神に帰る生き方

せっかく生まれてきたのだから、心平安に生きていきたい!と思う。

両親を大切に

2018-02-23 06:14:06 | 宗教
私たちにとって一番近い存在である両親。
両親を大事にすることはものすごく大事である。

というところで先週は終わりました。



こんにちは ファーティマ松本です。

今週から何回かにわたって、”両親”をトピックに話を進めて
いきたいと思います。

両親に対する”良き態度”というのは、イスラム教においては、
ものすごく重点が置かれているんです。

どれだけ凄いか!と言うと、、、





えー、まずその前に

イスラム教の教えで最も大事なことのおさらいをしましょう。
(読者の皆様には、もう既にお分かりの事かと思いますが、、)

”アッラー以外に神がいないこと”
つまり
”アッラー以外に 拝むに値するものがない”

という意味をちゃんと理解し、
それを信じる!
ことでしたね。


それを理解してもらうために

「神様が本当に存在しているのかどうか」
ということを、随分と前に書きました。
そして、
「アッラー以外に神がいない」とは
心の中にアッラー以外に重要なものを入れちゃいけないんだよ、
という事も(そこそこ前に)書きました。

そうです!
これが、イスラム教においては何よりも一番大事なポイントなんですね。

さて、(ここ2~3週間ずっと書き続けておりますが)
神様は私たちに
周りの人や動植物に対し、良くすることはものすごい善行である。
特に近くの人には、特別な愛情と敬意を払うべきだ、
と教えてくれています。

その近い人のトップに立つのが、
”両親”です。

神様はクルアーンの中で ものすごいことをおっしゃっているんです。

『アッラーに使えなさい。何ものをもかれ(アッラー)に併置してはならない。
 そして父母に親切に尽くし、、、』
 (クルアーン 4:36)

『あなたの主は命じられる。かれの外、何者も崇拝してはならない。
 また両親に孝行しなさい。』
 (クルアーン 17:23)

神様一人だけを信仰し、他のいかなるものも崇拝してはいけない。
(これが何度も何度もしつこく言いますが、イスラム教で一番大事なこと!)
そして、、、
両親に良くしろ!というわけです。

神様の次に、いっきなり両親が来てしまうんですよ!
すっごい扱いだとは思いませんか。
神様の次が、すぐに
パパさん と ママさん、ですよ!
(すっごいなあ、ホント!)




続いて、
どんだけ凄いかの<第2弾>

天国へ入る扉は全部で8つあるそうです。
それぞれの扉は、「礼拝の扉」「断食の扉」「喜捨の扉」などと名前がありまして、
生前の行いによって、どこの扉から入れるかが決まるらしいです。
(もちろん全部の扉から入る事も可能だそうです。)

その8つの扉の中央に立っている扉というのが、
どの扉よりも大きく、立派で豪華らしいんです。
大きくて、立派で豪華、、
できることなら、そーんなゴージャスな扉から天国へ入ってみたいものですが、
この扉から天国に入るには、、、、一体、、
、、何をすればいいと思いますか?

そう!
両親を大事にしていれば、その扉から天国へ入れるのです。
親孝行者専用扉 というわけです。

「両親を大事にする」というのは、神様目線で見たら、とても凄いことなんでしょう!

礼拝や断食、巡礼などよりも、もしかしたら(?)
立派なこと、すごいことなのかもしれません。

どうしてでしょうか?


