東日本大震災の時期になると必ず思い出すスピーチがあります。震災の2週間後に催された大阪大学卒業式での総長式辞です。私は書物のなかで接しただけなのですが、何度も読み返すようにしています。
当時総長だった鷲田清一は、阪神淡路大震災のときに、いち早く現地に医療チーム を派遣した、神戸大学附属病院医師(当時)中井久夫のことに触れながら、危機におけるリーダーのあり方について語っています。
危機において大切なものは、卓越したリーダーシップはもちろんのことながら、それを支えるフォロワーの在り方であると強調します。危機の最前線で指揮を振るうリーダーを、静かにバックアップするフォロワーの存在がどれほど最前線に力を与えるかと。
以下、式辞を引用します。
市民社会、その公共的な生活においては、リーダーは固定していません。市民それぞれが社会のそれぞれの持ち場で全力投球しているのですから、だれもいつもリーダー役を引き受けられるとはかぎりません。だとすれば、それぞれが日頃の本務を果たしつつ、公共的な課題については、それぞれが前面に出たり背後に退いたりしながら、しかしいつも全体に目配りしている、そういうメンバーからなる集団こそ、真に強い集団だということになるでしょう。
そして、集団を強くするフォロワーには欠かせない要素があると、次のように続けるのです。
良きフォロワー、リーダーを真にケアできる人物であるためには、フォロワー自身のまなざしが 確かな「価値の遠近法」を備えていなければなりません。「価値の遠近法」とは、どんな状況にあっても、次の四つ、つまり絶対なくしてはならないもの、見失ってはならぬものと、あってもいいけどなくてもいいものと、端的になくていいものと、絶対にあってはならないものとを見分けられる眼力のことです。
鷲田総長は、その眼力を「教養」と呼び、教養あるフォロワーを目指すことを、梅棹忠夫の表現を借りてこう言い表します。「請われれば一差し舞える人物になれ」と。
消費者、受益者であることに慣れきってしまうと、危機にあっては他責的な言動を繰り返すばかりで、自らがリーダーになって「一差し舞う」ことなど考えもしません。日ごろの消費活動において「あってもいいけどなくてもいいもの」と「端的になくてもいいもの」の間にある無数の小さな区別を、消費者は絶えず気にしています。商品の差異化こそが消費社会の原動力なので、この区別にのみ敏感になり、それ以外のもっと大切な区別に目が向かなくなっているのが「消費者」ではないでしょうか。
つまり「絶対なくしてはならないもの、見失ってはならぬもの」そして「絶対にあってはならないもの」についての区別、判断は、驚くべきほどにないがしろにされています。しかしリーダーにとって、これほど大切な判断はありません。
鷲田総長の式辞は、大震災直後のものですが、「絶対にあってはならないこと」が公然と行われている現在、それでは「絶対なくしてはならないもの」は何かが、明確に問われているように思います。
なお、鷲田清一の式辞は、大阪大学のサイトから読むことができます。ご一読をお勧めします。 大阪大学平成22年度卒業式総長式辞