もう1つの感性の本棚

書くことを仕事にしている者として、日常をどのような感性で掬い取るか。

街の縁取り76~新潟空港の目の前はやはり日本海だった。

2007-02-23 18:38:12 | 街の縁取り
 先日、3泊4日で新潟~神戸~大阪~熱海~東京~柏崎~上越~新潟と動線を描いた。
 仕事と遊びを絡めてこうなったのだが、街の縁取りについて、色々考える機会になったので、数回に分けてその動線に関して買いてみたい。

 今回の自分にとっての目玉は、この春廃止される新潟―神戸便に乗ることだった。就航から3年も待たずして廃止されるまでに利用率は上がらなかった。
 日に2便飛んでいたのが1便に減便、そして廃止と、まさに捨たれ行く道を辿った。

 さて、神戸便はともかく、新潟空港を利用するのも初めてだったが、シャトルバスで約30分。春節で帰国する中国人などでほぼ満席で新潟駅から出発し、ロシア人も乗り合わせ、社内は国際色豊かだった。これは新潟がどこと結び付いているのか如実に理解できる光景だった。

 空港設備は、地方空港としては立派。奥行きはないが、構えが堂々としている。
余り時間がなかったが、カードを見せると無料で使えるラウンジにて、オレンジジュースで一服。
 そこから見えるのは、幅が余りない滑走路と日本海だった。白い波が陸にぶつかって砕けるのが見える、沖合いにフェリーがゆっくりと進むのが見える。
 本当に波打ち際にあるのだと知った。
 この立地は、恵まれているのか恵まれていないのか。

 定期便が飛んでいるのは、佐渡、札幌、名古屋、伊丹、福岡、沖縄、ハバロフスク、ウラジオストック、イルクーツク、ハルビン、上海、グアム。 
 これは新潟の地域色が強く出ていると思う。3時間前後の時間距離でロシア、韓国、中国、国内では北海道から沖縄までをカバーしている。
 1日1便というのが多いところにこれまた地域色が出ているが、新潟は外国からの視線で見ると、まさに日本の玄関口に見えてくる。極東から東アジアを臨む位置の空港としては、か細いながらも小松空港などをインフラは上回っている。小松が航空自衛隊との併用という制約があるにしろ。

 このインフラをとことん楽しむとすれば、当然、ロシアに行かねばなるまい。極東ロシア3都市物語をしゃれ込むのも一興だろう。これは、新潟在住の大きな宿題となりそうだ。
 ロシア人は、中古車ビジネスで新潟に根を下ろしている。ロシア人同士の殺人事件が起きるほどにだ。

 神戸に向かいながら、ロシアに行かねばと思った次第である。  









 
  








 












きょうの写真棚~照り返る水煙の中、新幹線は来る

2007-02-15 20:37:49 | Weblog
 2月15日、日本海側は低気圧の影響で暴風雪警報が相次ぎ発令された。
 あたかもすると、今冬忘れてしまいがちな冬本番という季節を想起させる天候だった。

 写真は、燕三条の下りプラットフォーム、東京方面を見るアングル。
 雪による制動力の調整のためなのか、駅舎近くに強力な散水施設が設置され、新幹線が通過する直前にすごい勢いで蒔かれる。
 その水がまだら模様に差す太陽によって、まるで霧のように反射し、目を引いた。
 雪対策を施した上越新幹線ならではの設備なのだろう。

 本ブログで以前表現した「光と風の饗宴」の中で、この散水が独特の風景を創り出していた。売店もない味も素っ気も、そして人影もまばらな燕三条駅のプラットフォームが、その風景を際立たせていた。
 遠めに見ると、何事かと思わせる動的な美しさだった、本当に。
 

 

 

街の縁取り75◆大人の遠足・新潟編~寿司は個性

2007-02-13 23:15:02 | 街の縁取り
 2日連続で寿司を食べた。勿論自腹である。
 1日目が新潟市で一番グレードの高いホテルに入っているところ、2日目が寄居町、日銀新潟支店近くの路面店。
 なぜこの2軒だったか。

 以前、本ブログで少し触れたことがあったが、ホテルの方は、大量仕入れの頂点にあるのという話をあるバーで耳にし、試しに行ってみた。もう一方は、新潟市山手界隈で昔大地主だったという老婦人から聞いた。
 ホテルは祝日の昼にアルコールなしで家人と、路面店は平日の夜にビール付きで1人で、ともにカウンターに座った。
 頼み方は、ホテルでは3000円のセットを先にして後は、そこにないものをお好みで追加。内容はあら、ふなべた(かれい)、のどぐろ(赤むつ)、ばい貝など。2人で10600円也。
 路面店では、ビールを頼んでから、「お勧めを一通り」と言ってすべて違う種類でまず10貫、その後追加で巻物1種類とつまみの卵焼き。先の10貫は、ブリ、イカ、うに、いくら、南蛮えび(甘エビ)、マグロ大トロ、バイ貝、えんがわ、アジ、あと1つが思い出せないが、これに椀が付いて3600円也。すべて一口で食べるのがむずかしいほどネタが大きい。

