神に帰る生き方

せっかく生まれてきたのだから、心平安に生きていきたい!と思う。

神様の世界史45 神様からのガイドライン

2023-01-27 03:53:09 | イスラム教
前回は、アダムとハワが地上に降りたこと。
そして、地球というのは、神様からの慈悲に満ち溢れているという事を
書いてみました。

こんにちは、ファーティマ松本です。

私達が住むこの地球という場所には、
戦争あり、貧困あり、憎しみ、妬み、怒り、悲しみといった
たくさんのマイナスなものがあるのは誰もが知ることでしょう。
しかし、そういったマイナスなものというのは、
全て私達人間の手によって作り出された物であります。
神様は、私達にそんな嫌な事を望んではいらっしゃらないのです。

神様は、地球に降りた二人に対し、
たくさんの物資を与えられたのは、前回で書いた通りですが、
それだけではありません。

私達がただ、この地球で生き延びるのに必要なものだけでなく、
どのように生きていけばいいのかといったガイドラインも与えてくださったのです。
そのガイドラインに沿って暮らしていけば、今までいた所、天国へ戻れるという保障付きです。
そして、この現世での生活にも意味を持つようになり、満足を得られるという大オマケまであります。

『われの導きに従う者は、恐れもなく憂いもないであろう。』(2-38)

これらのことから分かるのは、神様はアダムとイブをすっかりお許しになっていて、
決して懲罰を与えるために二人を地上に送ったわけではないということです。
神様というのは、なんでも許して下さるお方であり、とてつもなく優しいのです。
地上での生活は、確かに楽なものではありませんが、
しかし、決して絶望だらけのものでもありません。
辛いこともあるけど、楽しいいこともある。
嫌な人もいるけど、善い人もいる。
どっちに自分の気持ちをフォーカスするか、が重要です。
善い方に目を向け、そのことに感謝をすれば、
神様はもっと増やしてくれると約束されています。

『もしあなたが感謝をするなら、われは必ずあなた方に対する恩恵を増すであろう。
 だがもし、恩恵を忘れるならは、わが懲罰は本当に厳しいものである。』(14-7)

さて、 再会を果たしたアダムとイブは、かなり長生きをしました。
一説によると、アダムは1000年近くもの間、地球で暮らしたとあります。
1000年も生きていたのですから、たくさんの子供に恵まれたようです。

次章から、アダムの次の世代の話に移ります。

今日もお付き合いいただきましてありがとうございました。
みなさまに神様からの祝福がたくさんありますように!

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成功とは、
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そして、イスラム教とは?
人生というものを、今までと違った見方で見られるようになった樹里は、
一歩を踏み出せるようになるのでしょうか。


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神様の世界史44 地上に降りた二人への恩恵

2023-01-20 03:51:06 | イスラム教
前回は、禁断の果実を口にしてしまったアダムとハワ(イブ)が神様に謝ったこと。
そして、神様は二人をすぐにお許しなったことを書いてみました。

こんにちは、ファーティマ松本です。

アダムとイブは、己の犯した事の結果として、地上に落ちることになりました。
しかし、仲良く二人一緒に同じ場所に降り立ったわけではないようです。

学者さんの間で、アダムはインド辺りで、
イブは現在のサウジアラビアの西海岸にある、大都市ジェッダ辺りに降り立ったという人もいますが、
これはどれも定かな話ではありません。
何しろ私達の預言者さん(平安あれ)は、このことについては何も語っていないのですから。
しかし、もし二人が地上で別々の場所に降り立ち、再会するのに何年もかかったというのであれば、
地上での生活は最初からなかなか大変だったようですね。
天国での生活とは、やはり雲泥の差であります。

「なんで神様はそんなことをするの」
「なんでわざわざ大変な思いをするようにするの。」
と思われるかもしれませんが、ここにも大事な教訓が隠されているのです。

今、私達が生きているこの現世というのは、そのように創られている場所なのです。
つまり、
楽しいこともあるけど、辛いこともある。
うれしいこともあるけど、悲しいこともある。
好きな人もいるし、嫌いな人もいる。
やりたい事もあるし、やりたくない事もいっぱいある。

