生命の横溢する桜花に対峙して、みずからの生命を奮い立たせる歌がありました。
しかし、咲き誇る桜を前にして励まされるでもなく、ただ立ち尽くすしかない時もあります。
この歌は、終戦後間もなく詠まれたものです。
すさまじくひと木の桜ふぶくゆゑ身はひえびえとなりて立ちをり
(岡野弘彦『天の鶴群』)
岡野弘彦は東京大空襲で、満開の桜が咲いたまま、炎に包まれる様子を目の当たりにしています。
米軍が上陸した際の特攻作戦に備えるため、茨城県の鉾田に向かう途中、岡野の乗った列車がB29 の爆撃にさらされました。東京の地理が分かるということもあり、いったん隊を離れて、東京で累々たる死屍を処理するという作業を6日間続けます。空襲のなか移動するとき、線路沿いの桜並木が満開で、懸命に炎に耐えていたものが「ある瞬間に、ふわっと火に包まれ、咲いたまま燃え上がっていく」姿を目撃しています。
鉾田の本隊に改めて配属され、宿営する中学校では校庭の桜も満開でした。その桜がふぶくのを見たとき、岡野は「ひえびえと」立ち尽くすことしかできませんでした。このとき、もう一生桜を美しいなど思うまいと感じたのだそうです。羅紗の軍服に染みついた死体を焼いたにおいが、むっと立ちあがってきて、そう感じざるを得なかったと自ら記しています。(「明日への言葉」三十一文字にいのちを吹き込む)
ウクライナの惨状を毎日テレビで目にすると、こんなことを許してはならないと思うと同時に、このような戦争が引き起こされる日常に、いま暮らしていることを改めて思います。岡野弘彦の「ひえびえと」した思いは、決して遠い昔の歴史の一断片ではないのだと、つくづく感じます。
2017年、日本・ウクライナ外交関係樹立25周年を記念して、桜の植樹事業が行われました。(在ウクライナ日本国大使館 Sakura 2500 Campaign)ウクライナ全土の30近くの都市で、1,600本の桜が植えられたのだそうです。このときの桜の花が咲いているならば、咲いたまま焼かれているかもしれません。
桜の花とライラックの花が咲き誇り、再生の歌が歌われる日が、一日も早く来ることを祈ります。