私たちに命を与えてくれたのは、神様です。
でも実際に、命をこの世に出してくれたのはお母さんですね。

バナナというものを創ってくれたのは、神様です。
でも一生懸命働いて、その稼いだお金でバナナを買ってきてくれるのは、
親ですね。(別にバナナでなくてもいいのですが)

神様がバナナを創ってくれなかったら、どんなに一生懸命働いたって
親はバナナを買ってくることはできません。
神様がバナナを創ったって、親が持ってきてくれなければ
それを食べることはできません。
(もちろん自分たちが子供の頃のはなしですが、)


神様に感謝をすることは、ものすごい善行であります。
それと同様、親がしてくれることに対しても
ちゃんと「感謝をしなければいけないよ」と神様はおっしゃっているのでしょう。

とっても近い存在である ”お父さんとお母さん”
あまりにも近い存在過ぎて、
または
「親なんだからそんなことするのあたり前」と
思っているのか、、
私たちはあまり親に対し、きちんと感謝をしていません。

預言者さん(彼の上に平安あれ)は仰いました。

「もしあなたが人々に対し感謝をしないのであれば、あなたはアッラーに感謝をしていない。」

ウーン、なかなか厳しいいお言葉でございます。

神様に感謝、そして親に感謝!です。


来週に続きます。

今日もお付き合いいただきましてありがとうございました。
みなさまに神様からの祝福がたくさんありますように!

周りの人に良くしよう!

2018-02-16 07:58:24 | 宗教
周りの人に対する良い態度。
相手は人間だけではない。
動物や植物にも
愛情深く接しなければいけない。

ということを先週は書いてみました。



こんにちは ファーティマ松本です。

相手は人間だけではない!
動物だって大事である!
優しくしよう!
大事にしよう!
と、 イスラム教では確かにそう教えています。

預言者さん(彼の上に平安あれ)も、動物にとっても優しい方でした。

しかし、、、

やはり、、、

人間、大事ですよねえ。
動物をいっくら大事にしていたって、周りの人を蹴飛ばして歩いていたら、
ダメですよ、やっぱり。

では、この”周りの人”とは一体誰のことであるのか?
一体誰に対する態度を良くすればいいのか?
誰を一番大事にしなければいけないのか?
ということが問題になってきます。

基本的には、
「みーんなに」に良くする、というのが大事であります。
知らない人にでも、
知っている人にでも、
嫌な人にでも、
いい感じの人にでも、です。
いい感じの人に態度良く接するというのは、簡単ですよね。
誰にでもできることです。(フツー、フツー)
難しいのは、嫌な感じの人、または(ぶっちゃけ)嫌いな人に対し、
”良くある”というのは、そう簡単ではないですね。
はっきり言って、非常に難しいです。
しかし
全ての人に、良い態度、良いマナーで接すること、
そして愛情深く、寛大で、失敗を多めに見るといった態度は
イスラム教徒として、とても大切なものなんですねえ。(シンドイなあ)

そう!言うは簡単、でも行うは非常に難しい!!
だからこそ、
そのような人に対する神様からの報酬は、もっのすごいんですよ。
ヌワント!
そのような人たち(誰に対しても良い態度の人たち)は、神様から見たら ”あたかも”
「毎日断食をして、夜中(みんなが寝ている時に)一人で礼拝をずーっと行っているかのようなもの」
らしいです。

毎日断食をして、夜寝ないでずーっと礼拝なんてできますか?
できませんよおお、絶対に!
私なんてやろう!とも思わないですからね。
でも、人に良い態度で接すれば、それをやったと同様の報酬(又は善行ポイント)が
もらえるんですよ!
すごい”善行”扱いではありませんか!

 すみません、この報酬とか善行ポイントとかの意味は、そのうち書きますので
 今は、まあそんな物があるんだ、くらいに思っておいてください。
 又は、アマゾンKindleから発売中の「イスラム的現世の歩き方」
 を読んでみてください。そこにはちゃんと書いてありますので、、。
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最後の審判の日、
生きている間に、私たちが行った善行と悪行が計りにかけられます。
善行が重ければ、天国へ入れる可能性はかなり”大”!
悪行分が重ければ、、、、かなりヤバイ事になるわけです、ハイ。
おもしろいことに、
その善行の計りを重~くしてくれる一番の要因は、
なんと、この
 「人に良き態度、良きマナーで接すること。」
だそうです。
定めの礼拝がどうのとか、断食がどうのとかではないんですね。
おっどろきです!

