2017・3・19(日) 明治村のこと・・
大きな 入鹿池の 近くにあった 宇治山田郵便局・
この建物は 伊勢神宮外宮の 大鳥居の前で
活躍した のだそうな。
木造平家建 銅板葺の屋根。
円形状の中央棟と 両脇に連なる V字型の 東西翼屋
なそうだ。 洋風であっても 和の材料。
建物横にあった 黒いポスト。
明治20年ころ 使われていたらしいが、とてもきれいな 黒。
これは 復元なのか、 それとも ぬり直し ?
次は 内部。
郵便ポストの 移り変わり が わかる。
右手から 木製の 郵便箱。
私が 利用していたのは 赤になってから、だ。
私に かかわりがあるのは 電話交換業務 だが
この郵便局の 電話交換室、なにも ない 部屋だった。
こんな風に 交換業務をしていた、という 写真だけがあった。
xxxxxxx
私は 昭和38年、電話交換手として 採用された。
小さい郵便局だから 差し立て業務だけはしていた。
早朝に 出かけて 郵便物を ふりわけた。
郵便番号が なかったから 良かった ?
あったら 簡単だった ? のかな、 xxxxx
現在は 機械が さしたてしているそうな。
『郵便自動化機器』という システム ? が あるそうな。
どうなっている ? ベルトコンベア ?
下駄箱の 蓋がないような ボックスに 手紙を
区分けしていた、そんな 昔、、、 懐かしい。
札幌電話交換局 局舎は 明治31年 竣工。
その後 43年 増築、札幌中央郵便局として利用。
新中央郵便局の 落成によって、民間に払い下げられた。
日本電信電話公社 通称 電電公社が できたのは
戦後 の 1952年(昭和27年)。
私は 昭和38年からの勤務だから
10年ほどしか 経っていない。
ああ 私も トシ なんだなぁ~~~。 ついでに
明治32年の 交換手になる 条件。
昭和の 私たちのときも こんな風に 審査されていた
の か なぁ!!