Those Were The Days of My Life

I will send you to The Path of Nevermore...
2度と戻れない過去への招待状

AYRTON SENNA 1960 - 1994

2010-05-01 05:24:28 | Sports
1994年5月1日。。。

あの日から16年経ちました。
アイルトン・セナ。。。生きていれば今年50歳。。。

事故現場であるイモラ・サーキット内の運動公園に
アイルトン・セナのブロンズ像が設置されています。

私がそこを訪れたのは2000年の5月30日でした。
既に2000年のサンマリノGPは終わっていたし、
平日の午後ということもあり、
運動公園には人の姿がほとんどありませんでした。

遠くから見えたセナのブロンズ像は、とても寂しそうでしたが、
近づくと、ちゃんと花が供えられていて、
絶えずファンが訪れていることが伝わってきました。





事故現場であるタンブレロ・コーナーを見守るように、
というより、憂うかのようにうなだれている姿が
なんだか悲しく見えて仕方ありませんでした。



1992年頃、フジテレビのF1中継では、各ドライバーごとに
ウィニングランのテーマ曲が決まっていました。

アイルトン・セナがトップチェッカーを受けるときには
T-SQUAREの『FACES』がかかりました。



この曲を聴くと、当時自室の14インチTVでレースを見ながら
夜中に1人で盛り上がっていたことを思い出します。

隣室で寝ていた父には少なからず迷惑をかけていたようで、
セナが勝った翌朝は必ず
「昨夜セナが勝っただろ。」と言われたものでした

。。。セナに会いたい。。。





これ↑は、18金コイン型ペンダントです。
1991年の鈴鹿の直前だったと記憶していますが、
フジテレビの『F1MONOコック』という番組でセナグッズの特集があり、
鈴鹿でセナを応援する人向けのTシャツやブルゾンなどと一緒に
このペンダントと指輪が紹介されました。

ペンダントと同じデザイン+リング部分にはチェッカードフラッグをあしらった、
かなりごついデザインの指輪は、女性の指には似合わないと思ったので、
私はペンダントを購入。
限定数は忘れましたが、私のは#033です。

セナったら、ごついデザインの指輪をとても気に入ったようで、
番組出演時に「セナ・ミュージアム(?)にも展示したい」
とか何とか言っていたような記憶があります。

当初、手元に届くのは年内の予定だったのですが、
大幅に遅れて、手にしたのは翌年のF1開幕直前だったように記憶しています。
なぜ大幅に遅れたのかと言うと。。。



1991年鈴鹿GPで優勝し、ワールドチャンピオン獲得が決定したので
「『'88 '90 '91 WORLD CHAMPION』の文字を入れて欲しい」と
セナからリクエストがあったから、とのことでした。

ファンにはとても嬉しいサプライズでした。


セナ。。。
マイケルがF1に帰ってきたよ。
セナも帰ってきてよ。。。




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2 コメント

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これも懐かしいです^^ (望月)
2015-09-02 18:50:28
私は、マンセルが大好きでした!
「ライオン丸」って日本的なニックネームも(笑
ガス欠も怖くない!って鬼気迫った走りは、今のレースじゃありえないんだろうな~。
でも、やっぱりセナ。。。なぜなんだ?って。
コンクリートウォールに真っ直ぐ突っ込むなんて・・・。
実況で「生体反応が無い。」の無常な言葉に凍り付いた思い出があります。モータースポーツに詳しいとは、驚きました^^
また、記事を拝見に伺います!懐かしい時代ですね♪
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>望月様 (koebi)
2015-09-03 23:59:20
おー、マンセル!懐かしいっ!
マンセルといえばブラックフラッグ(笑)。
ああいうタイプのドライバーももういなくなっちゃいましたね。
私は一応今もF1とフォーミュラEは見ているのですが、誰かを夢中になって応援することはなくなりました。
Eの音は歯医者さんを思い出すし、ハイブリッドF1の音を聞くとなんだかお腹の調子が悪いような気分になってしまいます(苦笑)。
F1の話もいくつか書いてありますので、よろしかったらご覧になってコメントしていただけるととても嬉しいです^^
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