さあ、
良いマナーが ”もっのすごい善行” であることは分かって頂けたとしましょう。
では
誰に対し、最もそれを気をつけなければならないのか?

答えは、
自分に近い人たちです。

自分に近い人といえば、 家族 ですよね。
家族に対するマナーなんて、今時 どこかに存在しているのでしょうか。
昔の日本であったら、”お父様、お母様”に対する礼儀というのがありました。
兄弟間であっても、上の子に対する尊敬の念というのがあったかと思います。
しかし、、
そんなもの、今やもう影を潜めすぎてしまって、一体どこへ行ってしまったのかわからないではありませんか。

礼儀?マナー?尊敬の念?ないなーい!
いやそれ以上に、いつも一緒にいるためか
緊張感など全くなく、言わなくてもいい事を平気で言ったりしていませんか?
学校や会社では、決して言わないようなことを
家族の人間には、何も考えずに言ったりしてはいませんか?
口だけでなく、手や足を使って、誰かを傷つけたりしていませんか?

日本のアニメなんかでは、
女の子が威張っていて、男の子をよくぶっ飛ばしていることがありますが、
現実はどうなんでしょう?
実際は、DVなどまだまだ多そうな気がします。
基本的な人権さえも、もう家族間にはないのでしょうか。

外では、穏やかそうで優しそうな人も一歩家に足を入れた瞬間、
おっそろしい人に変身してしまうことはよくあることです。
どんだけ外の人に対して”いい人”であっても、家の中の人から恐れられているとしたら
絶対に”いい人”ではないでしょう、その人は。

外の人にどう思われるかを気にする前に、
家族にどう思われるか、というのを考えたほうが良いに決まっています!

だんなさんが奥さんを思って、奥さんもだんなさんを思う。
親が子供を思って、子供も親を思う。
そういうのが理想ですねえ。

本当にどの家庭もそうであったら、
社会全体がどんなに良くなるでしょうか。
まずは、家庭内暴力がなくなるでしょう。
児童虐待もなくなるでしょう。
非行も減って、犯罪も減ると思います。

イスラム教では家族がとても大切であると、
教えられていますが、本当にその通りだと思います。



寄付を施すことは、イスラム教では5回の礼拝同様 義務でありますが、
その寄付も、なるたけ近い人たちにあげたほうが善行が高くなるんです。

親戚に貧しい人がいたら、その人に義務の寄付を与えるのは、とてもいいことなんです。
ついつい、遠い国で苦しんでいるイスラム教徒に寄付をしたい!と思いがちですが、
(もちろん、それはとてもいいことです)
まずは近場から、が正しい態度。

水に石を投げたら、輪ができますよね。
最初の輪はしっかり、はっきり見えますが、だんだんその輪が広がっていくと
消えてなくなります。
それと同じように、近くにいる人に一番強い思い、愛情、尊敬の心でもって接しなければいけません。

世界平和に貢献したい!と思ったとしても
自分の生活がだらけていて、または自分の家族に対する態度がなっていなくて、
なーにが、世界平和だ!と思っちゃいます。

まずは、自分の生活を直して、周りの人(家族)に良くしろと、
そしてもし困っている親戚がいたら、その人を助けろ、というわけです。
それから少しずつ援助の手を、外へ外へと広げていけばいいのではないでしょうか。


神様は、私たち一人一人にシリア問題に介入してもらいたいわけではありません。
ロヒンギャ問題を解決しろ とおっしゃってもいません。
パレスチナをなんとかしろ とおっしゃっているわけでもないのです。

私たち一人一人が、まずやるべきことは

神様が待つ天国に入れるよう、正しい道を歩き始めること。
(これはイスラム教徒、非イスラム教徒 全ての人に当てはまります。)
そして神様との関係を大事にするため(神様に愛され、祝福され、許してもらうため)
周りの人に良くし、助けの手を差し出す努力をすること、ではないでしょうか。

そうすれば、
必ず神さまから救いと助けが来て
世界中に広がる大きな問題が解決されていくと思います。

世界にはびこる”悪”への対応は、神様にお任せすればいいのではないでしょうか。
神様は、なーーんでもできるお方です。
私たちが想像もしないような所から、勝利と平和をもたらしてくださるはずです。

しかし、
公然と神様の決まりに従わず、家族を大事にしないでいて、
一体どうやって、神様が味方をしてくれると思うのでしょう?

