神に帰る生き方

せっかく生まれてきたのだから、心平安に生きていきたい!と思う。

感謝の話はこれで最後

2018-12-29 21:54:10 | イスラム教
嫌なことが起きた時には感謝をしよう。
感謝をすると
自分に与えられた良いものが見えるようになってくる。

ということを前回は書いてみました。


こんにちは ファーティマ松本です。

パム・グラウトという方が
『「感謝」で思考は現実になる』
という大変おもしろい本を書いてくださっています。

少しご紹介しましょう!
(以下 引用)

ナポレオン・ヒルは「思考は現実化する」と言った。

だがじつは、本当の力は、「思考」の中の、「感謝」にある。

もしもあなたが今、過去のことをくよくよと思い悩み、うまくいかない現実しか見えなくなっているのなら、
今すぐに考えるのをやめて、代わりに感謝をしてみよう。


「え?感謝?本気で言っているの?」

「何て言うか…それってありきたりじゃない?」

「今さら『感謝』とか言われても、当たり前すぎて…」


いいえ、ちょっと待ってほしい。

この本で言っている「感謝」は、そんな薄っぺらなものではない。

これを「猛烈な感謝」と呼んでもいいし、「見境のない感謝」と呼んでもいい。

とにかく、口だけの、甘ったるい、感傷的な「感謝」とは違う。


どういうことなのか説明しよう。

私たちの人生には、うまくいっていることが数え切れないくらいある。

しかしそれは、意識して見つけようとしないと、そして見つけたらすぐに感謝をしないと、頭の中にある意地悪な声にすべてかき消されてしまうのだ。


感謝する対象を見つけるのは、一種の「戦い」だ。

この戦いをやめると、頭の中の意地悪な声…「人生は最低だ」「自分は最低だ」などという声に、人生を占領されてしまう。


頭の中の意地悪な声は、ニュース番組の画面の下に流れているテロップのようなものだ。

放っておくと、いつまでも延々と流れている。

そして、ネガティブな声ばかり聞いていると、宇宙からのすばらしい贈り物が見えなくなってしまう。

この地球上の存在すること、今日という日を生きていること、人生という冒険を楽しんでいること…そのすべてが、宇宙からの贈り物だ。

それなのに、意地悪なウソの声…「人生は最低だ」「人生はつらい」…を信じてばかりいると、無限の可能性とつなりが断たれてしまう。


「感謝」するのは、けっして難しいことではない。

ただ、日々の生活で少し立ち止まり、絶対的な宇宙の存在を意識するだけでいい。

そうすれば、より深い真実に気づくことができる。

幸せな現実に気づくことができる。




と書いていらっしゃいます。

また、

『大切なのは、「すべてに感謝する」ことだ。
よく見えようが悪く見えようが、あらゆる物事に感謝する…これが私の言う「猛烈な感謝」だ。


とも書いてあります。

すごいですねえ。
「猛烈な感謝」だそうです。
見習いたいと思います。

感謝をしないと、、、
「宇宙からのすばらしい贈り物が見えなくなってしまう」そうです。

そして
感謝をすれば、
「幸せな現実に気づく」らしいです。

全くもって、正しいですね。

日々の生活の中に眠っている
小さな喜びや幸せを
自分の意思の力で
無理やりゆすり起こし
そして
感謝の力で
それを最大限に大きくさせていけたら、、、
この生きづらい現世も、なんとかやっていけるのでは
ないでしょうか。


それでは
皆様、良いお年をお迎え下さい!

今日もお付き合いいただきましてありがとうございました。
みなさまに神様からの祝福がたくさんありますように!

======================
アマゾンから電子書籍発売中!

「イスラム的現世の歩き方」
http://www.amazon.co.jp/dp/B01HQB2VPW/
イスラム的な人生の処世術!
あなたは何のために生まれ、何をして生きていけばいいのでしょう。
人生の目的は?