 ここで軍配をどちらかに上げるつもりはない。たかだか何回か市内で寿司を食べたことがあるだけで判断することがおこがましいし、提供する基本的なものも雰囲気も含めて違う。

 収穫は、その違いが分かった点だ。「当たり前のことじゃないか」と言われそうだが、実は、半年ほど暮らしながら食べてみて、新潟の寿司には個性がないのではないか、と思うようになっていたところだったのだ。
 シャリが酢飯でない、ネタとシャリのバランスが繊細でない、だけど素材はいい、というパターンが続き、そのイメージが定着しつつあった。

 ホテルと路面店の寿司に接して、本来存在する個性が際立った。







   

 


 

街の縁取り74~大人の遠足・新潟編◆敷居を削る鍋茶屋

2007-02-11 01:04:40 | 街の縁取り
 「街の縁取り」の新しいカテゴリーとして『大人の遠足』を始めます。身近で贅沢な時空間に焦点を当てようとするのが狙いで、あくまで自分の基準で。

 さて初回は、新潟と言えばまず出てくる古町。
 今、新潟市では「冬・食の陣」というイベントをやっている。この3連休がヤマ場。
 この間、寿司、鍋など新潟の食材を使った料理を屋台で安く提供するとともに、その前後は参加するホテルや料亭、ショットバー、寿司屋が特別メニューを用意している。
 自分が行ったのは鍋茶屋の昼席。行形亭と双璧をなす老舗で、母屋の木造3階建ては文化財に指定されている。
 食の陣では、いくつかの料亭が芸妓の舞と料理をセットにした内容を昼と夜に出している。料亭によって料金は異なるが、鍋茶屋の場合、昼は1万5000円、夜は2万3000円。
 まったく個人で来たらどうなるか。夜だと料理だけで2万円、芸妓は1人2時間で1万8500円。心付を含めると多分5万円近くになる。
 5万円を楽しめるなら高くはないだろうが、覗き見るには高い。

 昼で1万5000円というのは、行形亭の芸妓舞なし、飲み物なしの値段と同じ。しかも、久保田で有名な朝日酒造が協賛して、割増なしで万寿のほか3種類の酒を用意してあった。かなり安い。

 敷居を削る――。
 新潟の料亭はそんな努力を続けている。

 この日は、100人ほどの客が母屋3階の200畳敷の大広間で会食したが、半数以上が女性。敷居を削る努力がリピーターを作り出すことに繋がるのかどうかわからないが、他にも割烹部門(本来の座敷に上がるのではなくカウンターがある店で料理を出す)を持つところでは、そこでも特別メニューを用意している。

 格式を保ちながら敷居を削るむずかしさ、と簡単に言うことは出来るが、その時空に触れる機会の提供は素直に歓迎する。
 それが、文化への理解、対峙ではなく、大勢に紛れた上での大人の遠足であったとしても。

 さて、メニューを書き出してみよう。

 先付)鮟鱇酢みそ
 前菜)サヨリ木の芽寿司・車海老うに粉・百合根茶巾梅味・倍貝酒煮・鮟肝ポン酢あえ菜の花
 御椀)かに真薯・若布筍・結び人参柚子
 御造り)活平目・南蛮海老・
 焼き物)本鱒みそ柚庵・黒豆松葉
 焚き合わせ)大根・含煮・鮑大船煮湿地茸・春菊柚子
 油物)鮟鱇海老包み揚・皮おかき揚・たら芽レモン藻塩
 御飯)鱈の子御飯・止め椀・香物三種
 甘味)福豆

 酒は①久保田萬寿②悟乃越州③越乃かぎろい千寿

 ああ疲れた。
 家人曰く、行形亭より味付けがしっかりしている。酒が進んだ。
 鍋茶屋のこれが食べたい、というものは発見出来なかったが、何気なく高レベルとは感じた。

