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西洋美術関連ブログ 思索の断片
―Thoughts, Chiefly Vague

ロイヤル・アカデミー展 華麗なる英国美術の殿堂

2014-08-16 23:56:06 | 美術展

ロイヤル・アカデミー展 華麗なる英国美術の殿堂
[英題:Genius and Ambition: The Royal Academy of Arts, London 1768-1918
石川県立美術館
2014年8月1日~31日
《巡回:東京富士美術館(2014年9月17日~11月24日)》

イギリスは長らくヨーロッパにおける「美術後進国」であった。
伝統的な肖像画の数々を措いては諸外国に誇れる美術品は決して多くなく(肖像画だけを集めた珍しい美術館「ナショナル・ポートレート・ギャラリー」があるほど)、ルネサンスからバロック、ロココへと移行していった当時の大陸における美術のメインストリートからは取り残され、国内美術は一種のガラパゴス的様相を呈していた。

「後進国」としての危機感が日に日に募るイギリス。
ようやく美術アカデミーが誕生するのは1768年、イタリアに遅れること200年、フランスに遅れること100年のことであった。

創立当初のアカデミーはパル・マルに置かれていた。
しかし収蔵作品の増加とともに移転を余儀なくされ、1771年にはサマセット・ハウスに居を移し、1837年には当時トラファルガー広場に移されて間もなかったナショナル・ギャラリーに組み込まれる。
そして設立から100年後の1868年に現在のバーリントン・ハウスに移された。

時の国王ジョージ三世によって設立が認証されたこともあり、しばしば「王立美術院」と訳されるロイヤル・アカデミーであるが、運営はあくまで王室の財政支援からは独立した自治形態をとっている。

アカデミー設立の甲斐あって、18世紀後半から19世紀にかけては英国画家という緯糸が西洋美術史という経糸に織りあわされることが多くなってゆく。
ブレイクしかり、ターナーしかり、コンスタブルやゲインズバラしかり。
それまではヴァン・ダイクやホルバインなど、英国で活躍した画家といっても諸外国から招聘されたお抱え画家であった。

ほくそ笑む初代会長レノルズ
しかし行き過ぎた保守的傾向は、19世紀半ばにラファエル前派という反逆児を生む。

ロセッティ、ミレイ、ハントらの描き出した美の世界に耽溺する者は現在でも少なくなく、《オフィーリア》や《プロセルピナ》がもはや英国絵画一般のアイコン化している現状は、ロイヤル・アカデミー発展の歴史を考えると皮肉でもある。

ともかくも、英国美術界に限れば、ロイヤル・アカデミーが長らくメインストリームであったことは動かしようのない事実であり、現在もなおイギリス国内において影響力のある美術機関として機能していることは特筆すべきである。

そして、ロイヤル・アカデミーの設立から第一次大戦終結ごろまでの作品を結集させたのが、今回の展覧会「ロイヤル・アカデミー展 華麗なる英国美術の殿堂」である。
全体としては、質量ともにバランスのとれた内容だったように思う。

では、いくつかの出展作品をみていこう。


Charles Bestland [after Henry Singleton] 'The Royal Academicians in General Assembly' (1800)

会場内の説明にも図版にも、描かれている人物や作品群の詳細な解説はなされていなかったが、こちらのロイヤル・アカデミーのサイトでは多少詳しく解説されている。


Henry Singleton 'The Royal Academicians in General Assembly' (1795)

1番の人物がベンジャミン・ウェスト
レノルズに続くロイヤル・アカデミーの第二代会長である。

そして13番の《ラオコーン群像》を挟む形で対置されている《ベルヴェデーレのアポロン》(14番)と《ベルヴェデーレのトルソ》(12番)。
むろんどちらも複製だろうが、古典主義的な均整のとれた〈完全〉な美を体現する《ベルヴェデーレのアポロン》が、ロマン主義的な〈断片〉の意識を内に孕んだ《ベルヴェデーレのトルソ》と向かい合う配置は興味深い。


