神に帰る生き方

せっかく生まれてきたのだから、心平安に生きていきたい!と思う。

汚れなき心

2017-12-29 09:26:24 | 宗教
心が何かに支配されていると、または
自分自身を神様以外の何かに、捧げてしまっていると
生きているのが、つらーくなる、
というところで先週は終わりました。



こんにちは ファーティマ松本です。

イブラヒームという名前の預言者さん(平安あれ)が神様にこうお願いしました。

『復活させられる日に、私の面目を失わせないでください。
 その日には、財産も息子たちも役にはたちません。
 ただ汚れのない心を、アッラーに捧げる者だけは別ですが。』
 (クルアーン26:87~89)

復活の日というのは、最後の審判の日のことをさします。
このことについては、いつか詳しく書くつもりですが、
今日は簡単に「天国に行くか、地獄に行くか」を決められる日、としておきましょう。

その日は、どんなに現世でお金持ちであっても、どんなに子供の数が多くても
そーんなことは全くなーんの役にも立たないんだそうです。
「じゃあ、何が役に立つんじゃい?」
と、なりますよね。

答えは、
「汚れのない心をアッラーに捧げる者だけ」がなんとかなる、
らしいです。

汚れのない心とは、一体どんなこころなのでしょうか。
これは、先週お話しましたように
「自分自身の心を、アッラー以外の何かに捧げてしまっていない心の事」なんです。
つまり、
「アッラーにだけ自分自信を捧げ(託し)、アッラーが定めた決まりのみに服従する」と
確固に思っている心の事ですね。
それが汚れのない心です。
そのような心を持っている人だけが、復活の日にはなんとかなる!! みたいですよ。

しかし残念ながら、イスラム教徒の中には、「アッラー以外に神はなし」と口で言ってはいながらも
実際の頭の中、イヤ 心の中が、アッラー以外の何かによって支配されているというのは、よーーくあります。
たとえ決められた礼拝や断食、巡礼など あらゆる宗教的行いをしていたとしても、
このような人たちは、イスラム教の基本中の基本部分である土台がなっていないのです。

土台って、何事に於いても大事ですね。
皆さんは、土台が非常に不安定な橋や道を、歩くことができますか?
できるかもしれませんが、とっても危ないと思います。

ということで(!?)
今週は来世で、天国に招待してもらえるかどうか ではなく、
今現在生きている”この世” ”現世” において
”汚れた心”を持っているとどうなるのか、について考えてみたいと思います。
メインポイントは「現世、この世」です!

さて、先週も書きましたように、

ある人にとっては「人気があること、知名度が高いこと」などが人生で最も大事なことのようです。
またある人にとっては「お金があること」が何よりも重要なこと、かもしれません。
他にも「いつまでも若くキレイでいること」が何しろ大切、と思っている人もいるでしょう。
そして周りの人からどう思われているか、ということを非常に気にしながら生きている人達も多いですね。
それから「ある特定の人(例えば彼氏や彼女)の気持ちが常にこっちを見ていてくれること」が何よりも
何よりも大事だ!と思いながら生きている人も、かなりいることでしょう。

常に考えていること、思っていること、それが自分の生活(人生)で一番大事なものである、はずです。
そして”それ”が自分にとっての”主(あるじ)”で、自分はそのために何でもやる”僕(しもべ)”になっています。


残念なことに
人々が、常に考えていること(つまりその人にとっての主)というのは、
全てが全て(ぜーんぶが)一過性のものばかりです。
つまり、仮のものばかりなんです。
変わりやすく、不安定で、いつなくなるかわからないもの、
ある意味、とてつもなく”弱~い”存在のものばかりです。

このような変わりやすいもの、安定していないもの、一過性のもの、弱いもの
そういった物や人に、心が支配されていて(またはそれらを主と崇めていて)
心は安泰でいられるでしょうか?
心が落ち着くでしょうか?