 なお余談だが、古町の芸妓は地元出身でないと採用されないらしい。今の時代、これは意外だった。新潟らしいのかも知れない。
 20代で売れっ子となれば、会社(置屋は今法人になっている)から貰う25万円の給料に加え、客の心付を入れると月50-60万円にはなる、と同席の分け知り顔の婦人が言っていた。まあ大きく外れてはいないだろうが、手取りか税込みか、その区別は分からない。
 新潟の夜の街で飲んでいると、どこかの大企業の支店長が芸妓に惚れ込んで離婚までする、というような話を耳にすることがある。今そんな色恋沙汰がどれだけあるのかは知る由もないが。

 料亭は馴染みで持っていなければどんどん観光化するしかないが、古町がどこの段階にあるのか、鍋茶屋の遠足程度では見極められない。その位置を知りたいのか、ただそうした時空間でリラックスしたいのか、行ったというプチ贅沢記念を作りたいだけなのか、自分には分からない。だから、多分また遠足には出掛けるだろう。

  


 
 

 
  

 
 
 







 
 
 









きょうの写真棚~ヒカリモノ

2007-02-09 13:01:28 | Weblog
 光りモノに目が行く。
 メタルの質感、透過性のプラスチック造形が好きだ。

 ピカピカのアクセサリーを身に着けたいわけではない。プラスチックも好きなので、貴金属嗜好があるわけでもない。
 素材が光によって反射する時のメタルとプラスチックが好きなのである。

 磨き上げられたステンレス製のライターとか、透明のフィギュアとか、見かけると手に取ってしまう。
 秋葉原のフィギュアショップで見た白色透明のAKIRA、上野不忍池でやっていた骨董市で観た黄色透明のケロヨン、巣鴨のフィギュアショップで見た白色透明のタイガーマスク、ディズニーランドで見たステンレス製のミッキーマウス、タイ・バンコクで見たステンレス製エイリアンなどなどは欲しかった。

 非売品であったり、高かったり、持って帰るのがむずかしかったりして、いずれも断念した。他人から見れば脈絡ないだろう。そして、高いといってもケロヨンは1000円。絶対額はともかく対価としてはどうなの?という気持ちから買わなかったものもある。
 好きだと言っても、所詮マニアではない。偏執狂に徹するわけでもない。 
 
 野望としては、クリスタル製のモンサンミッシェルを特注で造らせたいというのがある。ますます脈絡がないかも知れないが。気に入れば100万円でも注ぎ込むと自分で思う。
 何だろう、この嗜好性は。

 写真は、富山市の古いオフィスビルで見かけた郵便ポスト。金色だが、このメタリック感はいい。多分毎日誰かが磨いているのだろう。思わず撮った。
 
 

街の縁取り73~エキナン

2007-02-08 20:42:50 | 街の縁取り
 先日、東京から燕三条まで新幹線で戻って、レンタカーを借り出し(仕事のため)、新潟駅で返すというルートを辿った。
 このルートは車を返してからエキナンと呼ばれる新潟駅南口で一杯やって帰るには程よい。新潟島に住んでいると、とくに1人の時は、南口まで飲み食いに出掛けることはまずない。

 この夜は、外から店の雰囲気はわからなかったが自分の嗅覚を頼って和食の店に入った。
 結果は正解。日本酒が50種類以上も1合とっくりで呑むことができる店だった。
 生ビール、日本酒、刺身(バイ貝・天然ブリ*もう終わりらしいが)、ミンクくじらの味噌漬け、佐渡天然もずく、鮭のおにぎりと味噌汁で6950円。安くはないが、くじらが1500円、日本酒が1合で1800円だったので仕方がない。
 1人ご飯としてはプチ贅沢で頃合。

 このエキナン、不思議なのは一見閑散とした雰囲気なのだが、少し造りを凝った店が多い。今は、個性的に見えつつチェーン店というケースも少なくないので、実際には入ってみなければ分からないのだが、ちょっと覗いていこうという構えのところが目に付く。

 これから南口はローカル線を高架にして南北を踏み切りなしで往来できる再開発が始まるが、今のこの界隈って新潟の懐の深さと浅さを象徴しているように思える。

 言うならば、都会と田舎が混ざり合い、ある程度の選択肢が用意されている――。
 そして、30年前は田んぼだったというエキナンを、古町を抱える新潟島とワンセットで考えた場合、新潟は独自性を醸し出す。それは都市として中途半端ということではなく、やはり独自性なのだと思う。

 このルートを使って、エキナンを開拓しよう。    
 

















 
 

   

街の縁取り72~世界最大の陽動作戦は柏崎で行われた

2007-02-05 00:41:51 | 街の縁取り
 先日、仕事で柏崎に行った。
 当地で今何が有名かと言えば、東京電力による刈羽原発における再三にわたっての安全データ改竄だろうが、そうしたこととはまったく関係ない話。
 世界史上最大の作戦、トロイの木馬が柏崎にあったという話。

