神に帰る生き方

せっかく生まれてきたのだから、心平安に生きていきたい!と思う。

神様の世界史41 木に近づくな!

2022-12-31 01:46:29 | イスラム教
前回は、
一人ぼっちであったアダムに、神様がハワ(イブ)という女性を
お創りになった話をしました。

こんにちは、ファーティマ松本です。

アダムは、ハワが現れるまでは一人でしたが、
彼女が現れてくれたおかげで、誰かが側にいてくれるようになりました。
きっとアダムは、イブ共々超ハッピーだったのではないでしょうか。

神様も二人に対し、こんな言葉をかけてくれました。
『アーダムよ、あなたとあなたの妻とはこの園に住み、どこでも望む所で、思う存分食べなさい。』(2-35)

いいですね。
どこでも思う存分食べていいなんて、最高ではないですか。
美味しいものを食べられるというのは、それだけで本当に幸せな事です。
そのうえ、天国の食べ物というのは、この地上の食べ物とは比べ物にならないほど美味しいそうです。
アダムとイブは、さぞや幸せだったのではないでしょうか。

しかし、神様は二人に一つだけ条件を出されました。
『だが、この木に近づいてはならない。不義を働く者になるであろうから。』(2-35)

天国というのは、とても広い所です。
そこには何千、何万本いえ、何兆憶本もの木があるはずです。
しかし、神様はその中のたった一本の木にだけは近づくなと仰いました。

さて、
ここで注目すべき点がいくつかあります。
まず第一に、
神様は「この木には、」と仰っている点です。
この、、というのですから、二人と神様はその木のすぐ近くにいるということでしょう。

「これだよ、これ。これを持っていくんだよ。」と、子供に話しているところを想像してみてください。
「これ、これ、分るよね、これだよ。これ以外じゃないよ。」
といった言い方をすれば、よほど年齢の低い子でなければ分かってくれるでしょう。
神様も、このように、はっきりと二人に言ったわけです。
「この木、この木」と。
間違わないように、ちゃんと理解されるように。

「この木に近づいてはいけない。」と、神様はおっしゃいましたが、
これってどう考えても、結構ラクな条件だと思いませんか。
何千、何万、いや何兆億とある木の中のうち、この木にだけは近づいてはいけない、というのですから
私にだって、結構簡単に攻略できそうなミッションのような気がします。

続いて注目すべき点、第2番目。
神様は二人に「近づいてはいけない。」と仰った事です。
そうです。
神様は二人に、この木の果実を食べてはいけないとは言っていないのです。
そうではなく、近づいてはいけないとおっしゃったのでした。
近づけば、、、そう、食べてしまうからですね。

私達が何かヤバイことをする時、大抵の場合は、少しづつ少しづつその悪いことに近づいていくものです。
不倫などが非常に分かりやすい例でしょう。
最初は、二人の関係はただ話す程度だったはずです。
それがそのうち一緒にお茶したり、食事をしてみたり、そして気が付いたら(なんだか知らないけれど)
いつの間にか一緒にどこかへ出かけたりすようになるわけです。
少しづつ、少しづつ、関係が親密になっていくわけですよね。
でも、もし最初から話なんてしなければ、不倫のような関係に発展するわけがなかった、、はずです。
まあ、しかし、日本のような男女が交じり合って生活をしている社会においては、
全く異性と話さないということは難しいかと思います。
しかし、それでも最初からヤバイことには近づかない、というのが何よりも大切な姿勢でしょう。

神様がアダムとイブに、この木にだけは近づくなと仰ったのは、
近づいてしまうと、最終的には食べることへと繋がっなってしまうからです。
食べないようにするには、最初から近づかないかないのが一番、ということです。

しかし、私達現代人の感覚では、「なんで木の実を食べることが悪事なの」って思うかもしれません。
私達なんて、もっともっと悪いこといっぱいやってますからね。
どうして、神様は二人に「この木」の果実を禁じられたのでしょうか。

それはあくまで「テスト」のためであった、と考えられます。

「テスト」そうです。
イスラム教において、この現世はテストをするためにあるのです。
この世は、まさしくテスト期間であります。

例えば、「これはやりましょう」と神様がおっしゃったことを、ちゃんとやるか。
反対に、「これはやっちゃだめですよ」というものを、やらないでいられるか。
また、今あるものに感謝できているか。
逆境に対しては、ちゃんと忍耐しているか。
そんなありとあらゆることを、神様は見ていらっしゃるわけです。
アダムとイブも私達同様人間ですから、ちゃんと神様が定めた決まりを守れるかどうかテストされたのでしょう。

