神に帰る生き方

せっかく生まれてきたのだから、心平安に生きていきたい!と思う。

神様に感謝をしよう。その4

2017-11-24 05:52:24 | 宗教
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神様に感謝をするというのは
かなりレベルの高い善行である
ということを、
前々回に書きました。



こんにちは ファーティマ松本です。

神様に感謝をする、というのは
かなりレベルの高い善行なんですねえ。
というのも、

ちゃんと、しっかりと そして正しく
”感謝” をするためには
幾つかのステップを
ふまねばならないからです。

まずは、ステップ1!
神様の存在を信じなければいけません。

ステップ2
神様の恩恵は数えられないほどたくさんある、ということを認識しなければなりません。

ステップ3
数えられないくらいの恩恵に対し
「ありがたい」と思わなければいけません。

ステップ4
自分はあくまでも神様から”恩恵”をいただいている身である
と、謙虚になる必要があります。

ステップ5
与えられた恩恵(贈り物)を正しいことに使わねばなりません。
(口で良いことを言ったり、お金で人を助けたり、、など。)

こーんな感じで
今日から、パッパッとできるようなものではありません。
特に、生きている間
ずーっとずーと感謝し続ける、というのは、
なかなか難しいものです。

しかし、
神様に感謝をすると
良いことが、たくさんあるんです!

どんな良いことがあるのか、ちょっと書き出してみましょう。

まず第一に、
「有り難いもの」に囲まれる、ようになります。

あー、目が見えて有り難い。
口がきけて有り難い。
ご飯が食べられて有り難い。
仕事があって有り難い。
家族がいてくれて、有り難い。
住む家があって、有り難い。
ネットが使えて有り難い。
お風呂に入れて、有り難い。

有り難い、有り難い、と常に思っていれば、不平不満なんて
言っている暇もなくなります。

つまり、、、、
「自分の持っているもの、自分の生活に満足を覚えることができる様になる。」
これが、神様に感謝をすることの
利点、その2です。

どんなにお金があっても。
「もっとほしい、これも欲しい。あれも欲しい!」
と思っているようでしたら、その人は自分の持っているもの、
または自分の生活そのものに満足を見出していません。

どちらかというと
自分が持っているものよりも
自分が持っていないものに”価値”を置いていると思います。

自分がまだ買っていないもの、
例えば
新しく発売されたスマホとか
新型の車とか。
それらがないことが、ひどく不幸なことの様に思えるかもしれません。

しかし、常に神様に感謝をしていると
自分の持っているものに
自然に感謝、満足感を得ることができる様になるのです。

「もうこれでいい。もう十分だ」
と思える人は、
たとえお金がなくても 富んでいる人です。
なにしろ、必要なものが全部手に入っていて 満たされているのですから。

反対に、これもない、あれもない、これも欲しい、あれも欲しい。
と思う人は、どんなにお金があっても
貧しい人です。
なぜなら、必要なもので満たされていないわけですからね。

うつ病の人に、「有り難いなあ」と思えることを
毎日10個、書き出すようにさせたら、
うつ病が治った、という報告があるそうです。

やはり、
「有り難いなあ」とか「感謝、感謝!」
という思いは、心を満たすんですね。

だから、神様相手でなくても
誰かに、何かに感謝をする、というのは
いいことだと思います。

しかし、、、、
「神様に」感謝をすること
それに対する
特別な特典があるのです。
それが

利点 その3!

神様は、聖典クルアーンの中でこのようにおっしゃっています。

 『もしあなた方が感謝をするのなら、我は必ず(あなた方に対する恩恵を)増すであろう。』
   (クルアーン 14:7)

神様は、このように約束してくださっているのです。
「感謝をすれば、もっともっとあげるよ。」と。

何をくれるのかは、分かりません。
もしかしたら、お金かもしれません。
もしかしたら、能力かもしれせん。
もしかしたら、子供かもしれません。
もしかしたら、より一層の満足感かもしれません。

何かは分かりませんが、もっともらえるのは
確かです。

だから、、、
もっと、もっと感謝をしちゃいましょう。
感謝をして、損をすることなんてありませんから。

利点 その4。

神様に喜んでもらえる!

