円覚寺日記 四季綴り

このお寺が建っている環境のごとく、ゆったりとした気分で書いていきたい。
浄土真宗本願寺派 円覚寺の日記帳です。

定例法座 十六日講

2010年07月16日 | 日記
本日午後1時より円覚寺の定例法座『十六日講』をおつとめいたしました。

今月も真宗教団連合カレンダーの標語よりテーマをいただきました。


「信心をうれば 暁になるがごとし」

であります。

阿弥陀如来の他力のご本願をいただいたならば、夜の闇が明けていくがごとく、
私の無明の闇が如来の智慧の光によって破られていくことをあらわしたものです。

これは親鸞聖人が『尊号真像銘文』というお書物の中で、自らお書きになった『教行信証 行巻末 正信念仏偈』の「摂取心光常照護」以下の文を解釈されたなかに出てくるお言葉です。↓

「『摂取心光常照護』といふは、信心をえたる人をば、無碍光仏の心光
つねに照らし護りたまふゆゑに、無明の闇はれ、生死のながき夜すでに暁に
なりぬとしるべしとなり。『已能雖破無明闇』といふは、このこころなり、信
心をうれば暁になるがごとしとしるべし。『貪愛瞋憎之雲霧 常覆真実信心天』
といふは、われらが貪愛・瞋憎を雲・霧にたとへて、つねに信心の天に覆へる
なりとしるべし。『譬如日月覆雲霧 雲霧之下明無闇』といふは、日月の、雲・
霧に覆はるれども、闇はれて雲・霧の下あきらかなるがごとく、貪愛・瞋憎の
雲・霧に信心は覆はるれども、往生にさはりあるべからずとしるべしとなり。」


夜の闇がはれ、日が差したとしても、必ずしも晴天だとは限りません。曇りや雨の場合もあります。しかしその雲・霧の中を太陽の光は私の元に届くように、阿弥陀如来の「必ず救う」というおはたらきは、臨終の一念まで煩悩のつきないこの私をつつんでくださっているのであります。



さて、上の写真は、現生十種の益の中で今回の標語は六番目の心光常護の益を示したものですよ、と解説するための板書。

黒板右下にヘンな楕円形の物体が描かれていますが、法話の中でたとえ話「糞中の穢虫 居を争うて外の清きを知らず」をお話ししたときに書いた虫の絵です・・・。

コレ、虫?