George Clausen 'View of a Lady in Pink standing in a Cornfield' (1881)

多分に印象派の影響を受けて描かれた一作。
モネの《印象-日の出》は1874年。
一方は〈夕方〉、他方は〈明け方〉の太陽がぽつんと描かれている。


Monet 'Impression, Sunrise' (1872)

クラウセンの女性像は、そうすると、のちにモネが描いた《日傘の女》と重なるようにも思える。


Monet 'Woman with a Parasol' (1886)

しかしこうした雑感はそれこそ「印象批評」であって、根拠もなければ話が広がっていきそうにもないのでこのあたりでやめにしておこう。

それよりも私が問題にしたいのは、この絵画のタイトルである。
展覧会場のキャプションには《とうもろこし畑に立つピンクのドレスの女》とあった。

たしかに原題には"Cornfield"とある。
しかしweblioの辞書にもあるように、イギリス英語で"cornfield"という場合には、たいてい「小麦畑」を指す。

絵をみても、「とうもろこし畑」というよりは「小麦畑」の方が自然なように思えるが、どうなのだろうか。


Thomas Stothard 'Reclining Female Nude with Red Backdrop' (c.1800)

この絵をみて真っ先に連想したのがベラスケスの名画《鏡のヴィーナス》。


Velazquez 'Rokeby Venus' (c.1647–51)

それこそベラスケスの裸婦を「鏡」で反転させると、ストザードの裸体像にかなり近づくように思われる。
背景の赤色がとくに直感に訴えかける。
(なお、このベラスケスの絵画は19世紀初頭に英国人が購入し、現在はロンドンのナショナル・ギャラリーに収蔵されている。)

本展覧会の目玉のひとつミレイの《ベラスケスの想い出》もそうだが、18-19世紀のイギリスのアカデミーにおいては〈美の規範〉としてのベラスケスの影響力が少なくなかったように推察される。
それはフランスのアカデミーにおいても同じで、とくにマネはベラスケスからの影響が色濃い。


Millais 'A Souvenir of Velazquez' (1868)

では最後に、レノルズの絵画と引用をひとつ載せておこう。


Reynolds 'Theory' (1779-80)

"Nature is, and must be the fountain which alone is inexhaustible; and from which all excellencies must originally flow." (Discourse)


[追記]

ディプロマ・ワーク (Diploma Works):

Diploma Works are works of art presented by artists upon their election as Member of the Royal Academy. This significant collection of works dates from the 18th century to the present day and includes paintings by Fuseli, Turner, Constable, Raeburn, Millais, Sargent, Spencer and Hockney; sculptures by Flaxman, Gibson, Thorneycroft, Paolozzi, Frink and Flanagan; and architectural drawings by Soane, Barry, Scott, Waterhouse, Lutyens, Rogers and St. John Wilson. Highlights from the collection can be seen on free tours of the John Madejski Fine Rooms. (RA) [cf. Wikipedia "Reception piece"]

オルセー美術館展 印象派の誕生 -描くことの自由-

2014-08-02 22:10:41 | 美術展

オルセー美術館展 印象派の誕生 -描くことの自由-
国立新美術館
2014年7月9日~10月20日

もともとは駅だったオルセー美術館が開館したのは1986年のこと(意外と最近)。
収蔵作品は原則として1848年から1914年まで(二月革命~第一次世界大戦勃発)のものであり、したがって1874年から本格的な運動が始まった印象派の作品群が必然的にコレクションの中核をなす。

1874年の第一回印象派展に出品されたモネの《印象・日の出》をもって誕生したとみなされる印象派は、その後スーラに代表される新印象派や、ゴッホやゴーギャンらの後期印象派へと次々に展開をみせてゆく。


