2015年6月2日
萩 反射炉 から、
また バスに乗って 恵美須ケ鼻造船所跡へ いく。
( ここへ 行った日の 1か月あとの
7月8日 ここも 世界遺産登録 決定した)
。
上が
建造恵美須ケ鼻造船所 ( 椿東中小畑にある)
萩藩の造船所 の 跡。
幕末に 2隻の西洋式木造帆船を 建造した。 xxxxxxxxxxx
江戸時代初期に 幕府は 軍艦等の建造を禁止する大船建造禁止令をだしていた。
しかし、ペリーの黒船が来航した嘉永6年(1853)、
幕府は 禁止令を 解禁して、萩藩に軍艦を建造するよう 命令する。
藩主毛利敬親が 洋式軍艦を建造することを 決定する。
安政3年(1856) 恵美須ヶ鼻に 造船所。
ロシア式造船 の 「丙辰丸」が 進水する。
。 はじめての洋式船「丙辰丸」
万延元年(1860)には
2隻目の西洋式帆船「庚申丸」が進水。
幕府が軍艦の操縦と建造の技術習得のため設立した
長崎海軍伝習所で オランダ人教官が教えた技術が用いられた。
このように ロシアとオランダという 2つの異なる技術による造船を
1つの造船所で行った例は 他にない、と。xxxxxxxxxxxx
幕末に建設された造船所で
唯一遺構が確認できることが 評価されて
2014年10月に 国指定史跡に指定された。
手前にある 神社
xxxxxxx 7月 明治日本の産業革命遺産として 世界遺産となった xxxxxxxx
私の 岩手県の 橋野高炉と仲間だったとは
6月の このとき はっきり 分かっていなかった。
私の好きな 縄文遺跡では なかった から だろう。
これから 吉田松陰の 史蹟へ行く。