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ゾウさんと暮らす

86歳の 夫ゾウさんとの
二人暮らし。 わたし 83歳。  

・・・7 翡翠。 そして街道の松 弘法の井戸  

2013年09月29日 00時04分10秒 | 2013・9「奥の細道・倶利伽羅」高崎の古墳

 「奥の細道」ツアー 第14回 倶利伽羅峠コース +

xxxxxxx  10日(火) + 14日(土)  5日間

・・・ 7  翡翠 そして 街道の松 弘法の井戸 


 

親不知を 出て 市振の宿に 行く前、昼食をとったところは

土産物屋でもあった。

翡翠の地だから 何かと 思ったが、 使わないものはいらない。

大きいものは 重いから、一番 安そうな 根付を 買った。

割れにくい そうだが、 薄いから ちょっと 心配。

いまのところ カバンのわきで 揺れている。



  街道の松

10キロ余りの 波間の難所を命がけで越えてきた 

芭蕉さん、曾良さんは この 松をながめて これから 泊まるであろう

宿の ぬくもりを 期待して、 ホッとしたことだろう。

 

     

それから 旅人たちは 少し 歩いて、ここで冷たい水を飲んで 

さらに 生き返った気持ちになったことだろう。


  ここより 少しあるいて、長円寺境内に、 句碑を みる。


   一つ家に遊女も寝たり萩と月

曽良随行日記には、

12日 

天気快晴。 能生ヲ立。 

早川ニテ翁ツマヅカレテ衣類濡、 川原暫干ス。午の尅、 

糸魚川ニ着 (中略) 申ノ中尅、 市振ニ着、宿。 

13日

市振。 虹立。玉木村、市振ヨリ十四、五丁有。

中・後ノ堺、川有。渡テ越中方、堺村ト云。加賀ノ番所有。出手形入ノ由。

これによって 芭蕉さんらは 1泊 したこと が わかる。 

遊女の 記載は なし。桔梗や

   

 

元禄2年7月12日(陽歴8月26日)

「奥の細道」で、芭蕉さん 曾良さんが、 宿泊した  

市振の宿だと 伝えられている 「桔梗屋」跡に 着いた。


 この 反対側で、 私たちは 嬉しいことに 出合った。 次回 書きます。 


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・・・6 親不知海岸の 石は 翡翠か ?

2013年09月28日 00時07分09秒 | 2013・9「奥の細道・倶利伽羅」高崎の古墳

「奥の細道」ツアー 第14回 倶利伽羅峠コース +

xxxxxxx  10日(火) + 14日(土)  5日間

・・・ 6  親不知海岸の 石 は 翡翠 ?


 9月12日(木)  新潟県糸魚川市、日本海側の断崖 親不知。

日本海によって 浸食されて できた海岸。 

北の勝山あたりは 子不知(こしらず)

市振近くが 親不知(おやしらず)。 この間 10キロほどだそうだが

芭蕉さんの時代は、この海岸沿いを 歩く しか 方法が なかった。

ときには 波が高くて 通ることが できないほどの 難所だったというのに 

芭蕉さんは 

  今日は親しらず、子しらず、犬もどり、駒かえしなどといふ

  北国一の 難所を 越えて 疲れはべれば ……

と しただけ。 

お天気に恵まれて スムーズに 通ること が できたから 

と いわてれいるが。

私は 柏崎からの不快な出来事を 

思い出したくなかったから 詳しく 書かなかったのではないか 

と、自分に合わせて 考えてしまう。

それで 事実とは 異なるらしい が

市振に 「遊女」を あしらったのではないか ナ。 深読み? 


 さて バスをおりて 展望台へ 向かった。 眼下に 海岸が見える。

 レプリカ の 一部

親不知の 部分。  この 海岸へ ツアーの 皆さんは おりて行った。


これが 北陸の道 と いえる ?

