まめ家

はたけのこと、いえのこと、じぶんのこと。

ふるまう。

2013-04-13 16:11:34 | 四季折々
お久しぶりです。
しばらく、こちらの虫さん達のように、土の中から顔を出さずにおりました。

元気にビニールハウス掛け、種蒔き準備、トマトの種蒔き、moekoの入学式、またハウス掛け、キュウリの種蒔き、とやってましたよ。
一日中お日様に当たってると、すっごく眠くなって夜9時前にストーブ(こっちまだ必要)の前で撃沈。
小麦粉クラブの部員さん達のブログを覗いても、コメントを残せず、でした。
今日はお休みを頂いたので、PC開いております。


そんなバタバタした、ちょっと前の4月某日、わたくし、無事にひとつ年を重ねました。

子供の頃の誕生日は、春休み中なんだけど、ちょうどこの日が離任式で、みんなから「誕生日おめでとう!」ってたっくさん言ってもらえて、大好きな日でした。
今は、キュウリの種蒔きの日、ってことが多いかな?
種蒔きは、農家に仕事の中1番大事な仕事。
だから、気持ちはキュウリに向いてて、「あ、忘れてた。」ってことも多かった。。
(今年は雪が多いから、種蒔きをずらしたんでぶつかりませんでした。)

わたし、3人兄弟の真ん中で「自分でアピールするのは嫌いだけど、みんなには気づいてて欲しい。」っていうめんどくさい性格なんです。
(真ん中ちゃんは、人一倍寂しがりなんです。でも、それを見せるのが嫌い。)
だから、誕生日を忘れられると、カタツムリのように殻に閉じこもってしまいます。
そうなると、めんどくさいこと、この上ない。

こんなことを何回も経験した、まめちち先生、今年は違ってました。

畑でキュウリの種蒔き準備をしていた誕生日前日、いつもとは違う音がiPhonから聞こえてきて、
「なに?何の警報?」ってびくっとした二人。
画面を見て、「○○さん(私)のお誕生日一日前です。」って。

はい、単純な私はこれだけで、うれしくなってしまいました。
(世のダンナ様達、こんなちっちゃなことでいいんです。)

そして午後になって、私の兄からおめでとう電話がありました。
兄ちゃんは、毎年電話をくれます。
今年は、書類に日付を書いてて、「おー、誕生日だ。」って思い出してくれたそうです。
にぃちゃん、いっつもおめでとう電話、ありがとう。気づいてくれて、ありがとう。

夕方には、母からおめでとう電話がありました。
色々話したあと、「今日、何食うなや~?」と母。
さすがは、お母さん。
「自分のお祝いのご飯作りがめんどくさい、できれば何も食べんでいい。」て言う私の心、読まれてます。

いつもは、そんな私を知ってて、まめちち先生がお好み焼きを焼いてくれて、振る舞ってくれるのですが、今年は私が、「無事に誕生日を迎えられたことに感謝して、みんなに振る舞おう!」って母と話してて思いました。
お家を建てるときの『棟上げ式』みたいにね。

まあ、振る舞うのは、『自分が食べたいものを』なんですけどね。ヘ(゜∀゜ヘ)アヒャ

振る舞ったのは、こちら。

炭水化物プレート!!

ピザは、サフで急いで生地を作って、5枚ほど焼いたかな?
(粉はらでぃか粉 40mesh、リスドォル、米粉を適当に配合。)
卵サンドのカンパーニュは、chieちゃん!カンパでわっしょい号! の時に作ってたのを冷凍しておいたやつ。
あとは、モラタメさんでもらった、『炊飯器でリゾット』を圧力鍋で炊きました。
『自分で作って振る舞う』って決めたら、作ってて楽しかった。不思議なもんです。

そしてケーキも作ったよ。
去年の「ファイヤー!」が、すっごくおもしろかったので、今年はロールケーキでファイヤー!をやろうと思ったんです。。。が、、、

ロール生地が、思いのほか膨らんでしまって、仕方がないのでこんな風になっちゃいました

あぁ、センスまるでなし。。il||li _| ̄|○ il||li
ロールケーキにしては分厚いスポンジ(2cm)をセルクルで抜いてみたのはいいけど、あ、あれれ?
苺(あまおう)が大っきくってぶっちゃいくで、どう切ってのせたらいいか分からず、あれれ?

ファイヤーやる場所がない、、、。il||li _| ̄|○ il||li

なんとか可愛くしようと努力はしてみました。

これが、精一杯。il||li _| ̄|○ il||li

ぶっちゃいくケーキだけど、スポンジが、今まででいっちばん、ふわふわでおいしかった!
みんなにも大好評。(まめちち先生は、2個食った。)
しっかり卵を泡立てて、粉と卵を丁寧に混ぜて、卵がまた盛り上がってくるように気をつけて作ったからかな?
また食べたいなって、思ったスポンジは久しぶり。

でも、来年こそは、そらまま。ロールでファイヤー!!やるぞーーー!!


『ふるまう』ことは「楽しいことなんだ」って感じた誕生日になりました。

心のもち方ひとつで、『振る舞い』が変わることも、改めて気づいた日になりました。