英検準1級&東大・京大・早慶の英語(英単語)は英英方式で突破できる!

英英思考を制するものは英語を制す。英英辞典とネイティブ向け読み物への早期移行が異次元の高速学習を可能にした。

日本人学習者のための英語習得マニュアル試案

2009年12月27日 | 日本の英語教育
 言語習得は既存のスタイルに合わせていくconservative(保守的)な作業でその極意はconformity(順応)にあります。言語順応に欠かせないのは大量インプットで、ノンネイティブの場合は文法学習がインプット不足を補う大きな助けになります。特に創造性を要する作業ではないにもかかわらず、いまだに日本人学習者向けの効率的な英語習得のマニュアルが整備されていないのは不思議なくらいです。
 近年の文科省方針による英会話重視の学校英語教育では、インプットの質、量ともに低下した上、文法軽視により習得効率も落ちているわけですから失敗しない方が不思議です。かといって、三面記事が読めない受験生に社説を読ませるようなことをしてきた旧来の受験英語に戻れば英語ができるようになるわけでもありません。「英語の読み書きはできるが会話のできない日本人」というのは何の根拠もない国民的迷信です。
 ささやかながら、英語習得マニュアルの試案をお示ししていきたいと思っています。

①高校中級程度までの基礎的な単熟語、文法、構文は日本語の解説でしっかり理解する必要があります。加えて、良質な基礎構文集の英文和訳と和文英訳を完璧にできるようにする体育的トレーニングは避けて通れません。「英語の授業は英語で行うことを基本とする」という文科省の高校英語計画が失敗に終わるのはまず間違いないです。初中級者が英語による説明を理解するのはきわめて困難な上、教員の資質も不足しているからです。

②基礎を習得した後には英文和訳や和文英訳のような日本語にしばられた英語学習は避けて、英英辞典とやさしいネイティブ向け読み物に移行するのが効率的です。問題演習にあたっても和訳や英訳は避けて、長文中の四語選択問題と四語整序問題に取り組む方が効率良く英語力を伸ばせます。英語学習の効率を大きく左右する要因は英語のインプット量で、基礎を習得した後には日本語をできるだけ混ぜないに越したことはありません。

③実用英検は英語力チェックのためにきわめて有効です。しかし、一次試験六割程度の得点で「合格」させられて上の級を受験して何度も落ちる英検難民があとを絶ちません。コンスタントに一次試験九割以上得点できるようになってから上の級を受験するのが、「お金をかけない英検合格法」です。
 難関視される英検1級もレベル的には英語圏の中学生の英語&社会科程度です。準1級で一次試験九割得点できる位の力があれば、TIME,NEWSWEEKの1頁もののやさしい記事を高い精度で300本位読んで頻出単熟語を覚えればリーディングは十分合格圏に到達できます。リスニングは月刊CNN ENGLISH EXPRESSを一年分スクリプトなしでシャドウイングできるようにすれば十分でしょう。準1級で一次試験九割得点できる位の力があれば、一日90分位の学習でも一年で準1級→1級一次合格に到達できると思います。この段階までのアウトプット訓練は英語で日記を書く程度で十分です。英会話は英語学習者にとって間食のような存在にとどめるべきで、メインにすべきではありません。何はともあれインプットです。

④英検1級、TOEIC900点レベルを超えてからは、英語を大量にインプットしつつアウトプット訓練を増やしていけば、読み、書き、聞き、話す四技能をバランスよく伸ばせます。しかし初中級段階で四技能のバランスに重きを置くのは馬鹿げています。なぜならば、インプットが十分でないと独創的な誤りを量産するアウトプット訓練に終わってしまうからです。
 道具に過ぎない言語の習得はできるだけ要領よく済ませて、創造的な言語コミュニケーションに早く入る方が望ましいのは論を待たないでしょう。たとえばここのブログで英語論説記事の内容を巡る議論が展開されるようになれば大変幸いです。英検1級、TOEIC900点などというのは単なる通過点でしかありません。
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12 コメント