高いところから ながめている 現代人の私は 道とは 言えないと 思う。

しかし、 芭蕉さんは 通った とある。 

その道を みるために、駐車場から おりる崖の道が あるそうな。

私も 一応 おりかかった、  が、 ここで 怪我をしたら

本命の 倶利伽羅峠を 歩くことが できなくなる。 行かないことにしよう。

と 決定。 添乗員さんへ お話して、 

滝のあたりから、 ひとり バスの近くに 戻った。 

甘いものが 欲しくなった。

一軒だけ 見えた ホテルの前に 休み場があった。

そこで 缶ジュースを 飲んだ。 いっときの間に みなさま 戻ってきた。 

私が 付いて行ったら 迷惑を かけただろう。


後日。 また 自宅に 小荷物を 送る という ときになって

ゾウさん、 カメラの カバンから 大小の石、 7個 だした。

岩手に 送りたい、という。 「どこから 持ってきたの」。 親不知。(だった)

こんな石を 持って あの 崖の道を 登って 来た のだ。

ゾウさん 馬鹿なのか 利口なのか。

「翡翠かも 知れない」というが、そんなわけないでしょ。

もしも  翡翠だったとして ……  加工するすべを知らない。 

荷物は 大きさだけではない。 重さも 送料に かかってくる。

無情にも 「 捨てますよ 」といった。 

大きいのは 長さ20センチ、 直径10センチぐらいの 1個だけ。  

小さめの石 10センチくらいの 白いの と 

7センチくらいの 赤っぽい、二個だけを 送る荷物に入れた。

 (家に送った2個)

残り 5個は 外食を取りに 出かけるとき 外へ持って出た。

ホテルの前にある 広場の はっしこ。

もの陰のほうに 五個  並べて おいて 来た。 

その写真  撮っておけば 良かった。     なんかの記念 に


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・・・5  はじめての ・米山 ・御巣鷹山 

2013年09月27日 00時03分57秒 | 2013・9「奥の細道・倶利伽羅」高崎の古墳

「奥の細道」ツアー 第14回 倶利伽羅峠コース +

xxxxxxx  10日(火) + 14日(土)  5日間

・・・ 5 はじめての ・米山 ・御巣鷹山 


 

初日(10日)は 大宮駅 東側にある ホテルに 泊まった。

場所は すこし 離れていたが 送迎バスがある から なんのことも なし。

と 言いたいが、 着いたことを ホテルに 伝えなければならなかった。


岩手から送った荷物は 届いていた。 

明日から 持ち歩くために、上方に入れておいたカバンを だして 

そこの衣類を 詰め込んだ。

空箱 どうしようかな。 ホテルに 処分を たのもうかな。

と 思っていたら、   まだ1日目なのに 

ゾウさんの 福島と 千住大橋での 紙(チラシ)集め で 

別の カバンが 膨れ上がっていた。 

捨ててもらおうと 思っていた 空箱へ 

その チラシ類を 詰め込んで 岩手に 送り返した。

   それが まずかった。

   ゾウさんに 紙集めしても 困らないという ことを、

   つまりは、 味をしめられてしまって 

   そのあと も たまった 紙、 自宅に 送る はめに なった。


9月 11日からは クラブ・ツーリズム・テーマのある 旅

奥の細道を 訪ねて 

荒海や の 名吟を 生んだ 親不知 ・ 市振

難所 「倶利伽羅峠」を 越え

の 3日間 が はじまる。 

このツアーの 記事は ゾウさんが、 すでに アップしている。

膨大な写真が 出されている。   

調べていたら ゾウさんのほかにも 立派な ブログが あった。

絵図が 入っており、  系統だててあり、 親切な ブログである。  

http://www.ne.jp/asahi/m.mashio/homepage/okuhoso-50.html

私ごときものが だしても意味がない。 私のは 必要がない。

私は わたしだけの こぼれ話を 探して アップすること に しましょう。 


11日のこと。

今日の 句碑を眺める 行程、お終いの方の

金谷山公園の 近くには 芭蕉の句碑がある。 ここは、

明治44年(1911年)、オーストリア・ハンガリー帝国(当時)の軍人、

テオドール・フォン・レルヒ少佐が、日本にはじめてスキー術が伝えたところ。

その 説明のときに 「あれが 米山さんです」と、 山の名前が でた。

ああ、 その歌 しっている。 米山さん。米山さんの「さん」は 愛称だろうか。

この 民謡 歌うことが出来る。

米山さんから 雲が出た いまに夕立ちが来るやら
ピッカラ シャンカラ ドンカラリンと 音がする
  ドンカラリンと 音がする いまに夕立ちがくるやら
  ピッカラ シャンカラ ドンカラリンと 音がする

