松山櫨(はぜ)復活奮闘日記

失われてしまった松山櫨の景観を復活させようと奮闘していく日々の記録。

聖地・松山櫨 その5

2007-03-01 23:29:04 | 復活奮闘日記
江戸時代に書かれた日本初の櫨の技術書
「窮民夜光の珠」を書いた高橋善蔵は、
櫨の事をこう記しています。

「夜光珠というのは唐土の珍宝であったが、
人に知られないで久しい間埋もれていた。
それを卞和(べんか)という楚国の賢人が
山中で発見して掌中で磨きに磨き、
ついに雲上にまで輝くような光を発して
楚国の宝となった。
今やわが国の櫨もその功能を知る人がなく、
薪にされる始末である。
そこで櫨栽培を研究して、
その要領をここにまとめて夜光珠と題するのである」
(山田龍雄 現代語訳 日本農書全集より)

この本は江戸時代に記されたものなのに、
まるで今の状況を言い当てているように思えてなりません。

崖に伸びた松山櫨はどれも非常に大きく、
年輪を経ていました。
この老木は大きな実をつけているにもかかわらず、
採取される事もなく静かに老い続けています。

松山櫨は、誰にも見向きもされずに、
埋もれている夜光珠なのです。

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