『自分の心の支えになるようなものが不安定なものなのに、心が安定でいられるわけありません。』

そう!
汚れた心を持つことの(現世での)代償は、不安、心配、恐れ、といったネガティブな感情と付き合っていかねばならないこと。

それに反し、汚れのない心の持ち主はちょっと違うようです。

『そして主を信じる者には、恐れもなく、損なう事もなく、不正にあうこともない』
(クルアーン72-13)

ただ、ここで重要なのは、
人々が自分自身を託してしまっている”対象物”そのものが悪いのではない、ということですね。

例えば
「お金があれば幸せになれる、何でもできる、何でも手に入る、人の心だって買えるんだ。」
と思っている人たちは、「お金さえあれば、、、」と、いろいろなことに手を出します。
実際、お金があるのはとってもいいことです!
欲しいものは何でも手に入ります。行きたい所へもいつだって行けます。食べたいものもお腹いっぱい食べられるでしょう。
お金を使って人を助ける事もできます。

でも、、、、、
お金が全く役に立たない時だって、、
、、あるわけです。

例えば、雪山で遭難したとしましょうか。
ゴールドクレジットカードを持っていたとしても、それは多分何の役にも立たないでしょう。
「ほら!ここにカードがあるぞ、助けてくれたらお金を払おう!」と言ったところで
だーれも来てくれないかもしれません。

そして救助が来ないからと言って、カードに怒ることはできませんね。
「このゴールドクレジットカードを得るために、どれだけ働かなきゃダメだったか。
 何年もの年月を、お金を得るために費やしたんだぞ、お金さえあればなんとかなると思っていたのに、、。」

この場合、
お金が悪いのではありません。
お金はその人を支えるために存在しているわけではなかった、というだけのことです。


もう一つ例をあげてみましょう。

船に乗っていたら、落ちてしまったとしましょう。
溺れないように、何かにつかまろうとしますが、近くに浮かんでいるのは、葉っぱやら わかめだけだとします。
それらに捕まって、助かることができるでしょうか。
ちょっとムリっぽいですよね。
やはり、船の中の人にちゃんとした救助ボートを出してもらわなければ助からないでしょう。

この時、海に浮いている葉っぱやわかめを責める人はいるでしょうか。
葉っぱに向かって
「どうしてもっとちゃんと引っ張ってくれなかったんだ。
溺れそうだったんだぞお。私はあなたに全てを任せていたのに!」
大事なのは、、やはり、
葉っぱやわかめは、人を助けるために創られたものではない、、ということですね。

大して強くもない物に、自分自身を託してしまうから、安泰でいられないのです。
”人間を助ける為に創られた物以外”のことに、自分の全神経を捧げてしまうから不安になってしまうのです。

お金や物だけではありません。
人の心だって、かなり変わりやすく、なかなかあてにできるものではありません。
まして、、彼氏、彼女の心変わりなんて、、、
結婚している人だったら、絶対分かりますよね。
「永遠の愛を誓って結婚したのに、、、」なーーんて、、、ねえ。
人の心なんて、ホントコロコロ変わっちゃうんですから。
私たちの心は、そのようにコロコロと変わってしまうものに捧げるためにあるのではないのです。


物には、全て”用途”というのがあります。
包丁は、料理をするときに使う物であって、人を刺すものではありません。
包丁で人を刺してしまったら、その代償を払わなければいけませんね。
LINEは人とコミュニケーションをとるためにあるものです。
しかしそれを違うことに使うと(例えばいじめとか)、やはりそれなりの代償を覚悟しなければならなくなります。

人間の心も全くおなじ。
”用途”というのがあります。
はかないもの、永遠に続かないものに捧げる為に、私たちの心はあるわけではないのです。
もしそうしてしまうと、その代償を払わなければならなくなります。

代償なんか払いたくない!
(つまり)ネガティブな感情に支配されたくない!というのであれば、、、
どうしたらいいのでしょう?
汚れのない心を得るためにはどうすればいいのでしょうか?


まずは、その汚れを取るために自分の心から間違った”主”を追い出して、
新しい”主”に入ってもらわなければなりません。

その新しい主は、決して一過性のものであったり、
コロコロ変わるものであってはいけません。
不安定なものもいけません。
そして、決して弱~いものでもいけません。

常に強くて、頼れて、なんでもできて、優しくて、愛情深くて、寛大で、何でも知っていて、そしてどんなことも許してくれる大きな度量の持ち主でなければなりません。
そのようなスゴイ対象に、自分自身を預けてしまえば、心は”安泰”でいられます。

そのスゴイ対象というのは、もちろんアッラー、神様のことです。

来年に続きまーす。


この記事が今年最後のものになります。
稚拙な文章でありましたが、今日まで読んでいただきましてありがとうございました。
来年も頑張って書いていきますので、どうぞおつきあいくださいませ。

では、みなさま良いお年をお迎えください。(^O^)


