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中野城

2013-10-14 05:48:51 | 滋賀県
 中野城

2013/10/6

滋賀県日野町のお城めぐり

 蒲生定秀・賢秀・氏郷三代の居城

≪ お城の概要 ≫

城名: 中野城
よみ: ナカノ
別称: 日野城
所在地: 滋賀県蒲生郡日野町西大路
現状: 稲荷神社・凉橋神社・住宅街
築城年代: 大永年間(1521-28)
築城者: 蒲生定秀
形式: 平城
遺構: 西大路藩藩庁跡・土橋・土手跡・空堀跡・石塁・池
規模: 650m×860m
文化財:
訪城日: 2010/7/5・2011/9/7・2013/10/6


≪ 訪城記 ≫

水口岡山城から中野城へ向かう。

古城山岡山城観光駐車場を出て前の道を東進、山川橋交差点信号を左折、北上して国道1号の高架下を通り、国道307号日野水口グリーンバイパスを北東に進み、日野町へ入り、松尾交差点信号を右折、日野の町中に入る。道が少し狭いところがあるので対向車に注意。約2.5km東進した南に入る案内板のある三叉路を右折、道なりに進んだ奥の日野川ダム手前に駐車場がある。ここに車を駐車する。

駐車場から日野川ダムの溜池沿いに北へ向く。「うお彦別館」と溜池の間の狭い道の前に大きな説明板があり、入ると稲荷神社と凉橋神社が土手の上に建っていて、両神社を繋ぐ橋の下をくぐる独特の構造をしている。
橋をくぐると右側に池があり、中央に土橋跡、左側に空堀跡が竹藪の中にある。
土橋を渡った先の平地の北東奥が仁正寺(西大路)藩の藩庁があった場所で、平地の東側に石塁が少し残っています。
城跡を出て、「うお彦別館」の西へ行くと蒲生氏郷公産湯の井戸があり、さらに西のアパート前で道の南側に中野城址碑があります。
中野城は日野川ダム工事によって大部分が溜池の底に沈んでいます。


≪ 歴 史 ≫

大永年間 (1521-28) 蒲生定秀が中野城を築き音羽城から移る。
永禄十一年 (1568) 織田信長の観音寺城攻めで蒲生賢秀は中野城に籠城したが、人質をだし降伏する。この人質がのちの蒲生氏郷である。
天正十年 (1582) 本能寺の変で賢秀は安土城二の丸を預かっていたが、氏郷とともに信長の妻女を中野城に移し匿った。
天正十二年 (1584) 蒲生氏郷が伊勢国松阪の領主となり、中野城には田中吉政、長束正家が城代として入る。
慶長八年 (1603) 廃城となる。
元和六年 (1620) 市橋長政が越後三条城から入り、中野城跡に陣屋を構え仁正寺(西大路)藩が成立し、幕末に至る。


≪ 写 真 ≫


「うお彦別館」と日野川ダムの間の入口


入ってすぐの神社渡橋


土橋跡右側の空堀跡


土橋跡


土橋跡左側の池


仁正寺(西大路)藩の藩庁跡


藩庁跡南の石塁


稲荷神社


神社渡橋


土手


凉橋神社


蒲生氏郷公産湯の井戸


中野城址碑


現地中野城跡現況図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
近江鉄道日野駅からバスで日野川ダム口下車、徒歩約3分。
<車>
名神高速竜王ICを降りて国道477号を南下、すぐの竜王IC南交差点信号を左折、国道477号のまま南東へ進み、岡屋三叉路信号を右折、しばらく進み下田交差点信号を左折、北東へ進み、山之上南交差点信号を右折、国道477号のまま北東へ進み、蒲生堂交差点信号を右折、南東へ進み、鈴交差点信号を左折、北東へ進み、日野川を渡り、市子沖交差点信号を右折、国道477号のまま南東へ進む、途中、下麻生町はずれの三叉路を斜め右折、国道477号をそのまま進み、突き当りの三叉路を左折、国道477号のまま進み松尾北交差点信号を右折、国道307号近江グリーンロードを南下、松尾交差点信号を左折、日野の町中に入る。道が少し狭いところがあるので対向車に注意。約2.5km東進した南に入る案内板のある三叉路を右折、道なりに進んだ奥の日野川ダム北側が中野城跡です。日野川ダム手前に駐車場がある。


≪ 位置図 ≫

中野城


蒲生氏郷公産湯の井戸


中野城址碑


紹介したお城の数 139城



ビジュアル百科 日本の城1000城 1冊でまるわかり!
大野 信長,加唐 亜紀,有沢 重雄
西東社


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