イスラム諸国にはびこる悪政、汚職。
そして個人レベルに於いては、定められた礼拝を怠ったり
貧しい人ためにお金を使わなかったり
周りの人への態度がひどかったり、、、
そんな風では、いつまでたっても神様からの助けなんて期待もできません。


神様もクルアーンの中でこのようにおっしゃっています。

『本当にアッラーは人が自ら変えない限り、決して人々の運命を変えられない。』
(クルアーン 13:11)



さて、さて、


少し話が逸れてしまったので、元にもどしましょう。

自分にとって一番近い人達、、、

このダントツトップに立つのは、ずばり
両親です。
両親、、、あー重い言葉ですねえ。

両親の地位は、イスラム教においては、もっのすごいものがあります。
どんだけ、両親というのが”すんごい”ものであるのか。
どんだけ、大事に扱われなければならないか、というのは、、

もー、本当にいっぱいあって
”親不孝者”代表者の私には、ホント耳が痛くて痛くて、、、。
正直書きたくないトピックでありますが、
これを外すわけにはいきませんので、、、
仕方ない、、、
頑張って書くとしましょう。


それでは、来週からゆっくりと
両親(特に母親)について、神様はなんとおっしゃっているのかを
書いていきたいと思います。

今日もお付き合いいただきましてありがとうございました。
みなさまに神様からの祝福がたくさんありますように!
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動物と植物にも

2018-02-09 07:03:39 | 宗教

「自分と神様との関係」
その関係が何よりも大事。
その関係を良くするために、、、
その関係を強めるために、、、

周りの人に対する態度を良くする。
愛情深く接する。

ということを先週は書いてみました。


こんにちは ファーティマ松本です。

「人に対する態度を良くする」
「人に親切にする、人に優しくする」
「人を許す」
そういった態度が、イスラム的にものすごく大事。

なーんてことを言うと、
「エッ、イスラム教って”そういうこと”教えてるんだあ!?」
と驚かれる読者さんがいるかもしれませんが、、、
実にイスラム教の半分は、”そういうこと”を教えているのであります。


周りの人に対する良き態度が”どんだけ大切”であるか、
そーんなお話や預言者さん(平安あれ)のお言葉は、
もうホントににたくさんあるんです。
そのいくつかを今日は、少ーしだけご紹介したいと思います!

大事なのは
「周りの人への態度を良くする、良い関係を保つ」ことは、
「神様との関係」を何よりも大事にしているから、であります。

常に心に思うのは、(何度も言っているようですが)
「神様にもっと愛されたい、許してもらいたい、祝福してもらいたい。
 そして死後には、天国に入れてもらいたい。」という気持ち。
だから、そのためにも
周りの人または、動物、植物に対しての態度や扱いを良くする。
そういったことが大事なんですね。

そう!相手は人間だけではありません。
動物への愛情、植物への思いやり、
そーんなことも、イスラム教では重要視されています。

植物に対する態度、軽ーくみてはいけませんよお。

植物というのは、神様が私たちのために創ってくれた大事なものです。
野菜や果物がなかったら、、、、
なーんて、考えただけでもかなり辛いものがありますよね。
もちろん、野菜や果物だけではありません。

木や花だって大事な大事な、神様からの贈り物。
木なんて、人間が平和に心穏やかに暮らしていくには
必要不可欠なものだと思いませんか。
何しろ”酸素”を提供してくれるんですから
こんなに有難いことはありません。
空気をきれいにしてくれるし、
見ていると、心を和ませてくれます。
そのような大事な木を理由もなく、むやみに切ったり燃やしたりしてはいけないのです。

こんな話があります。

昔、ある人が木に石を投げていました。
それを見た預言者さん(彼の上に平安あれ)はおっしゃいました。
「どうしてそんなことをしているのです?」
その人は「お腹が空いているんです。」と答えました。
預言者さん(平安あれ)は
「だったらその木になるものを食べなさい。」と諭されたそうです。

木だって、花だって生きています。
大事にしなくては!