それに反し、アダムとイブがいた天国というのは、いかなるネガティブな事が存在しない場所でした。
楽しいことがあって、うれしいことがあって、やりたいこと、欲しい物全てが叶えられる場所。
完全完璧なる場所なのです。
例えば、
生きている間は子宝に恵まれなかった人は、天国では簡単に子供を得ることができるでしょうし、
掃除をいやいややっていた人は、もうやらなくていい。
排泄関係で悩んでいた人は、もうトイレにも行かなくていいのです。
現世においては、どんな美男美女でもトイレに行かずには生活できませんよね。
でも、天国では、トイレに行かなくてもいい体の構造になるとのこと。
これって、かなりうれしいですよね。

ちなみに、天国では全員が美男美女になれるそうですよ。
生きている間は、容姿問題にだれでも悩まされると思います。
お肌にハリがなくなったとか、お腹周りがひどい事になっているとか、、、。
しかし、そんな悩みはきれいさっぱりなくなります。
肥満だの、痩せすぎだのといった概念すらなくなります。
美味しい物をひたすら食べても、決して太らない体になる。
それが天国です。

しかし、地上の生活では、皆さんよくご存じのようにそうはいきませんよね。
食べて動かなければ、どうしたって太ってしまうし、それよりも病気になってしまいます。

ここでの生活は、どんなに頑張ってみても、できないことがたくさんあります。
どんなにお金持ちになったとしても、辛いこと、嫌な事はいっぱいあります。
病気になるかもしれないし、好きな人と死別しなければならない時だってあるでしょう。
そんな危機に対し、お金というのは全く万能ではありません。
お金を払ったら、代わりに病気になってくれる人なんてどこを探してもいませんし、死んだ人を返してくれる人もいません。

また、どんなにスゴイ権力を手に入れたとしても、いつの日にかは、その権力というものを手放さなければならない時が来ます。
または、常に暗殺の可能性に怯えなければならないかもしれません。
好きな人とずっと一緒にいたいと思っていたとしても、心変わりするかもしれないし、
どちらかが先に逝ってしまうこともあります。
可愛らしかった子供達だって、親元を離れて巣立っていく日が必ずやってきます。
ずーっと、可愛いままで、一緒にはいてくれないのです。
このように、この現世においては、
何もかも完璧に、自分の思い描いたように事は運んではくれません。

つまり、完璧に幸せになりたい。
欲する物を全て手に入れたい。
やりたいことを全部やりたい。
好きな人といつも一緒にいたい。
と、思っている人にとって、今いる地上というのは、どうもあるべき所ではない、間違った場所であるわけです。
完全完璧なる幸せを手に入れたかったら、どうしても天国へ行くしかないのです。

アダムとイブも、地上に降り立った後、ここは天国とはずいぶんと違うなあと、思ったのではないでしょうか。
しかし、

それと同時に、二人は神様からのたくさんの祝福、たくさんの贈り物にも気が付いたと思います。
なぜなら、地上に降りた二人に対し、神様はたくさんの良い物を与えてくださったからです。
肥えた土、たくさんの太陽光、雨(水)、色々な種類の食べ物、そして私たちの益になってくれる動物達。
神様は私たちにたくさんの物を与えてくださっているのです。
決して必要最低限の物だけではありません。
必要以上の、たくさんの物を与えてくれています。
神様は、いつだって寛大なのですから。

少し想像してみましょう。
もし、この世の中に食べ物が1種類しかなかったとしたら。
その1種類の食べ物で、生きていくのに必要な栄養が全て取れるとしたら、どうでしょう。
例えば、玉ねぎのような形をした物があるとしましょう。
それを食べればタンパク質もミネラルも全て取れる。
まさしくスーパーフード的な食べ物があったとしたら、どうでしょうか。
毎日、毎日、朝も昼も夜も夜食も、おやつも全てそれだけであったとしたら?
ちょっと、嫌ですよね。
そんなの、はっきり言って今の私達には到底耐えらることではありません。
色々な物を、やはり食べたいですもんね。