しかしながら、神様が私達に「これこれはやってはいけないよ」と規制を与えられる事というのは、
実は非常に微々たるものなのです。
この地球上、ほとんど全ての事はオーケーなのです。
ほとんどの物を食べてもいいし、飲んでもいい。
ファッションもインテリアも、好きにしていい。
誰と結婚してもいい。
ただ、“それらに少しの例外というのが設けられている”に過ぎないのです。
ホーンのちょっとの事だけが、ダメとされているのです。

例えば、
食べ物であったら、地球上にある全ての食物を食べていいのです。
例外として、豚肉は食べてはいけないし、神様以外の名前が唱えられて堵殺された動物も食べてはいけない、ということです。
飲み物はアルコール以外であれば、なんでもオーケーです。
イスラム教徒は食べられる物が限られていて大変だと思われがちですが、実際はほぼ全てのものを食べて良いのです。
ただ例外がいくつかある、といったそんな程度の事なのです。
食べられる物の方が多くて、食べられない物の方が断然少ないわけですね。

ファッションも、隠さなければいけない場所が隠れていば、色も形も自由です。
結婚に関しても、カトリックのように、神に仕える者は結婚してはいけないなんて、そんなことは言っていません。
結婚は宗教の半分を占めると言われるほど、大切な事であり、かなり強く推奨されています。
でも、最近の風潮のように同性同士の結婚はもちろんダメですし、あとは異教徒との結婚も推奨されてはいません。
そーんな感じで、ほとんど全てのものはオーケー、全く問題なしというレベル。
だけど、ホーンの少しの例外があるよというのが、神様の決まりなのです。
神さんは、本当に優しくいらっしゃるのです。

アダムとイブ(ハワ)の話は、まだまだ続きます。

今日もお付き合いいただきましてありがとうございました。
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アハメッドと同じ職場で働くうちに、樹里は今までとは
全く違う考え方というのがあることを知る。
幸せとは、
成功とは、
お金とは、
そして、イスラム教とは?
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神様の世界史40 イブの誕生

2022-12-23 03:29:55 | イスラム教
12月もなんだかもうすぐ終わりですねえ。
時間のたつのは、本当に早いものです。
皆様、いかがお過ごしでしょうか。

こんにちは、ファーティマ松本です。

さて、アダムのお話の続きです。

神様はご自身の手で、アダムを創られましたよね。
そして、そのアダムに、ご自身が魂を吹き込まれました。
その後、天使達にサジダをさせ、サジダをしなかったジン(イブリース)を追い出しました。

おかげでアダムは、悪魔のいなくなった天国で、ゆったりと過ごすことができたはずなのですが、、、
何かが足りていないようでした。
それは、ソウルメイトと呼べるようなお相手、つまり仲間がいなかったのです。
周りにいる天使達は、神様を崇拝するのに忙しいですし、任務もこなさなければなりませんからね。
アダムと一緒に、天国をお散歩なんてことはしなかったのでしょう。

人間というのは、決して一人で生きてはいけません。
どんなに大金持ちであったとしても、物を作ったり、物を売ったり、
何かしらのサービスをしてくれる人がいなかったら朝ごはんを食べる事すらできないでしょう。
お金がない人もまた同様です。
何かを作っても、何かを売っても、何かしらのサービスを提供しても、
それに対し対価を払ってくれる人がいなければやっていけません。
みんながみんなを必要としているのです。
いくら一人が好きだと言っても、私たち人間は一人では生きてはいけないという事実を忘れないようにしたいものです。

物質面だけでなく、精神面においても、周りに誰かがいてくれるというのは有難いことです。
仲の良い友人、子供、愛するパートナー、そんな人がいるというだけで、人生の充実感は爆倍します。
人と人との交わりこそが、私達の人生の充実度を上げてくれるのです。
人間というのは、やはりそういう風にできているのでしょう。
そして、そんなことを百も承知なのが、神様です。
何しろ、神様自身がそのように人間をプログラムしたのですから。