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すばらしいです (はぐれ)
2009-12-29 11:32:01
簡潔な文章の中にも英語学習の極意を網羅
しているすばらしいコラムです。ただもの
ではないと察します、ハハ。時々勉強させて
もらいに来ようと思います。
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Unknown (鈴木康)
2009-12-29 15:05:02
 はぐれさん、コメント有り難うございます。本日、加筆修正してみました。
 コラムと評していただけるのは正直嬉しいです。若かりし頃市民運動に加わってビラを作っていた際に、コラムめいた文章を書くのが大好きでした。
返信する
Unknown (名無し)
2010-01-01 22:34:43
勉強になります。
ちなみにおすすめの基本例文集は何でしょうか?
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Unknown (鈴木康)
2010-01-03 11:41:16
 名無しさん、コメント有り難うございます。
 研究社から出ている「必ずものになる話すための英文法」が20年ほど前の私には役に立ちました。ただ、分冊の上にテープ別売でかなり高くついた記憶があります。
 いま基本例文集としておすすめできるのは音声CDと学習ソフトがついて2,000円というコストパフォーマンスで内容も充実しているRe-Startです。詳細はALL IN ONE 英語学習サイト
でご覧下さい。
 もちろんこれは私の知る限りの中での情報で、そのほかにもいい例文集はあると思います。
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世間には、英語に関する勘違いが多いことを感じています (奇策な人)
2010-01-04 22:11:26
 明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。


> インプットが十分でないと独創的な誤りを量産するアウトプット訓練に終わってしまう

 昔から、東大・京大の英文和訳と和文英訳の難問を見て、現実離れしたものを感じていたのですが、結局のところ、それらは「ともかくデッチ上げてでも、何か書いて点を稼ぐもの、デッチ上げるにしても相応の英語力が必要で、それを測定するもの」なのだと思いました。

 「デッチ上げ」も時として必要ですし、習得の過程では「独創的な誤り」も起こり得ますが、これらを何も大学入試で誘発する必要などないはずです ( 誘発しなくても、受験生は「ともかくデッチ上げてでも、何か書いて点を稼ぐ」つもりで挑みますから )。


>「英語の授業は英語で行うことを基本とする」という文科省の高校英語計画が失敗に終わるのはまず間違いありません。

 同感です。
 小学校英語同様、施策に対する評価時期と評価方法を決めていないのですから無謀です。おそらく、それとなく英語で教えている風景に満足するに止まり、批判的な世論が出たところで、なし崩し的に消滅し、また次の指導要領作りに移るだけのことでしょう。

 なお、文科省の施策として全高校英語教員に求めることには反対ですが、一端の意味は感じています。
 教えることの要諦は、「自分がその方法を信じていること、教えようとする内容を自分が明確に持っていること」であり、英語で教えることに意義を感じている人は、既に実践し、その功罪を認識して試行錯誤されていることと思います。
 ただ、それが平均的な姿ではないし、平均的でないものを前提にした文科省が現実離れしていると思います。


> 教員の資質も不足している

 これも事実と思います。
 どんな仕事であれ、新卒段階の実務能力は限られており、その後のスキル向上が不可欠であって、これは教員養成課程がどのように改善されようとも変わりありません。にもかかわらず、教員は 30 年超におよぶスパンの仕事でありながら、英検、TOEIC 等でスキルの推移を測定することなく、文科省が教員の英語力を把握する体制になっていないことが重要課題です ( 教える側のレベルを管理していないのに、「英語で授業をしなさい」と言っても始まらないわけです )。