 これは何も知らずに見つけると、びっくりする存在である。
 海辺の国道8号線沿いに不意に出てくるのだ。10メートルを超える高さのこの木馬がである。
 実はこの奥手には、ノアの箱舟まである。
 神話の世界が柏崎に実在しているのだ。

 ここまででピンと来た人は、かなりのトルコ通、柏崎政策通だろう。

 ちょっと以下の文章を読まれよ。
 □■
 ――人間らしさを取り戻す。心からの感動を味わう。
 本物の休日は、本物のトルコとの出会いから。
 柏崎トルコ文化村。
 世界初のトルコ文化のテーマパーク。人間らしさと異文化の出会いの中に、ほん とうのやすらぎが生まれます 。

 金角湾をはさみ、ボスポラス海峡に面して市街が発展するイスタンブールは、日 本海、佐渡ガ島を眺む柏崎の風景と共通するものがあります。
 ここ柏崎トルコ文化村は、トルコと日本の心からの交流と、心と身体に根ざした 楽しさと喜びがあるヒューマンテーマパーク。

 ここには、トルコの出島として、その文化の枠が集まり、見る、聞く、味わう、 思う、学ぶを通じて、異文化との出会いと理解を深めると同時に、より確かな休 日の思い出をつくることができるでしょう。
 バザールは、トルコ語で日曜日という意味。柏崎トルコ文化村でのエキゾチック なひとときは、私たち日本人が忘れた何かを呼び起こし、新たな刺激と活力を生 み出してくれることと思います――。
 □■

 多額の資金が注がれ、世界的にも珍しい規模で建設され、民間と行政、そしてトルコ大使館、全国の親トルコ政治家を巻き込んだあげく、経営破綻し、2004年に閉鎖された柏崎トルコ文化村のことなのである。

 経営は紆余曲折し、挽回を期した拡張まで含め70億円以上の資金が注がれ、最終的には1億余りで譲渡されて無料公開まで踏み切ったものの、客足が伸びず閉鎖に追い込まれたという。在日トルコ商工会議所が再建の意思があったところ柏崎市にないがしろにされるという経緯もあって、それが政治問題化した経緯もある。

 拡張した後、入場料は1300円まで値上げされたようだが、上の宣伝文句を読むと、飲食しながらベリーダンスを観ることも出来たというし、写真のトロイの木馬、また敷地内には宮殿らしき建物もしっかりした造りで、かなり稀少な空間であったことは間違いない。
 しかし、人は1300円払って足を運ばなかった。そして、無料でも来なかった。
 市民公園としても受け容れられなかった事実は、造りがしっかりしているだけに痛々しい。
 ボスポラス海峡と日本海の共通性をアピールする感覚は頂けないが。

 柏崎は、知る人は知っているが、実はコレクションの町でもある。
 個人的な収集品を公開している小さな施設が多い。
 珍品の類からウルトラマンなどのおもちゃ、書票まで。
 国道8号線は、コレクション街道という別名まであるようだ。

 しかし、人が集まらない。次々に閉鎖されている。
 鮮魚を売るフィッシャーマンズケーフという一角もあるが、すでにバス路線も途絶えていて、活気に乏しい。
 
 「すべてを一箇所に集めれば、また違うだろうが」という地元の人の声も耳にしたが、トルコ村の破綻は、地方が変わった切り口で対外的に存在をアピールしようとする際のむずかしさを象徴している。
 長崎・ハウステンボス、岡山(倉敷)チボリ公園、志摩スペイン村、冨士山麓のガリバー王国など、行政も深く関わって潰せない規模のものから、見切られて閉鎖したものまで、全国各地に様々なテーマパークはあるが、成功しているとはっきり言えるのはディズニーランドくらいだろう。これはアメリカ村だ。
 同じ新潟県では、ロシア村が2003年に閉鎖されている。

 成功のためには、リピーターと範囲の広い集客力が必要だが、思うに地方ではサイズの問題があるように思う。過大な投資をすると入場料を高く設定しなければならず地元のリピーターが育たない。
 グローバルにつながろうとするのではなく、文化から食べ物までローカルとの融合、「きょうの夕飯はトルコレストランで」というレベルまで持って行かないと根付くのはむずかしい。
 そして、それこそが本当にむずかしい。
 立ち上げのコンセプトはどうとでもでっち上げられる。
 高率で失敗しているにも関わらず、全国で似た趣旨のテーマパークが建設されたのは、計画に伴ってカネが流れるシステムだけが「本物」の推進力だからだろう。 夕張も、遊園地の建設が破綻の引き金を引いたとされるが、そうした一例かもしれない。そこで一時的にカネが流れればツケは後回しにして動き出す。

