マンション管理のお勉強日記+スピリチュアルなブログ:飯田史彦教授 江原啓之氏 坂本政道氏等の精神世界の書籍を読んで

先立った最愛の彼女といつか必ず逢いたい…彼女が枕元に置いて逝った江原啓之氏の書籍…Spiritualな世界の存在を信じて

「再会」について

2006年08月23日 19時47分51秒 | ★書籍で探訪|江原啓之氏
どうも、色々なスピリチュアルな書籍を読むと、
「死後、先立った人との再会は必ずある。」とありますが、
「逢える=再会」と「あの世で一緒に暮らせる」とは違うことが分かりました。


例えば、江原氏でも「死後、『必ず』会えますよ」と多くの著書に書いています
が、「いのちが危ない! スピリチュアル・カウンセラーからの提言」 江原啓之
集英社に、


「霊的世界は無数の階層に仕切られた世界です。」
「そして、個々のたましいがみずからを内観して暮す世界です。」
「『面会』はできますが、死別した家族のたましいと、この世でのようにともに
暮すことはありません。」
「大切な人を亡くしたときは、故人はそのような別世界へ旅立ったのだと
受け容れることが肝心です。」
「追いかけていってもしかたがないのです。」
「まして、自殺などすれば、あなたは暗闇に閉じこもり、『面会』もまま
ならなくなります。」


と書かれています。
ようは、あの世では「逢いたい」と思ったときには、いつでも何度でも逢えるが、
一緒に暮らすというのは出来ないということです。


唯一の望みとすれば、
江原氏の「スピリチュアルメッセージⅡ 死することの真理」では、江原氏の指導
霊によると、この世でも、みな似たような性格の者同士が出会っているので、あの
世での生活とこの世での生活は変わらないだろう(みんな同じところにいる)とは
言っています。
心境(心域)によって住む世界が異なるが、自分の家族、気が合う友人みな大体同
じ心境だろうから、同じところに住むだろうということでしょう。



しかし、実際にはたとえ親子でも、途中で子供が進学や就職等で親元を離れて過ご
すようになった場合、都会での生活等の環境の変化から性格も変わっていきます
から、あの世で一緒に暮らすということは、確かに難しいかなと思いました。



一緒に暮らすという条件は、あくまでも「心境(心域)がほぼ同じ」でなければ
なりません。



亡き彼女と心境がほぼ同じかどうか・・・考え方は似ていた面も多かったのですが
・・・ほぼ同じと思いたい・・・しかし、私の知らない側面等があれば・・・よく
分かりませんね・・・



心境(心域)を亡き彼女と合わせられるものなら、死ぬまでに合わしたいですが、
これはかなり難しいことですね。不可能か・・・


だって、彼女の表面的なところが全てであったのであれば、合わせることは可能
ですけど、心の奥底まで彼女のことを「全て」分かっていたかについては、「絶対
分かっていた」なんていう自信は持てません。。。



また、先立った人があの世でも修行(霊性進化・霊性向上)に努めますから、
亡くなった時点での故人の心境(心域)から随分と変わっていることを考えると、
追い着くのはまず無理・・・ですよね。



まとめると、
①故人の亡くなった時点での心境(心域)を的確には把握できない。
②たとえ①がほぼ分かったとしても、自分自身の心境(心域)を同等までに持って
 いく、ないしは、持って行くことが出来ていることを計るモノサシがないので、
 計りようがない。
③故人もあの世で霊性進化・霊性向上に努めているので、追い着けない。
 または、追い着くことが可能であったとしても②と同様で計るモノサシがないの
 で、あの世へ行ってみないと同じ心境(心域)か分からない。



どの書籍を読んでも、この世の寿命をまっとうしあの世へ行けば、先立った人に
「会える」または「『必ず』会える」とはありますが「『必ず』一緒に暮らせる」
までは、言っていないことに気づき、少しショック・・・です。

ただ・・・面会し逢ってそのまま、ずっと面会したままでいれば「一緒に」いられ
ることと同じだと思うので、面会し続けたらよいと思うことにしました。
あの世は、時間の無い世界ですしね。