> 道具に過ぎない言語の習得はできるだけ要領よく済ませて、創造的な言語コミュニケーションに早く入る

 これについて、ある提案が浮かんだのですが、まだ整理できていませんので、まとまりましたらお知らせしたいと思います。
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公教育の基本原理 (鈴木康)
2010-01-04 22:48:04
奇策な人さん、新年のお慶びを申し上げます。本年もよろしくお願いします。
 ご提案楽しみにお待ちします。じつは自分でも、「創造的な言語コミュニケーション」とはどういうことなのかの具体例の提示が欠けているように思っておりまして、突っ込んでいただければ大変有り難いです。私の場合ですと、英語ニュース記事から学んできたことはスピーチ、ディベート等に大いに役立ちました。
 ところで、「教えることの要諦は、『自分がその方法を信じていること、教えようとする内容を自分が明確に持っていること』」というご指摘に関して私的な教育ならば全く同感です。しかし公教育がそうであってはならないでしょう。なぜならば民主国家における公教育は民意を反映すべきものであり、教育公務員でしかない教員の信念を反映すべきものではないからです。同様に、公教育は文部官僚の意向を反映すべきものではなく、国民がもっともっと公教育に声を上げていくべきだと思います。政策の功罪を認識して試行錯誤する責任を国民が負う、つまり責任在民の原理こそが主権在民と並んで民主国家の根幹です。
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高校英語教育の題材について (奇策な人)
2010-01-13 04:11:51
 公教育と私教育の観点から御指摘いただき、ありがとうございました。この視点は、盲点になっていたものであり、まだ考えが整理できていませんので、保留とした上で提案させていただきます。


> 道具に過ぎない言語の習得はできるだけ要領よく済ませて、創造的な言語コミュニケーションに早く入る

 本来意図されていることは、広く生涯学習も含めたものと推察しますが、高校英語教育の題材を教師が選択することを提案させていただきます。


 まず、「英語力の養成 ( 言語の習得 )」と「英語力の運用 ( 例えば、TIME の読解、議論 )」を明確に区別・認識して取り組む姿勢が、高校英語教育には欠如していると、仮定しました。創造的な言語コミュニケーションは、その言語を運用できている実績がなければ成り立ちません。
 中学は、ともかくも、高校英語教師は、英語の運用分野について言及できるだけの考えを持ち合わせる必要があると考えます。

 養成と運用の具体的な行為や題材は、必ずしも別個のものではありませんが、運用題材として提案するものは、ウィキペディア (http://ja.wikipedia.org/wiki/) です。これは、御存じの通り、ネット上の百科事典で、キーワード検索すれば該当する記事が表示されるわけですが、そのあと、日本語版から英語版に移動できる点が優れています ( ただし、翻訳ではなく、内容、構成、分量は、むしろ、まず一致しません。対応する英語版の記事がないものもあります )。

 題材として提案する理由は、

(1)生活にある「輸入物」が、原文でどのように表現されているかについての知的好奇心を育成する。
(2)原文から情報を得て実務に役立てる姿勢を養成する。

 例えば、日本語版で「バスケットボール」を検索してから英語版に移動し、そこで「テクニカル・ファール」に関する部分を参照し、次の文章を読むとします。

A player or coach who shows poor sportsmanship, such as by arguing with a referee or by fighting with another player, can be charged with a more serious foul called a technical foul. The penalty involves free throws (where, unlike a personal foul, the other team can choose any player to shoot) and varies between leagues. Repeated incidents can result in disqualification.
試訳: 選手またはコーチが、スポーツマンシップに欠ける行為 (例えば、レフリーと口論になる、他の選手と格闘状態になる) に及んだ場合、テクニカル・ファールと言われるさらに深刻性の高いファールが課せられることがある。ペナルティーには、フリー・スロー (パーソナル・ファールと異なり、相手チームは、シュートする選手を選択できる) があり、その他、リーグによって独自のものがある。繰り返し行うと、退場処分になることもある。


 入学したばかりの高校 1 年生には、独力の読解に難があるのが平均的かと思いますが、2 年生ならば、自分で辞書と文法書を見て完結できる難易度と思います。にもかかわらず、これは、バスケットボールという高校生なら誰でも体育で経験した、生活に根づいた運用題材と思います。

