160115.fri.
取材に行くのに、
これまでいちばん緊張したのは誰だろうと考えるに、
池田重子先生もその一人ではなかったか。
紹介者のIKKO氏から、
くれぐれも失礼のないようにとさんざん口煩く言われたこともありますが、
着物好きにとったらスーパー憧れの女性であり、
池田重子コレクションといったら文字通りの垂涎の的でもありましたものね。
池田先生の凛とした上品な佇まいと発せられた言葉が、
銀座松屋の「日本のおしゃれ展」で蘇ってきました。
今回展示されている帯留や半襟や袋物、
四季折々魅惑のコーディネートの周りでは、
誰もがただただ溜息を漏らすばかり。
新宿伊勢丹にまだ美術館があった1993年、
第1回日本のおしゃれ展を見た衝撃。
粋とか洒脱とか遊び心とか、突き抜けた美とか、
こんな風に着こなしていいのだという勇気と理想を示してくれたのだと、
いま改めて思います。
あれから二十余年が経って、
「最終章」と書かれた本を眺めながら、
無性に寂しくなってくるのです。
※ 池田重子先生は昨年10月に逝去されました。
心よりご冥福をお祈りいたします。
取材に行くのに、
これまでいちばん緊張したのは誰だろうと考えるに、
池田重子先生もその一人ではなかったか。
紹介者のIKKO氏から、
くれぐれも失礼のないようにとさんざん口煩く言われたこともありますが、
着物好きにとったらスーパー憧れの女性であり、
池田重子コレクションといったら文字通りの垂涎の的でもありましたものね。
池田先生の凛とした上品な佇まいと発せられた言葉が、
銀座松屋の「日本のおしゃれ展」で蘇ってきました。
今回展示されている帯留や半襟や袋物、
四季折々魅惑のコーディネートの周りでは、
誰もがただただ溜息を漏らすばかり。
新宿伊勢丹にまだ美術館があった1993年、
第1回日本のおしゃれ展を見た衝撃。
粋とか洒脱とか遊び心とか、突き抜けた美とか、
こんな風に着こなしていいのだという勇気と理想を示してくれたのだと、
いま改めて思います。
あれから二十余年が経って、
「最終章」と書かれた本を眺めながら、
無性に寂しくなってくるのです。
※ 池田重子先生は昨年10月に逝去されました。
心よりご冥福をお祈りいたします。