追加2006.9.3 彼女の育った街から彼女が通っていた高校までの道を、亡き彼女
        の自転車をお借りして走りました。そのとき携帯で撮った写真です
コメント (4)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« まだまだ、エンジンが掛かり... | トップ | 【死後の世界】出現物に関す... »
最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
私もずーと心配でした。 (T&M)
2012-07-20 16:39:53
2012.02.05のブログへ2012.07.19に
コメントしたT&Mです。

主人は必ず待っていてくれて、
またいつもの私たちの夫婦生活がその世界でも
できるんだろうということを希望に
今後も生き抜こうと努力していました。

だからこの件についてはとてもショックでした。
そんなばかな~って

でも誰にも聞けないし、聞いたところで
そんなこと真剣に悩んでるの?
頭おかしくない?って言われるのが落ちです。

最愛のパートナー死別の経験をされ、
たぶん私と同じような感性の方とお見受けする
から管理人さんにはわかりますよね。

これって、ものすごく真剣に考える重要なこと
ですものね。
だからずーと悩んでいたのです。

死別関連のどこのサイトにもないし、
だれもブログとかに取り上げてないし・・・
と思って7月10日まで過ぎていきました。
ところが突然っていうか管理人さんのブログに
行きついたのです。
びっくりしました。
まるで私の思いを代弁しているようなブログ。
私か?!って思いましたね。

このようなブログを作成されたことに感謝です。

主人と死別して11ヶ月。
もがくような痛みと空白感、辛さ、苦しさ・・・
その中で、何か違う世界の扉を少しだけ開けている自分がいます。(良い意味で)

7月16日偶然なのか、ちょっと体験したんです。
瞬間、心がパーっと明るくなりました。
これって、普通の方から見ればだから何って?
笑うようなことだと思いますけど・・・
管理人さんが笑わないで聞いてくださるなら
次回コメントしてみますが・・・

今日はありがとうございました。

(PS)
ブログの設定のことがよくわからないので質問します。
過去のブログへコメント投稿したら、
管理人さんのほうへ投稿された旨のメッセージが入るのでしょうか?






返信する
Unknown (管理人)
2012-07-21 22:10:48
T&Mさま、コメントありがとうございます。

そうなんです。私も最愛の彼女を亡くして、亡き彼女が使っていたベッドの枕元に、唯一置いてあったのが江原啓之さんの単行本でして、それを読んでからというもの、色々なスピリチュアルな書籍や死後の世界を書いた書籍を読むようになりました。

まずは、あれこれと読んでみて、そのうちに「じゃぁ、こういった場合はどうなの?」と疑問に思うところが出てきたことを調べたりするようになり、ブログで取り上げるようにしました。

まさに、
「再会」
は、この世を生き抜くための唯一の支えですよね。

辛くても何とか生き抜いて、そして死後に「精神世界(死後の世界)」があったならば、必ず最愛の人に逢いたいと誰もが願うことだと思います。

その「再会」の死後での現実は・・・逢うことは出来ても、一緒に暮らすことが出来るかどうかは分からないという点で、当時、そのような話を書籍で目にして不安を感じたように思います。

確かに、まずは「逢えること」が大前提です。これについては、色々な霊的な能力をお持ちの方々が「逢えますよ」とは言っています。

しかし、一緒にずっと、この世での生活のように暮らして行けるとまでは言っていません。

それは、あの世では「いつでも、逢いたいと思ったら、瞬時に逢える」からだと思います。瞬時に逢い、逢いたいだけ逢っていることによって、「一緒に過ごしている」と同じ状態になるから、それ以上のことは無いのかも知れません。。。

料理を作ったりなどは、食べなくても生きていける世界(あの世)ですから、そのような生活感のある楽しみは想念で「そういうことをしたい」と思えば、「一緒に暮らしていて生前好きだった旦那様の料理を作ってあげる」ことは出来るのではないかと思っています。

そうしているうちに、あの世では時間がないものですから、「もういいかな=執着する心が薄れていく」と思うようになり、また、あの世ではあの世で、自ら選んだこと(瞑想したり、迷う霊を救ったり)に取り組んだりと「おつとめ」や「修業」のようなものがあるようですので、時間の感覚が無いなかであれこれやっているうちに「執着心」というものが無くなって行き、そうしていると段々と高次の霊界へと進んで行くものなのかなぁと思うようになってきています。