これ 「三階節」  。 新潟県柏崎地方の古い盆踊歌。

なぜ 「三階」なのか。 同一歌詞を 3度 くり返すところからだという 説もある。

うえの 歌では ドンカラリン が 3回ある。 そのことだろうか。

何番か わからないが

柏崎から椎谷まで 会いに荒浜荒砂 

悪田の渡しが なきゃよかろ

 渡しが なきゃよかろ 会いに荒浜荒砂  

 悪田の渡しが なきゃよかろ  

もある。 久しぶりに 民謡を 歌った。 口ずさんだだけだけれど。 


今夜の宿に 着いた。 

赤倉温泉のホテルは ちょっと、 いや すご~~~く 変わっていた。

和室が 北 (西かな)側に ずらりと 並び、 廊下を隔てて 

南(東かな)側に 洋室が ずらり。 その 和室ひとつと 洋室ひとつが 一組分。

はじめに 私は 洋室に 荷物を 入れてしまった。 

和室に 移動が 面倒だった。 

洋室に カバン類を おいたまま 和室で 休んだ。 落ち着かなかった。

 


温泉地の この ホテルには 立派な 「温泉」 があるそうだが、

私は 転んだら 大変なので 大浴場には 行かないことに 決めて いる。

だから 今日も 行かない。 ゾウさんが 温泉に 出かけた。

私は 洋室に鍵を かけて 小さい バス へ 湯を 入れようとした。

「湯」 は 出てこない。 最大にしても 「湯」らしきものは 出てこない。 

水は とめて 「湯」だけにして、 半分でも たまったら 入ろうとした。 

だが 「湯」には ならなかった。

案内してもらったとき、 洋室に バスがあるか 聞いていた。  

その方がいる間に 確かめておいた。 

だから 私が 「温泉に行かない」ことは 知っていたはず だが …

そのとき ここは 使えない と なぜ 教えてくれなかったのだろう。

  使った人 いなかった。 だから、文句いう人が いなかった のだろうか。

この バス。 小さいくせに 深すぎる。 

掴まるところも なくて、 出入りに 苦労した。 

温泉があるのに 「行かない」 私が 悪いのだ。

ゾウさんに いうと コインランドリーのことが あるから 

 「怒り」出しかねない。 黙っていた。

水で 体を 拭いた。 気分悪いが、 洗髪は 我慢した。

ホテルに入ってすぐ、みんなで 「おやつ」を いただいたとき

待っていても、 私には 来なかった こと まで 思い出してしまった。

こんな 太い人が 見えないなんて ……。推してしるべし でした。


この宿には コインランドリーが なかった。 しかし

いつものことだが、 夏の ゾウさんの 汗は ただことではない。 

ここは ビジネスホテルではない、と いって ほってはおけない。

汗かくから、 洗濯こまるから 2枚重ねで 着ないで と 

たのんでも、 身につけたら最後 脱がない。 だから 異常に量が多い。

洗面所で 今日 身に 着けた ゾウさんの 上着や 下着類を 洗った。

洗わずには いられないほど 汗が 滴っている。

     脱水機だけでも 借りたかった が 言いだしかねた。

ホテルの バスタオル 2枚を 使って、 

衣類を 挟みこみ、 湿気を わずか すわせて 

ハンガーに かけて ベランダ へ 干した。 乾きそうにはない が。


11日 眺望がよい、というので 、暮れかかっていたのに、 屋上に行った。

写真は うまく撮れなかったので つぎの 朝、 また階段を 上った。

今日(12日)は お天気 よさそうだ。

 

   下の絵から みれば、 右奥にある 小さい方の山が 御巣鷹山 と いうことか。

御巣鷹山 … 飛行機墜落事故があった 山 だな。

事故は 1985年8月12日18時56分のこと。28年前。 そんなに 経ったのか。

群馬県多野郡上野村の 御巣鷹山に 日本航空123便が 墜落したのだった。

アッチが 群馬県 か。 

 

直江津の 北東方向に 昨日のはなしに でた 米山が あった。 

 。宿 の花

紫の ネギ坊主のような 花には トゲトゲ がある。

 「ヒゴタイ」の 名札が あった。 和名「肥後躰」ほか。 絶滅危惧II類 だって。

さあ。出かけよう。 今日12日は どんな話が 聞ける かな。 


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・・・4  すさのうさま と 千住宿

2013年09月26日 00時05分43秒 | 2013・9「奥の細道・倶利伽羅」高崎の古墳

xxxxxxxxxxxx   「奥の細道」ツアー3日間  

倶利伽羅峠まで -   9月11日(水) 朝 ~ 13日(金) 夜まで

 +  10日(火) +  14日(土) の 5日間  xxxxxxxxxxxxxxxxxxxx


 ・・・ 4   すさのうさま と 千住宿

10日の 続き。

千住大橋を渡ったら レストランが みえた。

3時 近かった。 足も疲れていた。 おいしかった。 

「元気が出ました」と お礼を 言ってから 素戔嗚(すさのお)神社のことを 聞いた。

   すぐ、そこです。 

すぐ を 信じたが 見えない。 通行人に 聴いたら

せなかを 動かして 「ほら」と、 提灯を 指さしてくださった。

疲れとれていないのかもしれない。    これが 素戔嗚(すさのう)神社です。

  