せっかく生まれてきたのです。
神様に守られた平和な現世を歩きたくはありませんか。
そして来世では、天国に入って
”永遠に” ”幸せ” に暮らしたくはありませんか。
方法はとてもシンプルです。
今まで知らなかったイスラム教に出会える本です。

嫌な事が起きた時には感謝をしよう!

2018-12-21 06:40:48 | イスラム教
嫌な事が起きた時には
「何か感謝できることはないか」
といろいろ考えてみる。
頑張って探せば、
必ず何かしら感謝をする要因が見つかるはず。

ということを前回は書いてみました。



こんにちは ファーティマ松本です。

稲盛和夫氏が『ありがとう おかげさま』という本の中で
こんなことを書いていらっしゃいました。
(以下 抜粋)

人生は、照る日もあれば曇る日もあります。

幸運がめぐっているときはもちろんのこと、災難に遭ったときにも、修行だと思い、自分が生かされていることに「ありがとう」
と感謝することが、こころを清らかにし、運命をよい方向へ導きます。

しかし、そうはいっても、現実には人のこころは弱いものです。

いつもいつも感謝の気持ちを持ち続けることは、容易なことではありません。

困難や災いにぶつかれば、不平や恨み言を言いたくなって当然です。

かといって、物事が順調に進んでいるときなら自然と感謝の思いを抱くとも言い切れません。


調子がいいときは、それが当たり前のことに思えて、もっと大きな幸運、もっと強い満足というように欲望が膨れ上がってしまい、
「ありがとう」の言葉など吹き消してしまいがちなのです。

このように人間はおろかなものだからこそ、まずは、何があっても感謝することを忘れないように自分の理性によく働きかけて、
いつでも「ありがとう」と言えるように、こころの準備をしておくことが大事ではないでしょうか。

人間として正しいことをやっていれば、自ずと道は開かれるという信念の下に、私は自分自身の人生も企業経営も進めてきました。

そして、残る人生も変わらず、あらゆるものに対して、「ありがとう、ほんとうにありがとう」と、
こころから素直に言えるような生き方をしていきたいと思っています。
(以上)

「人間として正しいことをやっていれば、、、」
という箇所、良いですねえ。
私も同感です。

短期的に見た時に、
正しい事をしたら
損をすることは、、あるかもしれません。
しかし長期的に見たら
正しいことをして、
損をするということは絶対にない!と
思います。
この短期的に見る、というのは、
今生きている現世だけを見たら、、という意味。
そして、長期的に見るというのは
来世をも含めた人生、、という意味です。

神様は必ず、”善行者”の行いに報いてくれるはずです!

正しいことをして生きていきたい。
悪いことをたっくさんしてきた私は、
つくづくそう思うのでした。

さて、
今週も感謝についてです。

稲盛さんもおっしゃっています。
辛い時に感謝をするのは、とても難しいし、
順調な時に感謝をするのもまた、難しいものだ、と。


しかし、
「感謝をする」というのは、
誰でもない、自分自身の為に行うものなのです。

神様もおっしゃっています。

『誰でも感謝する者は、自分の魂の為に感謝するのである。』
(クルアーン31:12)

ではここで
感謝をして、自分にどんな利点があるのかを
ちょっと考えてみましょう。

まず
「感謝の対象物」に囲まれるようになる!

どういうことか?

みなさんは普段、何を考えて生活しているでしょうか?
自分の頭の中に常にあるものって、、、
いろいろありますよね。

自分の気持ちまたは意識がフォーカスされている事っていうのは、
だんだんと大きくなって、
心の大部分を占めるようになります。

例えば、ダイエットなんていい例ですね。
人は「痩せたい!」という一心で色々なダイエット法を試します。
あれを食べるとか、
これを食べないとか。
もしくは、お金を払ってジムに通ったりもします。
体重を気にしすぎると
朝起きてまずやることは、体重計にのることだったりしませんか?
そして
体重が下がっていれば天にも昇る気持ちになり、
反対に増えていれば、地獄に落とされたかのように感じたりします。