これって、不思議ですよね。
「神様に感謝」をして、得をしているのは
私たち人間サイドなのに、、、、
「感謝」をすると、もっと いろいろもらえて
その上、喜んでもらえるなんて。

「神様に喜んでもらってもねえ、、、」
なーんて思ってはいませんか。

神様に喜んでもらっている、ということは、
天国に近づいている、ということです。

私たちは人生の旅人。
そしてその目的地は、神様の待つ天国!
そのことを忘れてはいませんか?

ただ
「目的地が天国」
といっても 全ての人がそこに入れるわけではありません。
神様の怒りを買っている人が、
ノホホーンと入れる所ではありません。

だから、神様に好かれ、喜ばれる努力を
少しでもいいから、”生きている間に”
やっていきたいものです。
そうしたら、人生の目的地
”天国”
に入らせてもらえるかもしれませんからね。


今日もお付き合いいただきましてありがとうございました。
みなさまに神様からの祝福がたくさんありますように!
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神様に感謝をしよう。その3

2017-11-17 08:11:25 | 宗教

神様からの贈り物って
たっくさんあるんだよ、
ということを
先週はひたすら書いてみました。



こんにちはファーティマ松本です。

みなさんは、誰かからプレゼントをもらったらどうしますか。

私はここ2~3年、長女から何やらいろいろと
物をもらうことが多くなりました。
先日は、フライパンを買ってくれました。
その前は、日本製の包丁を買ってきてくれました。
我が家の台所用品は、どれも年季が入っている物ばかりなので
見兼ねたあの子が買ってきてくれた というわけです。
(ありがたいですねえ。)

さて、買ってきた長女としては
「せっかく買ってきたんだから、使ってくれるだろう」
と思いますよね。

でも、
もし私があの子の買って来たフライパンや包丁を使わずに
それを玄関にでも飾っておいたとしたらどう思うでしょう?

「使うために買ったんだよ。なんでこんな所に飾ってんのよ!」
と(あの子のことだから)きっと怒るでしょう。

または、フライパンを洗面器代わりに使ったらどう思うでしょうか?
「お母さん、とうとう頭がおかしくなった!」
と思うかもしれません。

または、もしかしたら(あの子のことだから)
「ちゃんとフライパンとして使ってよ。いらないんだったら誰かにあげるからね。」
とおっそろしい顔をして怒るかもしれません。

物には、用途というのがありますよね。
フライパンは揚げたり、炒めたりするのに使うし、
包丁は切るのに使うわけです。

それ以外のことに使うと、または全く使わないと
贈った方としては、
「えっ(; ̄O ̄)?」となってしまいます。

そんなことは誰でも分かっているのですが、
私たちは
神様から頂いている贈り物(プレゼント)に対しては、
上記の様に、おかしな対応をしている事がよくあります。

例えば、、、
幾つか例を出して考えてみましょう。

例え その1:口(くち)

口は、神様からの大切な贈り物ですね。
さて、この口は、
食べる以外に
正しいことを話すためにあります。
または、相手の気を良くしたり、
元気にさせるためにも 使われるべき物です。
そのために、神様は口という贈り物をくれたのです。

でも、多くの場合
その口で
嘘をついたり、騙したり
人の心を思いっきり傷つけたりしています。

贈り主である神様は、どう思っていらっしゃるでしょう?


例え その2:子供

子供は、神様からの大事な贈り物の一つです。
子供は時には、厳しくすることも必要かと思いますが、
基本的には、可愛がって大事に大事にするものです。

しかし、、、
(これは日本に帰った時に たまーに目にする事なのですが)
お母さんが、ものすごい勢いで子供を怒っていることがあります。
小さい子供に話すような言葉で話していないのです。
もう側で見ていて、かわいそうで、かわいそうでなりません。
(まっ、私もあまり人のことは言えないのですが、、、)

贈り主である神様は、どう見ていらっしゃるでしょう?


例え その3:お金

お金も神様からの、貴重な贈り物です。
「イヤイヤ!これは全部自分が汗水流して働いて得た金だあ。」
と思われる人もいるでしょう。
しかし、働くためには、目が見える事も必要であったでしょう。
健康や知能、戦争のない平和な環境、などなど。
いろいろな外的要素も必要だったはずです。
だから
お金も、神様が与えてくださった贈り物、なんです。

では、そのお金で何をしますか?
自分の欲求を満たす物ばかりに費やしてはいませんか?
必要以上の物を買ってはいませんか?