最終的には、まだまだ修業が足りない?ということで輪廻転生するのでしょうけど、そこまで行き着くまでには、相当あの世に要る間に悟りを開くくらい、全てを見通し、魂(意識体)のことを分かってからだと思いますので、結論から言うと、

「逢いたいだけ逢って、そして、気が済むまで想うことは出来る(想念で生み出して)」のだと思います。

但し、そのような状態(心理状態)にあるうちは、あの世では、まだまだこれから修業を積まないといけないね、ということなのかも知れませんけど。

でも、それはそれでいいんじゃないの、と思っています。だって、今まで大切に思ってきたからこそ、再会したいわけですし、また、一緒に暮らすような状態になりたいわけなんですから、それを執着心と言われても、どうしようもない感情だと思います。

いきなり、死後に、「こんな世界になっていたんだ」と分かって、即時に理解し、そして、この世に生きたことの何もかもを捨て去り悟れるような聖人君子なんていないと思います。

あの世でも、あれこれ執着しながら、そして、あの世の仕組みを徐々に理解して、本当の意味での前へ向いて歩いていけるようになるまでには、魂は心・意識体なのですから、紆余曲折もありながら進んで行くものだと思います。

それでよいのではないかな、と、今の私は考えるようになりました。

ですから、T&Mさまの望む、亡き後主人様とのあの世での生活」というものは、思うことによって出きる=想念の世界の原理によって、叶えられるもの」だと思いますよ。

私も、死後は「あの後、こんなことがあってね~」とか「聞いて聞いて」といっぱい話しかけることと思います。

・・・

このような話は、確かに身近で最愛の人を亡くした方でないと、引かれる話ですよね。しかし、死後=無になる、あの世?お化けや幽霊は作り話なんて思える人のほうが、ある意味気楽に生きられて幸せなのかも知れませんね。

しかし、最愛の人を、本当に自分よりも大切に思う人の死を迎えたときに、果たして、死んだら無だとまで思えるものでしょうかね。

私は、必ず「魂(霊・意識体)」は存在し続けると思っています。でないと、このブログで取り上げたような話が出てくるわけがないですし、どうしても「ウソだ」とまで言い切れない事象もありますので、それこそが魂の存在を意味しているように感じています。

・・・

7月16日に、偶然?不思議なこと?どのような体験をされたのでしょうか☆よろしければ、お聞かせくださいっ★笑いませんので。

gooブログの設定にもよるかと思いますが、メールに書き込みの通知設定が出来たとしましても、毎日メールを見てはいませんですし、今はそのような設定をしていませんので、私自身も自分が立ち上げたブログの「最新コメント」を見まして、「あっ、コメントの書き込みがある」と知って返信しております(^_^;)

ですから、社内行事や月次の経理締めのときなどは、コメントの返信が遅くなることも多々ありますのでご了承願いますm(_ _)m

コメントありがとうございました。

またお気軽にお立ち寄りください♪
返信する
答えてくれた~ (T&M)
2012-07-23 15:56:43
お返事ありがとうございます。

管理人さんの思考とまったく同じです。

私も考えました。それならずーと逢っていればいいよねって。
亡くなって霊になったとして、すぐに人格が変わるわけではないと思うから。
最愛の主人もやはり私と同じように考えているはずと・・・
亡くなりました→霊界に行きました→今世で生活したことはすべて終了→未練もありません、忘れ去っていきますなんて・・・
霊界ってそんなひどいところではないと考えたいですね。
そして主人もそんなことはしないと思います。

輪廻転生があるらしいけど、かなりの時間がかかるらしいことに希望を持っています。

さて(7月16日の偶然の体験)