神様は私達にそのような食べ物を一種類だけ、実際に与えることができたのです。
しかし、知っての通り、そんなことはしなかった。
反対に、一生かかっても食べきれないほどの、色々な種類の食べ物をお与えになってくれました。
この世の中には、私達が見たことも聞いたこともないような果物、野菜、お魚、色々な食べ物があります。
これらはまさしく、神様から私達への贈り物です。

同様に、飲み物も水だけであったらどうでしょう。
コーヒーや、お茶、ジュースに牛乳、そのようなものがなかったとしたら。
寂しいですよね。
コーヒーもお茶も、ジュースも牛乳も全て神様が私たちのために与えてくれた贈り物です。
色々な種類の飲み物は、生活に潤いをもたらしてくれます。
たくさんの種類の果物や野菜、お肉が有るおかげで、毎日の生活が楽しくなったりするわけです。
本当に、有難い話ではありませんか。

学校では、子供達に
「食べ物を生産して、それを販売してくれる人々に対し、感謝をしましょう」と教えていると思います。
それは、とても素晴らしいことです。
お米を始めとした多くの作物は、作るのに、驚くほどの手間がかかるし、お金もかかります。
その上、ちゃんと収穫ができるかどうかは、収穫時期が来るまで分からないというのですから
大変だなんて、一言では言い尽くせないお仕事をしてくれています。
生産者さん達のおかげで、消費者である私達は美味しいお米や野菜、果物を毎日口にすることができるのです。
本当にいくら感謝をしても、足りないくらいです。

しかし、生産者さん達に感謝をする前に、まず神様に感謝をする必要があります。
なぜなら、お米や、野菜、果物、肉、乳製品等々を創ってくださったのは、神様なのですから。
私達はそんな神様に感謝をちゃんとしているでしょうか。

アダムとイブが天国から地上に落ちたと表現すると、
なんだかこの地上というのはあんまりよくない所のような気がしてしまうかもしれませんが、
実はこの地球という星一つを見てみても、神様の慈悲がそこかしこに見え隠れしています。
何しろ、
私達人間が地上で生活していくのに、必要なものは全てこの地球から来ているのですからね。
食べ物、洋服、家屋、石炭や石油などなど(太陽の光はちょっと例外ではありますが)ほぼ全ての必需品は、
この地球から出ているものばかりです。
家の中をぐるっと見回して目につくものの中に、どこか分からない惑星から取ってきたものが原材料の物なんてあるでしょうか。

この地球は、神様が人間に与えてくれた大きな大きな贈り物の一つであります。
大事に、大事に使わせてもらいましょう。

来週に続きます。

今日もお付き合いいただきましてありがとうございました。
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神様の世界史43 神様の御赦し

2023-01-13 03:21:56 | イスラム教
前回は、アダムとハワ(イブ)が、「この木に近づいてはいけない」と
言われていた木の実を口にしてしまったお話をしました。

こんにちは、ファーティマ松本です。

アダムとイブが口にしてしまった木の実について
多くの人は、アダムとイブに禁じられたのは、リンゴの木であったと思っていると思います。
(アップル社の、あのロゴは有名ですよね。)
しかし、クルアーンの中では二人が”リンゴ”を食べたという記述はありません。
イスラム教の学者さんによれば、その木はもしかしたらブドウだったのかも、イヤイヤ 
イチジクだったかもといった意見があります。
しかし、問題はなんの実を食べたかではないでしょう。
重要なのは、二人が禁じられた果実を食べてしまったことと、そしてその後に何が起きたかです。

ということで、続いて何が起きたのかを、またクルアーンの中から見てみましょう。

「その時主は、彼らに呼び掛けて仰せられた。「われはこの(あの)木をあなた方に禁じたではないか。
また、悪魔はあなた方の公然の敵であると告げたではないか。」(7-22)

