松山櫨(はぜ)復活奮闘日記

失われてしまった松山櫨の景観を復活させようと奮闘していく日々の記録。

小郡での郷土史研究会

2010-08-21 11:04:08 | 復活奮闘日記
昨日、小郡市「あすてらす」で郷土史会会員による研究発表会があり、NPO法人「松崎歴史文化遺産保存会」の黒岩さんが発表されたので聞きに行ってきました。

小郡は地形的に水が筑後川へと流れ込んでいく扇状地帯であり、昔から豊かな湿地が拡がっており、鶴などの生息地でした。

江戸時代には鷹狩りが盛んに行われていたことを描いた絵本「鶴が来た村」(作・田熊正子・絵倉吉明美)の電子紙芝居が上演されました。

私は鷹狩りについてはほとんど知らなかったんですが、藩主の鷹狩りにおける組織や運営はかなり厳格に定められていたとのことで、例えば鷹狩り地域内での作物の植え付けや家などの増改築には厳しく制限がなされ、治安・行政にまで権力を及ぼしていたようです。

江戸時代といっても末期になってくると、武士の「遊び」的な性格が強くなっていくそうですが、やはり鷹狩りというのは、唯一武士に残された本来の「戦闘」という部分を思い起こさせるのかなと思いました。

さて、本題は「松崎宿とジャパンワックスロード」と名付けられた発表です。

松崎は薩摩藩の参勤交代における宿泊地であり、伊吉櫨を生んだ内山伊吉の出身地ですから、いろんな人が行き交う場所でもありました。山口や鹿児島に小郡の技術者が呼ばれたという文書が残っているとのことです。

幕末になると佐賀藩が蝋で蒸気船を買ったという記録もあるとのことで、もちろん蝋とは櫨蝋に他なりません。

櫨蝋の威力おそるべし。

もっと昔の古文書等に櫨のことが残されてるんじゃないかと思うので、ぜひ今後の研究に期待したいです。


↓押してくださると励みになります。

人気ブログランキングへ


福岡よかもん市場店「和ろうそく松山櫨通販サイト」へ。