もう1つの感性の本棚

書くことを仕事にしている者として、日常をどのような感性で掬い取るか。

街の縁取り81~台湾行その1・二輪車

2007-05-05 13:41:22 | 街の縁取り
 現在の勤務地である新潟での倒産事故、航空チケットの名前違いというハプニングを超えて、成田から3時間半。4月26日午後、台湾(台北)に降り立った。
 今回は、台北、台中、高雄、花連と北から南をバスと鉄道で周遊する5日間のツアーで、最終日の昼食以外すべて食事が付いている内容。移動距離は、1500km程度だろうか。添乗員が付かず、現地ガイドが付くだけでGW直前出発値段が5万9800円。ちなみにGWに入ると倍にはね上がる。
 これは安い!と、家人と行って見る事にしたのだった。貧乏症はなかなか抜けない。
 安いだけの旅行は、卒業してもいい頃だとは思うが、家人は一度友人と行こうとしたが台湾地震で叶わず、自分は中国本土には何度か行った事があるが台湾は機会がなかったことから、慌しいのは覚悟でポイントを一通り見ることが出来そうというのが値段以外の参加理由。

 台湾は、どうしても「中国」というフィルターを通して見ることになるが、その中国の実態は何かを考え始めると複雑になる。
 中国という国としての正当性は、今は共産党による中華人民共和国にあるというのが大勢だが、かつては国民党による中華民国と綱引きしていたという事実は、分かるようで分かりにくい。
高砂族など元来島にいた人達の主権はどうなのか、結局は漢民族間のいざこざによって、狭義の台湾という地域が翻弄されてきた歴史が、しかもねじれたまま既成事実として追認されてきた姿がそこにある。

 日本は、第二次世界大戦で負けるまで、ここを半世紀植民地化してきた。日本の植民地経営の範が欧米諸国のそれにあったのは間違いないが、半世紀という時間は感覚を超えた長さだ。
 物真似だけで続く長さではない。周到な経営プランとシステムが機能していたのだ。
 鎖国していた近世末期からの100年政変、日清戦争以後の近代50年戦争という中で、大東亜共栄圏構想の下、現実に日本がアジアで残してきた足跡を考える機会はもっとあっていいと思う。
 そして、欧米列強への対抗軸として出てきた大東亜共栄圏構想の深さと浅さ、敷衍性の有無についても、右左に関係なくもっと身近に検証されていいと思う。
 お茶の国、温泉の国、加工組立産業立地の国と切れ切れの既成事実のパッチワークだけで捉えている気楽さも捨てがたいのだろうが。

 5日間の駆け足観光に向けて、それほど気張って出掛けたわけではないが、目の前にする台湾という国・地域を考えようとすると、無視できない歴史的な枠組みが
浮かんでくるのも避けられない、ということが言いたかった。妄言多謝。


 中国本土だと、飛行機を降りた途端、独特の匂いを感じるが、台湾の場合、それがなく、交通も思った以上に整然としているのが印象的だった。
 ただ目に付いたのが、スクーターの多さ。オートバイではない。
 老若男女が下駄履き代わりに使っている感じが伝わってくる。それが自転車ではなく、ガソリンによる動力というのがGDPの高さだろうか。

 信号待ちをしていると、どんどんスクーターが前方に溜まる。停まっている車の隙間を縫って前へ前へと出てくるからだ。通勤時間帯だと、その数は半端でなく、群れが出来ている。しかも一定の秩序がある分、それが塊になり易い。

 同時に、台北などの都会では、ベンツやレクサスのような高級車を頻繁に見かけた。レクサスは、そのままセルシオやアルテッツァにマークが付いただけの少し怪しいものも見かけたが、東京よりも見かける確率は高かった。
 二輪車と高級乗用車。この間には経済格差があるのは間違いないだろうが、中国本土と違うのは、中間層の厚さ。美装のカローラなどが圧倒的に多い。
 
 二輪車がカローラに、そして高級車にとシフトしていくのかどうか、このまま並存していくのか。
 ちなみに出生率は2人を割り、日本と同等だという。成長から成熟に入った日本と比べ、どういう段階にあるだろうかと街角の光景を眺めながら思った。
 

 



 






 




 



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