 当然ながら、「バスケットボールでは、運用題材として不十分だ」という反論もあると思います。
 その場合は、「教える側が題材に納得していること」の原則に従い、ウィキペディから自分で運用題材として適すると思うものを自由に引用すればよいだけの話です。勿論、自分が信ずる題材ならば、TIME でも CNN でも、あるいは物語教材でもよいわけですが、ウィキベディアにしろ何を探しても自分が題材にできるものがないとしたら、5 年の経験のある高校英語教師は、それを自身の課題とすべきで、10 年の経験のある場合は、かなり深刻と思います ( 現状は、それでも失職するわけでないので、現場で深刻さがないだけです )。

 換言するならば、高校の英語教師が、英語自体を自身の生涯学習の対象としているか、という問題提起です。
 「自分で納得していないものは、教えられない。言葉の上で取り繕っても、一過的なものであり、生徒は敏感に悟ってしまう。誰しも多忙であり、一過的なもので時間稼ぎして、正しい方向に向かうのならよいが、甘んじてはいないか。題材を自分で探す能力とともに、5 年以内に英検準 1 級または TOEIC 730 点に達するようにと言われても、ごく自然に対処できる能力は、10 年経験した教師には当然あるべきものではないか」と、私は考えています。


 思い立ってはみたものの、いざ整理しようとすると如何に自分の論旨が脆弱かを感じています。
 御指摘等いただければ、幸いです。

 なお、運用題材として上記の英文を引用しましたが、この英文は養成題材としても適していると考えています。この難易度で量的負荷をかければ、題材についての予備知識が生徒の側にあるため、効率的と思います。また、併記しました試訳 (拙訳?) から和文英訳して 9 割得点できれば、高校卒業程度では十分と考えています。
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英語教材、英語教育についての私見 (鈴木康)
2010-01-13 22:54:59
「ウィキペディアを教材にする」という御提案は全く同感です。じつは私も、著作権問題さえクリアーできればウィキペディアからいろいろ面白い教材が作れると思っておりました。ただ、「和文英訳して 9 割得点」というのは高卒レベルを超えていると思います。
 それから、教育本来のあり方として「自分で納得していないものは、教えられない」というのは正論です。しかし組織としての教育でそれを許容するわけにはいかないでしょう。たとえば、シェイクスピアを教材にしなければ気が済まない教員の意向をいまの中高で認めれば生徒が迷惑するのは間違いないです。言い換えれば、組織としての教育は教育本来の姿とは違うわけで、自らの教育信念に反する教育も行う事を前提に組織人として採用された以上は、「教師」ではなく「教員」として処遇されるべきと私は考えます。
 サラリーマンである以上教員が雇い主の意向に添わなければならないのはやむを得ないでしょう。問題は、公教育の場合においてさえ民意があまりにもないがしろにされ、政策失敗の責任がほとんど追及されないことです。共通一次、ゆとり教育、会話重視の英語教育といった失政の責任者にはきちんとオトシマエをつけさせるべきです。
 逆に、現場の教員の負担や責任はもっと軽減されてしかるべきでしょう。そうすれば仕事のできるいい人材が集まると思います。問題は気構えよりも能力です。文科省が「英検準 1 級または TOEIC 730 点に達するように」と督励しているということはそのレベルに達していない教員が少なくないと公認しているにほかならずこれはかなり深刻な事態です。現状では、英語教員に教材選択をまかせるといった政策よりは英語教員の英語力向上の方が急務と思います。いまの英語教材がいいとは思いませんけれども、玉石混淆の教員に教材選びを任せるよりはましでしょう。
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記述不足を補足させていただきます (奇策な人)
2010-01-14 02:49:00
 迅速に御回答いただき、ありがとうございます。
 いただいた御指摘を拝読し、かなり記述不足があったことに気付きましたので、補足させていただきます。