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アッラー以外に神はなし?その2

2017-12-22 06:47:12 | 宗教

私たちはイスラム教徒であろうと、またはそうでなかろうと
特別な宗教を持っていようと、またはそうでなかろうと
何かを「拝め」または「崇拝」しながら生きています。

と、いうところで先週は終わりました。



こんにちは ファーティマ松本です。

読者の皆さんは、1日24時間、寝ている間を除いて
どんなことを考えていますか。
何を一番よく考えていますか。

一番よく考えていること、つまり「常に頭にあること」というのは
皆さんの人生にとって、多分 とっても大事なことなのではないかなあ、と思います。
もしあなたが、子供のことを常に考えているのであったら、子供があなたの人生に於いて一番大切なことなのでしょう。
仕事のことばかり考えているとしたら、その仕事が何よりもとても大切な事なのだと思います。

しかし、その「大事な物、大事な人」というのが、ある意味あなたにとっての
「神様」になっているかもしれない、、、、、ということを考えたことはありますか?
つまり、あなたはそれを「崇拝」してしまっている可能性が大ということです。
どういうことであるか、、、、、
、、、を、、、ちょっと考える前に、、、、

まずは、
イスラム教のイスラームとは、どういう意味だかを説明させていただきます!

イスラームには、幾つかの意味があるのですが、
「捧げる、平安、服従」が、まあ、有名どころですかね。
これら3つのの言葉が、どんな意味合いで使われるか、
と言うと
『神様に対し、自分自身を捧げる。
 神様が決められたことは守る、服従する。
 そうする事によって、平安を得ることが出来るようになる』
と、まあこんな感じです。

つまり、
「アッラー以外に、私たちは自分自身を捧げないし、アッラーが決めた決まり以外の事に私たちは服従しない!」
ということです。



さあて、先ほどの質問に戻りましょう。
「1日の大半、何を考えているのか。」

もしあなたが、芸能人であったら「まずは売れたい!」と思い、
そして売れるためには、どうしたらいいんだろうと、しょっちゅう考えると思います。
何しろ
芸能人にとって、売れている、人気がある、テレビによく出ている、といったことは、
何よりも大事な事ですからね。
以前どこかの番組で、ジャニーズのアイドルの一人が
「有名になりたーい」と海に向かって叫んでいるのを見たことがあります。
「ジャニーズの人でも、そうなんだあ、じゃあ他の人たちはもっと切実なんだろうなあ」と
その時、思ったのを覚えています。

そして、そのように「有名になりたーい」と心の底から叫ぶ人たちは、
売れるためだったら「なんでもやる!」と思うのではないでしょうか。
芸人さんたちなんか、ホント大変そうですねえ。
水の中に入ったり、空を飛んだり、猛獣と触れ合ったりと
いろいろやらされるんですから、、、
女の子だったら、水着になったり、もっと変な格好をしたりしなければならなかったりもするでしょう。
「もう、人気が出るためなら! 有名になるためなら! 売れるためなら! なーんでもしちゃうっ!!」
て感じなんでしょうねえ。
そう、このなーんでもしちゃう!というところがミソです。
「有名になること」に、自分自身を”捧げ”てしまっているわけですね。
「有名になること」が、ある意味”主”で、自分がその”奴隷”になってしまっています。
奴隷というのは、ご存知のように”ご主人様”が言ったことは、絶対にやらねばなりません。
絶対服従というのが ルールです!



続いて、
「お金持ちになりたーい』ということを1日の間によーく思っている人は、
やはり「お金を得られるなら」なんでもやるぞ、
と思っているのではないでしょうか。
お金を稼ぐことは、いいことです。
でも、お金のためになんでもする!となると、ちょっと問題ですね。

最近は、フェイクニュースというのがあります。
嘘の情報を流して、広告料金を得るわけです。
海外だけではなく、国内にも、そういうことをして現金収入を得ている人がいます。
嘘のニュースを流された方にとっては、とんでもないことですが、
そーんな事は、きっとどうでもいいのでしょう。
誰が困ろうが、誰が嫌な気持ちになろうが、そーんなことは関係ありません。
このような人たちは、お金さえ手に入れば、なんでもやる人たちです。

フェイクニュース以上にひどいのは、振り込み詐欺。
これはかなり許しがたい犯罪です。
(ちなみに、犯罪は全て許しがたいものです!!)
お年寄りを相手に、お金をだまし取ろうなんて
一体どんな神経、精神でもってできるのでしょうか。
まさしく、お金に支配された奴隷です。
お金を拝めている、わけです。
自分自身をお金に捧げてしまっています。
お金が”主”で、自分自身はその”奴隷”状態です。
(絶対服従状態ですね。)