たかが体重なのですが、
気にしすぎると、必要以上にそれが大きく大きくなって
心を締め付けます。

同様に、
嫌なことに気持ちを集中させると
それがどんどん大きくなって
心を苦しめるようになってしまいます。

反対に、感謝するべき事柄に意識を集中させていくと
それが(またもや)大きくなって
心を満たすようになるでしょう。

「自分の気持ちを何に集中させるか」
というのが大切になってきます。

人間の心というのは、放っておくと
ネガティブなことを考えがちです。
でも、毎日毎日色々なことに感謝をしている人の心は
有難い、有難い、という気持ちでいっぱいになり、
自分の周りには、こんなにも素晴らしい、有難いものでいっぱいだったのか
ということに気づくようになると思うのです。

うつ病の人に、毎日自分が感謝をしていることを
10個書いてもらうようにすると
治るらしいですよ、うつ病が。

どうせ1日24時間を生きるのなら、
嫌なことに心を囚われるよりも
有難いと思える事で、心を満たしたいですね。

それには、自分の意思で
感謝すべきことに意識を集中させていくことが大切です。


自分に起きた事っていうのは、すべて
神様の許可がなければ起きなかったことです。
電車に乗り遅れたとか、
誰かと喧嘩別れしたとか、
病気になったとか、
すべてがすべて、神様の許可があって起きた事なのです。

そして(これが大事なのですが)
神様が許可を下されたことには、
必ずその中に「良いこと」が入っているはずです。

今誰かが経験している”困難”は
神様の許可のもとに起きたもので、
そしてその中には、必ず必ず”良いこと”が
隠されているのです。


すべてのことに感謝をして生きていきたものです。

来週に続きます。


今日もお付き合いいただきましてありがとうございました。
みなさまに神様からの祝福がたくさんありますように!

==============

アマゾンから電子書籍発売中!

「イスラム的現世の歩き方」
http://www.amazon.co.jp/dp/B01HQB2VPW/
イスラム的な人生の処世術!
あなたは何のために生まれ、何をして生きていけばいいのでしょう。
人生の目的は?

せっかく生まれてきたのです。
神様に守られた平和な現世を歩きたくはありませんか。
そして来世では、天国に入って
”永遠に” ”幸せ” に暮らしたくはありませんか。
方法はとてもシンプルです。
今まで知らなかったイスラム教に出会える本です。
=======================

神様に感謝 レベル2

2018-12-14 06:50:15 | イスラム教
社会の平和
健康
そして1日に必要な食料。
その3つのものがある者は、
あたかも
この世の全ての物が与えられているかのようだ。

ということを前回は書いてみました。

こんにちは ファーティマ松本です。

さて、今週は「神様への感謝 レベル2」です。
レベル2は
ちょっと難しい感謝の域に入ります。
と、言うのも、、
この感謝は嫌なことが起きた時に
するものだからなんです。

一瞬嫌な事に見える時に感謝をするのは、
良いことが起きた時に感謝をするより、
ずーっと難しいですからね。

でもそれができるようになると
この世を生きていくのがズーッと
楽になると思うんです。

例えば、
よくこんなセリフを聞いたことはありませんか。
「あんなことがあったおかげで、今の私がある。」
「病気になって、健康のありがたみがわかるようになった。」
「あの時あの学校に落ちてよかった。」
などなど。

”あの時”はわからなかったけど、、、そして
”あの時”は嫌でたまらなかったけど、、
でも、そのおかげで
今は、、、、、、、になれた。

英語で言うと
「blessing in disguise」
ってやつですね。
blessing 祝福が
disguise 変装しちゃっているわけです。

日本語では
「災い転じて福となす」
という諺が一番近いようですが、なんとなく
英語の方が、しっくりくるのはなんでしょう?
blessing 祝福という言葉が入っているからでしょうか。