> 言い換えれば、組織としての教育は教育本来の姿とは違うわけで、自らの教育信念に反する教育も行う事を前提に組織人として
> 採用された以上は、「教師」ではなく「教員」として処遇されるべきと私は考えます。

 御指摘の通りと思います。
 どのような分野であれ、自分の信念は、目減りして (?)、現実に適合していくものと思います。

 ただし、どのような分野、組織であれ、自由裁量が許容される部分はあり、一過的にその範囲が緩和されることが、長期的に見れば幾度か訪れるものと思います。問題は、その時に応じて、自分の信念を発揮するだけの潜在性を備えているかです。これは、組織人であれ、個人業であれ、社会人には必要なことです。

 10 年以上の経験を持つ高校英語教師で言えば、「3 年後の 2 学期目は、教材を自分で考えてよい。適切と見なされば、3 学期も継続してよい」と言われて、結局、1 学期から使っている教科書を転用するしか芸がないとしたら、少々物足りないと感じます。


> 現状では、英語教員に教材選択をまかせるといった政策よりは英語教員の英語力向上の方が急務と思います。

 政策面では、全く同感です。
 今回は、文科省に対してではなく、10 年以上の経験を持つ高校英語教師の方々に対し、「自分が信ずる題材がありますか。3 年後に授業に使えるとしたら、準備できますか」と問題提起するのが意図でした。


>「和文英訳して 9 割得点」というのは高卒レベルを超えていると思います。

 これに関する部分は、全くの記述不足で、要らざる印象を持たれたことと思います。
 和文英訳について問題提起する場合、常に東大、京大の難問が頭にあり、「あのような難問よりも、この題材で 9 割目指す方が、東大、京大でも現実的ではないか」と考えたのですが、気持ちだけ先行し、記述は完全に不足していました。

 また、「高校卒業程度では十分」も、飛躍し過ぎた「十分」になってしまい、「平均的には十分」の意味を考えるべきでした。
 この和文英訳問題に対するセンター試験受験者の平均は、現状では、6 割行かないと考えています。本来はどの程度の平均点であるべきかについては、まだ考えに至っていませんが、少なくとも、和文英訳で測定する前に、文法や読解等を評価することが先決で、和文英訳は、結局、それらの応用と思います。
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「和の呪縛」からの解放 (鈴木康)
2010-01-14 09:43:29
 丁寧なご説明有り難うございます。おおむね同感なのですが、東大京大入学者レベルの英語学習者に和文英訳や英文和訳はほとんど必要ないと私は考えています。いままで指摘してきたように、基本構文の英文和訳や和文英訳が自在にできる段階を卒業した後は、実力相応の英語インプットに励んだ方が効率的と考えるからです。
 東大京大もしょせんは国立大学なのですから、英語に限らず入試問題が国民の批判にさらされるのは当然であり、私は「あんな和文英訳や英文和訳は全廃すべし」と主張したいです。

 お示しいただいたウィキペディアの記事から「ものぐさ流英語教材」を作成してみました。

 A player or coach who shows poor sportsmanship, such as by ①( rguing) with a referee or by fighting with another player, can be ②( harged) with a more serious foul ③( alled) a technical foul. The penalty ④( nvolves) free throws (where, unlike a personal foul, the other team can choose any player to shoot) and varies between leagues. Repeated incidents can ⑤( esult) in disqualification.

 きわめて容易に作成できる素朴な一字補充問題ながら、大学受験生レベルで解くのはそう簡単でないかもしれません。整序問題も作成可能です。
 ただいずれにせよ、英文和訳や和文英訳や和風の教材といった「和の呪縛」からの解放が日本人が英語を効率よく学ぶカギになると私は考えています。加えて、いわゆる日本的な「和の論理」も現状をよりよくしていくためには有害無益でしかないと思います。とはいえ、このような「異見交換」が感情的にならずできるのは有り難い限りです。
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