続いて、動物に対する扱いについて、、、
でありますが、、
これがまあ、結構たくさんあるんですね。
そのいくつかを今日は、厳選してご紹介したいと思います。


動物は人間と同じく、感情を持っています。
でもその感情を言葉で、私たちに伝えることができません。
だからといって、ひどい扱いをするのは、ダメに決まってますよね。
”大きな罪”になります。

預言者さん(平安あれ)は、
ある時とてもやせ細ったラクダを見つました。
そしてその主人にこう言ったそうです。

「言葉を喋らぬこの動物たちに対する(あなたの)扱いに対し、アッラーを畏れるべきだ。」

ちゃんとご飯を食べさせろ!というわけです。
また動物を椅子として、その上に座ってはならない、とも言われましたし、
動物の上に耐えきれないほどの荷物を置いてはいけない、とも言われました。


昔、私がエジプトに行った時のことです。
道で行商をしているおじさんを見かけました。
なんと!そのおじさん、
ロバの上に商売品を置き、自分もその背中に座っていたんですよ!!
もう!悪いこと2つもいっぺんにしちゃってて、、、ヤバすぎ!でしょ。
あれは、ホント見ていてロバが可哀想でたまりませんでした(涙)。

とにかく、
イスラム圏の多くは、動物に対する態度がひどいような気がします。
1400年以上も前に、動物愛護の精神を教えてくれた預言者さん(平安あれ)が
あのおじさん(!?)を見たら、きっとお怒りになるでしょうねえ。


動物が自分の管理下にある時、
肝に命じなければならないのは、
「しっかりと食べさせ、ちゃんと寝る場所を与え、変なストレスを与えず、愛情を持って接すること」

そして、その動物をしなければならない時には、
ナイフをしっかりと研いで、苦しませない。
切る前には、怖がらせないで落ち着かせてあげる。
そして、他の動物が見ている前で切ってはいけない、などなど。
に関する決まりはいろいろあります。
そのほとんどが、動物目線で見た決まりです。
いかに動物に苦痛を与えないで行うか、が重要ポイントなんです。

そのような決まりを作ってくださった神様というのは、
改めて、、、、
慈悲深いお方だなあ、と思います。
それと同時に、
私たちにも、
「慈悲深く、優しく、思いやりの心を持って他と接しなければいけない」
とおっしゃっているように思えます。


動物に関する決まりで、他にもこんなものがあります。

鳥などを標的として、狩りの練習をしてはいけない。
これも、こちらサウジアラビアでは結構見る光景ですねえ。
男の子が鳩を標的にして、ゴムと石を使って撃ち落とす。
「上手だなあ」「よくできるなあ」と感心しなくもないのですが、
あれはやはり、いかんでしょう。
撃ち落とした後に、食べればいいわけですが、
「ワーイ、ワーイやっつけたあ!」で、終わるのはダメです。

また、動物同士をわざと戦わせる競技や遊びはご法度。
そしてもちろん、動物を叩いたり蹴ったりなんて絶対にダメ!
耳を切ったり、尻尾を切ったり、なーんてもうダメすぎ!
巣の中にいる赤ちゃん鳥を持って行くのも厳禁です!


預言者さん(平安あれ)が不在の時に
ある人が木の上に巣があるのを見つけました。
中には、赤ちゃん鳥が2羽。
その人は、そのうちの一羽を持っていってしまいました。
預言者さん(平安あれ)が戻られると、お母さん鳥が空中を(悲しそうに)グルグルと回っているのをみました。
預言者さんは(平安あれ)
「一体誰だ?あの母鳥の子供を取り上げて、母鳥を悲しませたのは?早く子供を返してあげなさい。」
と言われたそうです。


それでは、反対に愛情を持って動物を扱うと、、
どうなるのでしょうか?