モネ 《印象・日の出

本展は「近代絵画の父」マネから、モネやルノワールといった印象派の画家、そして印象派の誕生を少なからず促したミレーやクールベら写実主義(レアリスム)の画家たちの作品に加え、同時代のアカデミスムの絵画も扱っている。
19世紀半ばから後半にかけてのフランス絵画の全体像を眺めるには格好の美術展といえる。

では、いくつかの展示作品をみていこう。


カバネルヴィーナスの誕生

19世紀フランスのアカデミスムにおける中心的画家カバネル。
ナポレオン三世のお気に入りでもあったこの画家の代表作《ヴィーナスの誕生》は、発表するや絶賛の嵐だったという。

「ヴィーナスの誕生」と聞くと、多くの人がまず思い浮かべるのはボッティチェリのあの傑作だろう。


ボッティチェリ 《ヴィーナスの誕生

西洋絵画史のなかで面々と受け継がれる「裸婦の系譜」は、19世紀フランスのアカデミーにおいても絶えることなく保たれており、実際ジェロームブグローといったアカデミスムを代表する画家たちも「ヴィーナスの誕生」を題材とした作品を手掛けている。


ジェローム 《海から立ち上るヴィーナス


ブグロー 《ヴィーナスの誕生

ヴィーナスには"Anadyomene"(「海から立ち上る(もの)」の意)という添え名もあるように、神話上では海の泡から生まれ、貝殻に乗って浜辺まで風に吹かれてやってきたことになっている。
上の四点の作品をみてもわかるように、同じ「ヴィーナスの誕生」という主題を扱っているとはいえ、〈貝殻〉を描くかどうかは画家によって異なっている。

本展に出品されていたカバネルの《ヴィーナスの誕生》には貝殻は描かれていない。
・・・と思いきや、意外なところに貝殻があった。

額縁の四隅に貝殻があったのだ。
この意匠は画家の意図なのかそれとも後世の額縁職人の手になるものなのかはわからないが、面白いデザインである。

他に気になった作品としては・・・


ルノワール 《イギリス種のナシの木

印象派の誕生というのは写真技術の発達と軌を一にしているところが少なからずある。
カメラの普及によって〈対象をありのままにカンヴァスに写し取る〉ことの相対的な意義が下がった時代にあって、画家たちは絵画でしか生み出せない効果を模索してゆく。

ルノワールの本作をみてみると、枝葉の鮮明に描かれているところとぼやけているところが混在している。
風のそよぎを受けている部分では、ちょうどカメラの〈ピンぼけ〉のような効果が生まれている。
写真技術の発達に刺激を受けながら絵画も進歩を遂げていった、そうした時代背景が垣間見える気がする。


ホイッスラー灰色と黒のアレンジメント第一番

1997年公開のMr. ビーンの映画「ビーン」でも登場した通称《ホイッスラーの母》。
映画では「美術館学芸員」のビーンがこの名画をめぐって一大騒動を起こしてしまう。

詳しくは映画本編あるいは(削除されていなければ)こちらのYouTubeの動画を参照されたい。
招待講演をすることとなったビーン学芸員の「分析」も見どころである(参考)。


マネ 《婦人と団扇

中学あたりの美術の教科書ではジャポニズムとの関連で印象深く扱われていたように思うが、それ以来は久しくみることがなかったのでどこか懐かしかった。

モネやルノワールら印象派の画家たちが好まなかった「黒」を支配的な色として積極的に使うあたりは、終生印象派とは距離を置いていたマネの画家としての矜持だろうか。
少なくとも、差異化を図ろうという意識は多少あったと思われる。

他にも、モネの《サン=ラザール駅》やミレーの《晩鐘》といった有名どころもみられる本展。
歴史をさかのぼれば、日本人の西洋絵画受容は印象派絵画から始まった。
その原点ともいうべき、やさしい導入だったように思う。


