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大溝城

2014-11-16 06:50:59 | 滋賀県
 大溝城

2014/10/1

滋賀県高島市のお城めぐり

 織田信長の甥織田信澄が築いた水城

≪ お城の概要 ≫

城名: 大溝城
よみ: オオミゾ
別称: 高島城
所在地: 滋賀県高島市勝野1667-14
現状: 大溝城跡
築城年代: 天正六年(1578)
築城者: 織田信澄
形式: 平城
遺構: 本丸天守台跡・石垣
規模: 600m×1,000m、標高86m
文化財: 市指定文化財
訪城日: 2009/12/25・2014/10/1


≪ 訪城記 ≫

打下城から大溝城へ向かう。

打下城登城口の日吉神社から徒歩で大溝城跡へ向かう。緩やかな坂道を降り、城山台自治会館横を左折、西進してJR湖西線高架下をくぐり、近江高島駅前を過ぎて近江高島駅口三叉路信号を斜め右折して約50m進んだ介護老人保健施設陽光の里東端に三の丸碑と大溝城案内板があるところを右に入り、施設沿いの道を南下すると左側の雑草池のような奥に石垣と竹林が見える。高島市民病院の駐車場柵沿いに進むと天守台跡正面に出る。徒歩約15分。
天守台跡石垣前に説明板と大溝城趾碑があり、天守台跡の石垣が残るのみです。
近江高島駅の駐車場前にも説明板がある。


大溝城の詳細は ……… ここをクリック

≪ 歴 史 ≫

天正六年 (1578) 織田信長の甥(信行の子)織田信澄が湖上交通の要港大溝港に大溝城を築く。縄張は明智光秀と伝わる。
天正十年六月二日 (1582) 明智光秀が謀反を起こし、本能寺の変で織田信長が討たれ、明智光秀の娘を妻としている織田信澄にも嫌疑がかかり、信澄は織田信長三男信孝と丹羽長秀に攻められ、大坂城二の丸千貫櫓で自害する。その後、大溝城主は丹羽長秀、長秀代官植田重安、加藤光泰、生駒親正、京極高次、織田三四郎、吉田修理と代わる。
元和五年 (1619) 伊勢上野から分部光信入部して旧大溝城に陣屋を構え大溝藩となり、以後、十三代続き明治維新を迎える。


≪ 写 真 ≫


大溝城天守台跡


天守台階段付近


大溝城趾碑


天守台南面石垣


天守台跡


天守台北側


天守台北西石垣


三の丸碑と案内板入口


現地説明板図面(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR湖西線近江高島駅から徒歩約10分。
<車>
名神高速大津ICを降りて大津IC口信号を左折、坂を北へ降りていき本宮二丁目南信号を左折、国道1号東海道とJR東海道本線高架下をくぐり、北上して琵琶湖に向かい、京阪電気鉄道石山坂本線踏切を渡ってすぐの打出浜交差点信号を左折、県道18号を西進、大津港口から国道161号を琵琶湖岸沿いに北上、琵琶湖大橋交差点信号を左折、JR湖西線高架下をくぐり西進、真野IC口信号を右折して国道161号湖西道路へ側道を入り北上、白髭神社を通り過ぎて約1.5㎞で近江高島駅方面へ行く三叉路分れ道を斜め左に入り、乙女が池沿いに北上、道が左に曲がった先の近江高島駅口三叉路信号手前の介護老人保健施設陽光の里東端に三の丸碑と大溝城案内板があるところを右に入り、施設沿いの道を南下すると左側の雑草池のような奥に石垣と竹林が見えるところが大溝城天守台跡です。駐車場は近江高島駅の駐車場を利用すると良い。


≪ 位置図 ≫

大溝城


紹介したお城の数 297城



近江の山城ベスト50を歩く
中井 均
サンライズ出版




近江城郭探訪―合戦の舞台を歩く
滋賀県教育委員会
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