預言者さん(平安あれ)は

「雀にさえにも慈悲深い者には、
 アッラーが(其の者に対し)最後の審判の日に慈悲深くあられる。」

また

「アッラーの創造物(動物、植物、人間)に対し優しくしなさい。そうすれば最も慈悲深いお方があなた方に慈悲深くあられる。」

ともおっしゃいました。


自分の周りにある物、全てに対する態度。
いつだって神様が見ている、いつだって見られているといった思い。

相手が良い人間であろうと、悪い人間であろうと、
動物であろうと、植物であろうと、
常に良い態度で接する。
これが神様のことを中心にして生活をしている人、
そして神様との関係を一番大事にしている人の
証拠です。

来週に続きます。


今日もお付き合いいただきましてありがとうございました。
みなさまに神様からの祝福がたくさんありますように!
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きれいな心とその行い

2018-02-02 06:44:56 | 宗教

神様の事を思う心は生きていて
思わない心は死んでいる。
生きている心は、神様の事を思う事により平安を得るが、
神様の事を故意に思わない心には、悪魔がとり離れ難い友となる、

というところで先週は終わりました。



こんにちは ファーティマ松本です。

心をきれいにするのは、体をきれいにするのと同じくらい
いやいや、それ以上に大切なことです!

”きれいな心の持ち主”
というのは、良いことや良い行いが好き。
人が傷つくような事を、わざわざ言ったりはしませんし、
人が嫌がる事をしたりもしません。
周りの人を思いやる気持ちを持ち、
人のために何かをやりたい!と思っているはず。

きれいな心、、、

ちょっとだけ想像してみてください。
私たち全員が、みーんなきれいな心の持ち主であったら、、、
学校や
会社や
いろいろなサークルや
SNSのようなネットでのお付き合い等で
私たち全員がきれいな心でもって、行動をできたら
この世はどんなに住みやすい場所になるでしょう。

みんながみんな、良い心で良い行いをする、
そんな世界は、もうすでに天国にいるかのようなものです。

そーんな”きれいな心”を手に入れる方法!
それは、ただ一つ!
心に神様に対する”愛情”を入れるしかありません。

神様に対する愛情とは、
神様からの諸々の恩恵に感謝をしたり、
神様が”良し”とされた行いを、喜んで行ったりすること。
また
そうすることによって、もっと神様に近づこうとすること、
だと思います。

愛情を持つのと同時に、
神様の懲罰を畏れる心も必要です。
畏れるは、恐れるとは違います。
恐れるは、嫌なものに対し「ヤダヤダ!怖い怖い」と思う感覚ですね。
でも畏れるは、嫌なものに対する恐れではありません。
神様という、人間のレベルからかなりかけ離れた尊きお方に対する”畏敬”の念。
つまり
神様の懲罰を受けないよう
禁じられたことはしないようにしよう!と思う気持ち
といってもいいかもしれません。

心の中が、神様に対する愛情と畏敬の念でバランスが取れているのが
ベストな状態です。
きれいな心の条件と言えるでしょう。


きれいな心の持ち主は、
全てが ”自分と神様との関係” の上に成り立っています。

どういうことか?