お金というのは、自分のためばかりでなく、
人のために使うよう、神様は贈ってくれたんです。
なのに、
「お金さえあればいい。
 どんな方法で取得しても構わない。
 どんなことに使っても構わない。」
もしこのような態度であったら、

贈り主の神様は、どう思うでしょう?


例え その4:地位

地位はどうでしょう?
地位もやはり贈り物です。

自分に与えられた地位を利用して、不正を行ったり
人を苦しめるようであっては、
地位なんかないほうがいいのです。

神様からの贈り物は
数えられないほどあります。
認識できない物もあります。

でも、まずは、「ありがたい」と思う努力をし、
そのあとは、その贈り物を「正しく、良く」使うべき!だと思います。

手は、働いたり勉強したりするために使いたい。
足は、正しい所へ行くために使いたい。
目は、正しい物を見るために使いたい。
家族は、愛情深く付き合いたい。
お金は、自分と家族、困っている人のために使いたい。
知識は、人の役になるように使いたい。
自由時間は、自分の役、人の役になるようなことに費やしたい。

と、、、、

言っても、なかなか難しいですよね。
書きながら、私自身が辛くなってきました。(ハードル高いしね)

では、

良いことに使えない、としたら、、
せめて悪いことに使わないようにしましょう!

例えば、
手で、人を叩いたり、盗んだりしない。
足で、人を蹴ったり、物を壊したりしない。
目で、あか~ん物を見ない。
家族をほったらかしにしない。軽く扱わない。
お金を、自分の欲求を満たすだけに使わない。賄賂に使わない。
知識を、自分の中だけ止めておかない。
自由時間を、くだらない事ばかりに費やさない。

言った具合に。

これだったら、なんとか、、、なるかも!、、(?)

神様への感謝は、来週も続きます。



今日もお付き合いいただきましてありがとうございました。
みなさまに神様からの祝福がたくさんありますように!

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神様に感謝をしよう! その2

2017-11-10 08:15:50 | 宗教

前回は
「神様に感謝をする」
とは、どういうことであるのか、
というところで終わりました。


こんにちはファーティマ松本です。

神様は聖典クルアーンの中で、このようにおっしゃっています。

『たとえ彼の(アッラーの)恩恵を数え上げても
 あなた方はそれを数えられないであろう。』
  (クルアーン 14:34)

私は、神様からの贈り物って、数えられるんじゃないかなあ
と愚かにも思っていた時期がありました。

目でしょ、足でしょ、手でしょ? みたいな感じで。
「頑張れば数えられるんじゃない?」
なーんて思っていたんですね。
しかし、それはあまりにも愚かな考えでした。

神様の恩恵(または贈り物)って、そうやって数えるものじゃないんですよね。

では、どうするのか。

”手を洗う”
という行為を例にとって、考えてみましょう。

「手を洗う」には まず、、、

手がなければできません。
それから、
手を洗おう!と思う意識があること。
手を洗いに行く足があること。
目が見えること。
これらすべて
全部、大事です。
全部、神様からの恩恵(贈り物)です。

それから、お水がないと洗えません。
お水を得るためには、
雨が降ってくれないと困ります。
そして、
お水が出て来るためには、蛇口がないといけません。
きれいなお水が、蛇口から出てくるには、
国が、浄水場を造ってくれなければいけません。
浄水場を造っても、それがちゃんと家庭に届くよう
水道管等も配置してくれなければいけません。
いろいろと、国に文句もあるでしょうが、
やはり国がやってくれていることって、ありがたい事 多いです。

また、
汚い汚れを落とすには、石鹸が必要。
石鹸を作ってくれる会社、
それを店まで運んでくれる会社、
それを売ってくれる店。
石鹸を買うことができるお金。
お金を稼いできてくれる人がいること。
または、自分が働けること。
などなど。
上記のもの 全てが恩恵(贈り物)です。