    

素盞雄(スサノオ)神社  

鳥居を潜る前に 拝む。 入らせてくださいませ。  

 千住大橋の近くにある 素盞雄大神を御祭神とする神社。  

 荒川区内で もっとも広い氏子区域を持つ神社。

     ミニ 富士山が あった。

昔の 方は これで 霊山に 登った気に なったそうな。

神々しさを 感じるから、 私も 日本人なのかもしれない。

そして 本殿。

その本殿の右側に 芭蕉の碑が ある。  ここは 

奥の細道、千住「矢立初め」の句を詠んだ地 なのだそうだが、

私としては 橋を渡るまえの 碑の あたりが 「矢立」に 思えたが、

わざわざ 戻って ここへきて

これからの 長い旅の 安寧を 祈願した のかもしれない、ので

文句は 言わない。  奥の細道 矢立初め と なった一節。 

  千寿といふ所より船をあがれば
  前途三千里のおもひ胸にふさがりて
  幻のちまたに離別の
  なみだをそそぐ「行くはるや烏啼き魚の目は泪」

  

上の写真の 下方には 川

隅田川が ある。 それが 下の 写真。

筏に 船頭さんがある。 なかなか 芸が細かい。

 ここから 大橋を 渡って 駅の方へ、    日光街道を 北上する。

。  プチテラスの 芭蕉さん。

私の芭蕉イメージが 崩れるが 愛敬があるから 我慢する。

 大名行列 

やっちゃ場 跡 。  野菜市場の あとだそうな。

  いまも 営業している ようで。

旧街道には 懐かしい 雰囲気が ちょこぉ チョコォ と。 千住宿である。

 

こちらは 日光街道 (国道4号線)

これから 千住大橋駅から 日暮里 → 大宮の宿へと 移動する。 


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・・・3 奥の細道 矢立はじめの地へ

2013年09月24日 00時07分00秒 | 2013・9「奥の細道・倶利伽羅」高崎の古墳

 xxxxxxxxxxxx   「奥の細道」ツアー 

倶利伽羅峠まで -   9月11日(水) 朝 ~ 13日(金) 夜まで

 +  10日(火) +  14日(土) の 5日間  xxxxxxxxxxxxxxxxxxxx


 

・・・ 3   奥の細道 矢立はじめの地 へ


 9月10日 (火) 午後   ( ツアーのまえに、 まだ行っていなかった 千住へ)

福島駅から 上野  → 日暮里を 経て 千住大橋駅に おりる。

先ずは 大橋の手前にあるという 

矢立の地の 標柱の あるところを めざす。

1時半を 過ぎていたので、 昼食をとる場所も さがす。

駅の周りは(駅もかな) 工事中だった。 

シートのせいで 目的地、 さがしにくい。橋が 見えて来た。 

方向が わかったので、大通りへの道を を 探す。

橋の手前に 交番があった。

ゾウさん 「ここへ来たこと あるな」

ありませんよ。  あれは 深川 です。

深川の 目的地手前にも 交番があった。   

写真でみていた ところがあると 「来た」、「行った」気になる。

これが 嬉しい。 ゾウさんの ボケまでも 楽しい。

隅田川ぞいにも なにか ありそう だ。 

上の 写真、 左方 裏方向 にある 階段を 降りてみた。

広場というには、すこし 汚れている。今も 船着き場なのかな。

そんな空間が あって、 その壁に 上の 写真のように

おくのほそ道 旅立ちの地、 と 書かれていた。 

ここは 矢立の地でしょ。

私にとって は 「旅立」の地は 深川 なんけれど、なぁ。


 

この写真の右手 → 橋げたの 下を いく。


 