ゆえに、神様はアダムにイブというお相手をお創りになり、アダムの精神面を満たしてくれました。

ちなみに、イブはアラビア語でハワと呼びます。
その意味は、生きるもの。
その生きるものという意味は、ハワがどのように創られたかを考えるとかなり納得がいく名前であります。

聖書の教えでは、イブはアダムが寝ている間に、アダムの鋤骨から創られたとあります。
クルアーンの中では、イブ(ハワ)がどのように創られたのかはっきりとは書かれていません。
しかし、預言者さんがとても興味深いことをおっしゃっていますので引用してみましょう。

「男性のイスラム教徒達よ。
 私はあなた方へ、女性達に対し優しく温和であれとアドバイスする。
 なぜなら、女性は鋤骨から創られているからだ。
 鋤骨の中で、最も曲がっているのは、一番上の鋤骨である。
 もしあなた方が、それを伸ばそうとするならば、それは折れてしまうであろう。
 しかし、そのままの状態にしておけば、曲がったままである。
 故に、私は強くあなた方にこう勧める。
 「女性達を大事にしろ。」と。」

この預言者さん(平安あれ)のお言葉は、とても重要であるのですが、かなり注釈が必要です。
まず最初に、鋤骨が曲がっているとありますが、これは事実ですね。
鋤骨がまっすぐだという人はどこにもいないでしょう。

さて、そんな曲がった鋤骨から、女性が創られていると預言者さんはおっしゃいました。
しかし、鋤骨が曲がっているからと言って、女性達が歪んでいる、ひがんでいる、と言いたかったわけではありません。
この預言者さんのお言葉が意味するところは、「鋤骨というのは曲がっているのが正しい形」であるということです。

全ての骨には、その役割があって、鋤骨には鋤骨の役割があります。
ゆえに、そのあるべき姿をしている鋤骨を伸ばして、背骨のように真っすぐにしようとしては、
鋤骨の役割ができなくなってしまいます。
それだけではありません。
鋤骨を背骨に変えようとするならば、鋤骨はきっと折れてしまうでしょう。
鋤骨には、鋤骨の役割と良さというのがあって、それは曲がった形をしているからこそできる技なのです。
同様に、女性には女性の役割と良さがあって、それを無理やり変えようとすればと折れてしまいます。
預言者さん(平安あれ)が言いたかったことは、
「自分と生活を共にしている女性を、自分の好きな姿に変えようとしないように。」
ということではないでしょうか。

女と男というのは、どう考えても同じではありません。
考え方、感じ方というのが随分と違います。
男には、男の感じ方考え方があっていいのです。
女には女の感じ方、考え方があっていいのです。
そして、それこそが、男女とも人間として生きていくうえで最適な形なのでしょう。
しかし、お互いがお互いを思いのままに操ろうとした瞬間、その素晴らしい関係が壊れてしまうはずです。

それよりも、お互いの違いを認識し、お互いに無いものを補いあいながら共に生きていく、共に成長していく。
その方がきっと楽しいはずです。

ゆえに、預言者さん(平安あれ)は、鋤骨をそのままにしておきなさいとアドバイスされました。
鋤骨が曲がった形をしているのは、欠点ではないのだから、と。
鋤骨が中の肺を守っているように、女性の性質も、何か大切な物を守っているのでしょう。

子育てにおいても同様です。
子供をそのままの形で受け止める。
「あなたはそのままでいいんだよ。」といったメッセージを送り続けるという姿勢は、大事だと思います。
ただ、我が家はそれが行き過ぎてしまった感があり、
躾が行き届いているご子息、ご令嬢を見るたびに、かなり私の心はざわついてしまうのですが。


クルアーンにこのような句があります。

『人々よ。あなた方の主を畏れなさい。
 かれは一人の者(アーダム)からあなた方を創り、またその者(の一部)から配偶者を創り、両人から無数の男と女を増やし
 広められた方である。』
(Quran 4:1)

『かれこそは、一個の魂からあなた方を創り、 それから伴侶を創った。互いに慰安を得るために。』(7:189)

これらの句から分かるのは、確かにイブはアダムから創られているということです。

ただ、いくら男女が違うといっても、地球人と宇宙人ほどの差はないはずです。
両者とも、痛いものは痛いし、悲しいことは悲しいのです。
言われて嫌なことも同じでしょう。
言われて嬉しいことも同じでしょう。
優しくされれば嬉しいし、怒鳴られれば悔しいです。