手を洗うだけでも、たくさんの恩恵がありますね。
もうちょっと考えれば。
きっともっともっと考えられると思います。

私たちは、何気なく毎日手を洗っていますが、
「手を洗う」こと一つをとってみても
”感謝”をすべきことが、たっくさんあって
数え切れません。

「手を洗う」
という、そんな日常的な行いが
ものすごい”感謝に値する行為”
であることが わかると思います。

私たちはその「感謝に値する行為」を1日に一体何回行っているでしょうか。
私は主婦ですから、1日に何度も、何度も手を洗います。

その度に、神様に感謝をしているか、と言ったら
正直、、していないですねえ。(反省)

でも、シリアやミャンマーの悪政から逃れてくる人たちにとっては、
この「手を洗う」ということさえも
決して楽ではないという事実を考えると、
やはり
「手を洗う」度に、たくさん感謝をすべきである、と思います。

続いて、、

「目が見える」

ということはどうでしょう?
目が見えない、、なんてちょと想像しただけでも、、、
、、、辛いですよね。

もし、目が全く見えなくなってしまったら、
きっと、全財産をはたいてでも「治して欲しい」って願うのではないでしょうか。
そんな高価な贈り物です。
それを”タダ”で、頂いでいるんですね、私たちは。

「目が見える事」
これはもう、本当に大きな大きな、神様からの恩恵です。

このブログを読んでくださっている読者の方々の目が
いつまでも いつまでも見えることができますように。アーミーン!
(アーミーンとは、神様へお願いをした後に言う言葉ですが、その意味するところは、
 ”どうか私の願いに応えてください” といった感じの言葉です。)


さて、
産まれてから、今の今まで
自分の目で見てきた ”もの” は、すべて神様からの恩恵(贈り物)です。

大好きな作家の小説の一文字、一文字。
両親の顔や、子供たちの顔とか。
嫌々ながらも、勉強した教科書の全ページとか。
好きなアニメや映画の、全シーンとか。
何しろ、ぜーんぶです。

一体誰が、それらを全て数え上げることができるでしょうか。
絶対に無理ですよね!

目があってちゃんと見える事。
それがどれだけすごいことであるかは
誰もが なーんとなくは分かっていると思います。
しかし
そのことに対しても、大抵の人はしっかりと感謝をしていません。
失った時に、その恩恵の凄さを実感しても もう遅いでしょう。
神様からの贈り物が手元にある時に(使わせてもらっている時に)しっかりと感謝をしたい!
そう思います。

神様からの贈り物って、上記のように
目に見えて認識しやすいものと、
それから、
目に見えなくて、認識しずらいものがあるんです。

前回書きました”食べ物”や”お水”
などは、目に見えるので、比較的認識しやすい贈り物ですね。
そして今回ふれた「手を洗うこと」や「目が見えること」
なども、目に見えて認識しやすい贈り物だと思います。
(認識しやすいからといって、決して感謝をしているわけではありませんが、、。)

神様からの贈り物って
目に見えず、認識しにくいものもたっくさんあります。

一つだけ例をだしてみましょう。

こんな経験はありませんか?

転んでカバンの中の物が飛び出してしまった。
「あー、転ばなかったらあの信号渡れたのに。」
なんて口惜しい思いをしながら、拾っていると
ちょうど信号のところを、車が猛スピードで右折してきたのが見えた。(左折でもいいか)
信号を渡っていたら、あの車にぶつかっていたかも!
なーんて、ちょっとヒヤッとしたことってありませんか。

私はあるんですねえ。
そういう時は、普段感謝の足りない私でも
心から神様に感謝をしましたよ。

アッ、でも
これって もしかすると
”目に見えて認識しやすい贈り物”、、、、、かな?