自分自身に起こる全ての事は「善」である、
と、私は最近心底思えるようになりました。

なぜなら、


神様は「私たち人間を天国へ入れてあげたい」
って思っていると
私は信じているんです。

天国へ入れてあげたいから、
沢山のものを与えてくれていると思うんです。
その沢山のもの(恩恵)を使って
天国へ入れるような善行をしなさい、と
教えてくださっています。
(このことについては、また後ほど別の機会に)

その沢山のものの中には、
私たちにとって、嫌なことも含まれています。
こーんなもの欲しくなんかない!っていうようなものも
沢山入っています。
でもそれは苦い薬のようなもので
自分たちにとって、良い結果をもたらしてくれるはずなのです。

「良薬口ににがし」っていいますでしょ?
(今日は諺オンパレード!)

嫌なことが起きても、
それを苦い薬だと思って、飲んでしまうのがいい。
必ず、これが良い結果をもたらすと信じて。

ただ、
これでは、まだまだ
忍耐の領域ですよね。

今回は何度もうるさく言いますが、
忍耐ではなく、感謝のお話です。

辛い現実の中で
”感謝”をするには、まず
「感謝ができる」要因を探さないといけません。
これには、少しばかりの”意志”が必要になってきます。

例えば、
歯が痛い時、
大抵の人は、
「歯が痛い、歯が痛い」と
そのこと以外のことは考えられなくなってしまうでしょう。
しかしその時、こう思うこともできるはず。
「歯は確かに痛い。でもまだ目がちゃんと見えてるじゃないか。
 耳だって聞こえるじゃないか。足だって動くじゃないか。
 有難いではないか!」と。

何かしらあるはずなんです、感謝すべきことは。
だって、
私たちは、地獄に住んでいるわけではないんですから。

地獄には、良いことなんて一つもありません。
反対に
天国には悪い事なんて一つもないのです。
でも、私たちがいる現世には、
良い事と悪い事が一緒くたになって存在しているわけです。

だから、何か嫌な事が起きた時
探してみてください。
「今、何に感謝できるか」を。


私事でありますが、
先月まるまる一ヶ月、我が家の周りで工事がありました。
朝早くから、ガガガがッと始まり、
終わるのが、夕方の5時くらい。
その間ずーっとガガガッとうるさいわけです。
これが夏であったら、どうせ窓を閉め切って
クーラーをかけるわけですから、外の騒音も
内部の騒音によって消されるわけですが、、、。
しかし!
今は、窓を開ければ心地よいそよ風がソヨソヨと入ってくる季節。
こーんなに、清々しい季節はここサウジアラビアでは貴重品ですよ!

なのに!うっるさい、外が!
窓開けられない!
それも一ヶ月間も!
私は窓何か閉めたくないんだ!
クーラーなんてかけたくないんだ!
クーラーなんて嫌いなんだ!
そよそよのそよ風が好きなんだ!
(かなり怒ってるなあ)
と、思ってしまいがちですが、、
こんな態度では、
感謝なんてできなければ、
心に平安なんて持つことは不可能!

で、
私は騒音の中で考えました。
「何か感謝できるものがないか」と。
普段大して使わない頭をフル回転させて。

思いもよらず
結構簡単に見つかりました!

感謝 その1:
「耳が聞こえることに感謝!」
耳が聞こえるから、うるさく感じるわけです。
有り難いです、本当に。
心底感謝しました。

そして、その2:
外で働いている人たちは、もっとうるさいところで働いでいるわけです。
「私は、少ーしだけ遠い所に居られるじゃあないか。」
これにも、感謝です。

その3:
外でセッセと働くあの人たちは全員外国人労働者。
家族を置いて、遠い国で出稼ぎしているわけです。
「私は、そんなことしないで暮らせるんだ、有り難い。」

その4:
家の周りの工事は、
この周辺の水道と電気のアップグレイド(?)の為らしい。
「私たちの生活が、これからもっと良くなるんだ、有り難い!」

その5:
うるさくても、窓を閉めればいい。
「そのための手があるではないか。有り難い。」

その6:
それに工事はいつかは終わるはず!
一生続くわけではないんだから、有難い。」

その7:
窓を閉めても外の景色が見えるではないか。有難い!
我が家は、サウジアラビアにいるとは思えないほど
外の景色がとてもいいのです!
アー、こんな恵まれた所に住めて嬉しい!
目が見えて有難い!!

