もう1つの感性の本棚

書くことを仕事にしている者として、日常をどのような感性で掬い取るか。

TB練習帳)思い出のTVドラマは?

2006-09-27 17:29:12 | TB練習帳
 ドラマは、自分の年齢や環境と時代が交錯しているところで記憶に残る。
 そういう意味では、思い出に残るドラマは複数ある。

 丹波哲郎が死んでしまったが、「キーハンター」は、土曜の夜という子供にとっては特別な時間の雰囲気を思い出として刻んでくれた。
 リアルタイムではなく再放送で観たが、田宮二郎の「白い巨塔」は、鬼気迫る演技と脇役のアクの強さで、次の展開がどうなるかワクワクした。
 「金曜日の妻たちへ」は、境遇はまったく自分とは無縁だったが、その後の路線を示唆する先駆的な作りで毎週観ていた。
 トレンディドラマでは「29歳のクリスマス」。オトナになった後の微妙な時期に放映されていて、自分に重ね合わせながら観ていた。
 最近では、「チャングム」。雰囲気を伝えるのではなく骨太なストーリー性が魅力。昔観た志垣太郎の「あかんたれ」などに観る感覚が似ている。



 

きょうの写真棚~ウミネコの休息。

2006-09-21 07:32:49 | Weblog
 月遅れの夏休みで、新潟県・寺泊の水族館に行った際、ウミネコが堤防の上で休息していた。何羽か数えなかったが、一列になって昼寝してるって感じだった。

 休息する場所の条件が、こうして列を作らせるのだろうが、そう言えば、以前、公園で見かけた鳩の群れは輪になって休息していた。

 いつもと違う姿を見かけると、鳥は風景の一部ではなくて、生き物としての表情を浮かべる。
 こちらものんびりした気分になった。
 
   
  


 
 

きょうの写真棚~新潟総踊り。民謡流しではなく。

2006-09-17 00:49:39 | Weblog
 16日から3日間、新潟市では、街角で総踊りが繰り広げられる。
 5年前、高知を発祥とするヨサコイを手本に、自由で簡単で誰でも参加可能な踊りとして始められたという。

 踊り手は若い世代が多く、特に女性が目立つ。
 形式美というより、リズムに乗ったノリが踊りに誘い込む。
 あれなら自分にも出来そう、踊らにや損、という気持ちを煽る。

 5年前、若い世代に新潟は元気がないと映っていたことが有志の求心力になったというが、新潟は吉本意外の笑いも発信しようとの団体もある。
 あれもこれも、来たばかりの自分にとっては新鮮だ。
 



TB練習帳~あなたにとって「癒し」とは何?

2006-09-15 20:10:42 | TB練習帳
 INPUTとOUTPUTのバランスに癒しがあると思う。
 嫌なことから逃げようとしても逃げることは出来ない。ストレスも逃げるだけでは解消しない。
 癒しとは、逃れたいことの解決ではなく、それに向き合うための態勢を整えることではないか。

 硬めの出だしだったが、いい音楽を聴いて、うまい酒を飲む、面白いストーリーに浸る(活字でも漫画でも映画でもいい)というところか。
 逃避と言えなくはないだろうが、現実はそれだけに浸っていると割り切れず感性が疲弊してしまう。虚構とシェイクして割り切れない部分を保湿していくことが大切。

 さて、きょうも飲みに行こうっと。 

締め切りという感覚28~残せしもの

2006-09-14 10:23:24 | 締め切りという感覚
 新しい赴任地で右も左もわからないと言っている間にも、前の職場での混乱が耳に入ってくるようになってきた。
 煎じ詰めるとマンパワー不足。

 ここ数年、相当人が入れ替わり、しかも新陳代謝を担うべき新人が定着しない。給料や仕事のフィールドに満足できないのが最大の理由だろうが、これは組織としては容易に対応できない。
 自分の場合、愛社精神よりも仕事自体への愛着を優先させてきたが、3年未満で職場を見切るというのは、入社時に続く再度の動機付けが出来るかどうか、その段階に辿り着けないことを意味する。

 先達の立場として、空念仏でない理念を説く責任があるが、個人的には去るもの
を追うことは出来ないという諦念が根っこにある。
 互いに、より大きな飛躍を目指そうじゃないかと呼応しようとした場合、それぞれの選択も尊重するしかない。
 残るのもそうだし、飛び出すのもそう。
 だが、組織としてこの考えは脆い。
 
 環境の変化を面白がってばかりではいられない現実が、一定の時間が経過し、落ち着いてきた中で浮かび上がってきている。








 

いいオトナの知的未開地探検~今更ですがスカイプ始めました

2006-09-12 01:25:30 | いいオトナの知的未開地探検
 転勤に伴って、家族との通信コストを考え、スカイプを使ってみることにした。
 カメラとイヤホンマイクのセットで1台わずか3000円。双方でも6000円。これに互いのブロードバンド費用が月額約1万円。
 携帯メールだけにしておけば安く抑えることは出来るが、実際にしばらく続けてみてわかったことに、メールのみの意思疎通では物足りなさが残る。
 ブロードバンド費用は、何もスカイプだけを使うためだけなく、インターネットやケーブルテレビの費用も含まれているので、これにビデオ通話が付加出来れば費用対効果は十分あると思う。