他には、
自分の見かけに非常にこだわる人もいます。
とにかくカッコよくありたい、可愛くありたい、という願望がめちゃくちゃ強い人たち。
どんなにかわいくったって、年をそればみんながみんな”ソコソコ”になっていくのが自然な事です。
それでも頑張って、美を追求する。
モデルやタレントさんなどにとっては、「美しくあること」はとても大事な事でしょう。
美しくあるために、若くあり続けるために「なんでもやる!」
美容整形ノープロブレム!
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とあっては、ん~ちょっと、支配されてる感がありますねえ。

他にも、
人からどう見られるか、ということに全神経を使っている人も多いのではないでしょうか。
「インスタ映えする」という言葉が、今年は流行ったそうです。
このインスタで、いいねをたくさんもらうために、たくさんのお金を費やす人がいるそうで、びっくりしました。
行ってもいないピクニック写真を撮ってもらったり、
やってもいないパーティーの写真を撮ってもらったりするそうですね。
たかだか、いいねをもらうために、そこまでするのか!と思ってしまいますが、
もう心を支配されてしまっているわけですから、仕方がないのでしょう。

このように、私たちは知らず知らずのうちに
上記のような知名度、お金、人の目、権力等、
その他いろいろな物、いろいろな事、そしていろいろな人に、自分自身を捧げてしまっています。
「人気が欲しい!」「はい、そのためならなんでもやります。」
「お金が欲しい!」「はい、そのためならなんでもやります。」
「きれいでいたい!」「はい、そのためならなんでもやります。」
といった具合に、、、、。


本来のあるべき姿は
神様が定めたことに対し、「わかりました。従います。」というべきなのです。


 『本当の信者たちは、(裁きのため)アッラーと使徒に呼び出されると、
 「かしこまりました。従います。」
  と言う。本当にそのような人々こそ栄える者である。』
 (クルアーン: 24-51)


アルコールは飲むなと言われたら「はい、わかりました。」
豚肉は食べるなと言われたら、「はい、わかりました。」
礼拝は決まった時間にすると言われたら「はい、わかりました。」
といった態度が
「アッラー以外に、(私たちが拝めるべき)神はなし」という概念を、ちゃんと行動で現している事になります。


何度も言いますが、

「神様以外に、私たちが拝むべき神や、自分自身を捧げる対象物がない」

というのがイスラム教の基本です。
これが天国へ招待してもらう最低限のマナーです。
つまり
知名度、お金、美、などを主として、服従していては、マナー違反になってしまうのです。

天国へ続く道(シラータルムスタキーン)は、この教えが土台になっています。
この土台をしっかりと固めた上で、初めて天国への道を歩き続けることができるわけです。

『アッラーとその使徒に”服従”し、アッラーを畏れ、かれに自分の義務を果たす者。
 そのような者が、最後の目的を成就する者である。』
(クルアーン24-52)

アッラーとその使徒(預言者)に従い”服従”する者が、目的地(天国)へ到達することができる、
とクルアーンの中で、神様は教えてくれています。



そして、この教え(アッラー以外の何者にも服従しない)は、天国へ入れるかどうかという点で大事なだけではなく、
現世、今生きている間にも、大変役に立ってくれます。
なぜなら、神様以外のものを崇拝していると(自分自身を何かに捧げてしまっていると)
つらーい思いをしなければならなくなるからです。

私たちには、心があります。
その心、というのは、神様を想うために創られたものなんです。(このことについては、またいつか。)
でも、その心を違うことに使ってしまうと、(つまり心をお金や知名度、美貌などに服従してしまうと)
いろいろと辛くなってしまうわけですねえ。

以前にも、書きました。
物には、それぞれ用途があって、それ以外の事に使ってしまうと、
「エッ(; ̄O ̄)」とか「アレッ?」とかって事になってしまうのです。

さて、詳しくはまた、来週!

