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守山城

2013-03-13 22:31:39 | 愛知県
 守山城

2013/2/24

愛知県名古屋市のお城めぐり

 徳川家康の祖父松平清康が家臣に殺害された
 「守山崩れ」の舞台となったお城

≪ お城の概要 ≫

城名: 守山城
よみ: モリヤマ
別称:
所在地: 愛知県名古屋市守山区市場
現状: 宝勝寺
築城年代:
築城者:
形式: 平山城
遺構: 堀跡
規模: 58m×52m、標高24m
文化財:
訪城日: 2012/2/22・2013/2/24


≪ 訪城記 ≫

新居城から守山城へ向かう。

城山公園駐車場を出て旭城前の道路を西へ、城前町茅池交差点を左折、名鉄瀬戸線の下をくぐり、砂川交差点を右折、県道61号瀬戸街道を西進、東名高速の下をくぐり、名古屋第二環状道を越え、矢田川に架かる矢田川橋北詰を堤防沿いに右折、約200m進んで右折、さらにすぐ右折、狭い道を約80mで左折、約40mで左折して宝勝寺へ入る道を進むとすぐに山門が見える。さらに進んだ木々の中の空き地が宝勝寺の参拝者用駐車場です。ここに車を駐車しました。

ここから徒歩で駐車場に入ってきた道の交差点を左に約100m北上すると「城跡荘」というアパートが道の左側にあり、その前に説明板が高いところにあります。このアパートの裏側の小高い丘の上に守山城址碑が建っています。
さらに宝勝寺の墓地の北側、住宅との間の竹藪の中に広い堀跡が住宅地から先ほどのアパート付近まで約100m続いています。


≪ 歴 史 ≫

大永元年(1521)、今川氏親が那古野城を築いたころに小幡城・川村城に対応するため築かれたといわれている。
天文四年十二月 (1535) 徳川家康の祖父、松平清康が尾張へ攻め込み、この守山城まで手中にしたが、誤って家臣に殺された。これが有名な「守山崩れ」です。
その後、織田信秀に属する。
弘治元年 (1555) 織田信光が城主であったが、信光は織田信長と共に清洲城の織田彦五郎信友を襲い、信光は清洲城主となり、その後を信秀の弟孫十郎信次が城主になる。その後、信次は出奔し、替わって信長の弟信時が城主となるが家臣に殺害される。その後、信長に許された信次が再び城主となったが、天正二年(1574)、長島一向一揆で討死する。
永禄三年 (1560) 桶狭間の戦いの後に廃城となる。


≪ 写 真 ≫


宝勝寺山門


城址碑のある丘


丘への登り口


守山城址碑


宝勝寺北側の堀跡

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
名鉄瀬戸線矢田駅下車徒歩10分。
<車>
名古屋第二環状道大森ICを降りて大森インター北交差点を左折して西進し、矢田川に架かる矢田川橋北詰を堤防沿いに右折、約200m進んで右折、さらにすぐ右折、狭い道を約80mで左折、約40mで左折して宝勝寺へ入る道を進むとすぐに山門が見える。さらに進んだ木々の中の空き地が宝勝寺の参拝者用駐車場です。


≪ 位置図 ≫

宝勝寺


守山城址碑


紹介したお城の数 38城



愛知の山城ベスト50を歩く
愛知中世城郭研究会,中井 均
サンライズ出版


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