 実際にスカイプを使ってみて、音声がクリアなのには驚いた。映像はカメラの性能に左右されるので、3000円程度のキットでは鮮明さに欠けるが、顔を見ながら通話するのには、これも十分。
 これで離れていることのストレスは少し減るだろう。便利なツールと実感した。

 で、スカイプを立ち上げている時に画面の隅っこに表示されているログイン数がすごい。700万。
 700万人がどういう使い方をしているのか、分母がでかいだけに興味深い。
 何か特殊な世界が生中継されているのだろうとも想像する。





     


TB練習帳)きょうは何時に起きた?

2006-09-09 11:35:35 | TB練習帳
 携帯電話のアラーム機能を目覚まし代わりに使っている。
 設定しているのは朝7時。
 しかし、なぜかそれが鳴る前に起きてしまう。
 今朝も、起きた後に携帯のアラームを消した。

 歳のせいだとも思うが、環境が変わると前夜夜更かししたわけでもないのに九時過ぎまで寝ていることもある。そういう時は携帯を止めてしまう。

 布団から出ず寝続けた最高記録は16時間程度。二十代半ばだったか。
 一生、もうそんなに寝ることはないだろう。
 自覚はしていなかったが、おそらく惰眠を貪る快楽を満喫していたのだろう。

 出来る人間は朝を効率よく使うとか言うが、アラームが鳴る前に起きても、とても自分はその域には辿り着けない。

   
 
 
 
 

締め切りという感覚27~名刺が立つ

2006-09-07 08:47:30 | 締め切りという感覚
 新しい勤務地に赴任して実質1週間強が経過した。
 前任者と共に引き継ぎで取材対象でもあり、新聞購読者でもあり、広告スポンサーでもある仕事先を回る。
 いやもう、名刺が立っている。
 すでに名刺交換は100枚を超えた。
 地場の企業に加え、メーカーや商社の支店も多く、まだ容量超過という自覚はないが、名前や役職などを間違うリスクに溢れている。

 実は取材内容についてもリスクはある。
 これまで対象としていなかったもので、知らない分野を知らない人達を相手に仕事するというシチュエーション。
 これをどう受け止めるか。面白がっている余裕はあるつもりだが、引継ぎはすでに終盤。それを終えた後は1人で判断して行動するしかない。
 ミスの責任は全部自分に降りかかって来る。

 長い旅行に出かけているような気分がまだ抜けず、こういう意識が「根付かねば相手にされない」というモードに切り替わるには、もしかするとミスでもした方がいいのかも知れない。

 
 

TB練習帳~夏の終わりを感じる時

2006-09-04 18:44:37 | TB練習帳
 先日、仕事がらみではあったが、海岸清掃のボランティアに参加した。
 そこには、往く夏の痕跡がはっきりとあった。
 花火のゴミである。
 
 思ったよりは多くなかったが、花火の燃えかすがあちこちに残っており、そこがひと夏の思い出を作る場所であったことを示している。
 愛が囁かれたろう、諍いもあったかも知れない。

 願わくば、それが素敵であった事を。

街の縁取り26~きょうも海辺でお茶を

2006-09-02 07:43:56 | 街の縁取り
 新潟市に引っ越してきて1週間。
 「新潟島」を一周する。

 島は、南側に信濃川の河畔が延び、北側に日本海が広がるのだが、日本海側の街によくある山から海まで直接つながっているのとは異なり、この島というクッションの存在が様相を独特なものにしている。

 それを表現すると、わずか1つの市街地が表と裏の相貌を擁しているということになる。

 信濃川の河畔は、水害の歴史とも関わっているがよく整備されていて、サイクリングロード、ベンチ、河岸の草地と装置が揃い、晴れた日には非常に気持ちが良い。これから冬に向かってどんどん曇天率は高くなるが。
 美しい水辺を湛えた快適な都会の相貌である。

 一転、海側は「果て」を思わせる。今はまだ穏やかな天候時には気持ちの良さがあるが、その広がりは「南」を見やる時のものとは明らかに違う。

 表と裏の距離は歩いても30分は要しない。 
 面白い街だ。

 写真は、その表と裏を往還する道路の途上で見かけた海辺に置かれたテーブル。
 真っ白いのが印象的で、フレームにおさめてしまうと、まるで海辺が清潔なテラスのようだ。

 そして、それを見ていると真っ白なテーブルを囲んだ架空の会話が聞こえてくるようだ。

 「お茶を召しませ」

 希望に溢れた明日のことに胸弾ませるティータイム。
 穏やかではなかった昨日のことに思いを馳せるティータイム。

 2つの相貌。