先月の11月23、24日の連休に、前橋市消防局で、防災士のための身近な機材を利用した救助訓練を受けてきました!
初日の講習と訓練内容は、
庁舎内にある通信指令センターの見学
続いて3.11直後に、福島県へ派遣されたレスキュー隊隊長の講演
「 3.11東日本大震災について」
の講義を受けました。
3月11日の翌早朝には福島沿岸部に到着したが、津波警報が解除されないので沿岸部の捜索に入れなかったことや、
警報解除後にようやく救助活動を行ったが、それに続く原発事故により、退避を余儀なくされたこと、避難区域が二転三転して満足な活動ができなかったこと、行方不明者の捜索で、なかなか見つからない不明者のご家族の方から、「もう充分です、ほかの人に救出に向かってください。ありがとうございました」と言われた話などを、時おり声を詰まらせながら、紹介してくださいました。
私も支援に行ったことのある相馬市内の様子の写真なども紹介され、こんなところでも福島つながりがあるんだなぁと、不思議な縁を感じました。
講義の後は、屋外にて礼式訓練を受けました。
礼式訓練とは :気をつけ、整列休め、敬礼、集まれ、番号、右向け右、前へ進め、別れ 計8種類の動作のこと。
以前は警備会社の教育指導を担当していたので、ある程度は知っていましたが、やはり久々だと動作が鈍りますね~。(*^_^*)
昼食後はロープワークや徒手搬送、応急手当や応急担架の作り方の訓練です。
応急手当や応急担架などは、指導する側としてよく知ってはいますが、やはり苦手なのはロープワークです。
それでも二重もやい結びや三重もやい結びなどは、翌日の救出訓練の際に必要となるので、必ず覚えるようにとのお達し。
なので真剣に覚えました。(;´Д`)
また、徒手搬送では、リュックサックを逆さにして、簡易背負子の作り方などを学びました。
そして一夜明けた翌日。
この日は、前日に覚えたロープワークを使い、実際に救出活動を行うというものでした。
先ずは高度救助部隊隊員による模範演技。
地震により、建物の中に人が取り残されたという想定で救助活動を行います。
建物に向かい、人感レーダーを照射して生存者を探します。
人感反応があったので、マイクロスコープを開口部の隙間から差し入れて、内部を捜索します。
確認後は油圧スプレッダーにてドアを解放。
解放後は2人一組で内部進入し、捜索を行います。
そして二階部分から要救助者を、三連梯子をクレーンのように使用して、救出を行います。
でもって
なんか落書きみたいなものがありますが…
黒いひび割れの模様は、実際の地震でできたひび割れに見立てます。
赤いスプレーは、そのひび割れが、消防隊活動開始時点から、ずれていないかを見やすくするもの。
つまり、進入開始が10時00分だったので、赤い直線を引いて1000と記入します。
10分後に、その赤い線がずれていないかどうかが安全監視の目安になるんだそうです。
でもって、我々防災士も、高所からの救出訓練を実習しました。
ダミー人形を2階から下ろすんですが、これが重いのなんの!
自分は梯子の下で、要救助者を結んだロープを操作する役なんですが、ロープが肩に食い込んで痛いっす!
なんとか高所救出訓練を終えた後は、バールを使った重量物の移動の仕方について、訓練を受けます。
テコの原理を使用して、400キロぐらいのコンクリートを持ち上げるのですが、結構簡単に持ち上げることができました。
バール以外では、自動車用のジャッキを使った、重量物の持ち上げ方など、実際の震災を想定した訓練を受けました。
最後に、今日覚えた救助技術を使用した、災害シュミレーションを各班に分かれて実施。
狭いトンネルの中から、要救助者を救助する総合演習を行って無事に終了~。
こうして2日間の講習を終えました。
今回は本物の消防用の訓練施設を利用させていただき、震災などの災害時に、実際に役に立つであろう技術習得を目指した訓練内容だったので、大変参考になりました。
消防団でも教わらないような濃い内容の2日間でした。研修委員会の皆様と前橋市消防局に感謝ですね!
