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「
舟を編む」
[英題:
The Great Passage]
監督
石井裕也
出演
松田龍平、
宮崎あおい、
オダギリジョー
2013
(
IMDb)
"On the contrary, Aunt Augusta, I've now realised for the first time in my life the vital Importance of Being Earnest"
(Oscar Wilde,
The Importance of Being Earnest)
「とんでもない、オーガスタ伯母さん、いまこそ生れてはじめて、はっきりわかったんですよ、なによりも『まじめが肝心』だってことが」
(『まじめが肝心』 [
新潮文庫に収録、西村孝次訳])
去る3月7日、
日本アカデミー賞(第37回)の授賞式が行われた。
選考の対象となるのは主に2013年に公開された映画(厳密には2012年末に公開された作品も含む)。
今回最優秀作品賞の栄誉に輝いたのは、
三浦しをん氏の
同名小説を原作とした「舟を編む」。
優秀作品賞には他に五作品が選ばれた(「
凶悪」、「
少年H」、「
そして父になる」、「
東京家族」、「
利休にたずねよ」)。
日本アカデミー賞は、国内の映画賞として非常に大きな影響力をもつ一方で、いくつかの〈限界〉があることも確かだ。
Wikipediaページにも書かれているように、その〈限界〉のひとつは、受賞作品のほとんどが、「認知度の高い」作品に限られてしまうことである。
ともかくも、同賞の結果を受けて、「舟を編む」を観てみた。
私自身、邦画はあまり観ない(上に挙げた六作品のなかで観たことのある映画は「そして父になる」だけである)のだが、この作品にはどこか惹かれるものがあったのだ。
感想―
ひとことで言うならば、私が近年観た邦画のなかでは、間違いなくナンバーワンの作品である。
日本アカデミー賞にせよ、本家であるアメリカの
アカデミー賞にせよ、こうした大規模な映画賞というものは、えてしてどこか〈権威的〉で、〈商業主義的〉で、やや〈反発〉したくなる気持ちも多少うまれるものだ。
しかしそれを差し引いても、「舟を編む」は、まさに「最優秀作品賞」にふさわしい、文句なしの良作である。
主演の松田龍平の演技も見事である。
物語の主人公は、馬締(まじめ)という名字の青年。
出版社の営業部で働く彼が異動を言い渡されたことから、ドラマが始まる。
馬締に課せられた新たな仕事は、辞書作り。
気の遠くなるような作業だ。
営業の仕事では〈クビ〉同然の仕事ぶりだった馬締。
しかし辞書作りに取り掛かった彼は、水を得た魚の如く(エサを与えられた馬の如く?)、どんどん仕事にのめりこんでゆく。
これから先はネタバレになるので深入りしないでおこう。
「舟を編む」。
徹底的な〈マジメさ〉ゆえに生じる滑稽さ(⇒喜劇的要素)と、その一方で漂うペーソス(⇒悲劇的要素)との色調の混ざり具合が絶妙である。
さて、美術の話をしよう。
今回は映画「舟を編む」にちなんで、絵画における〈船〉について。
18世紀イギリスを代表する文学者
サミュエル・ジョンソンは、1755年に『
英語辞典』(
A Dictionary of the English Language)を独力で完成させた。
「舟を編む」の主人公・馬締が、多くの人々と協力しながら辞書を作り上げていくのとは対照的だ。
英語史上のみならず、英文学史上の意義も大きいジョンソン博士の『英語辞典』。
これはなにも英国史上初の辞書という訳ではない。
詳しくは上に貼り付けたWikipediaページにも書いてあるが、それ以前にも「英語辞書」なるものは英国に存在した。
しかしそれらの辞書は、(少なくとも現代の辞書と比べると)概して粗雑で、決して完成度の高いものとは言えなかった。
それに比べ、ジョンソン博士の『英語辞典』は、きわめて包括的で、内容的に充実している。
加えて彼の『英語辞典』には英国的なユーモアに富んだ項目も多く、そうした意味で、辞書として〈ユニーク〉である。
そしてこうした〈ユニークさ〉もまた、この『英語辞典』を英語史的・英文学史的に価値あるものにしているのである。
ジョンソン博士の『英語辞典』刊行から20年後の1775年。
この年に生まれたのが、英国ロマン主義を代表する画家
ターナーである。
「英国絵画の父」ホガース以来といってよい英国の国民画家であるターナー。
彼の絵画でしばしば取り上げられる主題が、畏敬の念をも覚えさせるほどに〈崇高(サブライム)〉な自然の有り様である。
こうした自然の力を前にすると禁じ得ない、人間存在そのものの卑小さについての思いもまた、彼の絵画を特徴づける一要素だ。
こうしたターナーの自然観が凝縮された彼の代表作が、《
戦艦テメレール》ではないだろうか。[下図参照]
いま貼り付けたWikipediaページにもあるが、2005年に英国で行われた投票によると、
ナショナルギャラリー(ロンドン)に所蔵されている本作が、イギリス国民が最も愛する絵画ということになるらしい。
ターナー自身は他にも〈船〉を主題とした作品を多く遺しており、またフランスにおけるロマン主義絵画の先駆者
ジェリコーや、彼に影響を受けた
ドラクロワも〈船〉を扱った印象深い絵画を描き上げている。[下図参照]
こうしたターナー、ジェリコー、ドラクロワの作品をみるにつけ、(海上の)〈船〉というものが、きわめてロマン派的なテーマなのだろうなということをつくづく思う。
〈船〉ということでさらに言えば、
ヒエロニムス・ボスの《
愚者の船》も思い起される。[下図参照]
絵画における〈船〉については、また時間のあるときに調べてみたい。
最後に―――
このページのトップにも引用を載せたが、オスカー・ワイルドは『まじめが肝心』(
The Importance of Being Earnest)という喜劇を書いている。
邦訳は新潮文庫の『サロメ・ウィンダミア卿夫人の扇』(西村孝次訳)にも収録されている。
またコリン・ファースの主演で映画にもなり、こちらの邦題は「
アーネスト式プロポーズ」となっている。
映画の邦題の苦心ぶりにも窺われるように、原題にある"Earnest"という言葉はひとつの〈掛け言葉〉となっており、直訳では原題のニュアンスを汲みきれない。
ワイルド独特のユーモアの効いたこの喜劇と同様に、今回の映画「舟を編む」のエッセンスもまた〈マジメが肝心〉なのである。
最後にひとこと言うならば、
The Importance of "Watching" Earnest といったところだろうか。
〈マジメって、面白い〉。