パソコンがない 生活は 考えられない。
ゾウさんは わたし以上だろう。
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文字入力のための
ワープロを 習いに行ったのは
下北に住んでいた 50歳。
30年ぐらい前。
ゾウさんは すでに パソコンを自作していた。
留守の時は それで ゲームをして 遊んでいた が
ゾウさんが 帰宅すれば 触るわけには いかない。
文字入力を 習いたい が 言い出せないでいた。
自力だけでは、覚えられなかった。
それで 町へでて
4回の講義を受けることにした。
1回 参加。
そのあと ゾウさんに 転勤命令が きた。
残った3回分の 講義代金は 戻されなかった。
そんなことを 思い出したのは
テレビ 「プロジェクト X 」
の 運命の 最終テスト だった。
日本語。48字のひらがなと
5万もの漢字が おりなす 美しい言葉。
戦後、日本語は その複雑さゆえ、
経済復興の足かせとなっていた。
誰もが使える
「日本語ワードプロセッサー、ワープロを作ろう」と
立ち上がったのは 若き技術者と、
どん底にあえいでいた 東芝 青梅工場の男たち。
ひらがなを 漢字に変換する 技術に挑んだ。
昭和53 (1978)年 7月のこと、
ワープロの 店頭 販売は
昭和54年(1979)2月だと。
結果 累計3千万台を売り上げてた。
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この番組は 再放送 だ。
以前にも みた 記憶 はっきりある。
そのときも 感激したのだった。
特に 東芝 という 名前。。
その後の 1985年、ノート型パソコン。
おかげさまで 楽しんで暮らしている。 以上