そして、防災士の認定を受けてもうすぐ3年が経ちます。
正直、いままで防災士らしい活動ってしたことがなかったし、そもそもこの資格の意味すら理解していなかったのかも。
今回、救助活動に特化した訓練に参加してみて、初めて防災士の役割というか、存在意義みたいなものを理解できました。
今後は、これら訓練で得た技術を、地元の防災活動に役立てる行動が必要だと感じました。
そして、今回の訓練で知り合った人たちとも連携して、多摩地区にも支部を作る話も出てきています。
(どうやら取りまとめ役を任されるようですが…)
3.11の「次ぎ」が来てしまう前に、出来ることは全てやっておこうっと。
初日の講習と訓練内容は、
庁舎内にある通信指令センターの見学
続いて3.11直後に、福島県へ派遣されたレスキュー隊隊長の講演
「 3.11東日本大震災について」
の講義を受けました。
3月11日の翌早朝には福島沿岸部に到着したが、津波警報が解除されないので沿岸部の捜索に入れなかったことや、
警報解除後にようやく救助活動を行ったが、それに続く原発事故により、退避を余儀なくされたこと、避難区域が二転三転して満足な活動ができなかったこと、行方不明者の捜索で、なかなか見つからない不明者のご家族の方から、「もう充分です、ほかの人に救出に向かってください。ありがとうございました」と言われた話などを、時おり声を詰まらせながら、紹介してくださいました。
私も支援に行ったことのある相馬市内の様子の写真なども紹介され、こんなところでも福島つながりがあるんだなぁと、不思議な縁を感じました。
講義の後は、屋外にて礼式訓練を受けました。
礼式訓練とは :気をつけ、整列休め、敬礼、集まれ、番号、右向け右、前へ進め、別れ 計8種類の動作のこと。
以前は警備会社の教育指導を担当していたので、ある程度は知っていましたが、やはり久々だと動作が鈍りますね~。(*^_^*)
昼食後はロープワークや徒手搬送、応急手当や応急担架の作り方の訓練です。
応急手当や応急担架などは、指導する側としてよく知ってはいますが、やはり苦手なのはロープワークです。
それでも二重もやい結びや三重もやい結びなどは、翌日の救出訓練の際に必要となるので、必ず覚えるようにとのお達し。
なので真剣に覚えました。(;´Д`)
また、徒手搬送では、リュックサックを逆さにして、簡易背負子の作り方などを学びました。
そして一夜明けた翌日。
この日は、前日に覚えたロープワークを使い、実際に救出活動を行うというものでした。
先ずは高度救助部隊隊員による模範演技。
地震により、建物の中に人が取り残されたという想定で救助活動を行います。
建物に向かい、人感レーダーを照射して生存者を探します。
人感反応があったので、マイクロスコープを開口部の隙間から差し入れて、内部を捜索します。
確認後は油圧スプレッダーにてドアを解放。
解放後は2人一組で内部進入し、捜索を行います。
そして二階部分から要救助者を、三連梯子をクレーンのように使用して、救出を行います。
でもって
なんか落書きみたいなものがありますが…
黒いひび割れの模様は、実際の地震でできたひび割れに見立てます。
赤いスプレーは、そのひび割れが、消防隊活動開始時点から、ずれていないかを見やすくするもの。
つまり、進入開始が10時00分だったので、赤い直線を引いて1000と記入します。
10分後に、その赤い線がずれていないかどうかが安全監視の目安になるんだそうです。
でもって、我々防災士も、高所からの救出訓練を実習しました。
ダミー人形を2階から下ろすんですが、これが重いのなんの!
自分は梯子の下で、要救助者を結んだロープを操作する役なんですが、ロープが肩に食い込んで痛いっす!
なんとか高所救出訓練を終えた後は、バールを使った重量物の移動の仕方について、訓練を受けます。
テコの原理を使用して、400キロぐらいのコンクリートを持ち上げるのですが、結構簡単に持ち上げることができました。
バール以外では、自動車用のジャッキを使った、重量物の持ち上げ方など、実際の震災を想定した訓練を受けました。
最後に、今日覚えた救助技術を使用した、災害シュミレーションを各班に分かれて実施。
狭いトンネルの中から、要救助者を救助する総合演習を行って無事に終了~。
こうして2日間の講習を終えました。
今回は本物の消防用の訓練施設を利用させていただき、震災などの災害時に、実際に役に立つであろう技術習得を目指した訓練内容だったので、大変参考になりました。
消防団でも教わらないような濃い内容の2日間でした。研修委員会の皆様と前橋市消防局に感謝ですね!