反対側に は

「千住大橋際 御上り場」の 看板があった 

ここは 将軍家 日光門主 など 高貴な人々が利用していた 湊で

通常は 将軍家が 千住近郊の鷹場 (小塚原、花又村、たけの塚、そうか村など)や

小菅御殿への通行などに 利用されていた そうな。
xxxxxxxxxx


日光門主」とは 別名 輪王寺宮上野の森宮様と 呼ばれ、

日光山のみならず、東叡山寛永寺、比叡山延暦寺の門主を兼ね、

天台座主の地位を併せ持つ宗教的権威の頂点にいた人物。

日光道中で もっとも重視されていたのは

日光と 江戸を 三回往復する 日光門主の通行 だそうな。

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天保13年(1842年) 仙台藩13代藩主 伊達慶邦の大名行列の 絵。

大名行列の こと訳 も 書いてあった。


 

次は 隅田川反対側の 荒川区 すさのうさん と 呼ばれている

素盞雄(スサノオ)神社 を さがす。  次回へ


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・・・2 ゆっくり 観たかった 陵墓の埴輪

2013年09月23日 00時05分48秒 | 2013・9「奥の細道・倶利伽羅」高崎の古墳

 

9月11日(水)朝 ~ 13日(金) 夜まで

「奥の細道」ツアー 第14回 倶利伽羅峠コース + 

     10日(火) + 14日(土)  xxxxxxxxxxxxxxxxxxx 


 

・・・2 陵墓の埴輪、ゆっくり観たかったのに 9月10日・ 福島で「 発 掘 」展


文化庁の 「 発掘された 日本列島 2013 」 福島県文化センター

開会10時の 30分前から 会場の扉のまえに 陣取って、待つ。

30分しか 時間が取れなくなったのだ。 焦る。

     

10時 きっちり 扉が開いた。 


入り口に 目当ての「陵墓の 埴輪」が ドンと 置かれて あった。 

右端の 一番大きいのを 目で 計った。 

上部 ( 屋根 ) 横 80センチ ぐらい  縦 60センチぐらい

下部 は 横 60センチ ぐらい 縦 50センチ ぐらい

    (目測だから 信用しないで ください) メモがないので わからないが

こんな でっかい埴輪が 置かれる ということは 

古墳自体も おおきいの でしょう。 どこの 陵墓でしょうか 

写真 左側の 白っぽい  ↓  囲いのある 家形 埴輪 

すごい !!  

手前の 囲いの ところに 「庭」に 入る 扉が ついていた。

見えにくいが 左下の 写真に それが ある。

カメラ は 「フッラシュを たかなければ」 

撮っても 良いと 書かれてあったが、 

私は バカチョンカメラ の 調整を しらないので やめている。

ゾウさん、許可が あったとしても 迷惑ではないか、と 思うほど、 

遠慮がない、  撮る、撮る 撮る。 


  勾玉

こんなに くるりと U ターンした 勾玉、はじめて見た。  翡翠 ?


 

下は 土笛。   

私が 昨年 作ったの は いい音 出なかった。なんでも 難しいのです。

これは 良い音が でたのでしょう。

。。。。。。。。。。

あれ ヒョウタン だ。 ちゃんと 容器として 使われていたんですね。

 右 復元品。

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この時の 私の メモ 最後には 

「犬山天神古墳 徳島市 女性首長」 と  あった が 

記憶が 薄い。 徳島に 古墳がある なんて 知らなかった し 

女性の 首長というのも なかなか ないから

調べようと 思ったのだろう。 

   いま 調べてみた。 2010年見つかった、と あった。

   詳しいことは わからない。


正味 30分しかないから、お終いのほうは 急ぎ足になった。

不足は  

冊子「発掘された日本列島 2013」 は 今年も でているから

これで 埋めれば よいのだが。

毎年 一番近くの 博物館に 展示がくると ひとりで 観に行って、 

冊子も 買ってしまう。  今回は 並んでいなかった。

1800円。 どうしようかな。


 

さて さて 福島駅に 行かなくちゃ。

 

    新幹線ホームへ 行く途中に

新しくできる 秋田県美術館、そこに 移されるという 藤田嗣治の 大壁画があった。

「大人の休日倶楽部」の 宣伝が あった。

「絵」の 名前は なんだっけな。 

   いま、 切り抜いておいた 新聞を みてきた。

   「秋田の行事」 だった。  縦 3・65m  横 20・5m 

   中央部分に 菅江真澄の墓の近くにある 「こおろぎ橋」が 描かれてある。

それを 観に行きたいと 思っていた。  もうすぐ 開館。 9月29日 ~

いつか 行くぞ。  ( これで ゾウさんを 脅迫している つもり )

