円覚寺日記 四季綴り

このお寺が建っている環境のごとく、ゆったりとした気分で書いていきたい。
浄土真宗本願寺派 円覚寺の日記帳です。

月愛三昧

2011年09月13日 | 日記

昨晩は中秋の名月であった。

今年の中秋の名月はちょうど満月でもあり、円覚寺からもきれいなまん丸お月さんを眺めることが出来た。

カメラでの撮影も何とかうまくいった。(1/8000秒、F8)

ただでさえ静かな夜の円覚寺であるが、月明かりがさらに幻想的に境内を照らし出した。




さて、『涅槃経』には、「月愛三昧(がつあいざんまい)」ということが説かれている。


お釈迦さまの最晩年、インドで最も栄えたマガダ国の王子阿闍世(アジャセ)は、提婆達多(ダイバダッタ)にそそのかされ、父王のビンバサーラを殺害する。後に過去の悪業を深く悔いるようになるが、罪の意識から心を病み、やがて身体じゅうに皮膚病を生じ、激しい痛みに苦しめられる。そんな阿闍世王の苦悩を知ったお釈迦さまは、彼を救うために「月愛三昧(がつあいさんまい)」という瞑想に入られた。すると不思議なことに、お釈迦さまから放たれた清涼な光が王をつつみ込むように照らすと、全身を覆っていた皮膚病はすっかり癒え、身体の痛みも消え去ったのである。


「〈たとへば月の光よく一切の優鉢羅華(うはつらけ)をして開敷し鮮明ならしむるがごとし。月愛三昧もまたまたかくのごとし。よく衆生をして善心開敷せしむ。このゆゑに名づけて月愛三昧とす。大王、たとへば月の光よく一切、路を行く人の心に歓喜を生ぜしむるがごとし。月愛三昧もまたまたかくのごとし。よく涅槃道を修習せんものの心に歓喜を生ぜしむ。このゆゑにまた月愛三昧と名づく。{乃至}諸善のなかの王なり。甘露味とす。一切衆生の愛楽するところなり。このゆゑにまた月愛三昧と名づく〉と。」(『涅槃経』※『教行信証 信巻末』 引用)

※意訳
「昼間の炎熱から解放されて、月光のふりそそぐ静寂な夜。清涼な月の光を浴びて、あらゆる青蓮の花が美しく開きます。—ちょうどその月の光のように、お釈迦さまの深い瞑想(月愛三昧)から生じる慈悲の光は、あらゆる人びとを照らし、かれらに「善心」という花を咲かせるのです。」


お釈迦さまは、阿闍世に対し、罪を告げ責め立てるのでなく、月の光がやさしく人を包み込むように、ただ慈悲を注いでいかれたのであった。

罪業深重だからこそ救わずにはおれない、という仏の救いの本質を示してくださる一節である。




写真を撮りながら、しばしこのエピソードを思い出しつつ、静かなひとときを過ごした。



そして、部屋に戻ると・・・・・、



子どもたち、思いっきり部屋を散らかしまくっており、



「コラーッ!!片付けんかーっ!!!」


月愛三昧どころか、思いっきり大声あげとるし。