今日もお付き合いいただきましてありがとうございました。
みなさまに神様からの祝福がたくさんありますように!
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アッラー以外に神はなし? その1

2017-12-15 06:19:01 | 宗教
神様の天国に招待されたいのであれば、
最低限のマナーは守らなければならない。
というところで
先週は終わりました。




こんにちは ファーティマ松本です。

「アッラー以外に私たちが ”拝めるべき神様” はいない。」

という概念が、イスラム教の教えの基本中の基本。
建物で言ったら、土台になる部分です。
土台無くして、建物は建ちませんからどれだけ大事なことだか、わかっていただけるかと思います。

イスラム教徒の中で、この概念に疑念を抱く人は、、、、
、、、多分、いないでしょう。
世の中にはいろんな ”自称イスラム教徒”がいますが、多分この
「アッラー以外に神はなし」という概念に於いては、
おそらく、なんの問題もなく受け入れているのではないか、、、と思います。

とにかく、めちゃくちゃ基本、かつとても大切なことです。

最後の預言者ムハンマドさん(彼の上に平安あれ)は、
このようにおっしゃったそうです。
「誰でも、アッラー以外に神はなし、と言った者は天国に入る」
ハディースという本に、預言者さん(平安あれ)が残された言葉が沢山集められています。
上記のお言葉も、そこから引用しました。

つまり、天国に招待してもらうための
必要最低のマナーが、この概念なのです。
「アッラー以外に、(私たちが拝めるべき)神はなし。」

”招待してもらう”とは、
我ながら、なかなか良い言葉だなあ、と思いますね。
何しろ、天国には ”自力で” 入ることはできません。
私たちはついつい、
良いことをすれば天国なんて簡単に入れるのではないか、と思ってしまいます。
または、悪い事をしなきゃいいとか。

天国というのは、
以前にも書きましたように、人間の想像を超越しているすっごい場所です。
今まで目で見たことがない物があって
今まで耳で聞いたことがない音があって
今まで頭で考えたこともない事がある。
欲する物は、なんでも手に入って、
病気にもならなければ、歳もとらない。
嫌なことも悲しいこともなく、みんながみんな、常時ハッピーで居られる。
そーんなところなんです。

そのようなすごい所に、生きている間に行った自分の善行の力だけで入ろう、
または、入れると思ったら大間違い。
70年、または80年という短い人生の中で、どんだけ一生懸命に良いことを行っても
天国というのは、もっともっと価値のある、レベルの高い所。
決して釣り合うことはありません。

預言者さん(平安あれ)が、このようにおっしゃいました。
(これもハディースから引用したものです。)

「誰もが、自分の善行によって天国へ入るのではない。
 ”アッラーのお恵み”によってのみ、天国へ入れてもらえるのである。」
それを聞いていた人たちは言いました。
「預言者よ(平安あれ)、あなたもですか。」
すると、こう答えられました。
「そう、私もだ。」

人間は、誰も”完璧に創られていない”と先週書きましたが、
最後の預言者さん(平安あれ)は、かなり完璧に近いお方だったようです。
そんな方でさえも、
「自分のやってきた沢山の善行のおかげで、天国へ入るわけではない」
とおっしゃったのです。

こんな興味深いお話しがあります。

ある人が、若い頃から死ぬまでの間、
常にアッラーに礼拝をし、一途に崇拝していたそうです。
その人は、「これだけ頑張ってやっていたんだから、絶対に天国に入れるだろう」と思っていました。
審判の時(これは、神様が私たち一人一人を天国へ行かすか、地獄へ行かすかを決める日です。詳しくはまたいつか)
神様は、その人に言いました。
「我の恩恵により、天国へ入りなさい」と。
すると、その人は言いました。
「いえ、私のやってきた善行において天国へ入れてください。」
そこで神様は、天使たちに命じ、その人の善行の重さと神様の恩恵を図りにかけました。
すると、その人のやってきた善行は
神様がお与えになった恩恵である一つの目(の視力)にしか値しなかった、という話しです。

神様からの恩恵は、沢山ある、と前に書きました。
認識やすいものと、認識しにくいものと
たっくさんあるわけですね。
数え上げることはできません。

私たちが何か、良いことをすること自体、
それさえも神様からの恩恵です。
なぜなら
良い行いをするためには、健康な体も必要であったでしょう。
手も足も、視力も聴力も必要だったかもしれません。
もちろん、それらは必要不可欠な要素ではありません。
世の中には、いろいろなハンディに負けずに頑張っている人は沢山います。

