神に帰る生き方

せっかく生まれてきたのだから、心平安に生きていきたい!と思う。

神様の世界史56 妬みの対処法その2

2023-04-15 08:29:28 | イスラム教
前回は、妬みの対処法を書いてみました。
今回は、その第二弾目になります。

こんにちは、ファーティマ松本です。

前回の妬み対処法、そして今回の第2弾も
全て私の独断と偏見の範疇であります。
「何言ってんだあ。」
と思われた読者さんも(たくさん)いらっしゃるかと思いますが、
気にせずに第二弾に突入したいと思います!!」

前回は、自分には自分のシナリオがあり、
他人にはその人特有のシナリオが与えられている。
周りの人達に与えれている物は、全て神様からのテストである。
それにどう対応するかは、その人達に委ねられている事であるので、
自分には全く関係がない、と書きました。

が、、、しかし、、、

もし、とある人に与えられた物が、とてつもなく魅力的であったり
喉から手が出るほど欲しい物であった場合は、、、
どうしたらいいでしょうか?

どうしても「羨ましいなあ」って思ってしまいますよね。
そんな時の対処法を今回はお伝えしたいと思います。


どうしても、欲しい物があった場合
どうしても、どうしても、羨ましいと思ってしまう事がアル場合、、
やるべきことは、簡単です。


「神様にお願い」をすればいいのです。

○○が欲しいです。だからください!」と。
簡単ですよねー。
これこそ、究極の引き寄せだと思いますよ。
神様は、こうおっしゃっています。

『かれが我に祈る時、その懇願の祈りに答える。』
(2:186)

ここの”かれ”は、特に決まった人物ではなく、誰でも神様に真剣に祈る人であります。
また、このような事もおっしゃっています。

『もし最初の人間から最後の人間まで、そして全てのジンが一斉に一か所に立ち、
 願うのであれば、われは全ての者が欲する物を与える。
 そのことにより、私が所持する物が減ることはない。
 (もし減るような事があるとすれば)海に針を入れて取れる水分くらいの量に過ぎない。」


このように、神様は私達が欲しいと心から思う物を与える事が出来るお方です。
なーんでも出来るお方ですし、とにかく寛大であられるのが、私達の神様なのです。
故に、そんな神様に正直に、どんどんお願いをすればいいのです。
「こうして欲しい。」
「あれが欲しい。」
「あーいうのがいい。」
などなど。
そうすれば、神様はきっとその願いを叶えて下さるでしょう。

ただ、、、

そのお願いが、私達にとって良きお願いであれば、

でありますが、、、。

往々にして、私達人間というのは
自分にとって何が最善であるのか分からないものです。
自分にとって本当に良い物、
自分にとって本当は悪いもの、そういったものが分からない中で
色々とお願いごとをしているのが私達です。
分からないだけなら、まだしても、
絶対に、それヤバイっしょというような物をも平気で臨んでしまう事もあります。
そして、結果的に
「神様にお願いをしているのに、ちっとも叶わない。」
という感想を持ってしまう事になってしまうのです。


それでは、ここでちょっとしたアドバイスをしてみたいと思います。

この世で生きている間は、
あまり多くを望まない、というのはどうでしょう?

預言者さん(平安あれ)は、こうおっしゃいました。

「人間というのは、金でできた山を一つ持てば、もう一つ同じ物を欲するものだ。」

私達人間の欲求というのは、限りがないのです。
もうこれで十分です、なーんてものがないのです。

ですから、いくつになっても、いつまでたっても
欲しい物を追い求める人生になってしまうのです。
ホンの70年、80年といった限りある人生を
欲しいものだけを追い求めるだけに使ってしまっていいのでしょうか。
それでは、動物と大して変わらなくなってしまうのではないでしょうか。
求める物が、動物と人間とは少しだけ違うだけで、
基本的にはあまり変わりがない様な気がします。

覚えていらっしゃるでしょうか。
人間を創られた時、神様は天使達にサジダ(額を地面につけるお辞儀)をするように命じられました。
人間という存在に対する”尊厳”を表されたのです。

なのに、なのに、
ただ、単に欲する物だけを追いかけ回すような人生を送っていていいのでしょうか。
そんな人生に何か”尊厳”はあるのでしょうか。

私達人間は、もう少し上等な目的のために、この世にいるのです。
ですから、この世においては、欲する物を追い求めるために使うのではなく、
足るを知ることが大事だと思います。
「もうこれで十分」といった気持ちですね。

只今ラマダーン真っ最中ですが、
少ない物で足りるという感覚を養うには、持ってこいの一か月だと思います。

普段、好きなだけ食べたり、飲んだりしているわけですが、
今月は、日中は何も口にできません。
それでも、、、結構大丈夫ですよね
大丈夫どころが、食べ物が身体に無いおかげで
身体が軽く感じられませんか。

「過ぎたるは猶及ばざるが如し」と
日本語でも言いますが、まさしくであります。

あり過ぎるというのは、良くありません。
それが例え、良いとされている物(ハラールな物)であっても、
やはり多すぎるのは良くないのです。

例えば、ハラールとされている食べ物であっても、
お腹いっぱいで、もうこれ以上入りません。
というのが、身体に良いわけがありません。
預言者さん(平安あれ)も
「三分の一が食物、三分の一が水分、三分の一が空気」と
教えてくれました。
日本語でも「腹八分目」と言いますよね。
しかし、上記の預言者さん(平安あれ)のアドバイスは、
これが最低ラインではなく、最高ライン(?)
つまり、本当はこれよりももっともっと少なく食べるようにしないといけないわけです。
「三分の一が食物、三分の一が水分、三分の一が空気」
というのは、もっともっと食べたいよお、という人用のアドバイスなのです。
かなり少ない量ですよね。
このように、良い物であったとしても
多すぎる、というのはよろしくありません。

この世というのは、自分の欲求を満たそうとする場所ではないのです。
何しろ、どう頑張ったって
”完璧に良い状態”なーんていうものは、存在しないのですから、この世には。
自分が欲するもの、というのは
来世で天国に入ってから、全部手に入れる事が出来るのです。

ですから、周りの人の持っている物が羨ましくてたまらない時は、
まず、神様のそれが欲しいとお願いをする。
または、来世で天国に入ったら、
あの人がもっている物よりも、もっともっと良い物を与えてください
とお願いする。

そして、最も大事なのは、
「足るを知ること」と
「自分に与えられている物に感謝をすること」
だと思います。

皆さんはどう思いますか。

今日もお付き合いいただきましてありがとうございました。
みなさまに神様からの祝福がたくさんありますように!


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