神様は悪魔っていうのは、超ヤバイ奴だから注意しなければいけないと二人に言ってありましたよね。

『かれは(悪魔は)、あなた方にとって公然の敵である。』(6-142)

また私達にも同じように、警告をされています。

『アーダムの子孫よ、悪魔に仕えてはならないとわれはあなた方に命令しなかったか。
 かれはあなた方の公然の敵である。』(36-61)

さて、神様に怒られてしまったアダムとイブはどうしたのでしょうか。
クルアーンの記述を見てみましょう。

「彼ら両人は言った。
「主よ、私達は過ちを犯してしまいました。
 もし、あなたのお許しと慈悲をお受けできないのであれば、私達は必ず失敗者の仲間になってしまいます。」
(7-23)

アダムとイブは直ぐ様、神様に許しを請いました。
直ぐ様、ですね。
悪いことをしてしまったら、すぐに反省をし、方向転換をするのが大事です。
やってしまったことは、もう本当に”やってしまった”ことです。
隠して、なかったことにすることはできません。
例え、誰も気が付いていなくても、自分と神様はちゃんと知っています。
神様と自分を欺くことはできません。

反省をし、許しを乞う二人に神様は、

『主は彼らの悔悟を許された。
 本当に、かれは寛大に許される慈悲深いお方であられる』(2-37)

と、あるように、神様は二人をすぐにお許しになりました。
神様は、人を許すのが大好きなお方なのです。
大好きだから、どんな罪でも許すとクルアーンの中で何度も強調されています。

アダムとイブは、罪を許されたわけですが、しかし、それで終わりというわけにはいきません。
禁じられた果実を食べた瞬間に、裸になってしまったのと同様、
行動したことに対する、結果というのを受けねばなりませんでした。
そうです。
アダムとイブは二人揃って、地上に降りる事になったのです。

『われは言った。
「あなた方はここから落ちていきなさい。やがてあなた方に必ずわれの導きが恵まれよう。
 そしてわれの導きに従うものは、恐れもなく、憂いもないであろう。」(2-38)
 
地上に降りる事になった2人には、導きがあるようです。
それに従えば、恐れもなく、憂いもない、とのこと。

恐れというのは、将来に対する不安のようなもの。
反対に憂いというのは、過去に対するネガティブな感情ですね。
私達人間というのは、たいていこの将来に対する不安と、過去に犯してしまったいろいろな行いを後悔する感情。
この二つにさいなまれていると言っても過言ではないでしょう。

しかし、神様が定めた道を歩いている限り、将来に不安は覚えない。
そして、過去に犯した諸々の行いを恥じ、後悔することがない、そうです。


それでは、ここで聖書のお話を見てみましょう。
キリスト教におけるアダムとイブの話と、イスラム教のお話には似ている個所もあります。
また、かなり大きく違うところもあり、両者の違いを知ることは非常に重要な事であると思います。

聖書では、アダムとイブの前に、悪魔(イブリース)ではなく蛇が現れたとあります。
そして、蛇が彼ら二人に、この木の実を食べろと誘惑したようです。
「この木を食べると、一生死なないよ。永遠の命が手に入るんだよ。」と言って。
そして二人がリンゴの木を食べると、裸であることが分かり葉っぱで隠そうとします。
ここまでは、結構似ています。

問題は、この後です。
神様が、二人にどうして食べたのかと聞かれると、
アダムは「イブが食べろって言った」からと、食べた理由をイブのせいにしました。
イブはイブで、蛇が悪いんだと、こちらも蛇のせいにしました。
怒った神様は二人を楽園から追放し、イブ(女性へ)の懲罰として、出産を大変なものとし、
蛇への懲罰として、手足をなくし、腹で這うようにさせたとあります。