バルテュス展

2014-05-04 11:20:34 | 美術展

バルテュス展
[英題:Balthus: A Retrospective
東京都美術館
2014年4月19日~6月22日

バルテュス―。
いかなる画派にも属さないこの画家を、ピカソは「20世紀最後の巨匠」と呼んだ。

西洋絵画のメインストリームの文脈では捉えがたいこの画家の作品群をどう評するのか。
それが、本展を訪れるにあたって一番興味のあった点だ。

ほぼ独学で古典的な西洋絵画の精髄を吸収していったバルテュス。
展覧会場では、ピエロ・デラ・フランチェスカプッサンドラクロワといった巨匠の名が挙げられていた。

バルテュスの伝記的事実については私は明るくないので表面的な考察になってしまうが、彼の作品群を観ていて比較的よく登場するモチーフのひとつが、座椅子にもたれかかる女性像であることは論を俟たないだろう。

トップに貼り付けた広告にも載っている《夢見るテレーズ》しかり、《美しい日々》しかり、《決して来ない時》しかり。


《美しい日々》


《決して来ない時》

なかでもとりわけ私が興味をそそられたのは、《目ざめ (I)》である。


この絵はカラヴァッジョの《愛の勝利》にインスピレーションを受けていると解説にあった。


おそらく伝記的事実に即していえばそうなのだろうが、先入観をもたずに私がこの絵を観て、ぱっと連想したものはむしろティツィアーノの《ダナエ》である。


ベッドの天蓋の感じや上方を見上げた人体図など、ティツィアーノの名画の質感がバルテュスの脳裏にあったとしてもおかしくない。
(もっとも、ティツィアーノでなくとも、レンブラントやコレッジオのダナエ像でもいいのだろうが)

それを踏まえてバルテュスの描いた作品群をみてゆくと、彼の〈少女像〉は、あたかも西洋絵画における〈裸婦像〉の伝統をバルテュス的に変奏したものなのではないかという気さえする。

思えば、西洋絵画の伝統的な裸婦像というのは、しばしばゆったりと体を横たえた姿勢をとっている。


[左]ティツィアーノ《ウルビーノのヴィーナス》、[中]ゴヤ《裸のマハ》、[右]マネ《オリンピア

したがって、バルテュスをむりやり西洋絵画の文脈のなかに位置付ければ、こうした〈裸婦像〉の伝統の延長線上に置くことも可能なように思う。

また、上に載せた《美しい日々》に描かれている鏡をもった少女は、ベラスケスの《鏡のヴィーナス》のエコーであるかのようでもある。


バルテュスの絵画の特質は、伝統的な〈大人〉の裸婦像から〈少女〉の裸婦像へと美の規範を転換させたことにあったといえるかもしれない。
そしてその変奏の調べは、なお捉えようとしても捉えきれない魅力をのこしている。

とはいえ、無理して西洋絵画の文脈に当てはめる必要もないのだろう。
ちょうど印象派とアカデミズムの衝突のなかで新たな絵画の可能性が追及されていった19世紀の画壇において、どの画派にも属さなかったシャヴァンヌが異彩を放ち、現在再評価が進んでいるように。

ミラノ ポルディ・ペッツォーリ美術館 華麗なる貴族コレクション

2014-05-03 13:30:13 | 美術展

ミラノ ポルディ・ペッツォーリ美術館 華麗なる貴族コレクション
[英題:Collection of Museo Poldi Pezzoli: The Aristocratic Palace and its Beauty―Milano, the Magnificent Collection of the Nobleman
Bunkamura ザ・ミュージアム
2014年4月4日~5月25日

本展覧会の特集番組と横顔肖像画の大まかな歴史については、以前のブログ記事にまとめた。
今回は実際に展覧会を訪れた感想を書いておきたい。

武器や甲冑のコレクションから始まったポルディ・ペッツォーリ美術館の蒐集は、その後、イタリア美術が隆盛を極めたルネサンス期の作品を中心とした絵画の分野にも及んだ。
こうした絵画蒐集の背景には、当時国内が統一運動(リソルジメント)のさなかにあり、国家のアイデンティティの拠り所を求めていたことと深く関係している。