そんな風に両者共々分かちあえる感情というのがあるのですから、やはりお互いを思いあう気持ちというのは大切にしたいものです。
自分が言われたら嫌なことは言わない、やられたら嫌だなって思うことはしない。
自分が言われたら嬉しい事を言う、やられたらありがとうって言われるようなことをする。
当たり前のことでありますが、その当たり前ができない人が多すぎます。

イブの創造について考えた時、いろいろと大切な事を学ぶことが出来るのは、興味深い事です。

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神様の世界史39 人間の本能

2022-12-16 04:23:51 | イスラム教
前回は、
人間の寿命は信じられない位、ずーっと昔に決まっている。
そして、
人間とは、忘れやすい存在である、という事を書いてみました。

こんにちは、ファーティマ松本です。

確かに、どんなに健康に気を付けていても
何かの事故に巻き込まれて命を落としてしまう事もありますし、
余命3か月と宣言されても、その後何年も生き続けたという話はよく聞きます。
人の命とは、本当に人間の手中にない物だという事を実感させられます。
しかし、忘れっぽい私達人間は、
死が必ずいつか私達の元にやって来るという事を、忘れてしまっているように思えます。
誰にでも共通してあるもの、それは死です。
死がいつかは、必ず訪れる事、
それがいつやって来るかは、私達の手中にない事を良く理解し、
いつ死がやってきてもいいように用意をしておきたいものです。

さて、さて、

神様はどうして、アダムの背中から彼の子孫を全て取り出したのかを考えていきましょう。
神様は、ただ単にアダムに彼の子孫を見せたかったのでしょうか。
それとも、アダムを驚かせたかったのでしょうか。
それとも、、。
理由は、、、、
クルアーンを見てみましょう。

『あなた方の主が、アーダムの子孫の腰から彼らの子孫を取り出され、彼らを自らの証人となされた時を思え。
(その時かれは仰せられた)
「われはあなた方の主ではないか」
 彼らは申し上げた。
「はい、私達は証言いたします。」
 これは復活の日にあなた方に
「私達はこのことを本当に注意しませんでした。」
と言わせないためである。』
 [7:172]

神様がアダムの腰から私達全員を出したのには、大事な理由があったのです。
それは、私達人間が「アッラーが私達の主である」ということを証言させるため、だったらしいのですねえ。

しかし、、
それってかなり無理があるような気がしませんか。
たまーに
お腹にいたころの事を覚えている子供がいたりしますが、
さすがにアダムの腰から出された時の事を覚えている人なんて、どこにもいないでしょう。
にもかかわらず、なぜ神様は、
復活の日にあなた方に「私達はこのことを本当に注意しませんでした。」と言わせないためである、
などとおっしゃるのでしょう。
それが無理難題であることは、百も承知のはずなのに。

そうです。
私達は、全員一人の例外もなく、この日神様に宣誓をしたことを覚えていません。
しかしながら、その効力、というものははまだまだ私達の中にあるのです。
つまり、
私達は生まれながらにして、唯一の神様を求める本能のようなものを持ち合わせているということです。
アラビア語で、"フィトラ“と呼ばれるものです。
すべての赤ちゃんはこのフィトラというものが備わっていて、
自然に育てばちゃんと唯一の神様を認識できるようになっているそうです。
しかし、親がキリスト教徒にしてしまったり、違う宗教に導いてしまったりするのだそうです。

フィトラ、
唯一の神様を認識し、その神様を崇拝すること。
この力が本能として、人間に備わっています。
ですから、前述のクルアーンの中で、神様はこうおっしゃいました。
「われは、あなた方の主ではないか。」と。
決して「われは、あなた方の主である。」ではないのです。

この違いは、大きいでしょう。
後者はあくまでも教えている形ですが、
前者は、知っている事を思い出させている、と言えます。
「何々だよね、もうそんな事は知っているよね。」といった感じです。

動物には、動物の本能(フィトラ)があるように、人間には人間の本能(フィトラ)があります。

その本能に出会えた時に、人は落ち着きを取り戻すのではないでしょうか。
そして、その本能に出会えていない間は、何かがおかしいという感覚を持ち続けることになります。
何かが違う。何かが足りないと。
そして、その何かを求め続けることになるのです。
魚が水を必要とするように。
私達人間にも、必要とするものがあるのです。