なるほどですね。
神様は、二人を許されなかったようです。
そして罰として、全女性に出産を。
蛇からは両手足を取り上げた、らしいです。

アダムとイブは禁じられた果実を食べました。
二人は、その罪を人のせいにしました。
自分の行いを悔いることなく、自分の行いを正当化したのです。
これが原罪の起源のようです。
つまり、アダムとイブのおかげで、私達は産まれながらにして罪人。
その上、イブがそそのかしたので、女というものは男を惑わす、堕落させるものと考えられているわけです。

ここら辺から随分と違う感じのお話になってきました。
キリスト教の経典(聖書)は、人間の手が加わり、何度も書き直されています。
その度に、少しづつ少しづつ、変わっていってアダムの話もこういう形になったのでしょう。


イスラム教的には、原罪という概念がありません。
なぜなら、私達は自分の行動にだけ責任を負うのであって、
決して人の行いについてまで、問われることはないからです。
アダムとイブの行動に対する結果は、彼らだけが負うものです。

ついつい自分の行動の理由を、
「だって、あの人があんなことを言うから」とか
「あの人があんなことをしなかったなら、私だってこんなことをしないで済んだのに。」と
言いたくなることがあるかもしれません。
でも、いくらあの人があんなことを言ったとしても、その行動をとったのは、自分自身です。
自分の行動は、自分の責任なのです。

また、イスラム教において、出産が懲罰だなんて言葉は一度だってクルアーンの中に出てきません。
確かに出産というのは、大変です。
今と違って、昔であったら命を落としてしまうことだってあったでしょう。
でも、出産の為に命をなくした女性は、殉教者とみなされます。
殉教者、それはつまり、天国一直線という意味です。
出産が如何に、スゴイことであるかが分かると思います。

そんな大変な出産だけでなく、妊娠期間もとても辛くて大変であるとクルアーンには書かれてあります。
だから、そんな大変な思いをして産んでくれたお母さん(それからお父さんもついでに)を大切にしなさいと
神様は何度もおっしゃっています。
預言者さん(平安あれ)も、天国は母親の足元にある、と仰ったくらいです。

アダムとイブのお話というのは、非常に奥が深いので、クルアーンの中で、何か所に渡って教えてくれています。
同じ話をキリスト教のものと比べると、より一層、有難みが増します。

最後に、なぜ神様はアダムとイブは許されたのに、イブリースの事は許さなかったのかについて考えてみたいと思います。
アダムとイブは神様の言うことを聞きませんでした。
それはイブリースも同じです。
アダムにサジダをしろと言われた時、イブリースは額を地につけませんでした。
アダムもイブリースも、神様の言い付けを聞かなかった点では全く同じです。
なのに、アダムは許され、イブリースは許されなかったのはなぜでしょう。

アダムとイブは自分の行いを反省し、許しを乞うたのに対し、イブリースはそうしていないのは明瞭な違いです。
しかし、もう一つ決定的な違いがあったのです。
アダムとイブが神様の言うことを聞かなかった理由は、欲から出ています。
それに反し、イブリースはうぬぼれ、そして高慢さからきているのです。

同じ罪を犯すとしても、高慢さ、または自惚れから出た物というのは懺悔をしにくいようです。
自分の罪を認め、それを悔い改めるということがなかなかできないのです。
しかし、欲望や欲求から出た罪というのは、
「あー、やっちゃった!」と思うことが出来ます。
そのように思うことが出来れば、あとはお許しを願いながら軌道返還をすればいいだけです。

「あー、やっちゃった。」と思い
許しを願い、軌道返還をするという一連の行いは、神様視点では非常に高尚な行いです。
ですから、罪を犯す前のきれいな状態よりも、この行動を起こした後の人の方がとっても”エライ”そうです。

アダムとイブがまさにそうでした。
そして、イブリースはそれをしなかった。
それが許されなかった大きな理由のようです。
私達も、高慢になったり、自惚れ過ぎないように注意をしたいものです。

今日もお付き合いいただきましてありがとうございました。
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神様の世界史42 アダムとイブがついに!