しかし、ハンディがない方が、やはりなんでも容易にできることは確かです。
その容易さを、神様は与えてくれているわけなんですね。

そして、「何か良いことをしよう!」という気持ちだって、神様からの恩恵の表れです。
世の中には、そう思うことすらしない人だって、沢山いるんですから。

そのように、沢山の恩恵に対して、感謝をせず
自分の行った行為のみで天国へ入れると思うのは、傲慢そのもののようです。

といっても、善行がじゃあ、全く意味がないのか、、と言うともちろんそうではありません。
なぜなら、
自分の行った善行によって、天国でのレベルが変わってくるらしいです。
天国には、100もの段階があるそうで、、。
その一つ一つの違いは、天と地の差だそうですよ。
だから、
良いことをすることはとても大事。
生きている間に、できるだけ多くの良いことをしておいて、
なるたけ、高いレベルの天国を狙うのが、正しい態度です。

しかし、天国の高いレベルを狙う前に、
入れてもらえるようにしなければならないのは、当然の事ですね。
入れてもらう(招待してもらうためには、)まず
基本中の基本
「アッラー以外に(崇拝に値する)神はなし」と
いう基本的概念をしっかりと、クリアーしておかないといけません。

先ほど冒頭で、
「すべてのイスラム教徒はこの概念に関してなんの疑問もなく受け入れているのではないか。」
と書きました。

しかし、、、、

実際は、アッラー以外のものを崇拝していることが多々あるように思えます。

どういうことかと言うと、、、
私たち人間は(イスラム教徒も非イスラム教徒も含めて)
神様以外のものを、熱烈に崇拝してしまっているようなんです。
「私は、崇拝なんてしない。宗教なんて大嫌いだ!」という人も日本には多くいると思います。
しかし、いっくら宗教嫌い、崇拝なんてしたくもない、と言っていたとしても
実は、、、、
、、、しちゃっているんですね、崇拝を!
特別な宗教を持っていようが、なかろうが
私たちは全員「何かを拝めて」生きています。

それは、「神が宿るとされている木」とか「願いが叶う石」とか「流れる星」とか「太陽」とか
そういったものではなく、、、、、。
もっと、もっと、もーっと、
人々が熱心に誠心誠意、拝みまくっているもの、、、
崇拝してやまないもの、、、
そういうものがあるのです!!

何度も言いますが、
「アッラー以外の何かを、拝んでいる」限りは天国へは招待されません。


さあ、
私たちは一体何を拝めているのか、、、
何を、熱心に崇拝しているのか、、、。

それは、来週に続きます。



今日もお付き合いいただきましてありがとうございました。
みなさまに神様からの祝福がたくさんありますように!
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※5星レビューが5件もつきました。(o^^o)*
レビューを書いてくださった方々 どうもありがとうございました!

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あなたは何のために生まれ、何をして生きていけばいいのでしょう。
人生の目的は?

せっかく生まれてきたのです。
神様に守られた平和な現世を歩きたくはありませんか。
そして来世では、天国に入って
”永遠に” ”幸せ” に暮らしたくはありませんか。
方法はとてもシンプルです。
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招待されたいのであれば

2017-12-08 06:01:27 | 宗教
天国に入るには、
神様に正しく感謝をする者(信者)
でなければならない
というところで前回は終わりました。




こんにちは ファーティマ松本です。

最近ふと、、、
家のあちこちに

『人生の目的地は天国だ!』

と張り紙でも貼ってみようかなあ、、
なんて思ってしまいました。

なぜかと言うと、、、
(そうでもしないと)忘れちゃうから!なんですねえ(汗)

名のある選手や、
いわゆる成功者と呼ばれる起業家さんなどは、
家中のあちこちに
『目標!どこそこで優勝』とか
『目標!年収1億円』とか貼ってあるそうですね。
常に、自分の目につくところに目標を書いておくというのは、
脳裏にくっきりと叩き込まれて
自ずと、その道に導かれていくらしいです。

確かに
サッカー選手になろうっと、頑張って練習をしていて、
気がついたら、お相撲さんになっていた!ということはありませんからね。

この人生は面白いことに
目標がはっきりすると、
そして常にそのことを考えていると、
実現するようになっているみたいですよ。
(もちろん、行動も必須ですが、、)
これは、宗教面においても、同じことが言えそうです。

だからこそ(私の場合)
そこらへんに『人生の目的地は天国だ」と
貼っておく必要があるんです。
でないと、生活のいろいろなことに惑わされてしまって
目的地がどこだか、簡単にわからなくなってしまいますから。


さあて、天国です。
天国というのは、やはり誰でもが入れる所ではなさそうです。

読者の皆さんは、自宅でパーティーを開く時に、
誰でもオーケーよ!と完璧なオープンハウスにする人はいないと思います。
特に昨今は非常に怪しい人も多くなってきました。
何をするかわからない人を家にあげるのは、ちょっと、というか かなり躊躇しますよね。