まっ、、、
、、とにかく、、、、(汗)
たっくさん、たっくさん、ある!ということです、ハイ。

私たちの知らないところで、
私たちは、神様からのプレゼントを(たくさん)いただいているわけです。


「神様に感謝をする」というのは、数ある善行の中でも
かなりレベルの高いものですので
ネタが尽きません。

ということで、、、

神様への感謝については次回も続きます。



今日もお付き合いいただきましてありがとうございました。
みなさまに神様からの祝福がたくさんありますように!
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※5星レビューが、ナント!5件にもなりました。(o^^o)*

レビューを書いてくださった方々 貴重な時間を割いてくださってありがとうございます。
皆様方にたくさんの良いことがありますように! アーミーン

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神様に感謝をしよう!その1

2017-11-04 05:15:03 | 宗教
神様がいる!
ということを
私たちの体や、この世にある全てのものが
証明している!
ということを先週は書いてみました。


こんにちは ファーティマ松本です。


11月に入って、日本はもう随分と寒くなったのではないでしょうか。
私が住んでいるサウジアラビアも、だいぶ涼しくなってきて とても気持ちがいいです。
いつもこのくらいだと、ホント最高なんですけどねえ。

と、、、、

文句や愚痴を言っている場合ではありません。
何しろ今回は「神様への感謝」について書かねばなりませんからね。

3週続いて、神様がいるのかどうか、ということを
テーマにしてみました。

神様の存在を、信じる、信じない は個人の自由ですが、
周りのもの全て(自分の体、家畜や植物といった生態系、地球や宇宙など)
が実にうまくできている、ということは、
どうしたって認めなければならないと思います。

ということで、、、
一応、今週からは「神様はいるんだ」という前提で
話をさせていただきますので、ご了承ください。

『感謝』

さあて、
私たちは、一体どんな時に「感謝」をしますか。
誰かに何かをもらった時?

まあ、
小さい頃から、何かをもらったら「ありがとう」
と言うように、仕込まれてきましたからねえ。
大抵の人はきっと
「ありがとう」
と言って、感謝をしていることと思います。

しかし、、、
誰かから何かをもらった時には、ちゃんと「ありがとう」を言える私たちではありますが、

神様に対しては、、、、

どうでしょう?
どれくらいの人が、神様に「ありがとう!」って
日常的に言っていますか?


私たちは、神様から数えられないくらい、たくさんのものをもらっています。

まずは、この体ですね。
目は、誰がくれたのでしょう。
鼻は?
口は?
手は?
足は?
心臓は?
肺は?
体の中にあるもの、全てが全て、神様が私たちにくれた贈り物ばかりです。

しかし、私たちはついつい
「自分の体、自分の目、自分の鼻、自分の耳」
自分の、
自分の、
自分の、と
あたかも、自分が汗水流して働いた金で、買ってきたような物のように言います。

どの体の部分一つとったって、
”自分の努力”や
”自分のお金”で
得た物なんて、何にもないにもかかわらず。

全てが全て、神様からいただいた贈り物なんです。
もちろん、体だけが贈り物ではありません。
体だけあったって、生きていけるわけではありませんからね。

空気だって吸わなきゃいけないし、
水も飲まなきゃいけないし、
食べ物も必要だし、、
作物を得るためには、土やら太陽とか、
いろいろな物が必要になってきます。

土を創ってくれたのは、誰でしょう?
太陽の光を創ってくれたのは、誰でしょう?
水に空気に、動物に、、。

私たちが生きていく上で必要な物は、
全て神様が私たちのために、創ってくれた贈り物ばかり。

空気にお金を払っている人はいますか。
太陽の光や雨にお金を払っている人はいますか。
親指を得るのに、お金を払ったって言う人はいますか。

どれもこれも”タダ”で、神様が私たちに与えてくれているのです。
そして、どれもこれもなくなってしまったら、大変困るものばかりです。

彼女や彼氏からもらったプレゼントを失くしてしまったとしても、生きていくには困りません。
(ちょっと怒られたり、それが原因で別れちゃうかもしれないけど)

でも、神様からの贈り物が失くなってしまうと、生きて行く上で非常に困難を感じます。
そのくらい、神様からの贈り物は高価なんですねえ。

例えばもし、指を失ってしまったら、、、、?

どれだけお金をかけたとしても
完璧に元の形に戻す、というのは、無理でしょう。
世界中のお金と世界中のトップレベルのお医者さんを集めても
多分、無理だと思います。

そんなに高価で、貴重な指を手に10本、足に10本も もらっているのです。
有難い!

