松山櫨(はぜ)復活奮闘日記

失われてしまった松山櫨の景観を復活させようと奮闘していく日々の記録。

あけましておめでとうございます

2012-01-01 11:17:35 | 指定なし

 櫨の活動を始めてから、もうすぐ丸5年になります。


 


なぜ私が櫨に関わるようになったかというと、理由の一番は櫨が衰退していたから。もし櫨が皆から注目されている樹木だったら、きっと寄りつきもしなかったでしょう。


 


もちろん櫨が大人気でブームになった時期もあります。幕末から明治の頃。至る所に櫨は植えられました。山、川沿い、田んぼのあぜ道。九州の人々にとって、櫨は最も身近な樹木だったのです。


 


櫨にはおおざっぱに言って「ハゼノキ」と「ヤマハゼ」に分類されていて、和ろうそくに使う「蝋」を採取できるのが「ハゼノキ」。実際に蝋を採取するためには、接ぎ木をした「ハゼノキ」でなくてはなりません。


 


以前は櫨農家がハゼノキの手入れを行い、ちぎり子が櫨の実をちぎり、蝋屋が櫨の実を蝋にして出荷するというシステムが機能して人々は生計をたてていたのです。


 


櫨が一大産業となっていた華やかな時期を思い起こすと、今となってはまるで夢のようです。


 


その櫨が今では少しずつ人々の手を離れています。今となっては櫨で儲かるどころか、生計を立てるのも難しく、櫨と本格的に関わっている人は全国でもごく少数です。


 


しかし、櫨はさんざん利用して捨てていった人間達とは別次元の世界に生きている樹木であり、寿命の短い人間には計り知れない力を持っているのではないか、櫨には昔の人が考えた以上に、もっと潜在的な力があるのではないかと、私には思われてなりません。


 


櫨は鳥を介して実生できるため、案外いろんな山に繁殖していたりして、人々が苦労して改良した「接ぎ木」の生育の難しさに比べると、野生の力強さがあります。


 


以前は、私が衰退した櫨をなんとかできないかと思っていたんですが、今では逆に、私が櫨に向かって、もう一度人間とお付き合い下さいと頼んでいるような感じです。


 


今年も櫨と楽しくお付き合いできますように。


 






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