円覚寺日記 四季綴り

このお寺が建っている環境のごとく、ゆったりとした気分で書いていきたい。
浄土真宗本願寺派 円覚寺の日記帳です。

定例法座十六日講

2011年09月19日 | 日記
ご報告が遅くなりましたけれども、去る16日の午後1時より「定例法座十六日講」をお勤めさせていただいた。



今回も真宗教団連合カレンダーの法語より、9月は「如来 一切のために つねに 慈父母となりたまえり」をテーマにお話しさせていただいた。

これは『涅槃経』(親鸞聖人はご自身の著書『教行信証 信巻末』にてかなりのスペースを割いて引用される)の中で説かれる「王舎城の悲劇」の登場人物、阿闍世(アジャセ)がお釈迦様を讃える言葉である。

※ちなみに「王舎城の悲劇」は仏説観無量寿経にも説かれております。




お釈迦さまの最晩年、インドで最も栄えたマガダ国に一大悲劇が起こった。

皇太子である阿闍世が、お釈迦さまの弟子の提婆達多(ダイバダッタ)にそそのかされて、父の頻婆娑羅王(ビンバシャラオウ)を殺し、王位を奪ったのである。

しかしその後、阿闍世は猛烈な後悔に襲われ、激しく苦しむようになる。しかし名医耆婆(ギバ)のすすめもあり、お釈迦さまにあうことによって、阿闍世は救われていく。

阿闍世は、苦しむからこそ救わずにはおれない如来の慈悲の前に、「如来 一切のために つねに 慈父母となりたまえり・・・」と讃嘆されたのである。




さてさて「王舎城の悲劇」における阿闍世の救われる姿に関しては、梯實圓和上が広島教区の若手僧侶の会「春秋会50周年記念公開講座」にてお話しされた「アジャセの救い」のご法話がとても詳しく、また大変ありがたい。

ネットでPDF化されたものがございましたのでリンクさせていただきました。↓
http://www.hicat.ne.jp/home/junjo/2008-07-04.pdf