怪しくなくても、、
こーんな人はちょっと遠慮願いたいのではないでしょうか。
例えば、
招待者であるあなたが、挨拶をしてもプイーッと無視してしまう人。
せっかく作った手作りの料理を
「なんだこれ、クソまずいぞー!」と文句を言って食べない人。
プレゼントをあげても、それを他の人に投げて怪我をさせる人。

こーんな人が本当にいるかどうかは、わかりませんが、
もしいたら、絶対にそんな人は2度と招待しないでしょう。

神様も同じなんですよね。
神様がお創りになった天国に、誰を入れるかは 神様ご自身が決めることです。
神様の存在を信じないで(挨拶しても無視するのと同じ)
沢山の恩恵を感謝しないで(料理に文句を言うのと同じ)
その恩恵を正しく使わないで(プレゼントを人に投げると同じ)

そんな人を、ご自分の天国に入れたいと思うでしょうか。

神様を信じる人と、信じない人とは同じではありません。
感謝をする人は、しない人と同じではありません。
正しい道を歩いている人は、間違った道を歩いている人と同じではありません。
天国に入れる人は、入れない人と同じではありません。



さて、さて、
読者の皆さんは
「誰かに招待してもらいたいなあ」って思ったことは、、、 ありますか?
特に、沢山の仲間が招待されている時には「私も行きたい!」
って、ふつう思いますよね。
そんな時に
「ねえ、私も行っていい?」と言ったら
「エーッ」とか
「イヤー、ちょっと」
なんて言われちゃったら、どうします?
かなり、辛いですね。

人間というのは、一人で生きていける生き物ではないですからね。
やはり、周りの人と少しでもいいから関わっていかないと、倒れてしまいます。

だから
招待されたいと思うのであったら、ある程度のマナーはやはり必要でしょう。
そーんなに、すごくいい人でなくたっていいと思うんです。
そーんなに、面白いことを言わなくったっていいんです。
芸の一つも、披露しないでいいのです。
ただ、、
来た時に、ちょっと挨拶をしたり
みんなと一緒に飲んだり食べたりしてくれるだけでいいんです。
そんなもんです。

神様も実は、同じ考えのようですよ。
神様が創った天国に入るのに、そーーんなにすごい人でなくても、いいのだそうです。
悪いことをいっぱいしてしまっていても、いいそうです。

何しろ、私たち人間というのは、”完璧”に創られていません。
誰もが、ミスをするし、間違った事をしちゃうし、悪い事も沢山しちゃいます。
人に嫌なことを言ってしまったり、意地悪なことをしてしまう事だってあります。
誰もが、です。
そう、人間はそういう風に創られているんだから、しょうがないんです。

しかし神様というのは、とてつもなく優しく、
そして沢山の罪を許してくれるお方です。

クルアーンの中で、神様はこのようにおっしゃっています。

 『自分の魂に背いて過ちを犯した我がしもべたちよ。それでもアッラーの慈悲に絶望してはならない。
  アッラーは本当に、すべての罪を赦される。
  かれは寛容にして、慈悲深くあられる。』
 (クルアーン39:53)

すべての罪を赦される、とありますが、
これには、注意書きが必要です。

 『まことにアッラーは、(何ものをも)彼に配されることをお許しにならない。
  だが、その外のことは、御心に適えばお許しくだされる。
  およそアッラーに同位の者をあげる者は確かに遠く(正道)から迷い去った者である。』
 (クルアーン4:116)

そうです。
神様の天国に招待してもらいたいのであれば、、、、
やはりある程度のマナーが必要になってきます。

そのマナーとは、、、

『天と地を作られたお方、
 人間とその他いろいろな物をお創りになったお方、
 その唯一の神様だけを信じること!』

そうすれば
天国へ入れてもらえる、、、、、
、、、かも、、
、、しれません。





今日もお付き合いいただきましてありがとうございました。
みなさまに神様からの祝福がたくさんありますように!
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※5星レビューが5件もつきました。(o^^o)*
レビューを書いてくださった方々 どうもありがとうございました

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どうして恩恵をくれるのか

2017-12-01 06:04:00 | 宗教
神様の喜びを得るために、
生きている間に、少しでも
感謝をしよう!
というところで先週は終わりました。


今週はまず初めに
少しだけ、今までの復習をしたいと思います。
なぜなら、、、
書いている私自身が
何を書いたのか忘れてしまったくらいですから、
読者の皆さんも、、、きっと、、、、
忘れてしまいましたよねえ、、、。

ということで、少しだけ復習をしましょう!