ルネサンス期イタリアの絵画というと、しばしばフィレンツェやヴェネツィアを想起するが、ミラノもなかなか興味深い。
理由のひとつは、一時期レオナルド・ダ・ヴィンチが現地に滞在していたこと。
当時にあってもやはり彼の影響力は大きかった。

もうひとつ理由を挙げるならば、地理的要因だろう。
イタリア北部に位置するミラノは、ある意味、国内のルネサンス絵画とドイツやネーデルラントの北方絵画の影響力のちょうど〈潮境〉にあたる。


それゆえ、展覧会場内の解説にもあったように、ミラノの絵画には、「地元と中世以来の様式に、ヴェネツィア絵画や北方絵画の影響を加味」した、非常に味わい深いものが多い。


では最後に、出展作品のうちの一点を挙げておこう。
ボッティチェリの《死せるキリストへの哀悼》である。


ピエロ・デル・ポッライウォーロの《貴婦人の肖像》と並ぶ本展の目玉であるこの作品では、支えていたものがぷっつんと切れ、画面上部から人々が崩れ落ちていくかのような情景が印象的である。

晩年のボッティチェリはドメニコ会修道士のサヴォナローラに傾倒していた。
その宗教的情熱の影響が、この作品にあらわれているという。
ボッティチェリとサヴォナローラの影響関係については、また機会のあるときに調べてみたい。

華麗なる貴族コレクション。

こども展―名画にみるこどもと画家の絆

2014-05-02 14:59:47 | 美術展

こども展―名画にみるこどもと画家の絆
[仏題:Les enfants modèles
森アーツセンターギャラリー
2014年4月19日~6月29日

本展は、数年前にオランジュリー美術館(パリ)で開催された展覧会を日本向けに再構成したものである。
パリ版の構成がどのようなものだったかについては分からないが、少なくとも本展の展示内容をみる限り、どこかもやもやした感じが残った。

体系的なようで体系的でないというか、本質的な意味での深みに欠けていたように思う。
子どもの肖像画が描かれるようになるのは大体ルネサンス期以降なのだが、本展のように印象派前後の作品だけを展示していては「こども観」の歴史的変遷はなかなか掴みにくい。
やはり絵画における「こども観」を探るにあたっては、少なくとも数点はルネサンス~バロック・ロココあたりの作品が必要だったのではないか。

年明けに同美術館で開催された「ラファエル前派展」が非常に内容の濃いものだったため、期待しすぎていた部分もあるのだろうが、会期初日から一週間経っても届いていない作品があったり、通常入口に用意されている作品リストがいまだに「作成中」だったり、やや準備不足の感が否めないことも確かだ。

その点、本展の監修にあたった千足伸行氏の語る「展覧会のみどころ」や図録に掲載されている同氏の解説では、絵画における「こども観」の歴史的変遷が丁寧に書かれており、非常に参考になる。

図版に収められた千足氏の解説では、ルソーの『エミール』はもちろん、アリエスの『〈子供〉の誕生―アンシァン・レジーム期の子供と家族』やロマン派の詩人ワーズワースの「」、「霊魂不滅のオード」からの引用もあり、興味深い内容になっていた。

こどもと絵画。
こどもを描く画家のまなざしは、こどもをみる社会のまなざしの反映でもある。
「こども観」の歴史については、これからまた調べていきたい。

では最後に、ラファエル前派の画家ジョン・エヴァレット・ミレイの描いた〈こども〉を載せておこう。


'Bubbles' (originally titled 'A Child's World', 1886, Lady Lever Art Gallery, Port Sunlight)
[【注】 本展覧会には出品されていません]

広告に用いられたことでかなりの議論を呼んだ一作。
また、BBCのドラマ"Desperate Romantics"ではロセッティやハントらにからかわれていたが、真実やいかに。

「こどもは大人の父である」 ("The Child is father of the Man")
―――ワーズワース 「虹」