人間には、3種類の必要とするものがあるそうです。
まずは、肉体的なもの。
空気や食べ物のような、生理上生きていくに必要なものです。

続いて、知識。
神様は、人間に知性というものを与えてくださいました。
そのおかげで、知りたい、知りたいといった欲求を誰でもが持っているのです。
小さい子供を見ているとそれがよく分かります。
「なんで、なんで」「どうして、どうして」と、こちらさえ分からないことをしょっちゅう聞いてきます。
別に大人を困らせようだなんて、ちっとも思ってはいないはずです。
ただ単に知りたいだけ。
人間らしい欲求の一つです。

そして最後に、魂部分の欲求です。
魂にも必要なものがあって、それを求めるように私達人間は創られています。
その魂が求めるものとは、すなわち
神を求める心、
神を知る心、
神とつながること。
肉体や知性が何かを欲っし、満たされようとするのと同様に、
この魂も何かを欲し、それでもって満たされようと必死なのです。

魂が求める物
それは、唯一の神様を認識し、その神様が定めた道を歩くこと。
この本能に出会えなければ、一体なんのために生きているんだ、といった問題に解決を見出すことはできません。

その神様が定めた道に立ち返り、その道を歩み始めて、やっと
「あー、そうだ、これだこれだ」と思うことができるのです。
それこそが平安の境地。
イスラム教とは、その道に帰依することにより、平安を得るという意味です。

神様はこのフィトラと呼ばれる、すなわち神様を求める心を全ての人間に備えられました。
人間はもともと”善い”心をもって生まれてくるのです。
つまり、イスラム教は性善説を取っているんです。
キリスト教は反対に、性悪説を取っているのが面白いですよね。
同じ神様から生まれた教えなのに、どうしてこうも違ってしまうのでしょうか。
性悪説とは、もともと人間は原罪という罪を背負って産まれてくるという考え方です。

なぜ、そうなったのか。
それは、イブの登場ではっきりするようになるでしょう。
 
次回に続きます。

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神様の世界史38 ダビデ王とは?

2022-12-11 02:25:43 | イスラム教
前回は、アダムの腰部分からアダムの子孫が全員出て来た事。
そして、その中でもぴかーっと光輝いていたのが、ダビデ王であったという話をしました。

こんにちは、ファーティマ松本です。

一人で誰よりも輝いていたダビデ王でありましたが、
ユダヤ教やキリスト教世界においては、あまりヒーロー視されていません。
面白いですよね。
では、イスラム教において、ダビデ王というのは、どんな立ち位置なんでしょうね。
クルアーンの中の神様のお言葉や、預言者さん(平安あれ)がおっしゃった
事などから、真のダビデ王の姿に迫っていきたいと思います。

ダビデ王は前述の通り、預言者であり、王様でした。
まず、彼の特徴の一つに優れた判断力と知性があります。
また、神様は彼に聖典の一つである詩編を与えられました。
そして、預言者でありながらも王という地位も与えられ、人々を統治する力と才能を与えられたのです。

しかし、預言者さん(平安あれ)は、ダビデ王の偉大さについて、その知識や地位、判断力や統治能力については
多くを語っていません。
預言者さんが、ダビデ王について語った特筆すべき彼の特徴は、ナントかれの祈りと断食にありました。
預言者さん(平安あれ)によると
「アッラーにとって最愛の礼拝はダーウードの礼拝であり、最愛の断食はダーウードのものである。
彼は夜の半分を寝て、夜の三分の一を礼拝し、そしてまた夜の六分の一だけ寝た。
また、彼は1日おきに断食をした。』
そうです。

彼の礼拝と断食が、ものすごくいいという事ですよね~。
確かに、ちょっと凡人にはできない行いであります。

イスラム教では、一年のうち一か月だけ、ラマダーン月に断食をするのが義務です。
日の出の約2時間くらい前から、日が沈むまでの間一切の飲食を断ちます。
最近では、多くの人がこのラマダーン月の断食というものを知るようになりました。
しかし、ラマダーン月以外は全く断食をしないのではないか、と思っているかもしれません。
実際は、決してそうではありません。
ラマダーン月以外にも、結構断食をやる機会は多く、決して一年に一回の大イベントではないのです。