その8:
最後に、、これは究極の感謝ですよ!
「こうやって、神様に感謝ができること。
 そのことに感謝!」

感謝ができる心というのは、これまた神様からの恩恵の一つです。
そしてその恩恵は、
他のどんな恩恵にも勝るものではないかと
私は思います。

この世の中には、たっくさんの恩恵を受けながらも、
これっぽっちも感謝しない人は沢山います。
自分の与えられているものが
”当然あるべきもの”と思って暮らしている人は
たっくさんいます。

自分に与えれた恩恵を当たり前と思っていると
そのうちに、それを失うことになります。
しかし、
当たり前と思わず、それに対し感謝をすると
神様は、もっと増やしてくれるのです。

『もしあなた方が感謝をするのであれば、我は必ず
 恩恵を増すであろう』(クルアーン14:7)


騒音で大変な思いはしたけれど、
そのおかげで、沢山の感謝ができました。
沢山の感謝ができたことに、またまた神様に感謝です。

騒音が大分なくなってきた今
(まだ多少聞こえますが)
また静かな毎日が戻ってきました(o^^o)
鳥のさえずりも聞こえるようになって
あー、有難い!!
騒音になって、感謝
騒音が終わって、また感謝。

レベル2的感謝は、
また来週に続きます。

今日もお付き合いいただきましてありがとうございました。
みなさまに神様からの祝福がたくさんありますように
========================
アマゾンから電子書籍発売中!

「イスラム的現世の歩き方」99円
http://www.amazon.co.jp/dp/B01HQB2VPW/
イスラム的な人生の処世術!
あなたは何のために生まれ、何をして生きていけばいいのでしょう。
人生の目的は?

せっかく生まれてきたのです。
神様に守られた平和な現世を歩きたくはありませんか。
そして来世では、天国に入って
”永遠に” ”幸せ” に暮らしたくはありませんか。
方法はとてもシンプルです。
今まで知らなかったイスラム教に出会える本です。
======================

神様に感謝 レベル1

2018-12-07 06:44:31 | イスラム教
人に感謝をしよう
ということを先週は書いてみました。

こんにちは ファーティマ松本です。

先週は人に対しての”感謝”について書きましたが、
今週はまた、神様への感謝についてです。

今週のタイトルは、ズバリ
「神様への感謝、レベル1」
レベル1があるんだから、
レベル2ももちろんありますが、
それは、また来週ということで。

さあて、レベル1の今週は、
少ーしだけ簡単な感謝について書いてみたいと思います。
簡単というのは、レベル2と比べて簡単ということで、
決して行うことが、簡単というわけではありませんので
ご了承ください(o^^o)。

さて
読者のみなさんは、誰かに何かをしてもらったり、
何かをもらったりした時、
ちゃんと「ありがとう』って言っていますよね。

これは、結構”簡単な”感謝ですよね。
だって、分かりやすいですもん。
何かをしてもらった、
何かをもらった、
というのは。

では神様に対して、この”簡単な”感謝をしているか、
というのが問題です。

私たちは、(何回もシツコク言ってしまいますが)
神様からたっくさんのものをいただいています。

預言者さん(平安あれ)はこうおっしゃいました。

「社会が平和で、自分が健康で、その日一日に十分な食べ物がある者は、
 あたかもこの世にある物 全てがもたらされたようなものである。」

この3つがあれば、それでもう十分という事でしょう。
社会の平和
自分自身の健康
その日1日の食料

1、社会の平和
日本社会は、今のところ特に戦争の危機に脅かされていませんから、
かなり平和な社会だと言えます。
そのことにまずは、感謝をしないといけませんよね。

シリアやイエメン、パレスチナそれからアフリカの国々のことを考えて見てください。
家から一歩出るのでさえ、かなり勇気がいることではないでしょうか。
いえいえ、家の中にいたって平和でいられるわけではありません。