2023-01-06 03:05:10 | イスラム教
神様からの"決まり事”というのは、
結構”緩い”という事を前回は、書いてみました。

こんにちは、ファーティマ松本です。

アダムとイブに対する神様からの”お決まり事”も、結構緩いものでした。
たくさんある木々の中から、一本の木だけに近づかなければよかったのですから、
かなり楽であったはずです。
何しろ、彼ら二人にとって、食べられる果実の方が何千、何億倍と多かったのですからね。
たった一本の木に近づかなければ、後はどの木からでも好きなだけ取って食べていいと言われていたわけですから
かなり、楽勝であったはずでした。

しかし、彼ら二人の前に、例の悪魔と化したあのジン(イブリース)が現れたのでした。
イブリースは彼らにこう言ったそうです。
「大丈夫、大丈夫。あの木の果実なんて食べたって、全然大丈夫よ」と。
「って言うか、食べたほうがいいと思うけどなあ。
 だってさ、なんで食べちゃダメって言われているか知ってる?」

こんな風に彼は二人に囁いたのです。
クルアーンを見てみましょう。
実際にイブリースがアダム達に言った言葉が書かれてあります。

『「あなた方の主が、この木に近づくことを禁じられたのは、あなた方が天使になるか、
  または永遠に生きるのを(恐れられた)からである。
 そして彼は彼ら両人に誓って言った。
「私はあなた方の心からの忠告者である。」』(7-20,21)

心からの忠告者、、だそうです。
それも、「神に誓って」と言ったわけですね。
これは、人類が初めて直面した大ウソでありますが、アダムもハワ(イブ)もこれがウソであったなんて、
その時には分かりませんでした。

のちに、アダムは自分の息子からこんな質問を受けました。
「どうしてお父さんは、私達の主であるアッラーの言い付けを守らなかったの?」
お父さんになったアダムにとって、自分の子供にこんなことを聞かれるのはちょっとばかり辛い所でしょうが、
アダムはこう答えたそうです。
「アッラーに誓ってと言いながら、ウソをつける者がいるなんて、思いもしなかったんだよ。」

アダムもイブも、きっと心がきれいだったのですね。
人を疑うという心を持っていなかったのでしょう。

世の中には、人の良さそうな顔をして、人を騙そうとする人が結構います。
「これは、絶対に儲かりますよ。」
「買っておいた方がいいですよ、これはあなたの為に言っているんですよ。」
みたいな会話、ヤバイですよね~。
あなたのため、あなたのためと口で言っておきながら、あなたの事なんてなんとも思っていない、
いや良いカモぐらいにしか見ていない輩はたくさんいます。
彼らは人間の顔をしていて、実は悪魔の仲間であるかもしれません。
要注意です。

ほぼ全てのことがオーケーで、ほんの一部だけがダメであると言いましたが、
人間も同様、ほぼ全ての人は良い人であると思います。
しかし、ほんの一握りの人が、悪魔のような存在なのです。
悪魔というのは、ジンばかりでなく、人間の中にも存在しています。
注意をするに越したことはないでしょう。

アダムとイブは、悪魔の言葉を聞いて、まさかそれが大嘘だなんて思いもしなかったわけですが、だからといって
「あ、そうだったの?」
とすぐさま、その果実を食べたわけではないようです。
私達の祖先は、賢かったのです。

しかし、イブリースはあきらめません。
忍耐強く、何年も待ちます。
二人がその木の果実を食べるまで。

もし、人間が悪魔たちを見習うとしたら、それは彼らの忍耐強さではないかと思います。
彼らは私達が彼らの言いなりになり、悪事に手を染めるようになるまで何年でも待てるのです。
ジーっと、忍耐強くその時が来るのを、、、、。
恐ろしいですよね。
それに反し、人間というのはせっかちにできています。
私達には何年もジーっと、その時が来るのを待つなんてことは、なかなかできません。
すぐさま、結果が見えないと嫌になってしまいますからね。

さて、さて、いったいどのくらいの月日がたったのか分かりませんが、
あるとき、アダムとイブはとうとう、その禁じられた木になる果実を食べてしまいました。
クルアーンにはその時の状況が、詳しく書かれてあります。