 都会と地方の格差とよく言われるが、成熟社会における地方の在り方とは何だろうか。こうした残骸を斜陽の中で眺めるだけなのだろうか。
 地方都市では、映画のロケ地を誘致・支援するフィルムコミッションが盛んだが、それが残骸の陳列で終わらせないためにはどうすればいいのだろう。
  
 トロイの木馬は、未来の地方を打開する作戦の起爆剤となるのか、朽ち果てる象徴となるのか。          

    
 
  
  


  






街の縁取り71~驚愕堂の新潟改造論

2007-02-02 17:04:58 | 街の縁取り
 1月31日付新潟日報を読んでいて驚愕した。
 大スクープに、ではない。地方紙に提供された共同・時事通信社の記事にでもない。
 28面のオリジナル連載「新潟日報源流130年~時代を拓いて~越佐新聞略史/習俗改良論」の内容である。

 「憲政の神」と呼ばれ、明治23年(1890)の第1回総選挙から昭和27年(1952)までずっと国会議員だった記録を持つ尾崎行雄の新潟新聞(後の新潟日報)主筆時代の活動について触れたものだが、当時の新潟観がすごい。本当に。

 新潟は、「寒いので重ね着をして動作が鈍く、魚類と米どころで濃い味付けを好んで精力と性欲が強く、家は密閉型で暗くきたなく、陽光が受けないので体が弱く陰気で、粗野かつ風雅でない」という認識に基づき、「新潟習俗改良論」を紙面で展開したという。

 尾崎の新潟観はこうも続く。
「野外の風光は豊かでなく、川や海も美しくなく、郊外に遊歩の地なく、寒く風雨激しく、道路が泥道であれば人は閉じこもり、結局歓楽をかうために花町に出て無限の快楽としている」
 さらに、「万人が一致して言うには、淫靡、浮薄、因遁、惰弱」と付け加える。

 明治期知識人の地方観・大衆観に共通するものなのか、城下町でない新潟の特殊性に限ったものなのか精査出来ていないが、自分は、これだけの悪口を活字で読んだことがない。

 こうした認識が、「新潟の父母は子弟に文字を教え、酒肉のほかに世間にはもっと楽しいことがあることを知らしめるべきだ」という習俗改良論につながっていくことを踏まえ、新潟日報は尾崎の論理展開を「新潟版学問のすすめ」と結んでいるが、「学問のすすめ」って、こういう構図だろうか。
 「低俗で未開の異国教化」とでも呼びたくなる物言いだ。

 新潟では、潟に象徴される低湿地を土地改良して米収穫量を引き上げてきた近代以降の歴史を持つが、その対象が習俗にも及んでいたのだろうか。
 それは、近代の物差しが新潟をいったん否定したことにもなる。多分、これは新潟に限ったことではないだろう。

 尾崎の悪口をここで言いたいのではなく、近世から近代にかけて、こうした言葉でもって前時代を否定した段階があったことは、現代の出自を考える場合、忘れてはならないと思う。

 余談だが、新潟日報はライバル紙を持たない独占地方紙である。東北には比較的多い。記者は200人体制で、全国紙が例えば朝日新聞が県全域で20人ということからしても圧倒的に強い。紙面を読んでいて、独占であるが故にポジショニングに関して神経を使っていることが伝わってくる。その分個性が弱まるが、安心して読める感じがある。
 自社のルーツを辿る連載企画で、ここまでストレートに先人の言葉を史料として引用する編集方針に、その精神が垣間見える。
 

 
 

 

    







街の縁取り70~104年

2007-02-01 10:17:19 | 街の縁取り
 新潟では、1月31日のTV、また2月1日の朝刊で大きく取り上げられていたことに、1月の新潟市は104年ぶりに積雪ゼロを記録した。最低気温が零下となったのもわずか1日しかなかったという。
 地元の人達の間では「春」の言葉が交わされているが、「何か起きる」と気味悪がる声も耳にする。虫の発生、野菜の甘味にも影響するようだ。

 先日、富山のラジオで聞いた「雪とどう付き合うかが我々にとって大きなテーマだったが、実際にこんなに少ないと生活は楽」とのコメントが記憶に残っている。「自然の程々ということのむずかしさ」というものとワンセットだったが、もし来冬もこんな状態だったら、雪国の風土自体が急速に薄れていくように思う。
 少雪のありがたさは、雪と付き合う覚悟を麻痺させるのに十分だろう。

 新潟の、他の日本海側の街・町の本来の縁取りを、まだ自分は見ていない。