そして、防災士の認定を受けてもうすぐ3年が経ちます。
正直、いままで防災士らしい活動ってしたことがなかったし、そもそもこの資格の意味すら理解していなかったのかも。
今回、救助活動に特化した訓練に参加してみて、初めて防災士の役割というか、存在意義みたいなものを理解できました。
今後は、これら訓練で得た技術を、地元の防災活動に役立てる行動が必要だと感じました。
そして、今回の訓練で知り合った人たちとも連携して、多摩地区にも支部を作る話も出てきています。
(どうやら取りまとめ役を任されるようですが…)
3.11の「次ぎ」が来てしまう前に、出来ることは全てやっておこうっと。
研修ご苦労様でした(^.^)
「防災士」というカテゴリがあることをぎょうざさんのログで始めて知りましたが、たいへんですね。
そんけいします(^。^)
ぐうじは消防団員として16年勤めましたが、それよりたいへんそうですね(@_@;)
実際の現場ではさまざまな判断が要求されますよね・・・
被災した多賀城市では100%の防災マニュアルじゃなく、75%のマニュアルを作り25%を現場の流動的判断としたそうです・・
首都直下型なんて来ちゃったら、どうなるんだろうと、ぞっとします。
「次」の前にコンナ講習があって、準備をするってだいじっすねm(__)m
ご苦労様でした。
防災士の研修、商店街主催の防災フェアと立て続けの業務お疲れ様でした。
お忙しくて体調を崩されないかと少し心配になってしまいました。
訓練はあくまでも基本です。
同じ災害現場もありません。
結局、いかに現場で応用を利かせることが出来るか。
消防や自衛隊などの救助が到着するまで、自分たちで生き延びることが出来るか。
自助力の必要性と地域の人の繋がりの強さ・思いやりを今回の東日本大震災で今まで以上に思い知らされた気がしています。
満州ぎょうざ様の意識の高さと決断力・行動力に心より敬意を表します。
これからも、そのバイタリティで周りを惹きつけながら突っ走って下さい。
もう一度、お疲れ様でした。
ぐうじさんも消防団やっていたのですね~。
うらやましいっす!
っていうのも、ウチの地域には消防団がないので、7年前に消防団を作るって運動を起こしたことがあります。
でも結局、市議会の賛同が得られなかったり、人が集まらずに頓挫してしまいました。
消防訓練は、東京では災害時支援ボランティア制度ってのがあって、そちらで細々と訓練を受けています。
先日も可搬ポンプの放水訓練とかってやってきました(^^♪
防災士は消防団と違って、基本的に災害でも起こらなければ出番はありません。
消防団のように、火災のたびに出場したりもしませんので、かなりユルイ団体です。
その点、消防団は大変な組織だと認識していますし、尊敬もしています。
でも、消防署OBがこぞって防災士の資格を取るもんだから、訓練は消防署で受けることが多いようです。
先日も70歳近いおじさんが、楽々と三連梯子を登っていく姿には、軽いめまいを覚えましたが…(*^_^*)
ちなみに都心部の消防団では、三連梯子の登はんは行わないそうです。あくまで署隊と連携を想定して、梯子は掛ける動作をするだけとか。(都心の団員の友人から聞きました)
現場での応用力、それが一番大事ですね~。
自分はロープワークだけでいっぱいいっぱいでしたが(;´Д`)
こんばんは!コメントありがとうございます。
実は防災フェアの後に風邪を引いて、週末楽しみにしていたツーリングに行けませんでした(;´Д`)
Kura119さんも消防関係なのでしょうかね。
今回の訓練は、「救出・救助訓練の基礎を学ぶ」ってタイトルだったので、自治会の防災訓練のノリで参加してたら、えらい目に遭うところでした。
同じ災害現場はなし。ホントその通りだと思います。
阪神大震災の現場と、今回の東日本大震災の現場を見ても、その違いははっきりしていましたしね~。
でも、そんな未経験な現場でも、日ごろの訓練を行うことによって応用力が身に付くんでしょうね。
自分ももっと多くの事を学ばないとと思いました。
先の震災では多くの消防団員も殉職しています。
まさに共助の鑑ですね。
福島の相馬市の殉職した消防団員の子供たちを支援する活動を通じて、彼らがどんな思いで地元の人を助けようとしたのかが分かりました。
そんな彼らの尊い犠牲を無駄にしないためにも、市民同士が助け合えるよう、地域の共助力強化を今後も推し進めていきます。
今後ともよろしくお願いいたします。(^ω^)