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野田城

2014-03-02 08:30:18 | 愛知県
 野田城

2014/2/16

愛知県新城市のお城めぐり

 武田信玄に攻められた「野田の戦い」で有名な野田菅沼氏の居城

≪ お城の概要 ≫

城名: 野田城
よみ: ノダ
別称:
所在地: 愛知県新城市豊島本城
現状: 野田城址
築城年代: 永正二年(1505)
築城者: 菅沼貞則
形式: 丘城
遺構: 本丸・二の丸・三の丸・空堀・土塁・土橋・虎口・井戸
規模: 200m×50m、標高42m
文化財: 市指定史跡
訪城日: 2014/2/16


≪ 訪城記 ≫

新城城から野田城へ向かう。

市立新城こども園北側の空き地を出て北上、新城市役所横の突き当り三叉路を左折、体育館前信号を直進して西進、八幡信号を直進、石田三叉路信号を斜め左折、伊那街道を西進、杉山信号を直進、野田城跡の案内看板のある豊島交差点信号を左折、南東に約200m行ったところに、道の東側に野田城説明板があり、道路脇に車を駐車する。

説明板横に空堀が見られ、空堀沿いに二の丸を入って行くと土橋、両側の空堀、土橋を渡った南側に土塁、この土塁上に野田城址碑があり、東側に野田城稲荷、土塁南側には広い削平地があり、ここが本丸で南側に井戸跡がある。井戸の南側淵には土塁跡、南東側には小振りな削平地と虎口、空堀が見られる。
土橋と空堀の北側に二の丸、三の丸があり、それぞれ入口があるが、雑木林で良く分からない。三の丸へ入って東側の桑淵は断崖絶壁です。
この野田城は、武田軍が通りがかりに攻めたが落ちず、信玄が城兵村松芳休の笛の音に聞き入り鳥居三左衛門の火縄銃に撃たれ、深手を負い、これがもとで死去したという伝説は有名です。


≪ 歴 史 ≫

永正二年 (1505) 田峯菅沼氏の菅沼定忠の三男定則が野田菅沼氏の祖となり野田城を築城する。
永禄三年五月 (1560) 野田菅沼氏は今川氏に属していたが、今川義元が桶狭間の戦いで討死すると三河の松平元康(のちの徳川家康)に属する。
永禄四年 (1561) 今川氏真に攻められ落城する。
元亀二年 (1571) 武田軍の攻撃にあい、城に火を放って城を開ける。
天正元年 (1573) 武田信玄の東三河攻略が始まり、城主菅沼定盈は籠城戦を戦った。この戦いが有名な「野田の戦い」で、信玄が城兵村松芳休の笛の音に聞き惚れ城に近づき、鳥居三左衛門の火縄銃に撃たれ、深手を負い、これがもとで死去したという伝説がある。
天正十八年 (1590) 徳川家康の関東移封によって、野田城主菅沼定盈が上野へ移封となり、野田城は廃城となる。


≪ 写 真 ≫


野田城址碑


野田城入口


本丸と二の丸の間の土橋


土橋東側の空堀


土橋西側の空堀


本丸


信玄公狙撃場所と伝わるところ


本丸井戸


井戸南側の土塁跡


南東の虎口付近の空堀


稲荷付近の土塁跡


土塁上からの本丸


二ノ丸


三の丸


桑淵の断崖絶壁


三の丸入口


現地野田城跡平面図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR飯田線野田城駅から徒歩約20分。
<車>
東名高速豊川ICで降りて国道151号伊那街道を北上、川田交差点信号を直進、野田城跡の案内看板のある豊島交差点信号を右折、南東に約200m行ったところに、道の東側に野田城説明板があり、道路脇に車を駐車可能。


≪ 位置図 ≫

野田城


紹介したお城の数 189城



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