普通に子供達が学校に行けて、そして時間になればちゃーんと帰ってきてくれる。
必要な物をいつでも買いに行ける。
そんなことががどれだけすごいことであるか、、、。

私たちにとっては、当たり前のことができない人が
世の中にはたくさんいます。

社会の平和に感謝したいです。
そして
不遇の環境にいる人達に1日も早く平和が来ますようお祈りしましょう。

2、健康
「身に勝る宝なし」
とことわざにもあります。
本当にそうですよね。
自分の足や手が、思い通りに動いてくれるなんて
有り難すぎるではないですか。

私の義理の母は、寝たきりになってもう3年くらい経ちます。
お金はそこそこあるようですが、
でもそれが一体何になるのでしょう?
動けるようになれるのなら、
その全財産を払ってでも、元のようになりたい思っていると思いますよ。

私たちはとかく、
何かの病気になるまで、
この健康という素晴らしい祝福に気がつかないことが多いですね。
病気や怪我をして、健康がどれだけ素晴らしいことであったのかが
分かる前に
健康な時、体が自由に動く時に
もっとたくさんの感謝をしないといけませんね。

3、食料
日本に行くと
ほーんとにたっくさんの美味しそうな物でいっぱいです。
もう、子供達が
「あれも食べたい、これも食べてみたい」と
うるさくて、うるさくて。

ただ、これ本当に体にいいのだろうか?
というものが結構多くはありませんか?
(一応)食べ物に気を使っている私は、
子供が食べたい!と言っているものを全部食べさせるわけには
いかないわけです。

でも、この「食べさせてあげられない」は、
決して食べ物がないから、、ではないですもんね。
食べ物はあるんです、沢山。

「食べたい、食べたい」と子供達が言う時、、 
、、思うんです。

本当に食べる物がない家のお母さんは辛いだろうなあ、と。
自分が食べないのは、まあ我慢できるとして、
子供が食べられないというのは、
とても辛い事ではないでしょうか?

家にその日1日に必要な食べ物がある、というのは
本当に本当に、神様からの大きな祝福だと思います。

このように
神様からの沢山の祝福とお恵みに
感謝をする!というのは
とても大事ですから、なんとかして
毎日の生活の中で、常に
実践していきたいものです。
決して当たり前と思わずに、、、
んー、でもちょっと難しいんですよね、それが。

ただ、、
これらは、すこーしだけ”簡単な”感謝の部類に入ります。
何しろ上記の恩恵というのは、
目に見えることですし、
”良いもの”をもらっているわけですから
感謝もしやすい、、、でしょう。

では、
来週は
「神様への感謝 レベル2」
ということで
”少し難しい感謝”について
考えていきたいと思います。

今日もお付き合いいただきましてありがとうございました。
みなさまに神様からの祝福がたくさんありますように!

アメーバブログ再開しました。
http://ameblo.jp/kaminikaeru/
=============================

アマゾンから電子書籍発売中!

「イスラム的現世の歩き方」
http://www.amazon.co.jp/dp/B01HQB2VPW/
イスラム的な人生の処世術!
あなたは何のために生まれ、何をして生きていけばいいのでしょう。
人生の目的は?

せっかく生まれてきたのです。
神様に守られた平和な現世を歩きたくはありませんか。
そして来世では、天国に入って
”永遠に” ”幸せ” に暮らしたくはありませんか。
方法はとてもシンプルです。
今まで知らなかったイスラム教に出会える本です。