つまり、一番大事なのが”自分と神様との関係”です。
良い関係が保たれているか?
神様に愛されているか?
喜ばれているか?
嫌われていないか?
そして、、、


その一番大事な関係である神様に「喜ばれる」ために

周りの人と良い関係を保とう!
周りの人に良くしよう!
周りの人に嫌なことを言わないようにしよう!
そして
周りの人に何か嫌な事をされたり、言われたりしても
許そう!と
思うわけです。

常に心にあるのは、神様に「喜ばれる」行いをすること!
決して人によく思われようとか
それが社会のルールだから、
とかではなく、
自分の言動が「神様に好かれる事か、喜ばれることか。嫌われることか」
というのが、己の行動の判断の基準であるわけです。


さて、ここで問題になるのが
「何が喜ばれることか」そして
「何が嫌われることか」を知らなければなりません。
でなければ、良かれと思ってしたことが、神様目線からは
とてつもない悪だった、という事態にもなりかねませんから。

例えば、メディアなどでお騒がせするテロなど、
神様的には全く、宜しからぬ行為であるけれども
やっている本人にしたら、良いことをしていると思っているのかもしれませんね。

または、小さい決まりに超うるさい人達。
(これもイスラム教徒の中に多そうだけど)
「ダメよ、それじゃ」とか「こうしなきゃダメだからね」
みたいな、、・
たとえそれが正論であっても、神様はそのような態度は好きではないはず。

預言者ムハンマドさん(平安あれ)はおっしゃいました。
「アッラーは全てに於いて、優しさを好まれる」

昔のイスラム教の学者さんもまた、こうおっしゃいました。
「優しさは、正しさに勝る」

正論をかざしてガンガン言いまくっても、そこに優しさがなければ人はドンドン離れていくでしょう。





こんな話があります。

ある時、ある人が預言者さん(平安あれ)に言いました。
「あそこに住む女性は、礼拝も断食もたくさんするし、貧しい人にもお金を与えています。しかし人に対しひどく厳しい言動をとるようです。」
それに対し、預言者(平安あれ)は
「彼女の住処は地獄である。」とおっしゃいました。
続いて、また誰かが
「あちらに住む女性は、礼拝も断食も特に際立ったものではありません。しかし周りの人と良い関係を保っています。」
それに対し、預言者さん(平安あれ)は
「彼女の住処は天国である。」と言われました。

礼拝のように重要な宗教的行いよりも、
周りの人に対する暖かい態度、優しい言葉、寛大さなどが ”優れている” と、
思わせる話が、他にもたくさんあります。
(いつか機会があったら、いくつか紹介したいと思います)


神様は、とてつもなく優しく慈悲深いお方。
みーんなにも、優しくなってお互いを好きになってもらいたいのです。

何しろ、神様が私たちに望む一番の事って、、、

なんだか知ってますか。

それは
「人の心に幸せを与える事」
らしいです。

預言者さん(彼の上に平安あれ)はおっしゃいました。
「アッラーが最も好きな行為は、他のモスリムを幸せにすることだ。」

他にもたっくさんアッラー(神様)が好きな行為、というのはありますが、
どれをとってみても、
周りの人への優しさ、寛大さ、穏やかな態度、愛情ある言葉
親切な行為、怒りを抑えること、等
そのような態度が強く奨励されているのです。

ですから、周りの誰かが何かよろしくないこと、
又は正しくないことをしてしまっていたとしても
それをガンガン攻めるのは、イスラム的ではありません。

人は変わります。
間違いを犯してしまっている人は、もしかしたらいつの日にか良い行いをする人になるかもしれません。
その人は今はちょうど、転換期にいるのかもしれないのです。
悪い所から、良い所へ向かっている最中な だけかもしれません。

そういう人に対して
「あー、ダメだ、これもダメだ。何やってるんだあ!」
と攻め続けるのは、元の悪い所へ押し返してしまうようなものです。
(ちなみに私も転換期真っ最中ですので、色々と多めにみてやってくださいませ(#^.^#))

私たちはついつい、人を見るとき”良い人か悪い人”かと
勝手に判断してしまいます。
しかし、完璧に良い人間なんていませんし、完璧に悪い人だっていません。
勝手に他人を判断する事は、避けたいものです。

神様からの愛情や許しを得るために
人を許し、人に寛大で、人に親切に、人に愛情をもって接していく人。
それが、神様との関係を一番にしている人の特徴。
そして”きれいな心”の持ち主、だと思います。

来週に続きます。


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