一番最初に
「この人生に於いては旅人のようであれ」
と書きました。

そしてその旅の目的地は
「神様がいらっしゃる天国」

天国へ続く道は、まっすぐな道
”シラータルムスタキーン” しかない。

その道の上を(どんなスピードでもいいから)
歩いていることが何よりも大切。

そして、、
天国というのは、人間の想像を超越するすごい所。
不動産屋さんが値段もつけられないような所であるから、
タダで、簡単に入れると思ったら大間違い。
そこそこの良い行いは、やはりやらなければならない。

良い行いのトップに輝くのは、
神の存在を信じ、その神様からの恩恵に感謝をすること。

というのが、まあ 先週までの簡単な復習です。




さーて、ここからが今週のメインテーマになります。

『どうして神様は、沢山の恩恵(贈り物)を与えてくれているのか?』

私たちは、人に何かをあげた時や、何かをしてあげた時など
「ありがとう!」と言ってもらいたいですよね。
「言ってもらうために、やっていない!」
と思っていたとしても、やはり「ありがとう!」
と言ってもらえると嬉しくなります。
たった一言なんですけど、大きな力がありますよね、ありがとうには。

毎日、毎日ガムシャラに家事をしてい私に
誰かがちょっと「いつもありがとう!」なーんて言ってくれたら、
それだけで、あと10年くらい頑張れそうな気になれますよ。

しかし神様は、私たちに”ありがとう”
と言ってもらいたくて、こんなに沢山の
贈り物をくれているわけではないのです。
やはり神様ですからねえ。
人間とは違うわけです。

最初の人間アダムに始まって、最後の人間の一人までが、
全く感謝の意を表さなくても、神様的には全然どうってことはないのです。

何しろ神様は、完璧に満たされている方ですから
私たちが感謝しようがしなかろうが、大した問題ではありません。

クルアーンの中で、スライマーンという名の預言者さん(平安あれ)がこのように言っています。

 『誰が恩知らずであっても 私の主は満たされるお方。崇高な方です。』
  (クルアーン27~40)

また違うところでは、神様ご自身がこのようにおっしゃっています。

 『あなたの主は満たされるお方、慈悲深き主であられる。』
 (クルアーン6:133)



では、なぜ?

神様は、沢山の恩恵を私たちにくださるのでしょうか。
それは、、、



クルアーンの中で、神様はこのようにおっしゃっています。

『われは聴覚と視覚を授けた。
 われは(正しい)道を示した。
 感謝する者になるか、信じないかを見るために』
 (クルアーン 76:2~3)


先ほどのスライマーン(平安あれ)も同じようなことを言っています。
「これは私の主の恵み。私が感謝するか、または恩知らずかを試みられるためです。」
 (27:40)


つまり神様が、
沢山の恩恵を授けてくれているのは、
私たちを 『テスト』 するためだったんですね。


『テスト』という言葉は、私たちの人生(現世)を表現するキーワード。
ですので、そのことはまた後ほど、詳しく。

早く知りたい!という方は、

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を読んでみてください。
テストについて、書いてみました。


神様に感謝をする、というのは、先週お話しましたように、
幾つかのステップが必要でした。
(1)神様の存在を信じる
(2)恩恵が多いことを知る。
(3)ありがたいと思う
(4)与えられている身であると、謙虚になる。
(5)恩恵を正しく使う。
つまり、一言で感謝をするといっても
これらすべての概念が、ぎゅーっと詰まっているわけですね。

反対に、
感謝をしない というのは、
タダ単に感謝をしていないのではなく
(1)神様の存在を信じていない。
(2)恩恵に気づかない。
(3)ありがたがらない。
(4)傲慢である。
(6)恩恵を悪いことに使う。

と、いったこと全てがぎゅーっと凝縮されているということです。

ゆえに、
感謝をする者 イコール 信者(神を信じる者)
感謝をしない者 イコール 不信者(神を信じない者)
と分けることができます。

『われに感謝し、不信であってはならない』
 (クルアーン 2:152)


感謝する者(信者)であって、不信(者)になるな、と
おっしゃっているわけです。

神様は私たちに”信者”でいてもらいたいのですねえ。

なぜなら、

目的地である天国に入るには、
まずは、信者(感謝する者)でなければならないから、なんですねえ。

続きはまた来週!