また、もしあなたが
「一千万円あげるから、目を一個ちょうだい。」
と言われたらどうしますか。

フツーは「いいよ」とは言わないですよね。
(よっぽど困っていたら、別かもしれませんが、、)

目も鼻も、手も、足も、全部が全部、金額をつけられないくらい高価で貴重なものばかりです。
そーんなに超貴重なものを、私たちは産まれた瞬間から”タダで”もらっているんですね。
有難いことです。

本当に、ものすごーくありがたいことなのに、そのことに対し
「ありがとう」と
神様に、毎日言っている人は、なかなかいません。(私も含めて)

毎日フツーに見ているから、あって当たり前になっているのかもしれませんね。
でも、
決して当たり前のことではないのです。
いつ事故にあって、足がなくなるか分からないし、
いつ病気になって、胃を切除しなければならなくなるかわかりません。
だから
大事に使って、常に感謝をしたいものです。
なくなってから、初めてその”有り難み”に気がついても
もう、元には戻らないでしょうから。

さて、、、

今週は、
その、あって当たり前と思っているものの一つ。
「食べ物」について、少し考えてみましょう。

我が家には子供が7人います。
そのうちの一人が「何よりも食べるのが大好き!」と言う子がいるのですが、、、。

その子に、こんな質問をしたら、なんて答えるでしょうか。

「もしさ、神様が食べ物を一種類しか創らなかったら、どう思う?
 例えば、玉ねぎだけとか。
 玉ねぎだけ食べていれば、必要な栄養が全部取れるようにつくったとしたら?」

その子の答えは、きっと

「エーッ!嫌だよそんなの。」

に、なることでしょう。

神様は、本当にいろいろな野菜や果物を創ってくれました。

日本だけでなく、世界に目をむけると
もう!おっもしろい野菜や果物がいっぱいあるんですよね。
サウジアラビアにも、日本にはない野菜が結構ありますよ!
おかげで、私たちはいろいろなものを食べ、それらを楽しむことができるんです。

興味深いのは、
どの作物を見ても、基本的に必要なのは、種と土、太陽と水。
必要な物(原材料)は、同じなのに
出来上がる物が全く違う、というのもすごいですよね。

それに
寒い地方でできる野菜等は、体を温める力があって、
反対に暑い地方でできる食べ物は、体を冷やす効果がある。

そう!
いろいろな味を楽しむだけでなく、
神様が創ってくれたものは、体にいい!
人間がつくったものは、いろいろと”アヤシイー”ものが入っていたりしますが、
神様がつくった天然物は、体に超優しくできている。

食べ物のことを考えるとき、神様ってすごいなあ、と思うと同時に
「神様ありがとうございます!」と
心から思います。


我が家にはまた、「水が大好き!」
と言う子もいます。
(そういうことを言うだけあって、痩せてます、やっぱり。)

水、、、
本当に、超必需品ですよね。
飲んだり、料理に使ったり、だけでなく
洗いもの、掃除、全てになくてはならない存在です。
喉が乾いたら、ジュースを飲む事は出来ますが、
掃除にジュースや、牛乳というわけにはいきませんからね。

それに、あの味が絶妙!
味がないようで、あるし。
一生飲み続けても、飽きませんね。



さーて 水について、
神様はクルアーンの中で このようにおっしゃっています。

『またあなた方の飲む水について考えたか。
 あなた方が、雲から(雨を)降らせるのか、
 それとも
 われが(アッラーが)降らせるのか。
 われがもし欲するならば、それを塩辛くすることができる。
 あなた方はどうして、感謝しないのか』

 (クルアーン86:68~70)

もし、、、
お水がしょっぱかったら、、、
うちの子きっと悲しくなっちゃうだろうなあ。

さあ

「神様に感謝する」

というのは、一体
どういうことであるのか、、、、

来週からしばらく
「それ」をテーマに書かせてもらいます。


今日もお付き合いいただきましてありがとうございました。
みなさまに神様からの祝福がたくさんありますように!


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レビューを書いてくださった方々 どうもありがとうございました!

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せっかく生まれてきたのです。
神様に守られた平和な現世を歩きたくはありませんか。
そして来世では、天国に入って
”永遠に” ”幸せ” に暮らしたくはありませんか。
方法はとてもシンプルです。
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