    ゾウさんが この 「大人の休日倶楽部」の 

    写真 撮っているのを みた。 貸してもらおう、っと。

これから 芭蕉 矢立の地 千住大橋の 駅 に 向かう。


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・・・1 自然の 脅威の前で 文明は 無力

2013年09月22日 08時52分19秒 | 2013・9「奥の細道・倶利伽羅」高崎の古墳

漂泊の思ひやまず 「奥の細道」 倶利伽羅峠越え     


月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。

舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらえて老をむかふるものは、

日々旅にして旅を栖とす。

古人も多く旅に死せるあり。

予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず …

    ご存知、「奥の細道」の 冒頭部分である。

 

老年を迎える者は、日々が旅であって、旅そのものを常のすみかとしている。

……「ちぎれ雲を吹きとばす風に そぞろ誘われて、漂泊の思いが止まず」

わたしも なんとか早く 奥の細道だけは つなげたい

と いう思いに 憑りつかれてしまっている。


芭蕉さん、曾良さんの 道 倶利伽羅峠を 歩きたい と 思っていた。

思っても  体力に 自信が ない。 

結びの地 大垣へ 行った後にも

旅行社(クラブツーリズム)から パンフレットが 届く。 

そのたびに ゾウさん。 「申し込め」と うるさい。 

歩く力がない、 峠を越える力がない、 と 断る。 

そのたびに 「面倒みてやる」と いう。

優しい言葉は その場限りと わかっている。

カメラを持ったら 人格が変わる ゾウさんを 信じてはいない。 

そんな人に 助けてもらえるとは おもっていない。

ゾウさんは 「曾良」さんとは 全然違う人だ。


 

体の衰えは 毎日 感じている。

待っていても いまより 体力が 勝る日は ないのだ。

来年は 消費税が 高くなる。 

費用が 多ければ 多いほど その額は 多くなる。

今のうち かもしれない。

いつも 結論は そこへ行く。


 

 「奥の細道」 倶利伽羅峠 へ 行こう

    もったいないので  前後に 小さい旅を 入れる。 

    思い残すことがないように しよう ……

9月10日 ・ 福島「 発 掘 」展 →  「奥の細道」 矢立の地 → 

9月11日(水) 朝 ~ 13日(金) 夜 まで  ・ 倶利伽羅峠 ツアー →

9月14日 ・ 群馬県 高崎市 八幡塚古墳( しもつけの里資料館 ) → 帰る 

 何回になるか、不明だが

これらを 旅行記 「倶利伽羅峠への 旅」として 簡単に 記します。


 漂泊の思ひやまず 「奥の細道」 倶利伽羅峠 越え     

・・・ 1  自然の 脅威の前で 文明は 無力

       ━ 福島県 「ふくしま再生と文化財」 を みる ━


9月10日 (火) 出発

福島市には 車で 何度か 来ていた。

ゾウさんの親戚の 「なにか」に 出席する、ついで が ほとんど。

新幹線を利用して 駅に降りたのは はじめてになる。

福島市駅前から バスに乗る。 バス停から 歩く。 結構 遠い。

文化センターに 着く。    あ、ここ 車で 来たことが ある。 

。。。。 

この 下の ポスターは 岩手で みていたのとは 違う。 

開催時間  10時 だって。

岩手で見つけた 資料には 全国 5か所の開催場所はあったが

各地での 時間が 記載されていなかったので

福島の 会場である 県文化センターを 調べたのだが、

そこは 8時半 開場になっていた。 

それに あわせて 早くに 出てきたのだった。 

「陵墓の 埴輪」 2時間ゆっくり 見学できる、と 楽しみに来たのに。


冷たい 缶ジュースを 飲んで 9時ころから、 隣の建物へいく。

福島県歴史資料館での 「ふくしま再生と文化財」展示を みる。  

写真撮影禁止。 


 

東日本大震災から 学んだこと、 として

〇 自然の 脅威の 前で 文明は 無力 

〇 人間の手で 制御しきれないものを 安全とよんでいた


と 書かれてあった。

福島は 3:11。 原子力の せいで 一番被害が多かった県だ。

この 意見が 生かされるように 祈る。 

次回は 30分しか 見られなかった 「発掘された 日本列島 2013」

を 書きます。


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