貸出とか。有料であっても、暇潰し目的の利用はあるのではないか。溜まったポイントでこういうサービスが受けられるというのもいい。
 実際使ってみて「リクライニングを使う時は後ろの人に声を掛けて。トラブルが発生しているので、お客さん同士でうまくやって」と連呼するだけの印象が強い。
 

 飛行機の場合、富山から東京便はANAしかない。JALは経営状況からもっと路線を絞り込むだろうから、地方便はもっと選択肢がなくなるだろう。
 新幹線も、新潟がターミナルの上越新幹線に関して言えば、まだ先のことになるが北陸新幹線が金沢まで開通すると、本数が減るという説があって、これ以上近い勝手が良くなることはなさそうだ。
 ファンになるだけの移動サービスってないのかな。

街の縁取り41~好天

2006-11-09 21:52:10 | 街の縁取り
 一昨日の荒天が過ぎ去った後、それこそ嘘のように9日は好天に恵まれた。
 きょうは新潟から富山に出張したのだが、その行程において2度、驚いたことがある。
 新潟での佐渡、富山での立山の近距離感である。

 新潟では、天気によって「佐渡はどこに行ったの?」という位、見えないことがある。そしてよく見える時は、「こんなに大きくて近いの?」という感じになる。

 そういう驚きがきょうはあった。
 そして富山に移動し、夕刻、仕事が終わって駅にタクシーで戻る時、丁度陽が沈むタイミングと重なったのだが、立山が非常にくっきりとした稜線を湛えながら、冬を思わせる澄んだ橙色のピュアな夕陽に向かって屹立していた。近さをもって。
 清浄な空気によるものらしい。 
 写真ではとても表現出来ていないが、美しいと素直に感じた。

 日本海側で、通りがかるのではなく、居ることで遭遇する2つの風景。