預言者さんのアドバイスによれば、毎月最低でも3日間はするといいと言われています。
それ以上できる人は、月曜日と木曜日の週2回。
もっとできるという人には、こんなアドバイスをされました。
「ダビデ王のような断食をしましょう。」と。
ダビデ王の断食とは、一日おきにやる断食です。
今日断食をしたら、明日はお休み。
そしてその次の日にまた断食、次の日はお休み、といった感じですね。
この一日おきの断食というのが、ザ、ベストオブ断食。
これ以上にない最高レベルの断食であるということです。
つまり、毎日やるのは良くないわけです。
例外はもちろん、ラマダーン月の一か月間。
これは毎日やらないといけません。
それから、ラマダーン月の前の月(シャーバーンと呼ばれる月)。
このシャーバーン月の一か月間は、預言者さんはほぼ毎日断食をされていたということです。
ただ、これは義務ではないので、やらなくてもいいのですが、、。

このように、ダビデ王はイスラム世界では今でも尊敬され、愛されている人なのです。
彼がユダヤ人であったとか、ユダヤの王様であったとかで、ダビデ王を嫌うイスラム教徒はまずいません。
キリスト教のシンボル的存在のイエスキリストだって、イスラム教徒は大好きです。
その証拠に、自分の子供にダビデ王やイエスの名前を付けるイスラム教徒はたくさんいます。

ユダヤ教とイスラム教と聞くと、なんだか血生臭い争いを想像してしまう人が多いでしょう。
そして、それは宗教的争いだと信じている人も多そうです。
それは、テレビや新聞といったメディアだけでなく、youtubeなどを通してもそう発信している人が多くいます。
しかし、ユダヤ教とイスラム教の歴史を見れば、それがすぐに過ちである事が分かります。


さて、アダムは光輝いて超まぶしいダビデの前に立って、面白いことを言いました。
「彼に私の寿命の40年をあげてください。」
というのも、アダムの背中から出てきた彼の子孫達の額には、各々の寿命が書かれてあったからなのです。
一人ひとり、何年生きるかがもう既に書かれてあった。
10年と書かれている人もいれば、110年と書かれている人もいたとのこと。
なんだかアニメの世界のようです。

つまり、人の寿命というのは、もう産まれてくる前から決まっている。
いや、産まれる前だなんて、そんなレベルのものでなく、
アダムがまだ天国にいるそんな時から、すでに決まっていたということです。

自分の周りにいる大事な人、家族や友人、恋人が亡くなることほど辛いことはないでしょう。
時に、彼らの死に対し自分を責めることがあるかもしれません。
「もう少し、よい病院へ連れて行ってあげればよかった」とか。
「あの時、出発をもう少し遅らせればよかった」とか。
「あんな物を食べなければよかった」とか。
本当にいろいろな事を後悔をし、自分を責めてしまうことがあるかもしれません。
しかし、、、、

人の寿命というのはもう信じられないくらい前から決まっていたわけです。

産まれる前からこれだけの間だけ、この地球にいられるというのが決まっていたのです。
ただ、ただ、決まっていたことが起きただけのことであるのです。
大事なことは、地球上で私たちが経験する死というのは、これが全くの最後のお別れではありません。
後述しますが、この世(現世)の終わりは来世の始まりであります。
この世でしばしのお別れをしたけれども、来世でまた一緒になれる可能性は大いにあるのです。
優しい神様は、こんな不完全で不平等で戦いだらけのな現世なんかではなく、完璧で平等で終わりのない平和な日々(来世)を用意してくれています。
その完璧なる平和な場所で、死別した人と一緒に暮らせるようにしてくれています。
そのような完璧な場所、絶対に誰もが100%確実に幸せに暮らせる場所、そこへ行くために今の時間(現世)が与えられているのです。
現世を神様が示された道を歩むことによって、来世では誰もが、幸せで満たされた生活を送れるようになります。

さて、アダムは自分の寿命の40年をダビデ王にあげたいと神様に申し出て、神様はその願いを受け入れたそうです。
しかし、アダムが死を迎える時、魂を取り上げる係の天使に彼はこんなことを言いました。
「まだ私の寿命は残っているはずだが。」
すると天使は、
「あなたはダビデに40年というあなたの寿命を与えたではないですか。」
アダムは「あー。そういえば。」
そうです、人間というのは忘れっぽい存在なのです。

