ここのところ毎週のように雪が降っていた関東地方。
最初の雪にもビックリしましたが、その翌週の大雪は、想像を絶する凄さでした。
先ずは2月8日に降った雪について。
こんなに雪が積もった立川なんて見たことがない。
つーか、今まで住んだ街で、1番雪深い街と化してますw。
雪を見たことがないエルフィも大はしゃぎしておりますw。
雪合戦と称して、一方的に雪玉をぶつけてやりましたが、ぶち当てた雪をことごとく食べてしまいますw。
どんだけ食い意地が張ってんだ?(; ̄O ̄)
雪合戦の後はイスの脚にもたれかかって昼寝とかって…
さて、そんな大雪のあった2日後の建国記念日に、気仙沼の行方不明者一斉捜索に参加して参りました。
前日の10日に東京を出発。
東北道一関インターから、いつも通り慣れた峠道を通過するのですが、前日の大雪の影響でカチコチで、いつもは高速おりて1時間の道のりが、倍以上の時間が掛かりました。(ーー;)
途中で何台も放置されている車や雪山に乗り上げてる事故車などを見かけました。
後で知ったのですが、この辺は東北なのにあまり雪が積もらないんだとか。
どーりで事故ってる車が多いわけだ。(; ̄O ̄)
日もとっぷりくれて、ようやく気仙沼到着。
つーか、うちの方より雪が少ないwww。
翌日は気仙沼市の大川に掛かる、気仙大橋に向かいました。
ここも3年前の3月に来ましたが、ご遺体とともに水没したままの住宅や自動車などが大量に沈んでおりました。
それらは既に引き揚げられて、当時の面影は感じさせませんが、いまでも川底にはいろんな手掛かりが沈んでいるとのことでした。
気仙沼警察署の署員さんも、胴長を着て水中捜索を行います。
我々ボランティアは、水辺のショアラインを流して行きます。
毎月11日は、月命日ということで、気仙沼警察署と合同で行方不明者の一斉捜索を行っており、今回で3回目。
自分も第1回に続いての参加ですが、回を重ねるごとに、マスコミの取材陣が増えています。
なんとか震災を風化させまいと、報道関係者も腐心しているのが感じて取れます。
衣類などは発見できましたが、この日は骨などの行方不明者の直接の手掛かりになるようなものは、残念ながら発見出来ませんでした。
その晩も気仙沼に泊まり、翌日は南三陸の志津川経由で帰路につきました。
南三陸町役場の防災センター跡も、震災遺構として残される方向で話が進んでいるいうですね。
住民の中には、辛い記憶が蘇るからと、震災の傷跡の撤去を求める声もありますが、前にも書いたとおり、震災遺構は一度壊したら、二度と元には戻らないもの。
震災記憶の風化が懸念されているならば、なおのこと保存すべきではないかと思います。
広島の原爆ドームも、今も現物として目の前に存在するからこそ、原爆の惨さ壮絶さを後世に伝えられているのですし。
来月の11日で、震災後3年の時を迎えます。
今年もまた気仙沼で、3月11日午後2時46分を迎えたいと思っています。
でもって、2回目の大雪につづく~w
最初の雪にもビックリしましたが、その翌週の大雪は、想像を絶する凄さでした。
先ずは2月8日に降った雪について。
こんなに雪が積もった立川なんて見たことがない。
つーか、今まで住んだ街で、1番雪深い街と化してますw。
雪を見たことがないエルフィも大はしゃぎしておりますw。
雪合戦と称して、一方的に雪玉をぶつけてやりましたが、ぶち当てた雪をことごとく食べてしまいますw。
どんだけ食い意地が張ってんだ?(; ̄O ̄)
雪合戦の後はイスの脚にもたれかかって昼寝とかって…
さて、そんな大雪のあった2日後の建国記念日に、気仙沼の行方不明者一斉捜索に参加して参りました。
前日の10日に東京を出発。
東北道一関インターから、いつも通り慣れた峠道を通過するのですが、前日の大雪の影響でカチコチで、いつもは高速おりて1時間の道のりが、倍以上の時間が掛かりました。(ーー;)
途中で何台も放置されている車や雪山に乗り上げてる事故車などを見かけました。
後で知ったのですが、この辺は東北なのにあまり雪が積もらないんだとか。
どーりで事故ってる車が多いわけだ。(; ̄O ̄)
日もとっぷりくれて、ようやく気仙沼到着。
つーか、うちの方より雪が少ないwww。
翌日は気仙沼市の大川に掛かる、気仙大橋に向かいました。
ここも3年前の3月に来ましたが、ご遺体とともに水没したままの住宅や自動車などが大量に沈んでおりました。
それらは既に引き揚げられて、当時の面影は感じさせませんが、いまでも川底にはいろんな手掛かりが沈んでいるとのことでした。
気仙沼警察署の署員さんも、胴長を着て水中捜索を行います。
我々ボランティアは、水辺のショアラインを流して行きます。
毎月11日は、月命日ということで、気仙沼警察署と合同で行方不明者の一斉捜索を行っており、今回で3回目。
自分も第1回に続いての参加ですが、回を重ねるごとに、マスコミの取材陣が増えています。
なんとか震災を風化させまいと、報道関係者も腐心しているのが感じて取れます。
衣類などは発見できましたが、この日は骨などの行方不明者の直接の手掛かりになるようなものは、残念ながら発見出来ませんでした。
その晩も気仙沼に泊まり、翌日は南三陸の志津川経由で帰路につきました。
南三陸町役場の防災センター跡も、震災遺構として残される方向で話が進んでいるいうですね。
住民の中には、辛い記憶が蘇るからと、震災の傷跡の撤去を求める声もありますが、前にも書いたとおり、震災遺構は一度壊したら、二度と元には戻らないもの。
震災記憶の風化が懸念されているならば、なおのこと保存すべきではないかと思います。
広島の原爆ドームも、今も現物として目の前に存在するからこそ、原爆の惨さ壮絶さを後世に伝えられているのですし。
来月の11日で、震災後3年の時を迎えます。
今年もまた気仙沼で、3月11日午後2時46分を迎えたいと思っています。
でもって、2回目の大雪につづく~w
まだまだ震災は終わってませんね。色々な方が今も活動している事をきちんと伝えないといけませんね。
我が家のダックスも雪大好きで、雪降ると外から帰って来ませんでした(^^;;
短足犬の宿命でしょうか、うちの犬はお腹が雪で真っ白でした。(; ̄O ̄)
しかも、雪が深いので雪の上をお腹で這いつくばるように遊んでましたよ。(^^)