旅のウンチク

旅行会社の人間が描く、旅するうえでの役に立つ知識や役に立たない知識など。

三つ子の魂

2008年02月22日 | 時事
 幼い頃の出来事で、今でもよく覚えている悔しい記憶があります。今風に解釈すれば、さしずめ”トラウマ”だの、幼い心を傷つけられてその後の人格形成に影響を与えた実例だのという事になるのでしょうが、私は単純に”学習経験”、あるいは”教訓”と思っています。

さて、あれは私が純真無垢な幼稚園園児の頃の事です。田舎で育った私の場合、幼稚園へは電車で行かねばなりませんでした。今のように家の外が危険視されていなかった時代のことですから、親が乗車駅まで送ってくれて、電車内は子供だけ、電車を降りてからも三々五々子供だけで幼稚園に到着するというシステムでしたが、そのシステムも絶対的ではなく、各家庭の事情にある程度自由裁量が任されていたようでした。

私の場合、4歳年上の姉が幼稚園と敷地を共通とする小学校へ通っていた関係で、姉に連れられて通園していました。つまり、小学校の登校時間に合わせて通園するわけですから、私が到着した時にはまだ幼稚園には先生も来ていません。

誰もいない幼稚園で一人、何をしていたかと思うかもしれませんが、一人ではありません。同じような事情の子供が他に2人いたので、いつも3人で遊んでいました。

そんなある日の事です。あまりはっきり記憶にないのですが、姉が何かの事情で学校を休んだわけです。姉が病気だった記憶はないので、多分、小学校だけに適用される休日だったのだと思います。こういう日は自力で通園しなければならないわけですが、その分、朝寝坊もできます。

さて、余裕で幼稚園タイムで到着した私。いつもなら誰もいない園舎へ入っていくのですが、この日は既に多くの園児が到着して暴れまわっています。カバンを早く片付けて加わりたい私の目に映ったのは、いつの間にできたのか、教室の入り口の上にあるアシナガバチの巣と、それに様々な物を投げつける同級生たちの姿でした。

それを見た瞬間、私の頭の回路は以下のように反応したのです。

”おそらく、この時間だと先生方も来ているはず。きっと、ドアの上にハチの巣があって危険だから、皆で力をあわせて駆除するようにという命令が発せられたのだ。”

 この任務にすぐに加わる必要を感じた責任感の強い私の目の前に糊の空き瓶が。

 幼稚園とか保育園にありますよね。青いプラスチックのデッカイ糊。黄色い蓋がついている奴です。あの空き瓶が転がってきたのです。

 すかさすそれを拾って私はハチの巣へ投擲しました。しかし、投げた瞬間にその弾道がハチの巣とは少しずれていることを認識。壁に当たって跳ね返ってくると思われる弾道の先へ急いで移動したのでした。
 
 ほぼ計算通り目の前に転がってきた糊の瓶を再び手に、第二投に移ろうとした私はここで異変に気がつきました。

 先ほどまでよりも明らかに周囲が静かなのです。

 慌てて周囲を見回す私の目に映ったのは、先ほどまでの風景が幻であったかのように誰もいない幼稚園の中庭と、職員室から歩いてくる園長先生(女性)の姿。そして、私と園長先生のちょうど中間地点あたりに佇むマツシタ君の姿でありました。

 この時点で悪いことをしていると考えていなかった私は、”どうして皆いなくなったのかなぁ”と思っていましたが、マツシタ君が園長先生に身柄確保されたのを見て、”逃げなきゃ”と思いました。

 ここで確認できたことは、人間、理由がよくわからない場合でも”逃げなきゃ”と思うという事です。刑事ドラマや映画で”逃げようとしたのが何よりの証拠だ”と乱暴な論理が登場することがありますが、何かが捕まえに来たら逃げるのは人間の本能であることを私は確信しています。

 思わず教室に逃げ込んでみたのですが、何せ現行犯で目撃されているのですから、あっさり逮捕され、職員室へ連行されていったのでした。

 職員室に連行された私とマツシタ君に待っていたのは”そこで立ってなさい!”の刑。ここでは申し開きをする機会も全く与えられず、スピード裁判で判決が下りました。

 しばらくすると、他の子供達が楽しげに唄など歌う声が聞こえてきます。マツシタ君と私は園長先生の前に直立不動。その状態が午前中いっぱい続いたのでした。

 午後になって母親が幼稚園にやってきました。問題児として家に通報され、強制送還されたわけです。

 私にとって今までにない体験であったのは、この場合、私は”良い事”だと思ってハチの巣を攻撃していたにもかかわらず、説明もなく、刑に服さねばならなくなった事でした。ただ、同時に”冷静に考えれば、ハチの巣に物を投げつけて落とせという指令が幼稚園児に向けて発せられるはずがない”と、後になってみれば考えられる程度の知能は有していました。

 どうにも納得いかない気分は子供らしく数日で消滅し、私には”周りがどんなに盛り上がっていても、そして、一見、それがいかに正義に見えても、一度はその場から離れて冷静に考えてみてから参加するかどうかを決めるべきである”という体験的教訓が残されたのでした。

 ここ何年かの日本の社会を眺めていると、健康、禁煙、環境、エコ、オーガニック、自己責任、2大政党、マニュフェストなどなど、その瞬間のキーワードで集団ヒステリー的に世の中の意見がどこかへ突っ走る姿を目にすることが多くなったように思えます。そういうのを目にする度に自分の戒めます。

”ああ、この波の中に入り込んで周りが見えなくなると、教頭先生の前に半日立たされることになるんだよな”


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