『こうして彼は、彼ら両人を欺いて堕落させた。
 彼らがこの木を味わうと、その恥ずかしい所があらわになり、二人はその木の葉でその実を被い始めた。』(7-20)

ここでも、色々と注意するべき点があります。
まず彼ら二人は、果実を食べたのではなく、味わったとあります。
ムシャムシャと食べたわけではないようです。
ちょっと口に入れて、味が分かったか、分らなかったか、、といったようなそんな瞬間に、
二人に何かが起きました。
彼ら二人が犯した行為の結果がが、すぐさま現れたのでした。

なんと、彼らのその恥ずかしい所が露わになってしまった、とのこと。
二人は、それまではちゃんと洋服を着ていたでしょうに。
その洋服が消えてなくなってしまった(?)ようですねえ。
ですので、直ぐに葉っぱで秘部を隠さねばならなくなったようです。

二人のように、罪を犯して、そのすぐ後に懲罰が下るというのは、実は非常に良いことなのです。
自分の犯した罪をすぐさま理解し、懺悔することができますから。
しかし、もし、すぐに懲罰が下らなかったとしたら、どうでしょう。
「なーんだ、全然大丈夫じゃん。」
とばかりに、どんどん悪事を続けることになり、
多くの場合、悪事がエスカレートしていくことになります。
「大丈夫、大丈夫」とやりたい放題をしている間に、ある日いきなり神様の懲罰が下るとしたら、
それは、相当大きなショックを与えるはずです。
たとえてみれば、
犬が長い、長い鎖でつながれているようなものです。
犬は、長い鎖でつながれているのに気づかず、どんどんどんどん猛スピードで走り回ります。
しかし、ある日鎖いっぱいいっぱいの距離まで、走っていったら、、、、
鎖によって、反対に強く引っ張られることになります。
可哀そうですよね。

時に、神様は悪事を働く者を、そのままに放置します。
悪事を働いている人は、そのせいで有頂天になっているかもしれません。
しかし、これは非常に避けたいことなのです。

神様は、彼らが有頂天になっている正にその時、思ってもみなかったような時に、ドーンと懲罰を与えるかもしれません。
今、世界中でやりたい放題をしている人たちがいます。
彼らは国のトップにいる人達かもしれませんし、
または陰で国を操っている人達かもしれません。
警察に捕まることなど決してないような存在です。
しかし、彼らも例外なくいつか神様からの懲罰を目の当たりにする日がやってくるはずです。

神様からの懲罰をすぐに目の当たりにしたアダムとイブは、急いで葉っぱで隠しました。
しかし、
考えてみれば天国には他に人間はいません。
それに二人は夫婦なんだから、そんなに焦って隠さなくてもいいのでは?と思われますが、
人間というのは、根本的に平気で裸でいられないようになっているのではないかと思います。
よく自然に帰る、つまり真っ裸で暮らす、という人がいますが、それは人間にとっては非常に不自然であると思います。
一人の時だって、裸んぼで暮らす人なんて、そう多くはないでしょう。
動物は人前で、平気で裸でいられますが、人間にはとてもではないですが、無理な事です。
平気で裸で人前に出られる人というのは、非常に動物に近いのでしょう。
動物にとっては、それが正しい事でありますが、人間にとっては、それは罪であります。
警察のお世話にもなってしまいますしね。
やはり、洋服は着た方が良いでしょう!(笑)

今日もお付き合いいただきましてありがとうございました。
今年も、みなさまに神様からの祝福がたくさんありますように!

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イスラム的な人生の処世術!
あなたは何のために生まれ、何をして生きていけばいいのでしょう。
人生の目的は?

せっかく生まれてきたのです。
神様に守られた平和な現世を歩きたくはありませんか。
そして来世では、天国に入って
”永遠に” ”幸せ” に暮らしたくはありませんか。
方法はとてもシンプルです。
今まで知らなかったイスラム教に出会える本です。
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