一緒には暮らせないなんてあんまりだ~と
半べそ状態で朝から出張先へとぼとぼ歩いて
出向いていました。

「一緒になれないの?、待っていてはくれないの?またいつものような夫婦になれないの?
ね~あなた答えて~お願い!」って

周りに気遣いながら小さい声で
でも思いを込めて言葉に出しました。

そしてビルの角を曲がった瞬間、
どこかのビルから、
音楽が大きく流れてきました。

「それでも君が望むなら~
僕は待ってるいつまでも~
いつまでも~いつまでも~」

一瞬 何~って思いました。
びっくりして立ち止まりました。
本当につぶやいたその瞬間ですよ。

それもこの部分が最終フレーズだったようで
この曲はすぐに終了しました。
そして違う曲が流れだしました。

普通の人から見ると、だからなんなのって
ことでしょうが、
私は主人がメッセージをくれたと確信しました。

【ちなみにこの曲は、私達年代の若いころ流行した、「あの時君は若かった」という
スパイダーズというグループサウンズの曲です】

何かの本に、愛する故人は何かの形でメッセージを伝えてきています。
それは音楽のワンフレーズとか、
テレビの一コマとか、
書籍の中の言葉とか・・・とありました。

愛する人は亡くなって無になってはいません。
ちゃんと健在しています。
なぜ、この7月16日のことが主人からだと
言い切れるかは、
私が主人の霊は健在していると確信できているからなのです。

この件については、この「再会」のブログの欄でコメントするより適切なブログの欄があるようなのでそこからまたおじゃましてコメントします。

それから管理人さんにおたずねです。
私は最近管理人さんのブログを知りました。
最愛の彼女を亡くされて7年だとか・・
少し落ち着いてこられているかと思われますが
そんな状態の時に、
過去のブログへコメント差し上げては、
当時のことが思い出されてお辛くなられはしないかと心配しております。
過去のブログへのコメントを差し上げてもよろしいのでしょうか?



返信する
Unknown (管理人)
2012-07-30 00:13:20
T&Mさま、返信が遅くなってすみません。コメントありがとうございます☆

私は、飯田史彦先生の生きがいの創造Ⅱを読んでからというもの、「死後も意識があり続けるんだ」とすごく感じました。死後に意識があるということは、思考も残っているということですので、あとは逢えるかどうかだけだと思い、飯田先生の書籍の他、色々と読みましたら、逢う乃至は逢っているのと同じ状態になれるということ知り、その言葉を信じて、お迎えが来るまで生き抜いて行こうと決めました。

大丈夫!最愛のご主人さまと、あの世での再会は必ず出来ますよ!それに、私が思うには、遺して逝った故人のほうこそ、死んだと思ったら生きていた(魂・霊・意識体)と分かったのちは、たぶん私達この世で生きている者よりも、私達を遺してあの世へ来たことに、すごく心配していることと思います。

何せ、向こうは死んでも生きていて、その意識は永遠のものと分かったわけですから、それを実感できずにこの世を生きている私達の心の揺らめきや悲しみのほうこそ、心配するだろうなぁとスピリチュアルな書籍を読んでいて、そう強く思ったものでした。

7月16日の不思議な話。ドキッとしたでしょうねっ!まさにT&Mの思いに答えるかのような、しかも懐かしい若い頃の名曲が、その呟いた瞬間に、しかも一番亡くなったご主人さまから聞きたい言葉の部分のフレーズが聞こえてきたというのは、何かありますね。

私は、先立った最愛の人には悪いですが「足を引っ張ることになるだろうけど、悲しいものは悲しいし、言うことはいうからね」と多少心配を掛けるようなことを言うよと呟いたりします。

故人に甘えてはいけないかも知れませんが、それも故人のあの世での試練?だと思ってもらい、また、それだけ縁や絆が深いことを感じてもらい、故人にはあの世で悟りつつも、忘れちゃ駄目だよという願いも込めて、意識して甘えています。

それでいいのではないでしょうかね。

私達は、お坊さんではないのでそう簡単には割り切れないです。

ご主人さんの霊の健在を確信???してるんですね!

どうぞ、私の書いた過去の記事で合うところにコメントを残してください。
7回忌も済んで、あとは自分自身が寿命まで生き抜くだけだと思っていますので。

生き抜いて、死後には見えない世界(あの世)があって、自分自身の意識もあって、それで亡き彼女(ヴィジョンではなく、本物の彼女)に逢えなかったら、神様だろうが見えない高次の光だろうが、私は怒りますっ!
その勢いで、生き抜いていきますので。

コメントありがとうございました。
返信する

コメントを投稿

★書籍で探訪|江原啓之氏」カテゴリの最新記事