ゾウさんと暮らす

85歳の 夫ゾウさんとの
二人暮らし。 わたし 82歳。  

・お雛さま ・宗任 ・椿館行き 

2013年03月02日 08時56分21秒 | ・ 終 活

27日(水)は 金ヶ崎へ 

第10回 安倍氏の柵シンポジウムの 資料を 

いただきに うかがった。 

その日 2月16日には 盛岡行きが 決まっていたので

資料確保していただいていた。 それを もらうために

待ち合わせ場所 「白糸まちなみ交流館」へ 行ったのだ。

ついでに 「ひな祭り」を 見せてもらった。

   2日前にも写真を 2枚だしている。

下の写真は 我が家の近くのかたの 持ち物だった

おひなさな セット。  亡くなったことにより 

交流館で ボランテァを している方の 手にわたって

ここに 飾られている。 不思議な ご縁である。

きめこみ人形 だった 気がする。

(あわせて 3枚の 写真は ゾウさん 提供)


そのあとに 教えていただいた

図書館のわきにある センターの 展示を見てきた。

発掘された物のほかに

宗任の 梅問答 (勝手に名前をつけた) の 

場面が 描かれた 「絵」も あるというので

立ち寄ったのだ。 

畳 半分くらい ( ちょっと 小さいかな )の

衝立 に その絵はあった。 

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前九年の合戦で

安倍宗任は 降服し 一命をとりとめた。

都へ連行された とき。 蝦夷を 侮蔑している貴族

「奥州の蝦夷は 花の名など 知らぬだろう」

と 梅の花を 見せて これは何かと 質した。 

宗任は 「わが国の 梅の花とは 見つれども 

大宮人は いかが云うらむ」 と和歌で 答えて

都人を驚かせた と 伝えられている。

この話が 「絵になっている」という。

盛岡 一の倉邸の 持ち物 だ そうな。だいぶ 痛んでいた。 

特に 貴族の 顏の部分が 破れていた。

表装しなおして ほしい な。

しかし まあ はじめて 珍しいものを 観ることが できた。

   (側にあった「合戦絵詞」? の絵は 以前 見たことがある)

ありがたいこと だった。


次の日(28日) も 天気がよいので ゾウさんが

行きたいと 言っていた 「世界の椿館」へ。

碁石海岸には 10時少し前に 到着。 

2時まで ゾウさんは 戻ってこなかった。

その間に、 前日 いただいてきた

金ヶ崎町の「鳥海の柵」の発掘 資料を 読んだ。

「前九年合戦の 中の 安倍氏の柵」

読み応えがあった。

それから 二日から はじまる 「古事記」の講習会の

下調べとして 「古事記と 壬申の乱」も 読んだ。

あと 1ページ で おわるところ だった。

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帰る道 海沿いに 問題の 一本松が 見えた。 (多分)

   3月中旬ごろ 御開帳のようだ。

山添いには 家が 増えて は いた。回復は まだまだ。

仮設住宅の 方々 2年がくる。どうするんだろう。

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今日から 公民館 文学講座 「古事記」。

うちで 何冊よんでも 理解は まだ まだ。

少しは 頭に はいるかな。 

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