アラビア語で人間のことをインサーンと言いますが、これはナシヤという動詞から派生した言葉です。
意味はずばり、忘れる。
そうなんです、神様は人間を忘れっぽい存在として創られたのです。
だから、誰かが
「あれ、そんなこと言ったっけ?」なんていっても怒らないように。
なぜならその人は、これ以上にないほど人間らしい人なのですから。
因みに、私も最近はめっきり忘れっぽくなって、かなり人間臭くなってきました。

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神様の世界史37 アダムの子孫達

2022-12-02 04:03:27 | イスラム教
「人に慈悲深くありなさい。そうすれば最も慈悲深いお方(神様の事)があなたに慈悲深くしてくれるから。」
という預言者さんのお言葉で、前回は終わりました。

こんにちは、ファーティマ松本です。
アダムに関して、いろいろと興味深いお話が続いていますが、
今回も、ちょっと信じがたい(けど本当の)お話を紹介していきたいと思います。
私達にじかに関係のあるお話です!!

神様は、ある時アダムの腰から、彼の子孫を出しました。
それも全員。
アダムの子孫というのは、アダムの子供に始まって、その子供、またその子供と代々つながって、
地球が最後の日を迎えるその日まで生きている人間達を指します。
つまり、、、
私達のことですね。

自分の腰からいきなり「自分の子孫」を出されアダムはさぞや驚いたことでしょう。
「これは一体何なんでしょうか。」
とアダムが言うと
神様は「これは、最後の日までに産まれるあなたの子孫である。」とお答えになられました。

アダムは、その子孫とやらを全員、グルーっと見渡しました。
そしてその中に、誰よりも光り輝く人物を見つけました。
アダムは「この者は一体誰ですか。」と聞くと
神様は、それはダーウードであると答えられました。
ダーウードというのは、あの有名なユダヤの王様ダビデ王の事です。
アラビア語では、ダーウードといいます。

ダビデ王は、言わずと知れた古代ユダヤの王様でありますが、かれは王様というだけでなく、
実は神様に選ばれた預言者の一人でありました。
ユダヤ教とキリスト教世界においても、彼のお話はたくさん出てきます。
聖書の中では、ダビデ王のことは1000回以上も出てくるというのですから、
キリスト教徒にとっても大事な人であることが推測されます。
日本人の間では、あの「裸の彫刻の人」と言えば、「ああ、あの人ね。」と認識されるかもしれません。
とにかく、歴史に名を残す超有名人であります。

そんな有名人であられるダビデ王ですが、ウイキペディアを読む限りでは、そんなにスゴイ人物に思えないのが面白いところです。
実際、ユダヤ教とキリスト教の聖典によると、彼には良い点もあったが悪い点もかなりあったように書かれてあります。
何しろ、自分の地位を利用して、かなりアクドイ事をやったとか、やらなかったとか、、。

ユダヤ教そしてキリスト教の啓典によると、
ダビデ王は自分の部下の妻を見初め、彼女と関係を持ったとのこと。
その上、彼女の夫である自分の部下が死んでしまうように、わざと勝ち目のない戦地に送った、ともあります。
いやあ、ちょっとやばいでしょ。
どんだけ悪い奴だったんだよ。
と普通は思ってしまうところです。

しかし、実際の彼はそんな人ではありませんでした。
「どうしてそんなことが分かるんだ?」と言われれば、
何でも知っている神様がそうおっしゃったから、と答えるしかありません。

イスラム教の聖典クルアーンの中で、神様はダーウード(ダビデ王)の真実を語っています。
その数なんと16か所。
それプラス、預言者さん(平安あれ)も、ダーウード(ダビデ王)の事についていろいろ語ってくれました。

預言者ムハンマドさんとダビデ王とは、生きていた時代も場所も、全く違います。
ゆえに、二人が面識があるわけがないのですが、預言者さん(平安あれ)はダビデ王の事をよくご存じでした。
ユダヤ人もキリスト教徒たちも知らないことまでも。
なぜか。
それはもちろん、ムハンマドさん(平安あれ)は預言者でありますから、神様から必要な情報というのがあったからです。

次回に続きます。

今日もお付き合いいただきましてありがとうございました。
みなさまに神様からの祝福がたくさんありますように! 
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